白蛇病恋譚~拾った妖怪に惚れて人間やめた話   作:二本角

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三章の前座、吸血鬼モドキとの戦いスタート。
正直前半パートがウジウジしすぎて作者もあまり筆が進みませんでした。三章はもうちょっとジメッとしたパートが続くんじゃ・・・・


あまり関係ないけど、最近、雫はヤンデレなのか?と疑問に思う自分がいます。
雫って、ちょっと愛が重いだけなんじゃね?ヤンデレ描けてなくね?っていう・・


刺客1

 チュンチュンと雀の鳴く声が聞こえる。

 早朝の月宮家。久路人の自室。そこで、久路人と雫が抱き合っていた。

 

「ん・・・・・」

「・・・・・・」

 

 雫が久路人の首筋に顔を寄せて、舌を這わせ、流れ出る血を舐めとっていく。久路人はその間雫を抱きしめたまま動かない。

 

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 

 二人の間に会話はない。この日課が当たり前のものとなっていて、特に何も言う必要がないというのもあるが、それだけではない。

 

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 

 雫は表面上はいつもと変わらず。久路人はどこか思いつめたように、自分の血が吸われる感覚を味わっていた。

 

「雫、どう?」

「ん・・・変わらないよ。美味しい」

「そう・・・・」

 

 そうしてしばらく経った後に雫に問いかけるも、返ってくるのはいつも通りの答えだ。

 『血の味に変わりはなく、これといって問題が起きているようには思えない』という、この日課を始めた時から変わらない返答だった。

 

「久路人、別にそんなに気にしなくてもいいじゃない。霊力が使えなくなっても、なくなったわけじゃない。むしろ、きちんと体を休められるチャンスだって思った方がいいよ。体がよくなったらまた使えるようになるって」

「うん・・・・」

 

 ここ最近、久路人はこの朝の日課に積極的になった。その理由は、自身に起きた異常について知るためだ。

 ここしばらく、久路人が感じていた霊力への違和感は日に日に大きくなるばかりで、一向に解決する様子がない。それどころか、とうとう基礎的な黒鉄の操作さえ手間取るようになる始末である。

 

「でも、やっぱりおじさんに相談した方がいいんじゃ・・・・」

「っ!?ダメ!!!」

 

 不安からか、今も日本各地を巡って妖怪退治をしている京に相談を持ち掛けることを考えるも、その考えは雫の叫ぶような声に打ち消される。

 

「雫?」

「きょ、京だって忙しいんだし、あんまり手間取らせるのは良くないよ。それに、京も言ってたじゃない。『血を観察するのが一番精度が高い』って」

「それは、そうだけど・・・」

 

 数年前に九尾に襲われた後から続けている日課であるが、それが京にも認められているのは、その方法が的確であるからだ。さらに言うなら、雫への信頼もある。雫ならば久路人を絶対に傷つけることはないという契約と信頼が京を街の外に送り出す理由でもあるのだ。

 そう、かつては雫を警戒していた京と、その忠実な従者たるメアが雫を信頼しているのだ。ならば当然・・・

 

「それとも、さ・・・・」

 

 そこで、雫は悲し気に顔を伏せた。

 

「久路人は、私のことが、その、信じられない・・・?」

「っ!?そ、そんなことないっ!!!」

 

 久路人が雫を信頼しないことなどありえないのだ。

 

「あははっ・・だよね?ごめんね?変なこと聞いちゃって」

「いや、僕こそごめん。雫を疑うようなこと言っちゃって」

 

 久路人は自分を恥じるように顔を俯かせてそう言った。

 

(そうだよ。雫が僕を危険にさらすようなことをするはずがない。契約だとかそんなものは関係ない。今でも訓練とかしようとするとものすごい怒るくらいだし・・・)

 

 久路人にとって、雫が自分にとって害になるような行動をとるなど、天地がひっくり返ってもあり得ないことだ。契約で危害を加えられないという制約があるという以前の問題である。家族が他の家族を害そうとするという発想がないのだ。そして、それは正しい。雫は久路人に対して、決して「悪意」を持って行動することはないからだ。もっとも・・・・

 

「いいよいいよ。気にしないで?今まで使えてた力が使えなくなっちゃったんだもん。不安になって当然だよ。けど、大丈夫」

 

 雫は、俯く久路人に目線を合わせて、口を開く。その顔には、満面の笑みが浮かんでいた。

 

「久路人のことは、絶対に私が守るから!!」

 

 「悪意」がないからと言って、それが無害とは限らないわけだが。

 

