白蛇病恋譚~拾った妖怪に惚れて人間やめた話   作:二本角

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もはや、申し開きはしません!!
一話延長入りまーすっ!!


初デート 中編

 白流市中央公園。

 そこは白流市の中央からやや離れた場所に位置する自然公園である。

 この街は住宅街の中にも池や川が多くみられ、中央公園は僕らが修学旅行で歩いた湿地と似ている。鬱蒼とした森と桟橋のかかる湿地に、池の一部が埋め立てられてできた草原があり、まるで街という灰色の海に浮かぶ緑色の島のようだった。

 

「ここは何度か来たことがあるけど、よく街の中にこんな場所があるよね・・・」

「街の開発から取り残されたって感じだよね。でも、僕はこういう場所好きだなぁ。落ち着くというか」

「あ、それは分かる。なんかつい寄りたくなるんだよね、こういう所」

 

 公園の中を流れる川沿いの道を、雫と手を繋いで歩く。

 時刻は正午近くで、街には熱い夏の日差しが燦燦と降り注いでいた。

 しかし、公園の中は樹木と水辺のおかげかひんやりとしていて居心地が良い。

 

「それにしても、結構人がいるね」

「うん。今は夏休みだし、子供とかその親が来てる感じかな。後は・・・」

 

 公園の中を歩いていると、結構な数の人たちとすれ違った。

 虫取り網を持った子供に、その母親。杖を突いたお爺さんもいる。

 年の若い男女が手を繋いで歩いている姿もあった。きっとカップルなのだろう。今の僕らのように。

 そして・・・

 

『お母さん!!あの人スゴイ綺麗!!』

『本当ね~!!アイドルさんかしら・・・』

「・・・・・」

 

 道行く親子が、僕の隣を歩く雫を見て驚いたような声を上げていた。

 

『別嬪さんじゃのぉ・・・』

「・・・・・」

 

 他方、川で釣竿を垂らしていたお爺さんが、思わずといったように感嘆の声を漏らす。

 

『すげ・・・あ痛ぁっ!?』

「・・・・・」

 

 カップルだろうか。男女が僕らのように対面から歩いてきたが、すれ違う間際に、男の方が雫を見て固まっていた。

 すぐに一緒に歩いていた女の人に思いっきり腕を引っ張られていたが、それでも後ろ髪を引かれるようにチラチラとこちらを振り返っている。

 

「・・・・・」

 

 そんな風に、すれ違う人たち皆が雫に見とれていた。

 公園の中に入って10分も経っていないが、人に出会うたびに、様々な視線が僕らの方に向くのを感じる。

 そのほとんどは雫に向けられていたが、いくらか『なんか釣り合ってなくない?』みたいなオーラの混じった目線が僕に飛んできているのもわかった。

 だが、僕に向けられる視線などどうでもいい。

 

(分かっていたことだけど・・・すごいイライラする!!)

 

「・・・・・」

「久路人・・・」

「あ、ごめん・・・」

 

 無遠慮に雫に向けられる目への苛立ち、『雫は僕以外からジロジロと見られている』ということそのものへの不快感、そしてなにより、それらに感情を乱される器の小さい自分に、僕は内心でかなりのストレスを感じていたようだ。

 いつの間にか僕らは無言になり、僕は雫の手を力いっぱい握りしめてしまっていた。

 

「ごめん、ちょっと強く握りすぎた!!

「いいよ。久路人になら、手の骨を砕かれても笑顔でいられる自信があるから・・・」

「いや、そうは言っても、今の僕は・・・」

「手を離さないで!!」

「うおっ!?」

 

 今の僕は、正直不安定になっているという自覚があった。

 しかし、雫に普通の人にも見えるようにして欲しいと言い出したのは僕だ。

 それを、やっぱりやめてと今更言うのは恰好悪いだろう。

 だから、また強く握りすぎないように手を離そうとしたのだが、今度は逆に雫から手を握りしめられる。

 そうして驚く僕の顔を、雫は少しジト目になりながら覗き込む。

 その瞳は何か言いたげだったが・・・

 

「久路人、あのね・・・いいや、ここでいうのはあれだし、もっと奥の方へ行こ!!」

「わっ・・・ちょっ!?雫!?」

 

 雫は何かを言いかけたが、結局ここで言うのは止めたらしい。

 僕の手を引いて、ズンズンと奥の方へ進んでいく。

 

