白蛇病恋譚~拾った妖怪に惚れて人間やめた話   作:二本角

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やっとここまで書けた・・・疲れた。


再会

「はっ、はっ、はっ・・・!!」

 

 白流市の住宅街はその日、夏季において史上最低気温を記録した。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ・・・!!!」

 

 道を歩く住民は、当然今の時期は半袖だ。

 しかし、ゴゥッと勢いよく風のように何かが通り過ぎたかと思えば、突然辺りに霜を降ろすような寒さが襲い掛かり、驚きながらも腕をさすってその場から離れていく。

 

「はぁっ、はぁっ・・・・久路人っ!!」

 

 その何かを、否、雫を人々は見ることができない。

 いや、例え見る資質を持っていたとしても、視界にとらえることは難しかっただろう。

 まさしく嵐の如く、通り過ぎた道に氷と霧を残しながら、彼女は駆ける。

 彼女にとって最も大事な男の名を叫びながら。

 

「久路人っ!!久路人ぉっ!!!どこぉっ!!!」

 

 探す当てなど何一つなく、ただひたすらに街の中を走り回って叫ぶ。

 

「久路人っ!!久路人っ!!久路人っ!!!」

 

 雫が久路人の不在に気が付いたのは午後を少し回ったあたり。

 そして、今はもう太陽の光がオレンジ色に変わっていた。

 その間、ずっと雫は走り続けていた。

 

「はっ、はっ、はっ・・・!!」

 

 大学と、そこに繋がる通学路。

 いつも食材を買いに行くスーパーに、ライトノベルを注文する本屋やよく寄るコンビニ。

 これまで通ってきた高校、中学、小学校。

 子供の頃によく遊んだ川や原っぱ、クワガタを捕りに行ったあの雑木林の中にまで。

 考えられる場所は、すべて回った。これまで久路人と歩いてきた場所は、すべて通り過ぎた。

 だが・・・

 

「どこっ!!?どこなのっ!!久路人ぉっ!!!」

 

 いない。どこにもいない。

 雫が世界で一番大好きな青年は、影も形も見つからない。

 

「はっ、はっ、はっ・・・!!」

 

 駆ける。

 ただ、駆ける。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ・・・!!!」

 

 大妖怪である雫が、たかだか数時間走ったところで疲労するわけもない。

 しかし、その息は荒く、汗がしたたり落ちていた。それは、体ではなく心から来るものだから。

 

「久路人、久路人ぉ・・・・・」

 

 見つからない。

 雫が今、いや、いつでも一番会いたい人は、どこにもいなかった。

 いなくなってしまったのだ。自分を置いて。

 

「久路人、久路人、久路人・・・・」

 

 世界が、真っ暗に染まったかのようだった。

 夏の夕暮れの中、夕陽はまだ落ちていない。夜のとばりが落ちるまで、まだしばらくかかるだろう。それなのに、雫には二度と明けない夜がやってきたように感じられた。

 

「・・・・・久路人」

 

 とうとう、雫の足が止まった。

 住宅地の中にある、遊具の類が撤去された公園。時刻の問題か、遊び場としての退屈さか、そこに人気はなかった。雫は、そんな公園の中に申し訳程度に残されたベンチに崩れ落ちるように座り込んだ。

 

「・・・・・・」

 

 ドロリと濁った紅い瞳に、光はない。

 底の見えない絶望に染まった古井戸のような眼であったが、その井戸は枯れていなかった。

 

「うっ・・・くぅっ・・・・」

 

 ポタリと、地面にシミができていく。

 初めはポタリポタリと途切れ途切れだったが、次第に大雨のように絶え間なく降り注いでいく。

 

「久路人っ・・・久路人っ・・・くぅっ、うぅ・・うわぁぁぁぁああああんっ!!!!!」

 

 ただただ、ただただ、雫は泣き続けた。

 

「久路人にっ・・・ヒック・・・・置いてかれたぁ・・・・・」

 

 自分は、間に合わなかった。

 決心するのが遅すぎた。

 街の中はくまなく探したのに、いない。ならば、久路人はもうこの街の外に出たのだ。自分を置いて。

 嫌われているとは思っていた。ひどい言葉をぶつけられるかもと覚悟はしていた。話し合いをする前に、殴られることだって考えていた。

 だからこそ、そこまで考えていたからこそ、何も言わずに、別れを告げる機会すら与えられずに離れていってしまったことが、辛かった。

 まるで、そうまるで・・・・

 

「私は、久路人にとって、その程度だったの・・・?」

 

 月宮久路人という青年にとって、水無月雫は別れを告げる価値すらないと。

 今までの思い出のすべては、大事にしていたのは雫だけで、久路人にとってはどうというモノでもなかったのかと。

 そう、言われたかのようだった。

 メアは言っていた。久路人が自分を守ろうとする意志は異常であると。しかし、本当にそうだったのか?

 

 

--汝があのガキを想う重さと、あのガキが汝に向けるソレは、果たしてどれほどの違いがあるのかの?

 

 あの狐の言葉が耳の中によみがえる。

 メアは心が読めるわけではない。久路人の心の中など、久路人以外には分からない。今、雫の前にある現実が、それを証明している。

 

「久路人は、久路人は・・・・」

 

 

--私以外の誰かを、選ぶの?

 

 

 それは、あの見合い話が立て続けに舞い込んできた時に思ったことだ。

 

 

--もしも、私以外に好きな人ができたら、私を置いていくの?

 

 

 自分のやっていることが受け入れられなかった時、久路人が選ぶかもしれないと思った選択肢。

 まだ、自分の犯したおぞましい所業がバレたわけではない。しかし、その前に、久路人の芯とも言える意思を否定してしまった。大喧嘩をしてしまった。嫌われてしまった。過程は違えど、結果は同じ。

 自分は愛想をつかされ、久路人に逃げられてしまったのだ。そして、久路人は自分以外の誰かを選ぶ。

それは、仕方のないことだ。そうされるようなことを仕出かしてしまったのだから。ならば、諦めて認めるしか・・・

 

「そんなの嫌っ!!!嫌っ!!嫌だよぅ・・・」

 

 認められる訳がない。

 やっと、自分のことをさらけ出そうという覚悟ができたところだったのだ。全てを話そうと意気込んでいたところだったのだ。そうした上で拒絶されるのならばまだしも、そのチャンスさえ与えられないなど、納得できるはずもない。

 過去にも誓ったではないか。

 

 

--離れていったら、地の果てまで追いかける

 

--他の女の物になったら取り返す

 

--嫌われるのならば、振り向いてもらえるまで居座ってやる!!