 久路人の肩が、ピクリと動いたことに、雫は気が付かなかった。

 

 

-----------

 

「はぁ・・・・」

 

 雫が「じゃあ、私は朝ごはんの支度してくるねっ」と言って部屋を去ってから少し経った後。

 久路人はベッドの上で未だにうなだれていた。

 

「本当に、どうしちゃったんだろう。僕」

 

 不安げに、自分の体を見下ろし、おもむろに目を閉じる。

 

「スゥ~・・・・・」

 

 深く息を吸い、吐く。久路人がここのところよくやっていた瞑想だ。本来は、瞑想とは霊力を増幅させるために行うものであるが、今この場では別の目的がある。

 

「ハァ~・・・・・」

 

 吸って、吐く。吸って吐く。

 何度も何度も呼吸を行うことで、己の中にある力の流れを把握する。

 呼吸のたびに力が集中する部位がある。息を吐くごとに、全身に広がっていく流れがある。それらをすべて認識する・・・・

 

「・・・・・うん。霊力はちゃんとある」

 

 やがて、久路人は目を開けた。

 

「霊力は感じる。量も減ってない。けど・・・・」

 

 そこで、久路人は軽く手を目の前にかざした。

 バチリと紫電が弾ける音がすると、部屋のどこからか黒い砂が集まり出し、刀のような形を作ろうとして・・・・

 

「っ!?」

 

 ボロリ、と作られかけた刀が霧散した。

 久路人の足元に黒い砂山ができる。そして、その山の上に赤い滴が垂れた。

 

「はぁっ、はぁっ・・・・」

 

 久路人の指の腹がぱっくりと裂け、そこから血が流れ出ていた。

 

「くそっ・・・・!!!」

 

 久路人は悪態をつき、部屋の机の引き出しから絆創膏を取り出して巻き付けた。

 

「本当に、なんなんだよ、コレ・・・・!!!」

 

 苛立たし気に、久路人は最近の自分の状況へのどうにもできない焦りを零す。

 

「どうして霊力が使えないんだ・・・!!」

 

 本当につい最近になって、霊力がほとんど扱えなくなっていた。少し前までは術の効果にムラが出る程度だったのだが、日増しにその症状は悪化していた。これまで、霊力が大きすぎて肉体に負担がかかった末に術が使えなくなることはあった。しかし、今起きている症状はまるで異なる。霊力そのものは体に満ち溢れているし、体にも負荷がかかっているというわけではない。なのに、霊力を使おうとすると、思い通りに動かない。まるで自分の霊力にナニカが混ざって、自分の命令を妨げているかのようだった。そして、そのナニカは・・・

 

「そんなはずがないだろっ!!!」

 

 自分の頭によぎった考えを、本人のいない場所であっても、久路人は口に出して否定する。

 そうだ、そんなはずがない。絶対にありえない。

 さっきも本人にそう言っただろう?それは心からの言葉だ。自分は心から彼女を信じている。だからこそ、即答できたのだから。だが、どうしてもそれは脳裏に付き纏う。さきほどまで心の奥底に潜んでいた疑念が顔を出す。

 

「雫が、この原因だなんて・・・・」

 

 久路人の中にある違和感。段々と強くなっていくその感覚は、やはりどこかで感じたことのある霊力が混じっているような気がするのだ。いや、気がするではない。久路人がそれを見逃すはずがない。なぜなら、いつも一緒にいて、この先もずっと共にいたい少女の霊力だから。

 

「そんなはずない、そんなはずない、そんなはずがあるわけない・・・・!!だって、雫は言ったじゃないか・・・!!!」

 

 これまでだったのならば、「自分が情けない」と思ってしまうような言葉。「もっと強くならねば」と自分を奮起させる言葉。だが、久路人は今その言葉に縋る。

 

「『久路人のことは、絶対に私が守るから!!』って・・・・!!」

 

 これまでの雫は、常に久路人を守ることに全力を尽くしてきた。あの九尾との戦いだって、ボロボロになりながらも逃げようとも裏切ろうともしなかった。普段の生活の中でも、過保護だと思えるレベルで久路人を気遣ってくれた。体の事だけではない。心だって、雫に守ってもらったことが、救ってもらったことが何度あったことか。雫がいたから今まで自分は折れずに生きてこれたと言っても過言ではないのだ。そんな雫が・・・

 

「雫が、僕を嵌めようとしているなんて、あるわけない・・・!!!そうだ、そもそも今の雫は僕の血のせいで狂ってるんだし、猶更そんなことあるわけないんだ!!」

 