「・・・・・」

「・・・・・」

 

 僕ら二人は、再び無言になった。

 ただひたすらに、足だけを動かして歩いていく。

 

(はぁ~・・・せっかくの初デートに何をやってるんだ、僕は)

 

 内心で、ここまで上手くやってきたのに、急に気まずくしてしまったことを悔やみながら。

 

 

------

 

「よし、着いたね!!」

「ここは・・・」

 

 雫に引っ張られるように歩いて数分。

 僕たちは森と川のあるエリアを超えて、芝生の広がる広場まで来ていた。

 

「じゃあ、あそこにしよ!!」

「わわっ!!?」

 

 時刻はお昼時。

 広場に設置されたベンチや地面に敷いたレジャーシートに家族連れやカップルたちが座って弁当を広げていた。

 雫はそんな彼らを避けるようにしながらも、一直線に空いているベンチ目指して歩いていく。

 

「ん!!確保・・・」

「あ、雫!!」

 

 そうして、広場の一角にあるベンチの元にたどり着き、荷物を置こうとした時だ。

 

『シャアッ!!』

 

 僕が声を上げて雫の前に出た瞬間、ヒュンっとリュックが飛んできて、ベンチの上に乗っかった。

 

『よっしゃー!!ナイスシュート!!』

『よくこっから置けたな~!!!』

 

 すぐそばにある、僕らが通ってきたのとは反対側の通路からやかましい声が聞こえてきた。

 見れば、数人の若い男が森の中から出てくるところだった。

 

「あ!!そのベンチ、俺らの荷物置いたから俺らのね」

「・・・は?」

 

 リュックを投げたのだろう、体格のいい先頭にいた男が、ベンチの傍まで来てそう言った。

 僕らが近くにいたのは見えていただろうに、荷物を投げつけて場所を取ろうという横柄な態度に、僕は思わず唖然としてしまった。

 

「いや~!!俺らあっちのグラウンドの方でバスケしてたんだけどさ~」

「せっかく座れる場所あんのに、体動かした後で地面に座るとか嫌じゃん?」

「だからさ、俺らに場所譲ってくんない?」

「・・・・・」

 

 ワラワラと出てきては口々に勝手なことを言う連中に、僕は呆れてとっさに返事をすることもできなかった。

 そんな僕を見て話が進まないと思ったのだろうか?彼らは僕の後ろにいた雫に目をやり・・・

 

「うおっ!?すっげぇカワイイ!!」

「何々?お前らデート中だったりすんの?」

 

 またまたこちらの都合など無視するかのように、無遠慮な視線を向けてきた。

 そして、先頭にいた男はにやけた顔をしながら・・・

 

「いや~!!デートしてたのか~!!そりゃ悪かった!!でも、俺らも疲れてるからさ~!!俺らもここ使いたいんだよね。だから提案なんだけど、キミらも一緒にここ座んない?もちろん、そっちの彼氏クンもさ」

「そうそう!!そうしなよ!!その後もとっておきのコース案内してあげるからさ!!」

「いやいや、それはそこの彼氏クンの仕事だろ~!!ま、こんなクソ暑い日に外に連れ出してるって時点で下手糞だけどさ~!!」

「っ!?」

 

 雫に向けて、虫唾の走る視線を向けながらそう言った。

 後ろにいる連中も、追従するかのように耳障りな声を上げる。

 そんな神経を逆なでするような声と、雫が穢されるような感覚から、僕は反射的に殺気を漲らせ・・・

 

「・・・・・」

「・・・雫?」

 

 殺気を出して威圧しようかと思った瞬間、僕を押しのけて雫が前に出た。

 その突然の行動に僕は意表を突かれ、気勢を削がれる。

 僕からは背中しか見えない上に、顔を俯かせており、その表情はわからなかった。

 

「お!?何々!?キミの方から来てくれるってことはOKってこと~!?」

「いいよいいよ~!!キミみたいなキレイな子と飯食えるとかツイて・・・」

 

 目の前に、美少女の方からやってきたことでテンションが上がったのだろう。

 男たちは先ほどに輪をかけてやかましくなり・・・

 

「失せろ」

「「「・・・っ!!!!!!???????」」」

 

 雫がそう一言言った瞬間、突然喋れなくなったように口を開いたまま動きを止めた。

 その表情はまさしく蛇に睨まれた蛙。

 『人間という種が逆立ちしても勝てない天敵』に遭遇してしまったかのように、顔面を蒼白にして、その身体は震えていた。

 