 

 

 その想いは、今も変わらない。しかし・・・

 

 

「でも、でも・・・久路人、どこにいるの?」

 

 そう思っていても、現実は変わらない。

 依然として久路人の足取りは掴めず、どこにいるのか見当もつかない。恐らくは街の外に出たのだろうが、そうなってしまえば本当に何もわからない。雫の心は折れていないが、追いかけようにも走り出せない。

 忘却界に覆われた街の外は妖怪にとって極めて活動がしにくい場所だ。雫クラスの妖怪ならば動けはするが、白流市のように闇雲に走り回っていればそう遠くないうちにガス欠になるだろう。そこで足止めをもらってしまえば、ますます距離が開いてしまう。何か目印でもあるのならば別だが、そんなものはない。今の雫にできることは、ただただベンチで項垂れるのみであった。

 

「久路人、久路・・・・」

「おい、婆さんや。このお札はどこに持っていけばいいかのう?交番か?」

「・・・・・?」

 

 ふと、雫の耳に老人たちの話し声が聞こえてきた。絶望と恐怖で半ば無気力になっていた雫は、反射的にそちらを見る。

 

「お爺さん、そんなもの持ち込まれても警察の人が困ってしまいますよ。でも、どうしましょうかねぇ」

 

 自分の座るベンチの対面に設けられたもうひとつのベンチに、いつの間にか老夫婦が座っていた。話の流れから、どうやら老爺の方が何か妙なものを拾っていたらしい。その扱いをどうしようと、と話し合っているようだ。

 そのまま何とはなしに老夫婦を見つめていた雫だったが・・・

 

「なっ!?」

 

 次の瞬間、思わず立ち上がって老夫婦に詰め寄っていた。

 

「お前っ!!その護符をどこで拾ったっ!?」

「ん?なんじゃ?このお札欲しいのかい?渋い趣味しとるのぉ」

「お爺さん。多分違いますよ」

 

 突然迫ってきた雫に驚くことなく、老夫婦は穏やかに会話を続けていた。

 しかし、雫にそんなまったりとしたペースなど通用しない。

 

「いいから答えろっ!!それをどこで拾ったっ!?」

「そんなに急かさんでも答えるわい。この街と、隣街との境くらいじゃよ。そこの道を真っすぐ東に進んだ先じゃの」

「隣街・・・やっぱり、街の外に・・・でも、それだけ分かっても・・・」

 

 常人なら震え上がるような雫のプレッシャーを受けても老爺は動じることなく答えた。やはり、雫の予想通り、久路人は街の外に出てしまったようだ。

 

「一か八か、この道沿いに進んでみるか?いや、それでもしも脇道に逸れていたら・・・」

 

 難しい顔になり、考え込む。

 忘却界の中に入り込むのなら、長居はできない。高校の修学旅行の時にもらった簡易結界を貼る護符など、とうに壊れてしまっている。ならば、正確に久路人の後を追わなければならない。

 

「一体、どうすれば・・・」

「なんだかようわからんが、辛そうな顔をしとるの。まったく、嫁にこんな顔をさせておいて、あの小僧は何を自転車なんぞ走らせとるんじゃ」

「あの子も随分と辛そうというか、思い詰めた顔をしてましたけどねぇ。あとお爺さん、このお二人が今そういう仲なのかはわかりませんよ。前会った時は恋人じゃないって言ってましたし」

「あれ?そうだったかの?」

「待てっ!?お前たちは久路人を見たのか!?いや、知っているのか!?」

 

 聞き捨てならない会話が耳に入り、雫は思考の渦から抜け出した。老夫婦は顔を見合わせていたが、老婆の方が静かな口調で口を開く。

 

「このお札を拾う前にの。あの道の先にある隣街の道路じゃったが、随分と急いでペダルを漕いでおったわ・・・今から二時間は前じゃったと思うが、お前さん、あの小僧を探しとるのかい?」

「ああっ!!もちろんだ!!他には!?他に何か知っていることはあるか!?」

「申し訳ありませんが、他には何も・・・」

「うむ。俺たちもすれ違っただけなのでなぁ。とりあえず、このお札はお嬢ちゃんに返しとくぞい」

「そうか・・・いや、こちらこそ突然済まなかったな。助かった」

 

 手がかりを得るうちに段々と落ち着いてきたのだろう。もしくは、老夫婦のどこか達観したような雰囲気にあてられたのか。最初は殺気だっていた雫は、護符を受け取りつつ、老夫婦に頭を下げた。

 

「しかし、本当にこれからどうすれば・・・」

 

 少なくとも、久路人はバスや電車のような公共交通機関は使っていない。妖怪に襲われるために自動車の免許も持っていないので、自転車で二時間ならば、案外遠くには行っていないかもしれない。それが分かっただけでも前進だ。

 

「これは、本当に賭けに出るしか・・・」

「匂いを辿れば追えるんじゃないかしらねぇ」

「・・・なんだと?」

「おいおい婆さん、犬じゃないんだから・・・」

「いや・・・」

 

 ここは一か八か進むしかないと思っていたところで、老婆から思いもしなかった案が出た。老爺が突っ込んでいたが、その考えは電光のように雫のなかで瞬き、形をなす。

 

「そうだ、妾は犬ではない。犬ではないが、鼻のきく生き物だったではないか」

 

 ポツリと小さな独り言を呟くようだったが、やがてそれは己の中を吐き出すように大きな声に変わる。

 

「そうだ、妾は・・・くくっ!!ああ、そうだな。ずっと人間の姿だったから忘れていた。人間の感覚に慣れすぎていたよ・・・お二方」

「ん?」

「・・・」

 

 軽く自嘲するような笑みを浮かべながら、雫は老夫婦に向き直り、頭を下げた。そして、再び上げられた時には、その瞳に炎のような輝きが灯っていた。

 そんな雫を、老爺は怪訝そうに、老婆は微笑みながら見つめ返す。

 