 久路人の中で、雫の思考が自分の血のせいで歪んでしまっているというのは、ほぼ確定事項になっていた。

 

--いくら大事なことだからって、好きでもない男に抱き着いて嬉しそうに笑うはずがない。

 

--好きでもない男に匂いを嗅がれて気持ち悪く思わないはずがない。

 

--好きでもない男とわざわざ添い寝なんてするものか。

 

 それらの行動は、すべて自分の血が雫を狂わせているからだと。

 

「そう、そうだよ・・」

 

 そう思うと、今まで抱いていた雫への不安はスッと消えていった。

 

「感情論を抜きにして冷静に考えても、本当に雫がこの原因になるはずはないんだよ。特に味に変化はないって言ってたけど、血に不純物が混ざって雫にいいことがあるわけないし」

 

 結局は、そこに行きつく。

 雫は今狂っていて、自分を害するようなことはしない。だから、今自分に起きている異常は、まったく別の原因がある、と。

 

「う~ん、でも、それならやっぱりおじさんに相談してみた方がいいのかな?雫を疑うなんてしないけど、おじさんは七賢だし、こういうことにも詳しそうだし。でもなぁ・・・雫にバレたら揉めそうだしな」

 

 雫の意見を優先するか、自分の意見を通すか。

 もしも自分の意見を押し通すと言うのなら、それは雫への信頼を損なった、と思われるのではないだろうか?自分の命のことならば、それこそ我が身を犠牲にすることもためらわなさそうな雫への裏切りととらえられないだろうか?

 

 

--雫に嫌われたくない。

 

 

 そんな思いが、久路人を知らず知らずのうちに縛り付けて、どうにもならないようになっていた。

 もっとも、久路人にその自覚はなかったが。

 

「はぁ・・・・雫の言う通り、もう少し様子を見るか。もっとひどくなるようなら、その時に雫と相談して、おじさんに伝えよう」

 

 疲れ切ったように、ため息を吐く。

 選んだ選択肢は、現状維持。問題の先送り。なあなあの決着。

 合理的な思考をする久路人らしくない結論を下したことに、久路人は「仕方ない」と思うことしかできなかった。

 

 

-----------

 

「じゃあ、私は朝ごはんの支度してくるねっ」

 

 雫は笑顔を浮かべてそう言って、久路人の部屋を出た。

 廊下を歩き、トントンッと階段を下り・・・・

 

「・・・・・・」

 

 台所に入った時には、一切の感情が消えた、能面のような顔になっていた。

 

「・・・・・・」

 

 雫は流し台の前に立つと、いつものように愛用の包丁を手に取った。

 そして、その包丁を思い切り振り上げ・・・・・

 

「・・・・ダメ」

 

 ボソリと呟くと、振り上げた包丁を乱雑に放り投げる。

 カランと音を立てて、流し台の上に包丁が転がった。

 

「あれじゃ、ダメ」

 

 雫は俯いたまま、周りを物色する。

 辺りに収められていた道具を手に取っては離し、手にとっては放り投げていく。

 ナイフ、フォーク、ミキサー、麺棒、台所ばさみ、ピーラー。その他、様々な道具を見るも、足りないとで言うように手放していく。そして・・・

 

「やっぱりコレが、一番かな・・・・」

 

 そして、雫は何も持たずに流し台の前に戻った。

 そのまま、右腕で左腕を掴む。白魚のような指が腕に絡まる様は、まるで蛇が獲物を締め付けているようであった。

 

「多分コレが・・・・」

 

 ミシミシという音がして、指が腕にめり込んでいく。肉が指の形にえぐれ、血がしたたり落ちる。

 しかし、そうなっても雫に止まる気配はない。むしろ、腕に込める力を益々強めていく。ミシミシと軋むような音にグジュリと水音が混ざり始め、さらにはバキバキという硬質なモノにヒビが入るような音まで響き・・・・

 

「これがっ!!これが一番、痛いからぁぁぁあああああっ!!!?」

 

 

 ブチィっ!!!