「聞こえなかったか?」

 

 今の雫は、一切霊力を出していない。

 妖怪の放つ霊力は人間にとって猛毒だが、男たちが怯えているのは、雫が妖怪だからではない。

 

「妾は、失せろと言ったのだ!!疾く消えろ、痴れ者がぁっ!!!!」

「「「ヒッ、ヒィィィイイイイイイイイイイイッ!!!?」」」

 

 雫が顔を上げ、『自分たちに意識を向けたのがわかった瞬間』、男たちは脱兎のごとく走り去り・・・

 

「忘れ物だっ!!」

「グペッ!?」

「か、カネちゃんっ!?」

「お、おい!!カネちゃん連れて早く逃げんぞ!!」

「お、お前は足持てっ!!俺が肩持つからっ!!」

 

 雫が瞬時に投げ放ったリュックが先頭を走っていた男の後頭部にヒットして、崩れ落ちるように気絶する。

 残りの連中はカネちゃんと呼ばれていた男を担いで、森の方へと逃げていくのだった。

 あれほど恐怖していながら仲間を見捨てずに逃げたのを見るに、態度は最悪だったが案外身内には優しいのかもしれない。

 

「フンッ!!不愉快な連中だ・・・あ、ごめんね久路人!!お昼にしよ!!」

「え?ああ、うん」

 

 忌々しそうな声を出しながらも、僕の方を振り返った時には、雫の顔にはいつものように可憐な笑みが浮かんでいた。

 その笑顔を見ながら、僕は思いだしていた。

 

(そうか、これがリリスさんの言ってた、『毒』ってことか)

 

 雫は僕以外にとっての『毒』なのだ。

 それは、血や霊力だけではない。文字通り、存在そのものが毒。

 霊力の絡まない声や視線ですら、僕以外にとって有害なのだ。

 霊力を宿さない人間には、意識を向けられるだけで魂を汚染されるような本能的な恐怖を与える。

 これまでのデートでは、雫が僕以外を見ていなかったから被害が出ていなかっただけ。

 

(今の、完全に僕が人外化してない状態でこれなんだ。僕が人外になって、雫にもその影響が出れば・・)

 

 そうなれば、世界で雫を魅力的に想えるのは僕だけということになる。

 霊力の多い者ならば多少は影響がマシになるだろうが、異性として見れるのは僕だけだろう。

 すなわち、それはライバルなど存在しないということで・・・

 いつの間にか、僕の心には昏い悦びのようなものが滲んでいた。だが、同時に罪悪感もある。

 

(でもやっぱり、それは健全じゃないというか、嬉しいけど、雫はそれでいいんだろうか・・・)

 

 そうして、僕が顎に手を当てて考え込んでいると・・・

 

「・・・ふんっ!!」

「おぶっ!?」

 

 突然、頭をベシンとはたかれた。

 

「え?雫?・・・あ、ごめん、ちょっと考え事してて」

「・・・む~」

 

 顔を向けてみると、雫がむくれたような顔で僕を見ていた。

 

「ねぇ、久路人。さっき言おうとしてたことなんだけどさ」

「は、はい!!」

 

 僕はつい敬語になっていた。

 そんな僕を、雫はじっとりとした目で見つめたままだ。

 

「久路人は、今日誰とデートしに来てるのかな?」

「え?そりゃ、もちろん雫だけど・・・」

 

 当たり前の質問に、僕は当然の答えを返すが・・・

 

「ふーん・・・じゃあ、なんでさっきから久路人は、私じゃない他の人間ばっかり気にしてるの?」

「あ・・・」

 

 雫に言われて、気が付いた。

 

(映画館の時はすぐに暗くなったから気にしなかったけど・・・ここに来てから、僕は雫とほとんど話してない!!)

