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それは、とある死霊術師が部下を送り込むよりも前の事だった。
霧深い谷に建てられた大きな日本家屋。
その一室にて、椅子に座った一人の少女は手紙を読みながら呟いた。
「お断り、ですか・・・・」
大和撫子という言葉を体現するかのような少女であった。
精巧な人形のように整った顔立ちに、濡れた烏のように黒く、長い黒髪は首の後ろで一つに束ねられている。
年の頃は十代後半だろうか。起伏にとんだ体つきをしているが、よくよく見ればその体はしっかりと鍛えられ、女性らしいしなやかな筋肉に包まれているのが分かる。
その身にまとう雰囲気も大人びていて、落ち着いており、手紙を読みながらため息をつく姿すらどこか気品を感じさせた。
「しかし、残念というか、少し悔しいですね」
少女は手紙を畳むと、近くの机の上に放り投げ、もう一度ため息をついた。
放り投げられた手紙には、『お見合いにつきまして、大変魅力的な申し出ではございますが、一身上の都合によりお断りいたします』といった旨が書かれていた。要するに、少女は振られたのである。
「これでも見た目には自信があったのですが」
少女の言葉は決して自信過剰ではない。
少女の見た目ならば、間違いなく世界的なトップアイドルを狙えるだろう。通っていた学校は上流階級の子息たちが集う由緒正しい学び舎であったが、中学、高校ともに告白された数は百から先を数えていない。
彼女から「お付き合いしていただけませんか?」と言われて頷かない男など、そうはいないだろう。
だが、その「そうはいないだろう」男が現れたのだ。断るからには、必ず理由がある。そして、少女はその理由に心当たりがあった。
「警戒されているのでしょうか?あの力を見た後の申し出となれば、その裏を疑いはするでしょうし」
お見合いの申し出であったが、そこには打算しかないからだ。
まあ、時期的にも透けて見えるその目論見を見破られたのだろうと少女は考えた。
「しかし、諦めるわけにはいきません」
そこで、少女は唐突に立ち上がり、美しい顔を憎悪に歪めた。
その憎々し気な視線は、窓の外に向けられている。その方向には、彼女が敬愛する兄と、その兄を誑かし、一族を蹂躙したおぞましい血吸いの化物が住んでいる館がある。
「霧間として、私自身のために・・・・何より兄さんために・・・・!!!」
少女の名は、霧間八雲。
古くから日本で人々を守るために人外と戦い続けてきた一族の直系である。
霧間家現当主である霧間朧の妹であり、霧間一族として学業と並行して日夜人外退治と稽古に明け暮れ、「兄とともにこの国の人々を妖怪から守るのだ!!」と信じて戦い続けてきた。
・・・・数年前までは。
「あの売女がぁっ!!兄さんを洗脳するだけでは飽き足らず、この霧間谷に土足で踏み入って居座るなどっ!!兄さんに父を、母を、私を斬らせるなどっ!!絶対に許すものですかぁっ!!!」
八雲の兄である朧は霧間一族として、というよりも人間としてはかなり珍しいことに妖怪に対して嫌悪感を持っていなかったが、それでも人々が妖怪に襲われるようなことを黙って見過ごすような性格でもなく、八雲と同じように人外と戦い続けてきた。
そして数年前、「学会」の七賢三位が支配する地を除いて国内のほとんどの場所を巡って妖怪を斬り伏せた朧は修行として海外に出ていったのだ。八雲は寡黙ではあるが強く、優しい兄によく懐いており、人外との融和を推し進めた学会の勢力圏に兄が行くことを不安にも思ったが・・・
『兄さんなら、どんな妖怪にも負けませんよねっ!!』
と信じて涙を呑んで送り出したのだ。
だが・・・・
『・・・唐突ですが、こちらが自分の嫁のリリスです』
『リリス・ロズレットよ!!よろしくね!!』
帰ってきた兄は、汚らわしい吸血鬼の下僕と化していた。
あろうことか、吸血鬼などという人にあだなす怪物の中でも最上位の人外を霧間当主の嫁として迎えると言い放ったのだ。
『何を言ってるんですか!!兄さん!!目を覚ましてください!!』