 

 

 ガバッと伏せていた顔を上げ、カッと目を見開くと同時に、雫の左腕が無理やりちぎり取られた。

 おびただしい量の血があふれ出そうとするも、流れ出た血は空中で止まり、腕の断面から中に戻っていく。

 

「はぁっ、はぁっ・・・・」

 

 雫の顔に、脂汗が浮かんでいた。

 普段も腕を落として血を搾り取っているが、その際は包丁を人外の膂力で振るうことで一瞬で終わる。治すのも雫特有の治癒能力にかかれば瞬きの間があればいい。だが、さすがに自身で腕をちぎり取るのは痛みが大きいようだった。

 

「何が・・・・」

 

 もっとも。

 

「何がっ!!『私のことが信じられない?』だぁぁぁああああああああっ!!!!!!」

 

 その程度の痛みでは、自分への罰にはまるで足りないようであったが。

 

「どの口が、久路人にそんなこと言ってんだよ・・・!!!久路人を騙してるくせにっ!!!久路人に嫌な思いさせてるくせにっ!!この口がっ!!この口がぁぁあああああっ!!!」

 

 指を自身の唇にやって、摘まむと、一気に引きちぎる。だが、こちらは骨がない部位だからか、あっという間に再生した。

 

「この口がっ!!この口がっ!!この、クソがぁぁぁあああああああああっ!!!!!!!!」

 

 再生した部位が、治った傍からむしられる。肉の欠片が、流し台の中に降り積もっていく。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ・・・・」

 

 やがて、まだまだ満足には程遠い表情ではあるものの、雫は自傷行為を止めた。

 それは、自分に充分罰を与えたから、という理由ではもちろんなく、単純に時間の問題だからであったが。

 

「はぁ~・・・・ホント、最低」

 

 侮蔑に満ちた表情と口調で、長いため息の末に己を嘲る。

 時間がないからできないが、余裕があれば百の罵倒を自身に浴びせていたことだろう。

 

「久路人を悲しませてることにもイラつくけど、あんなに久路人が落ち込むことが予想できなかった自分に腹が立つ・・・・!!なにより、久路人が凹んでるのに、喜んでる自分に反吐が出るっ!!!」

 

 久路人の身に起きている異常は、間違いなく久路人の眷属化が進んでいる証だ。それそのものは、雫にとっては喜ぶべきことだ。なぜなら、愛しくて愛しくてたまらない久路人との永遠の生にそれだけ近づいたということなのだから。実際に、今も胸の奥で暗い歓喜の感情が密かに渦巻いているのを感じる。だが、雫はその喜びが許せない。

 

「久路人の悲しみと引き換えなんて、喜んでいいはずないのにっ!!」

 

 雫は、久路人が好きだ。久路人の全てが好きだ。けれど、久路人が悲しんでいる顔は、嫌いだ。

 そして、その原因は自分だ。ならば、自分に喜ぶ資格などあるはずもない。

 雫は久路人のことならば大抵のことを知っている。好きな食べ物はもちろん、性的嗜好から密かに憧れている中二病漫画のキャラの技まで知っている。もちろん、久路人が最近強くなろうと我武者羅だったのも知っていた。だが、それであそこまで落ち込んだようになるのは予想できなかった。そうさせたのは雫だ。ならば、自分にそんな自惚れを持つことはもう許されない。

 

「けど・・・・」

 

 雫は、ツイと指を振った。

 流し台の中に積もっていた肉片から血が流れだし、空中でゴムボール大の珠を作る。

 

「この先は、こんなもんじゃない・・!!」

 

 予想はできているつもりだった。

 覚悟もできているつもりだった。

 久路人に嫌な思いをさせるのは、分かっていたはずだった。

 久路人の霊力に異常が出始めた時は、素直に喜べた。その時は、久路人が悲しそうにしていなかったから。

 

「この先は、この先はっ・・・!!!」

 

 けれど、今日、雫が受けた衝撃は、予想をはるかに超えるものだった。

 自分が久路人を悲しませていること。

 自分が久路人を悩ませていること。

 それこそ、久路人に疑われることだって。

 喜びを簡単に台無しにするほどの悲しみを味わった。

それでも消えない喜びを燃やす、自分への吐き気も感じた。

水無月雫という存在が、ここまで卑しい雌だとは思わなかった。

 だが、こんなものはまだ序の口に過ぎない。

 

「久路人を、化物に変えるんだから・・・!!!」

 

 雫が目指している久路人の眷属化は、久路人を人間でないモノに変えることを意味する。

 それが成ったとしたら、どれほど久路人は悲しむか。少なくとも、今の比ではないことは確かだろう。

 そうなれば、自分もまたどれほどの衝撃を受けることか。

 

 

--久路人が死ぬのに比べれば、嫌われることなんてなんともない。

 

 

 そんな思いで始めた眷属化だった。

 

 

「甘く考えすぎだった・・・」

 

 雫の中に、黒いインクのように鬱屈とした思考が滲みだす。

 

 

--久路人を悲しませるだけで、胸が張り裂けそうになり、腕を引きちぎるほどの怒りを感じたのだ。

 

 久路人に嫌われるとなれば、永遠の生を分かち合えたとして、果たして自分は正気でいられるだろうか?