 

 そうだ。僕は、雫が他の人に見られていることを気にしすぎて、周りの人間の事にしか意識していなかった。

 初デートの最中に恋人から意識を外して他人の事しか見ていないなど、言語道断だろう。

 

「その!!ごめん雫!!せっかくのデートなのに・・・」

「む~、ダメ、許さない・・・・って言いたいところだけど。条件次第で許してあげる」

「え!?いいの?」

 

 だが、雫は少々怒っていながらも、許してくれるとのことだった。

 僕は驚きながらもホッとして、聞き返してしまった。

 

「うん。私以外を見ていたのは気に入らないけど、それって、私が久路人以外にジロジロ見られてるのが気に入らなかったからなんだよね?」

「う・・・!!えっと、その・・・そうです」

 

 言葉にされると、改めて自分の器の小ささというか、気持ちの悪い独占欲に塗れているところを突き付けられているような気分になる。

 なんというか、男らしくないというか、本当に好きな女のことを信じているのならば、もっと堂々としているべきなのだろうに。

 

「ふふっ!!」

「雫?」

 

 そんな風に自分を情けなく思っていると、雫が嬉しそうに笑う声が聞こえた。

 驚いて雫の顔を見れば、雫は本当に嬉しそうに、誇らしそうに笑っている。

 そこに、僕に対するマイナスの感情は見られない。

 

「えっと・・・雫は、その、迷惑じゃないの?気持ち悪いとか思わない?」

「久路人こそ、ご飯に血を混ぜて食べさせてた女にそんなこと聞くの?」

「え、それは・・・」

 

 言われてみれば、世間一般的に見て、やっていたことの気持ち悪さは雫の方が上かもしれない。

 しかし、そんな風にチラリと考えている僕を見透かすように、雫は『本当はね・・・』と続けた。

 

「正直言うとね、久路人はかなり束縛強いというか、重い方なんだと思うよ。普通だったら気持ち悪いって思うかもね」

「う゛・・・」

 

 グサリと、言葉が胸に刺さるようだった。

 実際に物理的に何かが刺さったわけでもないのに、僕は胸に手をやり・・・

 

「でもね・・・」

「え?」

 

 しかし、雫はそんな僕をやはり嬉しそうに笑いながら見て、言った。

 

「そんな久路人だからいいの。そんな気持ち悪い久路人だから、安心できるの。『ああ、こんな束縛強くて独占欲も強くて重い人の相手が務まるのは世界で私だけなんだ』って。だって、私も同じだから」

 

 僕の目を正面から見据えて、僕の心に届かせるように、雫は言葉を重ねる。

 

「私は久路人が好きだし、久路人が私のことを好きなのも知ってる。久路人が、私以外に目を向けないって自信だってある。でも、だからって久路人に他の雌がベタベタするようなことがあったら・・・例え相手が何の力もない人間でも、私は殺すよ?取られないからって、汚されないわけじゃないんだから」

 

 雫の顔に浮かぶ笑顔の質が、少しの間だけ変わった。

 心から嬉しそうな朗らかな笑顔から、ドロリと擬音が聞こえてきそうな、粘ついたコールタールのような熱を帯びたソレに。だが、それはほんの一瞬だった。すぐに、元の普通の笑顔に戻りつつ、湿り気を含んだ眼を僕に向ける。

 

「・・・どうせ、『男ならもっとドッシリ構えてなきゃ』とか、『僕は女々しい』とかそんなこと考えてたでしょ?」

 

 図星だった。

 いつの間に雫はサトリ妖怪の力を手に入れたのだろうか。

 

「そりゃあ、まあ。男がそんな風に考えてるのって、なんか情けない・・・」

「はい!!そんな考え方は古いよ!!時代は男女平等!!男だから~なんて言わないの!!」

 

 雫は、僕の言いかけた言葉を遮ってまくしたてる。

 

「大体!!普通の女はどうか知らないけど、私からすれば、ちゃんと目に見える形で嫉妬とかしてくれた嬉しいの!!『私のこと、ちゃんと自分のモノにしたいんだっ!!』って分かるから。逆に、何もなかったらそれこそ寂しいよ」

「雫・・・」

 

 それは、まごうことなき雫の本音だった。

 長年一緒にいて、つい先日には心の底からの想いをぶつけ合ったからこそ、間違えることはない。

 

「だから!!久路人は自分を情けないだなんて思わなくていいし、思って欲しくない!!私自身が毒になったことだって気にしなくていいの!!さっきみたいなクソゴミを追い払うのにも便利だし!!・・・逆に聞くけど、久路人は私以外の雌に絡まれて私と関わる時間が減るのと、自分の体臭が私以外にとって毒ガスになるの、どっちがいいの!?」

「雫と一緒にいられる時間を無くすぐらいなら、僕はスカンク並みの体臭になってもいい」

「でしょ!?だから、私はむしろ気に入ってるんだから!!」

 