当然、八雲は反対した。父も、母も、一族の全員が猛反対した。
そして・・・・
『お前がっ!!お前がァっ!!兄さんを元に戻せぇぇぇぇええええええっ!!!!』
八雲は敬愛する兄を人外へと変えた吸血鬼を討ち取ろうとした。
元凶を倒せばすべて元通りになると思い込み、己を信じ込ませ、刀を振るい・・・・
『・・・自分の嫁だと言った筈だ、愚妹』
『え?』
気づけば、八雲の腰から下がなくなっていた。
兄の手には、血を固めて拵えたような大太刀が握られており、下半身を失って上半身ごと落ちていきながら、あの刀が自分を斬ったのだと理解した。
『・・・ええと、いいの?朧?アンタの妹なんでしょ?』
『・・・嫁を紹介した瞬間に斬りかかってくる狂人など、恥でしかない。昔からやたらと血の気の多い一族だと思っていたが、ここまでとはな』
その後に行われたのは、虐殺だった。
父も、母も、みんな狂った兄によって斬られた。
『・・・これで、自分たちの邪魔をするものはいなくなった』
『アタシ、とんでもない人のお嫁さんになっちゃったかも・・・でも!!アタシのためにここまでやってくれるなんて、アタシは嬉しいよっ!!オボロっ!!』
そして、八雲も含めた家族が血まみれで転がる中、吸血鬼とその下僕は返り血で真っ赤に染まりながら口付けを交わし、血と同じ色の宝石が嵌った指輪を交換した。その光景を、八雲は見ていることしかできなかった。失血で意識がもうろうとしながらも、八雲は目に焼き付けた。
『必ず、必ずっ!!必ず殺してやるぞ吸血鬼っ!!!』
そう、心に誓ったのだ。
『すいませーん、ちょっとホムンクルス作りたいんで余ってる内臓とかないですか・・・うおっ!内臓!?っていうか何があった!?』
そこにたまたま現れた通りすがりの七賢三位の月宮京、通称「巨匠」によってその場にいた者たちは全員助かったが、心に刻まれた傷は今も疼いている。
「今回のことを考えれば、あの巨匠も一枚かんでいたということもありえるかもしれませんね・・・亡霊用に霊能者の肉体を部品にした人形を作るなどという、狂人ですし」
あの時巨匠が現れたタイミングが良すぎる。もしかしたら、初めからあの吸血鬼と組んで日本有数の名家である霧間家を乗っ取ろうとしているのかもしれない・・と八雲は考えていた。そして、今回の見合いが断られたのも、巨匠の策がまだ熟しておらず、期が来るまで待っているのではないか?とも。
なお、京があの場にきたのはパーツ集めのためであり、まったくの偶然であり、血まみれで指輪交換する朧たちを見て、『なんだこのヤベーやつら・・・』と自分のことを棚に上げてドン引きしていた。
「あの力を持っている月宮久路人という方も、巨匠の庇護下にあるようですし。ですが、それ故に引き抜くことができればあの吸血鬼と巨匠両方の痛手となる」
人外を倒し続けてきた霧間家、月宮家を始めとする日本の霊能者の名家と、人外との融和を進めた学会の折り合いは悪い。八雲もまた、兄が日本にいる時から学会に良い印象は持っておらず、件の吸血鬼が七賢五位ということもあり、兄が帰ってきてからのイメージは最悪となった。ひいては、巨匠に対する信頼も皆無に等しい。
「しかし・・・」
そこで、八雲は改めて手紙の方を見て憐れむような目をした。
月宮久路人という青年の情報についても下調べはもちろんしてあり、その事情も知っているからだ。とはいっても、数年前の修学旅行の時まで、詳しい情報は判明していなかったのだが。
「なんと可哀そうに。生まれた時からその力ゆえに学会の手の者に囚われ、さらには蛇の妖怪と契約を結ばされた上に監視を付けられるとは」
聞けば、例の蛇の妖怪は一日のほとんどを青年に付き纏っているという。就寝中は当たり前。風呂やトイレの時まで虎視眈々と狙うような目をしていて、青年の下着を収集してるという冗談のような噂まである。自分だったら発狂しているだろう。
「まったく気色悪いっ!!人外ごときが、人間を情夫扱いするなどっ!!」