 

--今ならばまだ間に合う。

 

 ここで血を飲ませるのを止めれば、やがては久路人の中の雫の血も薄れ、人間のままでいられるだろう。

 

--そうすれば、久路人が悲しむこともない。

 

 人間として産まれた久路人が、人間として死ねる。

 

--それこそが、一番久路人のためと言えるのではないか・・・?

 

 

 

ゴッ!!!

 

 

 

 次の瞬間、雫は自分の頬に全力の拳を叩き込んでいた。

 バキンと奥歯が噛み砕かれる音とともに、頬骨が折れるも、一秒後には元通りになる。

 

「今更、後に引けるかっ・・・!!」

 

 傷は元通りになったが、心の中に沸いて出た弱気は消し飛んだようだ。

 

「これは、私がやると決めて始めたんだ。もう、久路人を一度は悲しませたんだ。ここで止めても、その事実はなくならない・・・!!」

 

 雫が指を動かせば、血の塊が宙を舞い、鍋の中に落ちる。

 

「私は、私のエゴで、久路人に人間やめさせるって決めたんだ」

 

 雫のすべては久路人のために。

 けれど、この願いだけは雫のためだけに。

 そのために、雫は久路人から人間であるという最低限の権利を奪う。

 

「一度自覚して、決めて、手を染めたんだ。もう逃げられない」

 

 例えこの場で諦めたとしても、自分はこの欲望を忘れられない。

 必ず自分は、再び同じことに手を染めるだろう。

 

--久路人と永遠に生きたい。

 

 別離の恐怖からは逃げられず。

 

--久路人が、私の体の一部を取り込んで、私に近づいている!!

 

 汚辱の快感を忘れることもできない。

 

 もはや麻薬と変わらない。一度味わってしまった恐怖も快感も、さらにはそれらを取り上げられることへのさらなる恐怖も。一度体に刻み込まれたのならば、もう逃れることは不可能だ。

 

「なら、やる!!絶対にやり遂げる!!」

 

 結局は、そこに行きつく。

 後悔もする。罪悪感を抱く。懺悔したくてたまらなくなる。けど止まらない。止められない。

 彼女を推し進めるものは、三つ。

 

「私は、久路人が好きだから」

 

 月宮久路人という男を、心の底から好いているという、恋慕。

 

「私は、久路人の幸せを壊してでも、久路人が欲しいから」

 

 月宮久路人という男を、どんな手を使ってでもその手に収めたいという欲望。

 

「私が、この私がっ!!絶対に久路人を幸せにするからっ!!」

 

 そして、月宮久路人という男を、必ず幸せにするという覚悟。

 

「例え、どんなに久路人に嫌われても・・・・!!!」

 

 水無月雫は止まらない。

 今日のように、立ちふさがる障害に足が竦むことはあるだろう。

 どうしようもなく自分を殺したくなる時もあるだろう。

 だが、雫は必ずそれを乗り越える。

 

「・・・・いい加減、支度しないと」

 

 そして、進み続けるのだ。

 まさしく、今この時のように。

 

 

-----------

 

 その日は、7月の中頃らしい、ムワッとした蒸し暑い空気が残る夕暮れだった。

 

「今日も熱いね。もう夜になるのに・・・・」

「うん」

 

 時刻は7時半を回ったところだった。

 一年で一番日が長い時期であるが、それでも夜のとばりが少しづつ降りていく。

 人気もなく、畑の広がる田舎の道に、自転車の走る音が響く。

 

「今日は災難だったね。先生から手伝い押し付けられて。断ればよかったのに」

「うん・・・」

 

 普段の久路人は、まだ大学2年生で研究室に所属していないこともあり、夕方の6時過ぎには家路についている。しかし、今日は偶々最後の講義の教授にちょっとした手伝いを頼まれたのだ。きっと、周りがグループどうしで固まって帰ろうとしている中で一人席を立とうとしているから話しかけやすかったのだろう。基本的に人のいい久路人はこれを断れず、この時間まで残っていたというわけだ。

 

「私もちょっと手伝ったけど、書庫の整理なんて自分のゼミの学生にでもやらせればいいのに。凍らせてやればよかった」

「うん・・・」

「・・・・・」

 