 雫からの問いに、僕は考えることなく反射で答えていた。

 僕だって、雫と同じ立場なら、雫さえ嫌わないでくれるなら、どんな体臭になろうが知ったことではない。

 

「ふ~・・・色々言ったけど、とにかく!!久路人は他の人間のことを気に過ぎだし、自分のことも卑下しすぎで、私に対して気も遣いすぎ!!もっと私とイチャイチャすることだけを考えて欲しいの!!自分を責める暇もないくらいに・・・とりあえず、ここでお昼食べたらまた他の人間からは見えないようにするからね!!」

「雫・・・うん、わかったよ」

「分かればよろしい!!」

 

 僕が返事をすると、雫はそれまでの不満気な表情を崩して、にっこりと笑った。

 どうやら、雫も言いたいことを言い終えたようだ。

 姿を見えなくすることについても、午後の予定を考えれば別に問題はない。

 

「でも、久路人もこれで私の気持ちを分かってくれたよね?それが、これまでずっと私が抱えてたのと同じ気持ちなんだからね?」

「え?」

「だから、嫉妬しちゃう気持ちのことだよ。久路人は今日になって分かったみたいだけど、私はこれまで久路人の周りに人間の雌が来たり、久路人の血が目当ての妖怪が襲ってきたときには、さっきまでの久路人みたいになってたんだから」

 

 さっきまでの僕は、嫉妬と恐怖を抱えていた。

 雫は、客観的に見ても世界最高峰の美少女と言っていいだろう。

 雫が言ったように、僕も雫が心変わりをするとは思わないが、世の中何が起こるか分からないということは、九尾やら吸血鬼のことで身につまされている。

 つまり、雫が僕の傍からいなくなる可能性というものを、雫に注目が集まることで、つい考えてしまったのだ。

 だが、僕の体質で起きた事件を振り返ってみれば、雫が僕のようなことを考えてしまったのは、一度や二度ではないだろう。

 

「雫は、すごいね・・・僕は今日だけでも大分きつかったのに」

「ふふんっ!!そうでしょ?すごいでしょ?やっと分かってくれた?」

「うん。よくわかったよ」

 

 改めて、目の前の恋人を真正面から見る。

 自分は、こんな美少女を嫉妬に狂わせるほどに好かれているという幸運をかみしめながら。

 その時だった。

 

 

--ぐぅ~・・・

 

 

「あ・・・」

 

 僕のお腹から、低い音が聞こえた。

 時刻はもう正午を回ってしばらく経っている。

 いい加減、お昼にしないとこれからの予定に差し支えるだろう。

 

「ごめん雫、そろそろお昼にしたいから、お弁当もらってもいいかな?」

 

 そこで、僕はお弁当を作ってきたという雫にお昼を催促し・・・

 

「ヤダ」

「ええ!?」

 

 雫は、僕の視界から隠すように、雫は抱えていたリュックを背中に隠した。

 

「雫、なんで・・・」

「久路人、私言ったよね?『条件次第で許してあげる』って。まだ、許すなんて一言も言ってないよ?許してあげるまで、ご飯抜きね」

「そ、そんな・・・そ、それじゃあ、その条件っていうのは?」

「ふふ、それはね、さっきまで話してたことかな?」

「さっきまでの?」

「うん」

 

 さっきまで話していたことと言えば、要は『雫と仲良くすることだけを考えて欲しい』ということだが・・・

 

「そう!!私とイチャイチャする・・・つまり、私を久路人だけのモノにして、久路人が私だけのモノになるのが最低ライン!!そこまで行けば、久路人だっていちいち自分を情けないだなって思わなくなるよね?自分の大事なモノを、自分以外に触らせたくないって思うのは当たり前の事なんだから」

「え?そ、そうなの?」

「そうなの!!」

 

 そんな単純なものだろうか?

 まあ、雫に入れ込みまくれば、そんなことを気にする暇もなくなるというのはそうかもしれないが。

 

「コホンッ!!・・・そういうわけで、私は証が欲しいの!!私が、久路人だけのモノなんだっていうことと、久路人が私専用っていうことの証!!それをくれたら、許してあげる」

「・・・証」

 

 ドクンと心臓が波打ったような気がした。

 思わず、僕はバックの底を外側から撫でる。

 もしや、雫は僕が『証』を示すピッタリなモノを持っているのに気付いているのではなかろか?