間違いなく、月宮久路人という青年は兄と同様に学会によって洗脳されており、妖怪との共存などという絵空事を信じ込まされているに違いない。それは許されざることだ。ましてや、この世の人外すべてを滅ぼしうる力の持ち主なのだ。なんとしても救い出さねばならない。
「待っていてください、月宮さん。兄さんを元に戻すためでもありますが、貴方のことも私が救って見せます」
月宮久路人に返事を書くために紙と筆の準備をしつつ、八雲はそう決意するのだった。
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「いただきます」
「いただきまーす!!」
白流市のとある大学の食堂にて、久路人は壁際の一か所のスペースを残して座り、雫は久路人の確保した席に座り込んだ。
そんな二人の前にあるのは、二つの弁当箱である。二人が弁当箱を開けると、中身は唐揚げ弁当であった。
「うーん・・・」
「どうしたの、久路人?」
雫の方は食堂にある箸でひょいひょいと唐揚げを口に放り込んでいるが、久路人は箸で唐揚げを摘まんだまま不思議そうな顔をしていた。
「いやさ?なんかこの唐揚げ、色がなんか変じゃない?赤っぽいっていうか」
「・・・そんなことないよ。こういう唐揚げも売ってたりしてるじゃん?」
「そうかなぁ?まあ、確かに赤っぽくなることもあるけど」
疑問に思いつつも空腹だったのか、久路人も唐揚げを食べ始めた。それを見て、雫は内心息を吐いていた。
(なんとかバレずに済んだか・・・付け置きと衣に血を混ぜたのは気付かれなかったみたいだね)
ここのところ、久路人の食事は朝昼晩すべて雫の血がふんだんに混ざったものになっている。
大学に通い始めの頃は二人とも学食を食べるようにしていたのだが、お見合いの後から雫が「よく考えたら、学食ってコスパあんまりよくなくない?お弁当の方が節約できるよね?」とか「今の内からお金は大事にしておいた方がいいと思うけどな~」と上手いことを言って久路人を説得したのだ。
それからも、「どうやったら汁物を使わずに血を大量に混ぜ込めるか?」ということを追求し、前日から漬け込みをしたり、衣を纏わせるような料理が作ることを思いついた。その結果、味噌汁やカレーが使える朝晩をよりも量は少し劣るが、自分の血を摂取させることに成功している。
「うん、僕が揚げておいてなんだけど、結構おいしいね」
「久路人、火加減とか調整するの上手いもんね」
「そうなんだよ。なんとなくわかるんだよね」
とはいえ、そんなことはおくびにも出さずに雫は食事を続ける。
久路人も普段通りの雫との会話に何の疑惑も抱かないようで、食べる前に感じていた唐揚げの違和感も忘れているようだった。
「・・・・・」
久路人が寝ている内に雫の血をしみ込ませた鶏肉を、これまた血を混ぜ込んだ衣に包んで久路人が揚げた唐揚げが、久路人の口に入ってかみ砕かれ、ごくりと音を立てて飲み込まれて内臓に流れ込み、消化されて久路人の中に取り込まれていく。
「・・・・・」
「雫?どうかした?」
「えっ!?あ、ううん!!なんでもないよ!!」
「そう?」
じっと久路人が食事をしているところを見ていたのを疑問に思ったのか、久路人が雫に問いかけるも、雫は受け流して食事に集中した。
(・・・ちょっとムラムラしてきちゃった。まあ、朝ほどじゃないし、家に帰るまで我慢我慢)
弁当の難点といえば、やはり雫が真昼間から自分の体液が取り込まれているのを見てしまうことか。
大学の場合、緊急手段としてトイレで致すことも何度かあるが、その間は護衛がいなくなってしまうため、できる限り我慢するようにしている。ちなみに久路人がトイレの時は、幻術「五里霧中」を使ってギリギリのところまで男子トイレ内に陣取り、雫がトイレの時は女子トイレ入口近くに同様の手段で久路人が待機している。初めの頃は「もうちょっと近くまで入ってきてもいいんだよ?」と雫も言ったが久路人が固辞したために入口で妥協したのだが、それが功を奏した。
(声は抑えてるけど、聞かれっちゃったらマズいし・・・・そういうのはきちんと全部終わった後に焦らしプレイの一環としてじゃなきゃね!!)