「本当に、お二方に感謝申し上げる。おかげで、探しに行けそうだ」

「ふむ?まあ、よく分からんが、さっきみたいな死んだような眼よりもずっといい顔になったの」

「ええ、本当に。あなたの探している人は、きっと、あなたにとってなくてはならない人なのでしょうね。本来一つであるべき、今は二つに分かれた片割れ。気持ちはよくわかりますよ。ねえ、お爺さん?」

「うむ!!俺も婆さんがいるから今も生きていられるからのぉ!!」

 

(元気な老人たちだな・・・妾も、私も、久路人といつかあんな風に・・・)

 

 途中で惚気だしたが、雫はそんな老夫婦を羨ましそうに見やって、すぐに背を向けて駆け出した。

 

「済まないが、急用があるので失礼する!!本当にありがとう!!」

「うむ、行ってくるといいぞい!!あと、一発くらい彼氏を殴ってもバチは当たらんと思うぞ~!!」

「あなたがちゃんと運命の人と再会できますように・・・どうかお気をつけて」

 

 そして、雫の背中はあっという間に夕闇のなかに溶けるよう小さくなって消えていった。

 

--------

 

「はっ、はっ、はっ・・・!!」

 

 駆ける。

 ただ、駆ける。

 白流市から、隣街へと続く道を、ひたすらに。

 長い上り坂であろうとも、一切ペースを落とさずに、風のように。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ・・・!!!」

 

 それは、先ほどまでの光景と同じだ。

 しかし、一点違うところがあった。

 

「久路人・・・」

 

 走る雫の顔は、さっきまでの絶望と焦りに満ちたそれではない。

 自分の行くべきところが、やるべきことが分かっている者の表情だった。

 

「今まで、ずっと久路人に女の子だと思って欲しかったから、私はこの姿だった・・・」

 

 坂道を駆けのぼりながら、雫はここにいない久路人に告げるように言う。

 雫の眼には、坂の頂点が見えていた。

 

「でも、このまま久路人に会えないで終わるくらいなら、例え久路人にどう思われようと・・・」

 

 そして、とうとう上り坂の終わりに至る。

 今まで走ってきた道が影の中にあったために、夕陽に照らされる街を眺められる坂の上は眩しかった。

 そこで、雫はトンッと地面を蹴って跳びあがった。それと同時に、一瞬だけ白い霧が辺りを包む。

 

「私は、妾は人の姿を捨ててやるっ!!」

 

 次の瞬間、そこには一匹の大蛇がいた。

 大蛇は宙に浮かび、泳ぐように、滑るように空気を切り裂いて飛んでいく。

 

「・・・感じるぞ」

 

 蛇という生き物は、熱を感じるピット器官が有名だが、他にも触覚と嗅覚が非常に優れた生き物だ。

 蛇は、一度狙った獲物を逃がさない。どこまで相手が逃げようと、その痕跡を辿って追い続ける、執念深い生き物なのだ。ましてや、雫にとって久路人は己の全てをなげうってでも手に入れたい相手なのだ。諦めるなどと言うことはあり得ない。

 

「感じるぞ!!久路人の匂いを!!妾が、久路人の匂いを間違えるなどあり得ぬ!!こっちかぁあああっ!!!!」

 

 舌をチロチロと振りながら、雫は久路人の後を追う。毎日毎日久路人と触れ合い、脱衣所で久路人の下着に顔を突っ込んでいた雫にとって、久路人の匂いを追うなど赤子の手をひねるようなものだ。

 一切の躊躇なく大蛇は進み、いよいよ白流市との境目、忘却界の端にまでやってきた。

 忘却界ははるか昔に「魔人」によって貼られた、超大規模魔法。近づくだけでも妖怪である雫には大瀑布のようなプレッシャーが襲い掛かるが・・・

 

「そんなもので、妾が止まるかぁぁぁぁああああああああっ!!!」

 

 凄まじい重圧と倦怠感を感じつつも、雫は忘却界の中に飛び込んだ。

 

「待っていろよ、久路人っ!!今すぐに行くからなぁっ!!」

 

 本調子とはとても言い難い状態ではあったが、それを欠片も感じさせない様子で、雫は前へと進むのだった。

 

 世界で、一番大事な人と、もう一度会うために。

 

--------

 

 雫が走り去った後の公園。

 疾風のような勢いで去っていった雫を見送った老夫婦は、少しの間逢魔が時に墜ちる道を見つめていた。

 

「それにしても・・・」

 

 そこで、老婆が唐突に口を開いた。

 その口調は、どこかしみじみとしていて、昔を懐かしむかのようだった。

 

「あの子、昔はあんなにヤンチャだったのに、見ず知らずの私たちに礼を言えるなんて、変わるものだわ。本当にいい人に会えたのね」

「ん?婆さん、会ったことがあるのかい?あのなんたら山の前に?」

 

 老婆のことは過去も含めてすべて知っている自信のあった老爺であるが、ここでいきなり知らない話が出てきて、意外そうな顔になっていた。

 

「葛城山ですよ、お爺さん。そして、あの子とは、お爺さんと会う前に少しだけ関わったんです。あの子がお爺さんに食って掛かった時に思い出したんですけどね」

「ほーん・・・そんなことがあったんか。まだ、俺の知らんことがあったとはのぉ」

「ふふ、私もほとんど忘れかけていた話ですから、大目に見てください」

「分かっとるよ。俺もあんな女の子のことで怒るほど器は小さくないわい。むしろ・・・」

 

 老婆は、過去に想いを馳せながら遠い目をしていた。

 そんな妻の様子を見た後、少しだけ面白くなさそうな表情をしていた老爺であったが、おもむろに雫が走っていった方に向き直る。その瞳は孫でも見るかのように優しげだった。

 

「ええ。あの子たちが上手くいくことを祈りましょう。昔の私たちのようにね」

「うむ」

 

 そうして、しばらくその場に佇んだ後、老夫婦もまた何処かに去っていったのだった。

 

 

--------

 

「頃合いじゃな・・・」

 