 

(いや、それはない!!雫なら、もっとそういうシチュエーションはこだわるはず!!こんな話をするにしても、もっとデートの終盤まで待つはずだ!!)

「・・・久路人?」

「いや、そうだね」

 

 僕の反応が鈍いのを不安に思ったのか、雫は上目遣いで僕の顔を覗き込んできた。

 それと同時に、僕は『証』を今ここで渡すのは早いと判断を下す。

 

(『証』はまだ渡せない)

 

 しかし、その不安げな顔を放っておくことなどできるはずもない。

 そんな一瞬にも満たない板挟みを味わった直後、僕は本能に任せて動いていた。

 

「・・・ん」

「っ!?」

 

 気が付けば、僕は雫の腰に手を回して抱き寄せていた。

 そのままごく自然な動きで雫の顎を上げ、僕の唇と雫の唇を重ねる。

 

「「・・・・・」」

 

 そうして数秒経った後、僕は雫から離れた。

 カーッと、顔に血が集まって熱くなっているのが、鏡を見なくても分かった。

 

「えっと・・・今のが、僕なりの答えなんだけど、ダメ、かな?これで、雫を僕のモノに、っていうか、その」

「・・・ふぇっ!?あ、その、ちょっ!!・・・・・だ、大丈夫!!問題ナッシング!!」

「そっか、よかった」

 

 雫の顔を見ると、耳まで赤くなっていた。

 今にも湯気が出そうである。

 とりあえず、これでお昼を食いっぱぐれることはなさそうだ。

 

「ま、まさかいきなりこんな風にキスされるなんて・・・久路人、大胆」

「あはは・・・いや、雫に証を付けるなんて言ったら、今ここでできるのはアレしかなかったかなって」

「そ、そうなんだ・・・私はてっきり、言葉で約束してくれるんだって思ってたんだけど、想像以上だったよ・・・」

 

 顔を赤くしたまま、僕らは目線をチラチラと外したり合わせたりしながら会話する。

 正面から見つめ合うのが、今は恥ずかしくなってしまったのだ。

 そうやって、あっちを見たりこっちを見たり、目のやり場に困っていると、気付いた。

 

 

--ザワッ・・・

 

 

「「「「「・・・・・・」」」」」

 

 いつの間にか、広場のあちこちから視線を向けられていた。

 

「あ・・・」

「う・・・」

 

 その視線は、これまでのように雫を物珍しく見るようなものではない。

 その対象は僕と雫の二人ともで、視線の温度はやけに生暖かったが。

 だからこそ、僕らとしても殺気を出したり威圧したりといったことはできなかった。

 

「と、とりあえず!!お昼にしよっか!!おなか減っちゃったし!!」

「そ、そうだね!!私も許すって言ったし!!お弁当出すね!!」

 

 だがしかし、せめてもの抵抗と言わんばかりに努めて周りを見ないようにしつつ、僕らはベンチに座って、雫の取り出した弁当箱に手を付けるのだった。

 

 

------

 

 

--パチパチパチパチ・・・

 

 暗い部屋に、4人分のスタンディングオベーションが響き渡る。

 

「ブラボ~!!おお、ブラボ~!!」

「・・・あのごろつきどもが出たあたりでどうなるかと思いましたが・・・けがの功名と言うべきでしょうか」

「ああ、そうだな・・・なんというか、久路人のヤツ、男になったな・・・」

「ええ。まさか公衆の面前であそこまで大胆な真似ができるとは、予想外です」

「おいメア、録画はしっかりとったんだろうな?」

「あまり私を馬鹿にしないでいただけますか?すでに複数の記憶媒体に保存済みです」

 

 一時は。具体的にはあの荷物を放り投げた男が現れた時点で、この4人の思考は高速で回転していた。

 すなわち、『不安要素を排除する』か『場を盛り上げる舞台装置として利用する』かという決断だ。

 もしもデートの雰囲気を致命的にぶち壊しにするようなら、殺しはしないがかなりの強硬手段に出る予定であった。

 だが、結果を見れば久路人が真昼間から多くの人間がいる広場で雫にキスをしたという、これまた漫画のワンシーンのような状況だ。

 あの男たちは、その幸運に感謝すべきだろう。

 

「・・・しかし、ここまで来ればもう我々が見張る必要はないのではないでしょうか?」

 

 ひとしきり久路人のファインプレーをほめたたえた後、朧はポツリと口に出した。

 