 自転車がキィキィと音を立てて走っていく。

 その速度は、少し前よりずっと遅い。

 ペダルをこぐ足は重く、漕ぎ手の顔は暗く、上の空だった。

 

「・・・・・」

「・・・・・」

 

 最初の内は一方的にあれこれと話しかけていた雫であったが、久路人の様子に何も言えなくなる。

 これが少し前までならば、ここまで反応が薄ければ頬でもつついて怒らせてでもリアクションを取らせようとしただろう。しかし、久路人がそうなる理由を知っている身の上であるために、後ろめたさが勝ったのだ。

 

「・・・・・」

「・・・・・」

 

 ここのところ、ずっとそうだった。

 帰り道だけではない。登校中も、講義の最中も、食事の時でさえ、久路人は常に何かを思い悩んでいるようだった。何に悩んでいるかなど、聞くまでもないだろう。

 

「ねぇ、久路人」

「・・・・・」

 

 だが、今日の雫は一歩を踏み込むことにした。

 

 

「霊力を扱えないことって、そんなに辛いの?」

「・・・・・」

 

 朝に、自分の腕を引きちぎった時のように。

 

「別にいいじゃない。霊力が使えなくたって」

「・・・・・」

 

 朝に自分を殴った時のように。

 

「そりゃあ、今まで使えてた力が使えなくなるのは不安かもしれないけどさ。それだけ久路人は戦わなくていいんだし、安全になるじゃない」

「・・・・・」

 

 雫は、久路人のことは大抵理解している。

 どうして久路人が思い悩んでいるのかも、久路人が強くなりたがっていることも。

 その上で、そこに触れて欲しくないと思っていることも。

 だから、それは朝のように、自罰の一種だったのだろう。

 

「大丈夫だよ。久路人は、私が守るから!!」

「・・・・雫」

 

 その久路人の声をなんと表現すべきだろうか。

 微妙に震えていて、今にも消えてしまいそうな。だけれども、耳に残って離れない、強さを感じる声だった。

 自らへの怒りと情けなさ。雫への悲しみと憐れみに罪悪感。仮初の喜びと安堵に虚無感。

 いくつもの感情が入り混じり、久路人本人にも理解ができない感情の荒波が巻き起こるも、それを発揮するだけの気力はない。

 

「雫はさ・・・」

「うん?」

「面倒くさくないの?」

 

 久路人は、もう疲れていた。

 意図せずとはいえ、自分の大好きな少女の心を弄んでいるかもしれないことに。

 大好きな少女の心を、常に疑い続けることに。

 そんな少女を解放しようと足掻いても、先に進めないことに。

 少女が自分の傍にいてくれることに罪悪感を覚えながらも、突き放すこともできずに密かに喜びを感じている自分への苛立ちに。

 そこに、先へ進む唯一の足掛かりである力まで取り上げられてしまったのだ。

 完全に気力が萎え切っていた。

 

「面倒くさいって何が?」

「・・・今の僕の傍にいること」

 

 それは、真面目な月宮久路人という男にとってはとても珍しい、愚痴だった。

 

「そんなことあるわけないじゃん!!私はむしろ、久路人の傍にいられて楽しいくらいだよ!!ほら!!弱いところに女はグッとくるっていうか!!」

「・・・・・」

 

 しかし、珍しく心の弱みをさらけ出そうとしても、帰ってくるのはいつも通りの天真爛漫な笑みだ。

 そしてその笑みが、久路人の心に圧し掛かる。

 

 

--この笑みは、本心からのものなのだろうか?

 

 

 久路人は疲れていた。疲れ切っていた。

 今日の朝など、とうとう目の前の少女が自分を弱らせている犯人だと疑ってしまうほどに。

 それは、久路人にとっては重大な裏切りだ。ルール違反を心底憎む久路人にとっては許せないことで、そんなことを思わず考えてしまうほどに、心が弱っている証でもあった。

 だから、その言葉が出たのも、逃げたかったからだろう。

 目の前の大好きな少女から、久路人は逃げ出したくなったのだ。

 もう、これ以上彼女を疑いたくないから。

 守られることが嫌なのに、守ってあげると言われて喜ぶ情けない自分を見たくないから。

 

「もういいよ」

「え?」

「もう、僕の傍にいなくても」

 

 雫は理解できなかったように、アホのように口を開いた。

 立ち止まった雫を置いていくように、久路人は一気に自転車を漕ぐスピードを上げる。

 

「え?ちょっと待って?どういう・・・」

「ついて来るなっ!!!」

「っ!?」

 