 久路人が健真と話をし始めたころだ。

 久路人たちがいる部屋の真下で、月宮久雷は呟いた。彼の周囲では月宮家の霊能者たちが代わる代わるに詠唱を行い、役目を終えた者は肩で息をしながら壁にもたれている。床に刻まれた複雑な図形の絡まりは、煌々と輝き、そこに込められた力の解放を待ち望んでいるかのようだった。

 

「それにしても、本当に運命というものはあるモノじゃな。儂がこの『転写転生』を編み出したのと時を同じくして、現人神が見つかるなど。いや、そもそも転写転生そのものが、この時代にならなければ思いつかなかったことを考えれば、そこからかの」

 

 久雷は感慨深げに言葉を漏らす。

 

 転写転生。

 それは、神の血を引く月宮本家の当主として、その長い生涯のぼぼ全てを神の力を得る、否、取り戻すことにのみ費やしてきた男の妄執。その効果は単純明快だ。

 

「まずは儂の記憶を電子情報と転じて月宮久路人に転写し、精神を以てそれを楔とする。そして、遺伝情報を同じくし、肉体と霊力、神の力に親和性のある儂ならば、魂の同調は理論上可能。精神と魂さえ繋いでしまえば、この朽ちた身体を捨てて乗り換えることが叶う」

 

 一言で言ってしまえば、乗っ取りだ。

 術者の記憶をコピーして写し、存在しなかった記憶によって「自分は月宮久雷である」と思い込ませた相手に自身の精神を同質のものとする。ここまでが転写であり、これは月宮家以外の人間相手にも使うことができる。そして、その相手が術者と肉体および魂の性質が近い場合には、魂を同調させ、肉体を乗っ取ることが可能だ。月宮久雷は月宮久路人の祖父であり、神の力と雷の霊力を持つという共通点があり、肉体と魂の情報が似通っているのだ。そのために、転写転生を使う条件をすべて満たしている。神の力を持つ者は精神異常に強い耐性を持つが、同じ神の力を有する者ならば耐性をすり抜けることも不可能ではない。

 

「本当に、便利な時代になったものじゃ。あらゆる情報はデータ化され、様々なハードの間を行き交う。そしてこの術は、人間もその流れに組み込む」

 

 今の現世に溢れる情報媒体。久雷はそれらから、転写転生の発想を得ていた。

 そして、本来ならば、この術は月宮健真に対して使用し、神の力を高める術を探し続ける予定であった。

 

「しかし、データと違ってこの術は短期間の間に2度も使える術ではない。叶うことならば健真あたりで実験したかったが、止むをえまい」

 

 永遠の生を得られる夢のような術であるが、魂を同調させて肉体を手放すということは大きな負担がかかる。かといって、月宮久路人の肉体は日に日に強大すぎる神の力に蝕まれており、手をこまねいていては先に死なれてしまう。そのため、ぶっつけ本番で久路人相手に転写転生を行う計画を立てるしかなかった。

 

「さて、結界の準備はできておる。あの高濃度の神の力に触れるのはまずいからの。ある程度は吸わせるとして・・・」

 

 現在久路人がいる屋敷に貼ってある結界も、神の力を研究した久雷が考案したものだ。白流市にある京は貼った結界は、久雷のものを模倣、昇華したものである。ただし、京は久路人が不自由なく暮らせることを主眼としているが、久雷は違う。久雷の結界は久路人のことを最低限にしか考えていない。 さらに、久雷には長年の経験から、久路人の中に眠る神の力を御す自信があった。その自信が、多少の無茶をさせたとしても久路人に問題はないという答えを導いていた。

 

「久遥のやつは甘すぎる。せっかく力があるのだから、奪って使ってしまえばいいものを」

 

 久雷の結界は、久路人の持つ神の力を吸収する効果があり、今もその効果をわずかばかり発揮している。京の結界も体外に溢れている力を吸収する仕組みはあるが、久雷のものは久路人の中から神の力を絞り取ることも可能だ。もちろん、無理矢理に吸い出すような真似をすれば久路人の肉体には負荷がかかることになる。久雷としても久路人に死んでもらっては困るために加減はするが、それでも自分が手に入れる前に死ななければ問題ないとしか考えていない。そうして得た力は吸われた傍から今も詠唱が続けられるこの部屋の仕掛けに注がれる。仕掛けはいくつかあるが、そのうちの一つが転写転生、そしてほかにも・・

 

「ほう!!無意識に放出している霊力だけでも大したものだ!!転写転生に使ってもお釣りがくる!!これならば、『門』の作成に加えて、あの蛇との契約も断ち切れる」

 

 神の血が流れる月宮に、下賤な妖怪の護衛など必要ない。いや、積極的に排除すべきですらある。

 久雷はそう考えていたし、それは他の霊能者の一族でも同じだろう。本来契約に関わりのない第三者が他者の契約に干渉するのは難しいが、月宮久路人が結んだ契約は、その膨大な霊力によって綻びが生じている。そこに、神の力による一部の隙もない結界を構築すれば、二者の間にある霊的な繋がりを完全に断ち切ることができる。

 

「では、後顧の憂いを断つためにも、まずは蛇の方をなんとかするとしよう」

 

 そして、久雷は指を鳴らした。

 すると、床に刻まれた図形の内一つが激しく明滅し・・・

 

--ブツリ

 

 屋敷の周囲に白い輝きを放つ結界が展開されると同時に、白蛇と青年を繋ぐ、始まりの繋がりが断ち切られた。

 

「ふん、これで蛇が月宮久路人を守る理由はなくなった。ならば、もう我らの邪魔をすることもなかろう」

 

 もっとも、月宮久雷がそのようなことを気にするはずもないが。

 

「さて、では・・・」

 

 そして、久雷の皺だらけの顔に、醜悪な笑みが浮かぶ。

 それは、干からびた果物にヒビが入った光景を連想させた。

 

「いよいよ、手に入れるとしようかのぉ!!すべてをなぁ!!」

 

 白い結界が、眩い光を発する。

 霊力が認識できる者ならば、目を開けていられないほどの光量だ。

 突如として自分の大事な契約を断たれた久路人から、その力を吸い取っていき・・・

 

「転写転生!!」

 

 そして、妄執に取りつかれた老人の、おぞましき術が発動した。

 

--------

 

「見えてきたぞ!!あそこかぁっ!!」

 