自分と久路人が結ばれた後に、抑えた喘ぎ声を聞いた久路人が劣情を我慢できずにそのまま個室を蹴り破って無理やり・・・などというシチュエーションですでに数回は致している雫である。いついかなる時に久路人が襲い掛かってきてもいいように、ありとあらゆる状況を想定済みだ。
と、そのように二人が食事を採っていた時だ。
「あ、月宮君じゃん」
「久しぶり~」
久路人が座る席の向かい側に、二人の男子生徒がやってきた。
「野間琉君に毛部君」
(こいつらか・・・まあ、放っておいてもいいか)
よいしょ、と対面の椅子を引いて持っていたトレイを置く二人は、高校の頃のクラスメイトだった野間琉君と毛部君だ。久路人とはそこそこ交流があり、異能のことは知らないが数少ない友人と言ってもいいだろう。影が薄いことを悩んでいるが、気配に敏感な久路人はしっかりと認識できるため、よく話すようになったという経緯がある。
「本当に久しぶりだね。学部が違うからしょうがないけど」
「そうだな、俺らは文系だしな」
「棟も離れてるし、食堂に来なきゃ会わないだろうし」
大学の同じ学部の生徒とはあまり話さない久路人にとって、久しぶりの大学内での会話である。なお、毛部君と野間琉君も認識のされずらさからお互い以外の友達はいない。
「あれ?月宮君、弁当だっけ?」
「前来た時は学食じゃなかったか?」
「あはは・・・僕ちょっと諸事情あってバイトできなくてさ。節約のためだよ」
「ふーん・・・でも、自分の弁当を作ってこれるのもすごいと思うぞ」
「そうそう。俺らなんて毎日学食だし」
(久路人もバイトやったことあるよね?)
(あれは、普通のバイトとは違うと思うなぁ・・・)
妖怪に襲われやすい久路人にとって、ある程度の時間を拘束されるバイトは難しい。とはいっても経験のために内職系のバイトに何回か手を付けたことはある。あまり他人と接点を作りすぎるのもよくないため、短期的なものばかりを選んでいるが。
「それにしても、なんか懐かしいよな、こういうの」
「高校の頃も昼には集まって飯食ってたもんな」
「そうだね。池目君と伴侍君は大学で分かれちゃったからな・・・・」
中学の頃から付き合いのあった友人には池目君と伴侍君がいたが、二人は都会の大学に行ってしまった。高校の卒業式の後には彼らも交えて近所の焼き肉屋で食べ放題を食べたことを思い出す。「元気でな!!」「変な女には気を付けろよな!!」と笑っていたものだ。
(私がいる限り、変な女なんて寄せ付けないからね!!でも、あんたたちは久路人によくしてくれたからお礼ぐらいは言ってあげる!!)と雫も一応言うぐらいには久路人と仲の良かった二人である。彼らの事だから今頃大学生活をエンジョイしているだろうが、元気だといいなと久路人は思った。
「そういや、田戸たちとも別れちまったよな」
「そうだな。えっと、あいつらはどこの大学に行ったんだっけ?」
「うーんと、確か聖バビロン大学とかいうミッション系の大学だった気がするよ」
高校生の頃に交流があった中には田戸、近野、二浦、林村もいたのだが、あの4人とその他の学生たちは同じ大学に進んでいったようだった。「大学でも迫真空手やりますよ~やるやる!!」と言っていたが、元気だろうか?睡眠薬を飲まされたり、先輩に襲われるようなことがなければいいのだが。
「あ、月宮君。ちょっと聞いたんだけどさ」
「ん?何?」
そこで、野間琉君が久路人にふと思いついたように声をかけた。
「お前、最近また変な目に遭ったりしてないか?」
「え?」
「いやさ?俺らも詳しく聞いたわけじゃないけど、月宮君の周りでなんか物が壊れたりとかなんか起きてるって聞いたからさ」
「あはは・・いや、そんなことないよ。昔みたいにしつこい人が絡んでくることもないし」
「そうか?まあ、高校の頃は池目たちのこともあったからな・・・・」
「まあ、なんかあったら言いなよ?相談くらいは乗るからさ」
「うん、ありがとう」
(・・・・・)
大学に入ってからも久路人の力は伸び続け、抑えつけることが難しくなっている。その影響で小規模の穴が空くことが毎日のように起きており、そこから飛び出してきた雑魚の対処で少し騒ぎが起こっているようである。幸いにしてこの街は京によって、多くの人々が持つ霊力を利用した「忘却界」とは異なる結界で管理されていることもあってか、久路人以外の霊能者が発生することもなく、それらを認識できている者はいない。さらに、大学生になったことでグループ実習の時間が減ったこと、イケメンの二人が傍からいなくなったこともあり、中学や高校の時のように悪い意味で久路人に関わろうとする人間はいなかった。それは久路人にとっては都合のいいことではあったが・・・
