白蛇病恋譚~拾った妖怪に惚れて人間やめた話   作:二本角

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長らくお待たせして大変申し訳ございませんでした。
リアルの仕事の方で色々ありまして、正直今月もヤバめです。
来週とか土曜仕事の後に日曜ゴルフとか過密スケジュールです!!

でも、この小説は後2、3章は続ける予定ですし、読者の皆様の前に私自身が最後まで見たいと思っているので、よほどのことがない限りエタはない・・・はずです。

後、続けての謝罪ですが、やっぱり後1話延長です・・・


NTR本に学ぶ

「・・・・・」

 

 真新しい壁紙に覆われた居間の中で、壁と同じく新調されたばかりのソファに座りながら、僕は何とはなしに天井を見上げていた。

 

「はぁ~・・・」

 

 思わず、ため息がこぼれる。

 もうこの数日で何度ため息を吐いたことだろうか?

 時刻は午前10時近く。もうすぐ熱さが頂点に達し、蝉の声も少しだけ鳴りを潜めるころだ。もうそろそろ昼食の準備をしなければいけないのだが、そんな気力もない。お腹もすいていないし、今日はこのまま食べなくてもいいかと思っていると・・・

 

「あ・・・」

「・・・・・!!」

 

 ガチャリと居間に続く扉が開かれて、見慣れた銀髪が目に飛び込んできた。

 その紅い瞳と目が合うと、僕と今来たばかりの彼女はピタリと動きを止める。

 

「く、久路人、こっちにいたんだ・・・」

「し、雫こそ、いつもなら部屋でゲームとかしてるころだよね、あはは・・・」

 

 1週間前ほどにデートをして、誓いの指輪を渡し、婚約までした相手である少女。

 彼女は、僕がにとってこの世界で一番大事な女の子であり・・・

 先ほどのため息の原因でもあった。

 

「えっとほら、今日は天気もいいから、部屋の中だけだと勿体ないって思って・・・く、久路人はなんでここに?」

「え?ぼ、僕は、もうすぐお昼だから準備でもしよって思って。この離れは建てられたばっかだし、台所はもっと慣れておきたいかなって」

「そ、そうなんだ・・・な、なら!!私も手伝うよ!!久路人にだけ任せるの悪いし!!」

「い、いや大丈夫だって!!朝は雫に任せきりなんだから、その分僕がやるからさ!!」

「そ、そう?ならお願いしよっかな・・・あはは」

 

 ぎこちない会話を交わしつつ、雫もソファに腰掛けた。

 僕と一人分のスペースを空けて。

 

「「・・・・・」」

 

 そのまま、僕らは無言になる。

 たまらず僕は立ち上がって台所に行こうとしたが・・・

 

「「あ・・・」」

 

 雫も同時に立ち上がって、僕を見ていた。

 再び、紅い瞳と目が合う。

 

「の、飲み物持ってくるけど、久路人は何飲むっ!?」

「そ、それじゃあ、緑茶で!!」

「わかったぁっ!!」

 

 僕が何かを言う前に、雫に先を越されてしまった。

 飲み物を頼んでおきながら昼食の支度をするのもおかしいので、僕はそのままもう一度ソファに座り・・・

 

「はぁ~・・・」

 

 小さな声で、ため息を吐いた。

 

「どうして、こんなことに・・・」

 

 あのデートから1週間。

 僕と雫の間には、奥歯に物が挟まったような気まずい空気が漂っていたのであった。

 

------

 

 事の始まりは、京たちが久路人と雫のデートを監視していたのがバレたことだ。

 

「本当に何考えてんだよおじさん!!」

「待て!!落ち着け!!最近色々物騒だったのは確かだろ!?万が一の護衛ってやつだよ!!」

「それは分かるけど、家の中まではいらないだろ!!」

「それは俺じゃねえ!!メアのやつが・・・」

「うわ・・・早速の責任転嫁。最低ですね」

「オメーの方が最低だろうがよ!!」

 

 雫がリリスたちを連れて説教しに行った後、久路人は屋根裏で京に食って掛かっていた。

 だが、それも当然と言えば当然だろう。人生初のデートの最期に無粋な茶々を入れられたのだから。

 京の言う通り最近になって結界内でも襲われることがあったために蔭ながら護衛する必要があるのはわかるが、流石に家の中はやりすぎだ。もしもあの妨害がなかったのならば今頃は・・・