 忘却界の中。

 ギシギシと体に降りかかる重さを、無理を聞かせて耐えながら、雫は視界に入ってきた屋敷に向かって勢いよく進み続ける。

 その屋敷からは久路人の匂いを感じるが、それ以上におかしなことがあり、すぐにそこがゴールだとわかったのだ。

 

「あの屋敷は、何故あんな妙な結界を貼っているのだ?」

 

 霊力の見えない者には何の変哲もない場所に見えるのだろうが、妖怪である雫にははっきりとその壁が見えていた。そして、雫はその壁が放つ光とよく似た力を見たことがあった。

 

「あの光・・・あの陣の中で久路人が纏っていた力に似ている」

 

 あれが、神の力というヤツだろう、と雫は思った。

 

「まあ、そんなことはどうでもいい!!それよりも、久路人だっ!!」

 

 雫はそこで、蛇の姿から少女の姿に変わった。

 忘却界の中は、妖怪や穴の発生を抑制する。しかし、修学旅行の時のように、人化の術を使っていれば少しは負担もマシになる。目的地が目でとらえられるまで近づいた以上、蛇の姿でいる必要はない。

 

「久路人っ!!今・・・くぅぅうっ!?」

 

 そうして、屋敷の玄関に突っ込んだ直後。

 見えない壁が、雫を弾き飛ばした。

 

「これは・・・結界か!!」

 

 光を発しているものとは別に、もう一枚見えない壁がある。

 

「こんなものっ・・・・ぐっ!?」

 

 普段ならば大して苦労もせずに破壊できるだろう結界に、雫は拳を叩きつけるも、結界はびくともしなかった。

 

「なんだ、この結界は・・・確かに妾の力は忘却界の中ゆえに弱まってはいるが、それでもヒビ一つ入らないなど・・・」

「フフッ!!当たり前でしょう、下劣な蛇め!!その結界は、私たち霧間がお前専用にあつらえた特別製です!!」

「・・・何だ貴様は。いや、待て、貴様、見覚えがあるぞ」

 

 異様に強固な結界に雫が困惑していると、そこに刀を持った凛々しい少女がやってきた。

 その少女を見た瞬間、雫の頭の中で、何かが引っかかる。

 自分は、この女をどこかで見たことがある、と。

 そして・・・

 

「霧間・・・そうか、思い出したぞ。貴様、霧間八雲とかいうヤツか」

「お前のような極悪非道な下衆に知られていても、何も嬉しくないですね!!しかし、ここに来て正解でした。おかしな霊力を感じると思ったら・・・絶対にここは通しませんからね!!」

 

 雫の額に青筋が浮かぶ

 しばらく前にあの忌々しい見合い話を持ち込んできたヤツと顔が一致したのだ。

 

「何故貴様がここに・・・」

「久路人さんを取り返しに来たのでしょうが、そうはいきません!!」

「・・・・は?」

 

 忌々しい女の口から最愛の青年の名前が飛び出した。

 その言葉が耳に届いたコンマ0.1秒後、雫の口から、絶対零度の声が漏れる。

 忘却界の中にも関わらず、辺りが凍り付くほどの冷気が充満する。

 それは、人間一人を軽く氷漬けにできるほどの威力だったが・・・

 

「無駄ですっ!!」

 

 壁の向こうにいる八雲に、その冷気が届いた様子はない。

 

「低能なお前では覚えられませんでしたか?この結界は、水の扱いに長けた我ら霧間がお前への対策として用意したモノっ!!この忘却界の中で、お前に破れる道理はありません!!」

 

 どうやら、目の前の壁は水属性に対して強い耐性を持っているようだ。加えて、『蛇』にまつわる妖怪に対する耐性も。

 

「チッ!!ずいぶんと人間らしい手の打ちようだな!!」

 

 普段とはあまりに違う力の感覚と、目の前の結界の硬さに舌打ちする。

 名の知れた妖怪相手には、相手の属性と正体を調べた上で、相手の攻撃手段を封じ、徹底的に弱点を突く。古来から多くの霊能者が取ってきた作戦であった。

 

「ええそうですとも!!私は人間ですからね。人間らしい手段をとって何が悪いというのです!!さらに言うなら、久路人さんだって人間です!!なのに人間を下に見るような発言をするとは、やはりお前は久路人さんのことを・・・」

「・・・黙れ」

 

 ピクリと、雫の綺麗に整った眉が動いた。

 それと共に、女の口から出たとは思えない低い声が響く。

 しかし、妖怪を嫌悪する霧間の息女がそれに応じるはずもない。

 

「いいえ、黙りません!!お前は久路人さんの・・・」

 

 そうして、八雲は気丈にも言い返そうとして・・・

 

 

--ズドンっ!!

 

 

 屋敷が震えた。

 

「貴様ごときが、久路人の名を軽々しく口に出すなぁぁぁぁああああああああっ!!!」

「っ!?」

 

 それは、拳を氷で包んだ雫が、地面を思いっきり殴った振動によるものだった。

 しばらく怒りを抑えきれないのか、俯いたままハァハァと肩で息をしていた雫だったが、やがてフゥ~と息を吐いて・・・

 

「霧間八雲」

 

 ギロリと、蛇の眼で八雲を睨みつけた。

 

「な、なんですかっ!!蛇ごときがっ!!」

 

 その物理的に殺傷力を持っていそうな視線に張り合うように、八雲も雫を睨みつける。

 しかし、その眼力はいささか以上に力負けしているように思えた。そんな八雲の返事など何一つ気にした様子もなく、雫は続ける。

 

「貴様は殺す」

 

 それは、清々しさすら感じさせる殺害予告であった。

 

「どんな理由で久路人の名を口に出したか知らんし、知りたくもないが、貴様は必ず殺す。ただし、楽には殺さん。手足を斬り落として股の間にツララをぶち込んだ後に内臓を引きずり出して目玉をくりぬいてから首を撥ねてやる」

 

 雫の真紅の瞳からは、光が失せていた。ただし、それは先ほどの公園でうなだれていた時とはまるで異なる。その瞳に今あるのは、闇だ。ドロドロとした名状しがたい、熱いマグマのような禍々しい何かが雫の瞳に宿っていた。

 