(・・・京さんたちにとって、久路人君は大事な息子。見守りたくなる気持ちはわかる。しかし、これ以上出羽亀をするような真似は・・・)

 

 京が二人をくっつけることに、これまでほとんど見たことがないくらいのやる気を出した時点で、朧はやりすぎを警戒していた。

 これまでのことがあったために監視をするのは分かるが、あまりにも出過ぎた真似をするのは、いくら気付かれていないとしても褒められたものではないだろう。

 ここから先は、密かに尾行させている京の術具を持ったリリスの使い魔を広域警戒に切り替えて、二人はそっとしておくべきだと思ったからこその提案だったが・・・

 

「は?」

「お前頭湧いてんのか?」

「朧!!空気を読みなさい!!」

 

 返ってきたのは、妻も含めた3人の罵倒だった。

 

「ここまで来て途中下車ができるかよ!!」

「こんな二次元の具現化のような状況、そうそうお目にかかれるものではありません。お二人の結婚式で流す映像の確保のためにも、監視は必須です」

「そうよ!!こんな胸キュンする作り物じゃないラブロマンスなんて、一生で何回見られると思ってるの!!」

「・・・・・」

 

 それを聞いて、朧は目を瞑って、心の中で呟いた。

 

(・・・済まない、久路人君、水無月さん。自分には、この人たちは止められないようだ)

 

 正直に言って、朧としても先が気になるのは分からないでもない。

 だが、どうにも胸騒ぎがするのだ。

 それを止める機会を失ったような気がして、朧は二人に謝るのだった。

 

------

 

「わぁ~!!」

 

 公園のベンチに座って弁当箱を開けた瞬間、僕はつい声を上げてしまった。

 

「ふふふ!!今日ばかりは、栄養バランス無視で、久路人の好きなモノだけ詰め込んでみました!!」

 

 雫の言う通り、弁当箱に入っていたのは僕の好物ばかり。

 雫特製の唐揚げ弁当であった。入っているお米は真っ赤なケチャップライス。しかも、雫は汁物用の箱も準備しており、そちらにはビーフシチューが入っている。

 

「すごい美味しそうだよ、雫!!」

「美味しそう、じゃなくて、ちゃんと美味しいよ。しっかり味見したもん。久路人の好きな味にできてるよ・・・さ、召し上がれ」

「うん!!いただきます!!」

 

 手を合わせ、周囲にバレないように雷の付与で弁当箱を温めた後、僕は唐揚げを摘まんで口に入れ・・

 

「うん!!本当に美味しい・・・・あれ?」

 

 雫の言うように、しっかりと僕の好きな味だった。

 口の中に入れた瞬間、油と鶏肉の旨味がジュワっと広がるのが分かる。

 しかし、それと同時に別の感覚もしたのだ。

 

「久路人?どうかした?・・・もしかして、味付けよくなかった?」

「いや、そんなことないよ。すごい美味しい。けど・・・」

 

 口の中で唐揚げを噛みしめる。

 肉汁と油が広がって、それが絶妙な火加減で揚げられ、最適な水分を残していたのだと分かる・・・いや、そうだ。水分だ。

 

「もぐもぐ・・・雫、もしかしてなんだけど」

「うん」

 

 ゴクリと唐揚げを飲み込んでから、僕は雫に答え合わせをすることにした。

 

「いつもより、雫の血がたくさん入ってない?」

「あ!!分かるの!?」

 

 そう、この唐揚げ、どうにも衣がウェットなのだ。

 それそのものはおかしいことではない。僕はカリっとした衣も、ウェットな衣も両方とも好きだから。

 しかし、衣に含まれていた汁気が口の中に広がったとき、それらが体にしみ込んでいく感覚がいつもよりずっと強かったのである。

 

「なんとなくだけどね。味には感じないけど、僕の身体に入り込んでくるのがわかるっていうか・・・」

「そ、そうなんだ・・・」

 

 言いながら、僕は次の唐揚げに箸を伸ばし、ご飯もかき込んで頬張る。

 そうすると、さっきよりも感じられる量が増えた。

 そんな僕を見て、なぜか雫は顔を赤らめながら、体をもじもじと小刻みに揺らしている。

 