 

(なんてこった・・・これじゃあヤるどころじゃねぇぞ)

(不覚です。精神がまだ安定していない状態であそこまで熱くなってしまった時点で失策でしたか)

(お前には色々言いたいことはあるが、それは今は放っておく。最優先は・・・)

(ここからどうやって当初の目的を達成させるか、ですか)

 

 久路人と話しながらも、京は念話でメアとやり取りをしていた。

 その話題は現状からのリカバリーについて。

 事ここに至って、京たちは自分たちの作戦が失敗に終わったことを悟った。

 ならば、それを嘆くよりもどうやって軌道修正するか考える方が建設的なのは明らかだ。

 まあ、メアには後で京からの説教が確実に待っているが。

 

「聞いてるのっ!?おじさんっ!!最後の最期で何てことしてくれるんだよっ!!」

「だぁっ~!!悪かった悪かった!!俺が悪かったよ!!」

「不甲斐ない主に代わって、私からも。申し訳ございませんでした、久路人様」

「不甲斐ないとか完全に余計だろうが!!」

 

 ひとまず、京とメアは久路人に謝罪した。

 久路人は良識だとかルールにうるさいが、だからこそきちんと反省した場合には追撃はしてこない。

 この場合、京たちの行動には一応の必然性もあったためになおさらである。

 

「とりあえず!!こっから先は監視するときは事前に言うようにするし、家の中では絶対にやらねぇ。そういう内容で契約を結ぶ」

「加えて、新しく離れを建てましょう。今のこの屋敷には隠し通路が多々あります。その必要性からも、逐一埋めてしまうよりも新しく建て直した方がやりやすいですから」

「は、離れ?別に僕はきちんと反省して、これから先の監視について気を付けてくれればいいんだけど」

 

 京たちの予想通り、久路人はすぐに怒りの矛先を緩めた。

 しかし、新しく離れを作ることに関しては怪訝な顔だ。

 

「我々もこの先はこの街に戻ってきますし、寝起きする時は二人きりの方が何かと都合がいいので。それに・・・」

「お前、こっからも雫の血を取り込むつもりなんだろ?だったら、台所だけでも離してくれ。頭下げるから」

「ああ、そういうこと・・・なら、お願いするよ」

 

 久路人も常識として、血を混ぜた食事というものがアブノーマルであることは分かっている。久路人の場合は、それが大好きな恋人のやることだから大幅なプラス補正がかかっているに過ぎない。そして、その体液入りの食事を自分以外の誰かが食すのは気に入らないという思いもある。

 なので、京の提案にすぐに納得した。

 

「おう、任せとけ。この世界最高の術具師たる俺にかかれば、一日で終わらせてやる。あと、本当に悪かったな。デートにケチをつけちまって」

「・・・ちゃんと悪いと思ってくれてるならもういいよ。でも、次やったら本当に怒るからね」

 

 京とメアが反省しているのは事実であり、久路人としてもそれはわかっているのだろう。最初の剣幕を収め、屋根裏から去っていった。

 そして・・・

 

「なんとか、うまくいったか」

「ええ」

 

 久路人が去った後、京とメアはフゥとため息を吐いた。

 

「本当なら、今日のデートの後が最高のタイミングだったが、失敗した以上しょうがねぇ」

「契約で屋敷内での監視はしないと縛るにしても、我々がいると行為に及ぶタイミングも計りにくいでしょうから。ならば、二人だけの空間を作ってしまえばいい」

 

 離れ云々は、京たちの次善の策だ。

 二人をくっつけるには二人だけの空間を用意しなければならず、本来ならば外泊すると言って久路人たちには今の屋敷には自分たち以外誰もいないと思わせていたのだが、バレてしまったのならばその代わりを造らなければならないというわけだ。

 なお、これ以上雫に台所を汚染されたくないという理由もかなりの比重であったが。

 そういうわけで、七賢三位の実力を持つ術具師である京によって、その日の内に月宮家の裏庭の拡張が行われ、いかなる術によってか2階建ての離れができたのである。

 久路人と雫は早速そちらに移ったのであるが・・・

 