「ふ、ふんっ!!お前に何ができると言うのです!!この屋敷を揺らした所で結界は解けません!!そちらこそ、今が年貢の納め時と心得なさい!!これまで久路人さんをいたぶった罪を、ここで・・・」

 

 そして、目の前の蛇の化身が発する殺気に、八雲が気おされながらも口上を述べようとした時だった。

 

「償え・・・きゅっ!?」

「中々面白そうなことを話してるけど、ちょっと静かにね」

「・・・次から次に。お前は何だ」

 

 突然、八雲の背後に男が現れると、手刀を首に打ち込んで、一瞬で気絶させていた。

 

「ボクかい?そうだなぁ・・・誰かと聞かれれば、月宮健真と答えておこうかな?今はね」

「貴様、ふざけているのか?」

「まさか!!ふざけてなんかいないさ!!真面目もまじめ!!大真面目さ!!」

 

 いきなり現れたかと思えば、敵であるはずの雫に飄々とした態度をとる健真に、雫は困惑しながらも鋭い眼光を浴びせる。しかし、健真はそんな雫の気迫を受けても小揺るぎもしなかった。

 

「貴様・・・」

「ボクのことなんかよりさ、いいのかい?」

「何?」

 

 底知れない何かを健真に感じた雫は、八雲の時とは比べ物にならないくらいに危機意識を跳ね上げた。

 今まで見てきたどんな敵よりも、警戒しなければならないと、野生と常世の弱肉強食を生き抜いてきた本能が警告したのだ。だが、やはり健真がそれに取り合う気はないようだ。健真は、八雲をその辺の地面に寝かせると、屋敷の奥の方を指差した。

 

「今、結構大変なことが起きようとしているんじゃないのかな?」

「・・・?どういう・・・っ!?」

 

 雫が聞き返した直後、ほのかに光を放っていた壁から、目もくらむような輝きが飛び出したのだ。

 それと同時に・・・

 

 

--ブツリ

 

 

 久路人と雫を繋ぐ霊力のパス、契約が断たれたのが分かった。

 二人にとって契約の繋がりは、あるのが当たり前で、そこにあることに気づけないほどに自然なモノ。

 だからこそ、それが断たれたときの違和感は大きい。

 

「なっ!?何がっ!!何が起きたっ!!答えろぉ!!!」

 

 雫の顔が一瞬で真っ青になった。

 自分と久路人を繋いでいた契約がなくなる。

 それは、雫が久路人の傍にいる理由がなくなるということであり、雫が恐れていたことの一つであるのだから。いや、それ以上に・・・

 

「久路人のっ!!久路人の身に何が・・・っ!!」

 

 契約が断ち切られるような事態で、久路人が無事である保証はどこにもない。

 雫が一番恐れていることは、久路人に先立たれること以外にあり得ない。

 だが、そんな雫に健真は今までと変わらない様子で話しかける。

 

「まあまあ、落ち着きなよ。君が慌ててちゃ、助けられるものも助けられないよ?まあ、難しいかもしれないけど、一度深呼吸を・・・」

「ふざけるなぁっ!!!!!!!!!!!!!」

 

 

--ズドンッ!!!

 

 

 再び、雫の全力の拳が放たれた。

 ただし、今度は結界に向けて打たれたそれは、何の爪痕も残せていなかったが。

 

「このっ!!このっ!!このぉぉぉおおおおおおおおおっ!!!!久路人ぉ!!!」

 

 何度も何度も何度も、雫は壁に拳を撃ち込み続ける。

 蛇の妖怪の持つ優れた再生能力を超えるほどのペースで、血の滲んだ拳で何度も何度も。

 しかし、やはり結界は壊れる様子を・・・

 

「おお!!自らが傷つくのも構わず愛する人のために足掻く姿・・・実に美しい!!!やはり君たちはお似合い・・・っと、それどころじゃないか。不協和音(ディスコード)

「久路人ぉおおおお!!!・・・・・・うぉぉおおぅっ!?」

 

 雫の健気な様子に胸を打たれたような健真であったが、すぐに我に返ると、指を鳴らした。

 その瞬間、拳を撃ち込み続けていた雫は、いきなり結界に空いた穴から中へと勢いのままに転がり込む。

 しかし、そこは大妖怪。無様に転ぶことなどせずに、すぐに体勢を立て直して健真を睨んだ。

 

「貴様、何のつもり・・・・」

「さっきも言っただろ?いいのかい?ボクなんかに構って。他に行くべきところがあるんじゃないのかい?」

「っ!!!・・・・礼は言わんぞ」

「いいとも。ボクとしては君が彼のところに向かってくれることが大きなお礼さ」

「チッ!!・・・・久路人っ!!」

 

 不審そうな視線を健真に向けるも、その答えは不可解なモノだった。

 しかし、健真の言うことは正しい。今の雫にとって、やらなければならないことは一つだけだ。

 健真に舌打ちを一つくれてやってから、雫は屋敷の奥へと駆けていった。

 

「フフッ!!頑張ってね。色々と・・・」

 

 健真は、そんな雫に笑みを浮かべながら、手を振って見送るのだった。

 

 

-------- 

 

『さあ、お主の身体を渡してもらおうか。その、神の血と力ごとのぉ』

 

「がぁっ・・・!?」

 

 何かが、僕の中に入り込んでくる。

 それと同時に、凄まじい勢いで体から何かが抜けていく。

 ブツブツっ!!と、体の中で細かい何かが弾けていくような感覚がした。

 

『くくくっ!!凄まじい霊力!!いや、お主の中に眠る神の力かっ!!』

 

 何かが、入り込んでくる。いや、塗り替えようとしている。

 

「・・・何がっ!?これはっ!?」

 

 チカッと僕の目に何かが映る。

 それは、セピア色の風景だ。

 

『これがっ!!これこそが神の力っ!!ははっ!!何という力だ!!!』

 

 そこは、深い山の中。

 なぜかそこだけがぽっかりと開けた草地にある屋敷の傍で、巨大なムカデの死骸を前にしながら、『儂』は感動に震えていた。

 

(《そうだ。これは、儂が初めて神の力を授けられた時のこと!!月宮の地に入り込んできた下郎に立ち向かった時・・・》って、何だこれ!?)