 それは、初めての拒絶だった。

 想い人からの、突然の大声に、思わず雫はビクリと肩を震わせ、追って内容を理解し、脳髄が凍り付いたように冷えていき・・・・

 

血杭(ブラッド・パイル)

 

「ガッ!?」

「雫っ!?」

 

 突如飛んできた深紅の矢が、雫の肩に突き刺さった。

 

-----------

 

 ガシャンと自転車が倒れる音が響き、ダンっと地面を蹴る衝撃が走ったかと思えば、雫の目の前には久路人がいた。

 

「雫っ!?大丈夫っ!?」

「っ痛ぅ!!・・大丈夫、平気!!・・・えへへ、心配、してくれるんだ」

「当たり前だろっ!!馬鹿なこと言ってると怒るよっ!!」

「ふふ、もう怒ってるじゃん・・・」

 

 雫にとっては、やけに痛む矢傷よりも、さっき拒絶の言葉を口にした久路人が泣きそうな顔で自分を心配してくれることの方が大事だった。それだけで、雫はもう大丈夫だ。

 

「動かないで。今その矢を抜くから」

「大丈夫だよ。このくらい・・・ふんっ!!」

 

 慎重な手つきで矢に触れようとした久路人を手で制しつつ、雫は乱暴に自らの肩を貫く矢を掴むと、思いっきり引き抜いた。ブチブチと音を立てて矢は抜けたが、一呼吸の間に傷は塞がる。しかし・・

 

(傷の治りが少し遅い。気だるさも感じる・・・毒でも塗ってあったのか?けど、毒が血に乗って広がっていく感じはない。何故だ?)

 

 雫は再生力が極めて強い妖怪だ。ただの矢ならば、そもそも刺さらない。刺さる前に肉が盛り上がって矢を弾くのだ。それ以前に、雫の纏う「霧の衣」に阻まれるはずだ。だが、今しがたの矢は易々と雫を射抜き、すぐに再生したとはいえ、手傷を負わせて見せた。

 その様子を見た久路人が呟く。

 

「・・・雑魚じゃないね」

「うん・・・・おい、そこの茂みにいるヤツ。出てこい」

 

 久路人に頷き返しつつ、雫は言葉と共に電柱ほどもあるツララを何本も放つ。

 ツララは近くの茂みに高速で飛んでいき、そこに潜む下手人に襲い掛かるも・・・

 

 

 キィン・・・・

 

 鋭い音と共に、直線を描いていた軌道が唐突に真上に跳ね上がる。

 紅黒いナニカが、ツララを弾き飛ばしたのだ。

 さらに・・・・

 

『血杭』

 

「チッ!!もう一人いたかっ!!」

 

 ツララが放たれたのとは全く別の方向から、紅い矢が飛来する。

 しかし、警戒していた雫には当たらない。久路人を庇うように跳びあがりつつ、矢を薙刀で払いのけ・・

 

(速いっ!?)

 

 払いのけようとするも、想定以上の速度の矢が薙刀の柄を滑って霧の衣を削っていった。

 そして、その隙を突くように、黒い影が茂みから滑るように駆けてきた。その手には武骨なロングソードが握られている。

 

「・・・・・」

「お前・・・」

 

 雫の薙刀と鍔迫り合いを繰り広げている男は、青白い肌に犬歯のように尖った八重歯をしていた。

 怪力を誇る雫と曲がりなりにも打ち合えるとなれば、それ相応の大物であることに疑いはない。

 

「吸血鬼か」

「・・・・・」

 

 吸血鬼。

 今はもう、七賢のリリスを除き、常世にしかいないとされる種族だ。

 人外の中でも強力な種族であり、下位のものでも小規模の穴では現世に来ることはできない。

 上位のモノとなれば、大穴でしか移動できず、目の前の男はまさしくその類だろう。

 そして、吸血鬼といえば、その戦い方も有名だ。

 

「なるほど。傷の治りが遅いのも、先ほどよりも矢が速かったのも、妾の力を吸い取ったからか。卑しい連中だな、寄生虫」

「・・・・・」

 

 吸血鬼はその名の通り、吸血を行うことで他者の力を得ることができる。

 吸血と言っても直接血を吸う以外の方法もあり、自身の霊力の籠った武具や術で間接的にエナジードレインを行うこともできる。雫が食らった矢も、雫の霊力を奪う効果があったのだろう。こうしている今も、目の前の男は剣ごしに雫の霊力を吸い取っている。

 だが・・・・

 