(なんか、久しぶりだな。こういう会話)
だからだろう。こんな何気ない男友達の会話というものが、とても懐かしく感じられた。それは、久路人にとっても悪い気がするものではなかった。
(・・・・・久路人)
そこに、やや冷ややかな眼をした雫が声をかける。
(ああ、分かってるよ)
そんな雫に、久路人も小声で答えた。
(今の僕と関わっても、いいことはないだろうからね)
この会話は心地のいいものではあったが、今の久路人は穴を誘発する力が強い。あまり関わりの深い人間を作るのはお互いのためにならないということを、久路人はよくわかっていた。
まあ、雫としては二人だけの空間に邪魔者をこれ以上いれたくないという理由が大きいのだが。
「それじゃ・・・」
そう言って、久路人が空になった弁当箱を片付けようとした時だ。
「あ、月宮君、もう一つ!!」
「ん?」
今度は、毛部君の方が声をかけてきた。
「実はなんだけどさ、今日声をかけたのはもう一つ理由があるんだ」
「そうそう。よかったら月宮君もどうかなって・・・仲間が欲しいっていうのもあってさ」
「?」
野間琉君も加わり、何やらウキウキとした様子で話しかけてきた。
こんな様子は珍しい。高校の頃には一度も見たことがない反応である。
「実は、俺たち、合コンに誘われたんだ!!」
「えっ!?マジで!?」
久路人はかなり本気で驚いた。
言っちゃあ悪いがこの二人、かなり存在感がない。気配に敏い久路人だからこそ気付けているところもある。そんな二人が誘われるとは・・・
(・・・・・・)
何やら不穏な話の流れを感じたのか、雫が眉をしかめた。
心なしか、辺りの気温が下がる。
「マジマジ!!俺ら、大学でもパルクール部作ったんだけどさ、結局俺たちしか部員がいなくて・・・」
「それで活動するのも面倒だけど、せっかくだから家に帰る時に森の中をパルクールして帰るようにしてたんだけど・・・・」
「そしたら映画研究部が撮ってた動画に偶々俺たちの動きが映ってたみたいでさ!!」
「『スタントマンやってみない?』って話になって、今度打ち合わせすることになったんだよ」
「映画研究部はなんか知らないけど女が多くてさ。せっかくだから合コンやらないかってことになったわけ」
「なるほど・・・・」
この二人、影は薄いが身体能力はかなりのものがある。久路人は特別な訓練を積んでいるが、この二人は恐らく完全なセンスによるものだ。その俊敏さから生まれる時代が違っていれば伝説の忍者として名前を残して・・・いや、やっぱり気付かれないかもしれない。
「それで、なんだけど」
「月宮君も来ない?」
「えっ!?」
(・・・・・・・)
その瞬間、テーブルの上に置かれていたコップの中身が凍った。
「月宮君も、噂だと彼女いないんだよね?」
「俺らも呼べるなら他に男子呼んでもいいって言われててさ」
(・・・・・久路人?)
タラリと、久路人の首筋に冷や汗が伝った。
(な、なんかデジャブだ。ほんのつい最近こんな空気になったばっかだよ!!)
つい先日、自分も成人する前にお見合いを申し込まれたばかりである。というか、現在進行形で申し込まれ続けている最中だ。そういうこともあって、雫の機嫌が一気に最低値になった。そして、久路人はその解決法を知っているし、初めから答えは決まっている。
「ご、ごめん。すっごい嬉しいんだけど・・・・最近家が忙しくてさ」
「あ、そっか・・・・」
「無理にってわけじゃないから、気にしないで」
((やっぱりまだ月宮君は、『そっち側』なのか・・・・))
この二人、実は修学旅行の時から久路人にそっちの趣味があると誤解していたりする。久しぶりに会ったのもあって、あれから変わったのかを確認する意味もあったのだが、どうやら確定のようだ・・・と二人の誤解が益々強くなったが、久路人が知る由はない。
(あれ、そういえばこの二人はお互いのことが・・・・冗談だったのか?それともブラフか?もしや、合コンというのは建前で、僕を誘おうと?考えすぎか?)