 

 知らない記憶が流れ込んでくる。

 

『ああ、神よっ!!俺は貴方に忠誠を誓おう!!この世界の管理者となろう!!この世の均衡を正す調停者となろうじゃないか!!』

 

 そこからも、似たような映像がいくつも頭に浮かぶ。

 ある時は、突然塗り替えられたような歪な世界の中で、ある時は清浄な結界に守られた月宮の地で、またある時は教科書や過去の映像でしか見たことのない古めかしい街の中で。

 

(《『俺』は戦った!!戦い抜いた!!忘却界が貼られた後、すぐに世が平和になったわけではない!!現世に取り残された連中や、常世から新しい穴をあけようとした奴らがまだまだいた時代だった・・・》クソっ!!またっ!?)

 

 見たことのない記憶の中で、『儂』は、いや、『俺』は戦っていた。

 相手取るのは、大穴を超えて現れるような大物ばかり。神の力があろうとも、一筋縄ではいかない強敵しかいなかった。

 

(《何回も死にかけた!!神は、時に『俺』の身体のことなど無視するかのように操ることもあった!!だが・・・》)

 

 過去の中の自分は傷だらけだった。神の力の行使は、人間の身体には負担が大きすぎる。ましてや、相手はそんな力を使わなければ勝てない大物しかいないのだ。しかし、そんな痛みなど苦ではなかった。それ以上に誇らしかったのだ。

 

(《神に認められ、その力の一端を振るい、世界を守る!!これに心震えないものなどいるものか!!》)

 

 多くの妖怪に畏怖された。

 多くの霊能者に称えられた。

 多くの人々を救った。

 そのすべてが、嬉しかった。

 自分が世界を守っているのだという自負が、何より誇らしかった。

 

(《ああ、そうだ!!『俺』は嬉しかった!!こんな『俺』が!!『儂』が世界を、抱えきれないほど多くの人々の平和を守っていることが嬉しかったんだ!!なのに・・・っ!!》)

 

 そして、再度景色は変わる。

 そこは、再びあの山の中の屋敷だった。

 しかし、そこには敵も、それに振るうべき力もなかった。

 

『何故だっ!!?神よっ!!何故なんだっ!?どうして力が消えたっ!?』

 

 戦って戦って、戦い抜いて、大妖怪のほとんどが現世からいなくなった頃だった。

 唐突に、久雷の中にあった神の力が消え失せたのだ。残ったのは、全盛期の1割にも満たない残りカスのみ。

 しかし、世界はそれで困らなかった。元より戦っていたのは月宮家だけでなく他の家もそうであったしい、海の外では『学会』がその役目を果たし続けている。急に月宮の力がなくなっても問題はなかったし、何より、そのころには妖怪による脅威は大幅に弱体化していたのだ。むしろ、強大すぎる月宮の力が人間に向く恐れがなくなったことを喜びさえした。

 

(《あの日から、月宮の栄光は陰った!!他の家の連中も、『儂』らを舐めたような目で見るようになった!!散々儂らに救われた連中が、何も恥じることなくっ!!!》)

 

 だが、『儂』はそれが認められなかった。

 世界には、まだまだ脅威はいる。人外と手を組もうとしている、『学会』の胡散臭い連中もいる。

 奴らを滅ぼすまで、世界に安心は訪れない。

 力が必要なのだ。もう一度、世界を守り続けていた自分にこそ、あの力が。

 

(《だから、儂は調べつくした。己の中に残った残滓を研究した。方々に強力な霊能者を求めた。すべては・・・》)

 

 

--もう一度、神の力を手にするために!!

 

 

 そこからも、セピア色の景色が流れ続ける。

 多くの霊能者の一族と繋がり、血を取り入れ、強力な霊能者を作ろうとした。

 神の力が伝わる仕組みを観察した。

 異能の力で金を稼ぎ、後ろ暗い連中の伝手も得た。

 仮にも平和を守ってきた身の上で、いくつもの悪事にも手を染めた。

 江戸、明治、大正、昭和・・・・どんどん時代が過ぎていくが、成果は出なかった。

 そして、時はさらに進んでいき・・・

 

「ぐぅっ!?」

 

 流れるのは、今の時代にもあるような現代的な建物の数々。

 そう、『僕』が生まれた時代にまで、流れ続け・・・

 

--ズキリと、ひときわ大きく痛みが走った。

 

 いつの間にか、ヌルりと熱い液体が皮膚を流れていく感触がしていた。

 

(《『儂』は・・・》やめろっ!!)

 

 流れ込むと同時に、何かが削れていく。それは、霊力ではない。霊力は今も抜け続けているが、それよりももっと大事なものだ。

 それまで視界に映る映像は一つだけだったのに、いつの間にか二つの映像が並んでいた。

 そこに映るのは・・・

 

 小さな雨合羽を着て、霧雨の中を歩く『僕』

 暗い部屋の中で、その老いた肉体をみっともなく動かしながら、他の家から差し出された娘を犯す『儂』

 

「『ぐがぁっ!!!邪魔をっ!!』・・・・そっちこそ、出てけっ!!!」

 

 入り込んでくる何かに、僕は必死で抵抗する。

 身を斬られたかのような熱い痛みと、血の臭いが鼻を突くが、自身の顔を殴りつけて何かを追い出そうとする。

 しかし、入り込んでくる者の勢いは強かった。ドロドロとした、凄まじい怨念のようなモノすら感じた。

 その気迫に、僕の中の何かが押し流されそうになるも、そんなものは関係ないとばかりに映像が流れていく。

 

 霧雨の中、白い蛇を拾う『僕』

 白い蛇を持ち帰り、契約を結んだ『僕』

 林の中で、妖怪に追いかけられる『僕』

 守りあうと大事な約束をした『僕』。

 生まれたガキが期待外ればかりで、赤子を掴んで地面に叩きつけた『儂』

 

 その白い蛇が現れた瞬間、何かの勢いが弱くなったような気がした。

 体の中で別の何がザワリと蠢くような感覚がした。

 猛烈な勢いで体中を血が巡っているのが分かった。

 

「出てけっ!!『僕』の中からっ!!・・・『無駄な抵抗をぉぉおおっ!!くぅぅうっ!?』」

 