「・・・・っ!!」

「フン!!なんだ、そのしかめっ面は?自慢どころか恥でしかないが、妾の霊力は大層臭うようでな?鼻の利くお前たちにはさぞ辛いのだろうな?」

 

 言葉を放った後に鋭い蹴りをくれてやると、男は吹き飛ぶように距離を取った。当たったようだが、大したダメージにはなっていない。自分から後方に下がったのだ。

 

「・・・・・・」

 

 男の表情は無表情のままだが、幾分か険しい顔をしているように見えるのは、雫の言葉が図星だからだろう。

 久路人を除き、あらゆる霊能者、妖怪から避けられるほどの悪臭を放つ雫は、ある意味で吸血鬼の天敵に近い。どうやら目の前の男は何らかの方法で嗅覚を麻痺させているようだが、霊力知覚まで封じれば戦闘どころではないからだろう。元より妖怪や霊能者にとって霊力が感じられなくなる状態というのは目隠しをしているのも同義であり、ほぼ何もできなくなるに等しい。男は至近距離から漂う刺すような悪臭に、死体のような顔をしかめさせていた。思えば、もう一人の方も一発目から次の矢まで間があった。エネルギーとして吸収はできたのだろうが、臭いによるダメージも受けたのだ。

 

「雫、もう一人はあっちの林の中だ」

 

 そこに、久路人が声をかけた。

 その髪は逆立ち、瞳は紫に染まっている。前からは考えられないほどに遅いが、身体強化の術を成功させたようだ。

 久路人は雫の背後にある林を見つめていた。

 

「久路人、無茶は・・・・!!」

「この状況でそんなこと言ってる場合じゃないだろ!!」

 

 今の久路人は、まともに霊力を扱えない。その状況で無理やりに身体強化の術を使っていることを雫は咎めるが、久路人は術を解く気はないようだ。まあ、久路人の言うことにも一理はあるからだが。

 

(確かに、この状況はマズい・・・!!)

 

 雫は、素早く頭の中で状況を整理する。

 

(目の前の連中は、明らかに大穴から出てくるレベルだ。そんなのが二人に対し、こちらは力の使えない久路人を守りつつ戦わねばならない。そもそも、こいつらが二人だけという保証もない)

 

 雫と背中合わせになりつつ、久路人も同じように考えていた。

 

(こんな大物が、どうやってここに現れた?おじさんの張った結界なら、こいつらレベルならまず入れないはず。結界に異常が起きてるのか?クソ!!黒飛蝗が使えれば・・・・)

 

 白流市には、七賢である京の張った結界が展開されている。

 中にいる久路人の力が強大すぎるために多少の粗はあるが、それでも大物が通れるようなチャチなものではない。ならば、結界に何らかの干渉が行われているのかもしれない。そうなったのなら、増援が現れる可能性もあり、常に目の前の敵以外も警戒しなければならない。先ほどの矢の位置から、もう一人の敵の位置はある程度割り出せたが、他にもいる可能性を考えれば、うかつに突っ込むわけにもいかない。

 さりとて、結界に異常があるかもしれないとなれば、強力な範囲攻撃を使うわけにもいかない。それでこの街にある結界が破壊されるようなことがあれば、目の前の敵以上の化物に繋がりかねない、大穴が空くかもしれなかった。

 

 

「・・・・・・」

 

 眼前の男が、再び剣を構えた。

 顔はしかめられたままだが、戦意が鈍っている様子はない。

 

『・・・・・・』

 

 自らの位置がバレたのを察したのか、林の方からも刺すような殺気があふれ出る。

 

「雫・・・」

「うん、やるしかないね・・・・久路人は気を抜かないで、私の後ろにいて。矢が飛んできそうなら弾くから」

 

 身構える二人。

 雫は久路人を目の前の男から庇うようにしつつ、後ろにも気を配る。

 久路人は戦力になれないことに歯がゆさを感じつつも、せめて見張りだけは努めようと、神経を林に集中する。

 

「・・・・・・」

『・・・・・・』

 

 そんな二人に、温度のない二つの視線が向けられる。

 その眼差しは、傷の塞がったはずの雫の肩をじっと見つめていた。

 

-----------

 

 田舎ならばどこにでもあるような、長閑な道で唐突に始まった日常の崩壊。気が付けば、夕日は完全に沈み切っていた。

 星もなく、新月の空に光はない。

 蒸し暑い闇の中、吸血鬼との命を懸けた激しい舞踏が、今ここに始まろうとしていた・・・・

 




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