久路人もこの二人がそういう仲だと思っていたのだが、そちらの誤解も絶賛迷走中だ。
「あ、あはは・・・ごめんな、変な話しちゃって」
「いや、気にしないでよ・・・僕こそごめんね?」
「そっちも気にしすぎないでいいよ?」
そして、なぜかテーブルが気まずい空気になった。立ち去ろうとしていた久路人だが、これでは逆に離れにくい。
「そ、そういえばさ!!二人は合コンに行くんだから、好きなタイプは決まってるの?」
それは、久路人からの苦し紛れの話題逸らしだった。
本当に、大した意図もない、場つなぎのための言葉であった。
「えっ!?いや、俺らは決まってないけど・・・・」
「会ってからよさげな子がいればなって・・・・」
「そうなんだ」
「・・・・なんか懐かしいな。修学旅行の時もこんな話になったな」
意図したわけはないが、思わぬ方向に話が転がった。気まずい空気がなくなり、話せる話題が降ってきたのだ。
「そういやそうだな」
「あ、あのときか」
(・・・・!!)
過去に一度、同じような会話になった時がある。
修学旅行の旅館の一室で、久路人の好みの話になったことがあった。雫が地味にショックを受けた時でもある。
「月宮君の好みは、あれから変わった?」
「確か、清楚で、ロングで、かわいいより美人で、巨乳だっけ?」
((・・・・・月宮君が嘘をついていなければな))
せっかくここまで来たので、自らの安全のためにも久路人の好みをここではっきりさせた方がいいだろうと考えた二人は、もう一度鎌をかけてみることにした。
二人からしてみれば、あの時は冗談の雰囲気で流れたので、うまくかわせればよし。マジなようならば今後は少しづつフェードアウトするか、早く彼女を作ってノンケアピールするという方針決めにしようという軽い程度の・・・・いや、かなり重要な質問だった。
「僕の、好み・・・・?」
(((え?)))
しかし、久路人は驚くほど真剣な表情で何やら考え込み始めた。
これには雫も含め、その場にいる全員が意外そうな顔になる。
予想では茶化したように誤魔化すか、少しムキになって怒るか、あるいは「まあ、どうかな?」と意味深な笑いを浮かべるか、といったものだったからだ。二人にとってはそこそこ重要な問いだったが、それとは別のベクトルで久路人は本気で悩んでいるようだった。
「・・・・・・」
--僕の好きな人は、もう決まっている。
久路人の中で、もう初めから答えは出ている。
だが、今はそれを口に出すことはできない。その資格はない。それでも、自分が偶然出した話題から芽生えた唐突な質問は久路人の中に大きく響くものだった。
--ならば、僕はどう答えるべきなんだろう?
気持ちを表に出すことはできない。けど、やりたいことは決めてある。
「そうだね・・・・特に、好きなタイプっていうのはなくなったな」
「「え?」」
(久路人?)
--タイプ、じゃなくて、その人しかいないから。
久路人の口から、はっきりと答えが出てきた。
いつの間にか、久路人の表情が変わっていた。雫だけが見たことのある、戦いに挑むときの顔つきだった。
「でも、好きな人ができたら、僕の方から声をかける。そういう風には決めてるよ」
「そ、そうか・・・」
「が、頑張れよ」
「うん。それじゃあ、僕はもう行くね」
久路人の顔つきは、答えを口に出すとともに元に戻っていた。
空気から気まずさがなくなり、どこか呆けたような雰囲気になったことで、一人正常な久路人は手早く片づけを終えて席を立った。
(・・・・・)
そんな久路人を、雫は不安げな瞳で見つめるしかできなかった。
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「なんか、さっきの月宮君、ちょっと変、っていうか雰囲気違ってたよな」
「ああ。なんというか、真剣っていうのか?本気でそう思ってるって感じだったな」
久路人が去った後、野間琉君と毛部君はさっきの久路人の様子について語った。
「多分、あいつ、ホモじゃない、よな」
「ああ。そんな気がする。っていうか、好きな人が、もういるんじゃないか?」
「「・・・・・・」」
高校時代の友人が、いつの間にか一皮むけた男の顔をするようになっていた。
なんとなくそのことが悔しくて、羨ましくて、なぜか嬉しくなった。
「俺らも、頑張るか」
「そうだな」
そして、二人もトレイを片付けてその場を去っていった。
図らずも、久路人のホモ疑惑が晴れた瞬間であった。
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「ねぇ、久路人」
「ん?」
次の講義室に向かう廊下の中で、雫は久路人に声をかけた。
その声はかすかに震えていたが、本当にかすかだったので、久路人は気付かなかった。
「さっきの話なんだけどさ、あれって・・・」
「ああ、僕もそろそろ二十歳近いからさ。お見合いの話もあったし、ああいう風に考えておいた方がいいかなって思っただけだよ。別に好きな人が『今』できたわけじゃない」
「そうなんだ・・・・」
久路人からしてみれば、この会話の流れは予想できたものだった。
(今の血で狂ってるかもしれない雫なら、食いついて来るよね)
ここで「好きな相手は雫だ」と言っても、きっと雫は応えてくれるだろう。だが・・・・
(それは、雫の『本当の』答えじゃないかもしれない)
だから、「好きな人はいない」と答えることは決まっていた。『今』というのも、未来の話ではなく、『過去』の話だ。久路人が隣の少女を好きになったのは、数年前。もしかしたら、もっと前なのかもしれないのだから。
「・・・・・・」
講義室が見えてきたので、久路人は前を向いて歩き続ける。
だから、隣の雫の表情は見えなかった。
(久路人・・・・・)
--もしも、私以外に好きな人ができたら、私を置いていくの?