 何かが入り込もうとするたびに、大切な何かが僕の中から消えようとしているのを感じる。

 消えようとする何かを必死で思い出して、僕は抵抗する。

 着ている服が液体を吸い込んで重くなったが、それでも抵抗は止めない。

 

 初めて、あんなに綺麗な女の子と出会った。

 それまでにぶつけられた悪口なんかすべて忘れてしまうくらい、衝撃的だった。

 ふわりと僕を包んでくれた柔らかさと温かさ、いい匂いは今でも鮮明に覚えている。

 

 そして、『彼女』の記憶が流れた瞬間だった。

 

 

--ザザッと、口汚く誰かを罵る年老いた男の映像にノイズが走った。

 

 

 体の中を、濁流のように血が流れていく。

 流れる血は開いたばかりの傷だけでは足りないとでも言うように、ブツン、ブツンと新たに皮膚を内側から破って外に飛び出していく。

 

 

「『ぐあぁっ!?なんだっ!?なんだ、この・・・』出てけっ!!」

 

 一緒に部屋で遊んだ。

 一緒に体を動かして訓練した。

 学校でも、ずっと一緒だった。

 こっそり解答用紙を拝借して受けていたテストで負けた時は、結構悔しかった。

 

 

--ザザッ・・・ザザー・・・

 

 

 段々と、そのノイズは強く、大きくなっていく。

 それに伴い、映像はセピア色から、本物の色が蘇っていく。

 代わりに鼻は、鉄くさい臭い以外を感じられなくなっていた。

 

「『これはっ!?まさか、あの蛇の血・・・・』ああああぁぁぁああああっ!!!!」

 

 毎日、自転車に二人乗りして通った。

 いつの頃からか、朝ごはんを作ってもらうようになった。

 朝からくっついて、匂いを確かめるようになった。

 恥ずかしかったし、とても口には出せないけど、あの時間はとても幸せだった。

 

「『貴様っ!!キサマぁっ!!神の血に、なんという・・・』出てけぇぇぇぇぇええええっ!!」

 

 

--ザザザザザザザザザザッ・・・・・

 

 

 もはや耳がおかしくなりそうなくらい、ひどいノイズが頭の中に響く。

 しかし、『僕』には、その音が心地よく感じられた。

 体を這う液体も、もはや全身を舐めつくしたのか、体に違和感を感じない。

 

 映像は流れ続ける。

 

 あれからも色々あった。

 初めて旅行に行って、一緒に土産物屋を巡り、風呂にまで一緒に入って、初めて同じ布団で寝た。

 旅行の最期に、九尾に襲われた。

 僕は『彼女』を守れなかったが、運よくその場を切り抜けられた。

 けど、『彼女』を泣かせてしまった。

 それからも、何回『彼女』を泣かせてしまっただろうか?

 吸血鬼に襲われたときも、守ることはできたけど泣かせてしまった。

 でも、その涙は偽りの元に流されたものなのかもしれない。

 そう、僕は『彼女』がもう手遅れなくらい狂ってしまったと思うような言葉を聞いた。

 もう二度と、『彼女』を泣かせたくない、心を弄びたくないと思って、僕はここへ来た。

 けど、もしかしたら・・・

 

「『おのれっ!!おのれぇぇぇええええっ!!!絶対に許さんぞっ!!これは、神への冒涜・・』うるせぇぇぇぇえええええええええええええええっ!!!!!!!!!」

 

 

--ブツっ

 

 

 そして、唐突に映像は消えた。

 視界がクリアになる。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ・・・!!!」

 

 気が付けば、僕は血まみれで元居た部屋に横たわっていた。

 さっきの映像で流れていた九尾の時のように、まるで内側から噴水でも噴き出してきたかのように、体のあちこちに切り傷ができて、そこから血が垂れていた。

 

「クソッ・・・何だったんだ・・・・」

 

 自分の身に何が起きたのか、皆目見当もつかなかった。それでも、僕は何があったのか分析しようとして・・・

 

「貴様ぁ・・・」

 

 その時、部屋の中に怨嗟に満ちた声が響いた。

 それは、あの映像に映っていた老人と同じモノだった。

 いつの間にか部屋のふすまが開いており、そこから額に汗を流した老人が駆け込んできた。

 老人は僕の胸倉を掴み上げると、とても老人とは思えない力で僕を引きずりあげた。

 

「ぐっ!?アンタは・・・」

「貴様、何を考えているっ!!?」

「・・・はぁっ?」

 

 突然現れた、顔だけは知っている老人が怒り狂っている理由が分からなかった僕は、呆けたような声しか出せなかったが・・・

 

「何を・・・」

「何故っ!!?」

 

 次に老人が発した言葉は、聞き逃せなかった。

 

「何故貴様の中に、あの蛇の血が入り込んでいるっ!?」

「え?」

 

 それは、本当につい先ほど示唆された可能性を、裏付ける言葉だった。

 

「偶然で入る量ではない!!儂の転写転生を妨害するほど、儂と貴様の親和性を崩すほどの量だ!!普段から、意図的に口にせんでもしない限りあり得ん!!答えろぉ!!貴様は何故、あの蛇の血を取り込んだぁっ!!!!」

「・・・蛇の血が、僕の中に?」

 

 それは、僕のこれまでの思い込みを、完全に払しょくする言葉。

 体はボロボロで、目の前の老人に抵抗することすらできない絶望的な状況なのに、場違いな高揚感が湧いてきて・・・

 

「・・・貴様ぁっ!!!」

 

 そんな僕を見て、老人は拳を振り上げた。

 

「何をヘラヘラ笑って・・・・」

 

 そのときだ。

 

 

「久路人から離れろぉぉぉオオオオオオオオオオオオオオオオオオおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!!!!!!!」

「・・・おるかぁぁああああああああ!!?」

 

 

 凄まじい勢いで飛び込んできた『彼女』が、老人を殴り飛ばしていた。

 老人はきりもみ回転をしながら、ふすまをぶち破ってどこかへと吹っ飛んでいく。

 そして・・・

 

 

「久路人っ!!」

 

 

 『彼女』が、僕の名を呼んだ。

 

 

「雫・・・」

 

 

 そして、思わず僕も、『彼女』の名を呟いていた。

 




次回、久路人が人間卒業

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