((き、気まずい・・・))

 

 場面は現在の離れに戻る。

 久路人はソファに座り、雫は冷蔵庫を物色している。

 そして、今の二人の間に満ちているのは気まずさであった。

 あのデートの後から、顔を合わせるとどうしても考えてしまうのだ。

 

((あの時におじさん(京)たちが覗いてたのに気付いてなかったら、どうしてたんだろう・・・))

 

 二人も立派なお年頃だ。

 そして、その想いは十年近くお互い熟成させてきたモノ。

 普通の恋人たちが歩む道のりを、それまでの年月を燃料にして爆走してしまいそうなほどに膨れ上がっている。

 当然、その途中にはいろんな意味で『結ばれる』こともあるわけで、二人としても内心で興味津々だ。

 

((絶対に、ヤってた・・・いや、ヤれてた))

 

 あのデートは、二人にとって最高にひと時であった。

 途中でいくらか揉めたこともあったが、それすらある種のスパイスとなり、今までの思い出を彩ってくれた。そして、その最後にはこの先も一生傍にいることを誓う証を得たのだ。

 あの時の二人の気持ちは最高潮にあり、特に指輪を渡された雫の心はこれ以上ないほどに燃え上がっていたのだ。

 

(こんなに素敵な指輪に返せるモノなんて、そんなの『私をプレゼント』以外ないじゃん・・・!!)

 

 将来を誓い合う指輪に見合うモノとして、己の全てを捧げる。

 ヘタレな雫であるが、その分大義名分を得た時の行動力はかなりのものがある。

 あの時の雫は、全力で自分自身をプレゼントする覚悟が決まっていたのだ。

 しかし、それは保護者達の無粋な行いによってご破算となってしまった。

 雫も久路人も、現在地から先に進むタイミングを逸してしまったのである。

 こうなると、あのデートが最高のモノであった分、同じくらいムードを作って事に及ぶ難易度は初回よりも高くなる。

 そのハードルに竦んで、今の二人はどちらからも動けなくなってしまっているのだ。

 

(こ、こういうのって男の僕の方から言い出すべき?いや、あんまりがっつくと身体目当てみたいに思われるかも・・・?)

(や、やっぱり女の私の方から誘うのははしたないよね・・・あのデートの後とかならともかく。あ~でも、せっかく買った勝負下着の出番が・・・)

 

 表面上はいつも通りに振る舞おうとしているが、内心は二人ともこんな感じである。

 仕方がないと言えば仕方ないが、双方ともにヘタレであった。

 契約によって監視はされていないが、メアが見ていたら『何を二人ともヘタレているのですか!!特に久路人様!!あのデートに誘った男気はどこに行ったのですか!!』と説教されていただろう。

 だが、ヘタレはヘタレでも、二人には色々と違いがある。

 それはこういったシチュエーションに対する、サブカルチャーを用いた基礎知識の蓄積量だ。

 具体的に言うなれば・・・

 

(はっ!?今の状況って・・・)

 

 雫の脳内に、電流が走った。

 数年前から密かに読み漁ってきた厚みの薄い本に、今の自分たちのような状況に陥ったカップルもたびたび登場してきたからだ。

 だが、その登場人物の未来はと言えば・・・

 

(昔からずっと一緒にいて、恋人になったはいいけど進展がなくてマゴマゴしてるうちに弱みとか握られて寝取られるシチュエーションじゃん・・・!!)

 

 過失でチンピラの腕を折ってしまったり、成金の家の壺を割ってしまうとかなんやかんやで弱みを握られたヒロインがいつの間にやら快楽調教されてるのがほとんどである。

『そんなご都合全開の展開が現実であるかっ!!』とツッコミたくなるようなものばかりだが、生憎雫達の人生はそんなトンデモ展開ばかりであったのだ。NTRフラグをどこで立てているものか分かったものではない。そしてもちろん雫の脳内では・・・

 

(く、久路人がこの先進級して、ゼミの教授に薬盛られたり、飲み会で酒に酔わされてチャラホモにヤられたり、突然現れたホモレイパーに拉致られたり・・・・)