さきほどの久路人の答えを聞いた瞬間に、雫はそう思ってしまった。
それはそうだろう。
--私が今やっていることは、久路人に受け入れてもらえるわけがないもの
久路人の眷属化。化物への変異。
まっとうな神経をしていたら、それで雫のことを嫌わないはずがない。
そのとき、今のように打算でも久路人を受け入れる人間の女がいたら・・・・
(嫌!!!!)
「わっ!?雫!?」
雫は、久路人の腕に飛びついていた。
がっしりと握りしめ、離さないようにする。
「え、えっと・・・どうしたの?」
「護衛」
「え?」
ポツリと小さく沈んだ声で呟いた雫だったが、次の瞬間、バッと顔をあげた。
その顔には、満面の笑みが浮かんでいる。
「ほら!!今、久路人は訓練も休んでるし、霊力がうまく扱えない状態でしょ?だから、至近距離で護衛しようと思って・・・・ダメ?」
小首をかしげて、普段のように、明るく、にっこりと笑う。
「・・・・いや。いいよ。でも、講義中は離してね?ノート取りにくいからさ」
「うんっ!!」
久路人もまた、少し眉間に皺を寄せつつ、少し面倒くさそうに、いつも通りに答える。
そうして、二人はそのまま歩いて行った。
「「・・・・・・」」
もしも彼らを目にすることができる人間がいたら、「仲睦まじい恋人のようだ」と思っただろう。
だが・・・・
--やっぱり、雫の心はもう狂ってしまっているんじゃないか?・・・・早く、早く強くならなくちゃ!!
--認めない。久路人は私のモノだ!!誰にも渡さない!!早く、早く染め上げなきゃ!!
だが、その心はどこまでもすれ違っていた。
ただ、皮肉にも・・・・・
--ずっと、ずっと二人で一緒にいるために!!!--
その想いだけは、どこまでも同じだった。
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ある日の夜。
久路人も雫も寝静まるような、深い夜だった。
--ブブブブブブブブブブブブブ
夜闇の中、白流市のある川のほとり。
月明りもない中で、その蚊柱を目にすることのできる人間はいなかった。
--ブブブブブブブブブブブブブ
だが、その場に誰かがいたのならば、その音はあまりに異常だと気が付いただろう。
確かにこの夏の時期には、虫が湧くことはある。しかし、まるで鼓膜をぶち破らんがごとくざわめくほどの羽音がでることなど、まずありえない。
故に、その瞬間に気が付く者もいなかった。
--ブブブブブブブブブブブブブ
真っ赤な蚊でできた入道雲のような蚊柱が、少しづつ固まっていく。
虫どうしが、お互いの体が潰れるのも構わず、むしろつぶし合うように押し固まり、一つになっていく。
--ブブブ、ブブ、ブブ・・・・・・
やがて、耳をつんざくような羽音が少しづつ収まっていった。
そして・・・・
「「・・・・・・さあ」」
いつの間にか、そこには二人の男女が立っていた。
服装はそこら中にいる観光客が着るような服と大差ない。だが。その肌は病気を疑うほどに青白かった。
「「ヴェルズ様の命を果たそう」」
大きく尖った八重歯を晒しながら、二人は言葉を発した。
そのまま、夜闇の中を進み、森の中に消えていく。
--この中ならば久路人の護符が砕けない限り大物は来ない
九尾の時とは違う、完全な安全圏の中。
結界の存在を知る者ならば、誰もが抱くその前提を踏みにじるように、二人の怪異が忍び寄るのだった。
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