「あ!!ご飯もだ。ケチャップライスにしては赤いなって思ってたけど、これって、血でといだりした?」

「うん・・・とりあえず、唐揚げ用に右腕。御飯用に左腕から絞ったんだけど」

「なるほど。道理で・・・じゃあ、そこのビーフシチューも」

「そっちは、両足使ったかな。汁物だから」

 

 さっき、これは雫特製弁当だと思ったが、それはこれ以上ない正解だったらしい。

 この弁当を改めてみると、全体的に赤い。

 まさしく、これは雫そのものが籠った弁当であった。

 

「む~・・・雫、前も言ったけど、あんまり痛そうなことはしないでくれよ?せっかく作ってくれたし、美味しいからこの弁当は全部食べるけど」

「・・・その、久路人に早く人外になって欲しいって思って。でも、久路人がそう言うなら」

 

 唐揚げの合間にビーフシチューを掬って飲む僕を見て、雫は少しばつの悪いような目をしていた。

 

「じゃあ、今度から注射器かなんかを使うのはどうかな?昔僕が血をボトルに入れてたみたいに」

「え~!!それじゃあ、あんまり量が取れないよ」

「う~ん・・・そもそも、血をたくさん抜くって言うのがあまりよくないことだからなぁ」

「久路人、私これでも大妖怪だよ?腕なんて切ってもすぐ繋がったり生えてくるんだから、そんなに気にしなくても・・・」

「ダメだよ!!雫がよくても僕が受け入れられないの!!別に雫の血を一緒に食べるのはいいけど、雫が痛そうなのは嫌だ!!」

「も~!!久路人はそういうところ本当に頑固なんだから・・・そんな久路人には、はい!!あ~ん!!」

「むぐっ!?」

 

 会話の流れが自分に都合の悪いものになったのを察したのだろう。

 突然、雫は僕の口に唐揚げを突っ込んできて、僕は仕方なしに黙らざるを得なくなるのだった。

 

 

------

 

 二人して、真っ赤な弁当に手を付けつつ、和気あいあいと話す。

 恋人が話そうとしているタイミングで、狙いすましたように『あ~ん』を決め、『してやったり』という顔をする雫と、『しょうがないなぁ』という表情をしながら咀嚼する久路人。

 それはまさしく、恋人たちのデートワンシーンにふさわしい光景であった。

 ・・・弁当の素材と、そのおぞましい正体に気が付きながらもまったく気にしていないという歪さに目を瞑れば。

 

「じゃあ、今度注射器買いに行こうか?それか、おじさんに頼んで作ってもらおうかな・・・」

「それなら、久路人に買ってもらう方がいいかな~・・・私の血を抜くものなら、久路人に選んで欲しい」

「確かに、そうだね・・・じゃあ、おじさんに言って作り方を教えてもらおうかな・・・」

 

 ついでに、その会話の内容も。

 さらに言うなら、まったくもって普通の久路人と、ハァハァと微妙に息を荒くして顔を紅潮させた雫の表情の対比も、世間一般の恋人どうしの在り方から大幅にズレたものである

 しかし、二人の顔には自然な笑みが浮かんでいた。

 お互いに幸せそうに飲み、食い、話す。

 それができるのであれば、二人にとってそのようなことなど何でもない些事ででしかないのだから。

 

------

 

「「「「・・・・・・」」」」

 

 部屋の中は、沈黙で満ちていた。

 しかし、やがて一人の男がどこか引きつったような声で口火を切る。

 

「おい朧。お前、今でもこれ以上尾行するのは止めた方がいいと思うか?」

「・・・いえ」

 

 吸血鬼の究極の食糧庫たる朧にとって、血を提供するのは日常であるし、誇り高い役割であるとすら思っている。

 しかし、それが人間にとって異常であるということは分かっているし、直接吸わせるのならばともかく、わざわざ手足を切って、そこから溢れた血を唐揚げに加工して気付かれないように食わせるなど変態の所業だと思う。しかも、わざわざ初デートの場で、一般の目がある状態でやるなど狂気の沙汰だ。

 そして、それを知りながら気にも留めない青年もまた、違うベクトルの変態だろう。

 

(・・・済まない、久路人君。やはり自分は、君たちの行動を見届けなければいけないようだ)

 

 

--この変態たちが、次にどんな行動をとるのか目を離してはいけない

 

 

 霧間家の当主として、長く治安を守ってきた生真面目な朧は、さっきとは別の理由で、心の中で二人に謝るのだった。

 

 




最近リアルで異動があって、地味に辛い・・・
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