「っ!?し、雫!?なんか急に寒くなったんだけど、どうしたのっ!?」

 

 雫の妄想内ではヒロインのポジションには当然久路人が収まっており、雫がこれまで読んできたNTR本のシチュエーションを追体験させられていた。軽く妄想するだけでも雫にとって胸糞悪くなる話であり、知らず知らずのうちに霊力が高ぶり、冷気が溢れていた。雫が開けっ放しにしている冷蔵庫の中よりも寒い。そして久路人が話しかけるも、一度始めてしまった妄想に取りつかれてしまったのか、どんどん寒さは強まっていくばかりである。ちなみに、新しく建てられた離れには雫の力を抑え込むような結界はなく、その気になれば雫の方から寝込みも襲えるようになっているのだが、雫に実行に移す気概はない。

 

「ねぇ、久路人。酸で溶かすのと、氷らせて砕くのって死体遺棄するならどっちがバレにくいかな?」

「何の話っ!?」

 

 自分に向かって背を向けたまま殺気を漲らせる相手から、突然死体の処分方法について質問されるのはかなり恐怖を感じるのだと、久路人は初めて知った。

 

(くっ!!このままじゃダメ!!このままウダウダしてたら、また何が起こるかわからない!!何かやらなきゃ、何か・・・)

 

 現状のにっちもさっちもいかない状況に焦りを覚えつつも、さりとて打開手段を思いつかない雫であったが、久路人からの頼みごとは果たそうと緑茶のペットボトルを手に取り・・・

 

「あ」

 

 上の空であったからか、ペットボトルを落としてしまった。

 いつもならば落とすことはなかっただろうし、落としてもすぐにキャッチできただろうが、ペットボトルはゴロゴロと転がって、テーブルの下にまで行ってしまった。

 

「あれ、落としちゃったの?なら僕が・・・」

「いいっていいって!!久路人は座ってて!!」

 

 転がっていった先は久路人の方が近く、久路人が立ち上がって取ろうとするも、雫はそれを遮って久路人の前にまで回り込んでから四つん這いになり、テーブルの下に潜った。

 

「む~・・・結構奥の方にあるね」

「ちょっ、雫!?」

 

 バッと久路人が動くような気配を感じつつも、そのままボトルを取ろうとしたが、そこで雫は気付いた。

 

(なんか、視線を感じるような・・・?)

 

 見られている。

 誰かの視線が、自分に向けられているのを感じる。

 具体的に言うと、自分の臀部の辺りに。

 だが、不思議と嫌悪感は感じない。

 

(まさか、京?いや、あいつらは契約でもう私たちを監視できないはず。それに、なんか嫌な感じはしないし・・・え?じゃあ、今見てるのって・・・)

 

「・・・・・・」

 

 今の京たちは契約で事前の勧告なしに監視はできない。

 リリスたちもそれは同じだ。

 ならば、今の自分を覗くことのできる者など、それも雫に嫌悪感を与えることなくできる者は一人しかいない。

 

(く、久路人!?というか、私今・・・)

 

 雫はそこで、今の自分の体勢について自覚した。

 久路人の目の前で四つん這いになった状態から上半身を床に寝かせ、尻を突き上げているような体勢だ。

 幸いというべきか、雫が普段身に着けている白い着物は丈が長いために下着が見られることはないが・・・

 

(め、雌豹のポーズっ!?私今、久路人の目の前で雌豹のポーズしてるっ!?)

 

 雌豹のポーズとはグラビアアイドルが写真集なんかでやっている扇情的なポーズのことだが、雫は図らずもそんな恰好を久路人に見せつける形になっていた。まあ、上半身はテーブルの下に隠れているので下半身だけだが。

 

(な、なんて恰好をっ!!い、今すぐっ・・・いや、待てよ?)

 

 ヘタレな雫はすぐにテーブルの下から這い出そうとしたが、ピタリと動きを止めた。

 

(これって、チャンスなんじゃないの・・・?)

「・・・・・」

 

 こうしている今も、自分に久路人の視線が向けられているのを感じる。

 自分の臀部に、刺すような目線が久路人から放たれてるのが分かる。

 それはすなわち・・・

 

(く、久路人が、私のお尻に、その、こ、興奮してるってことだよね・・・)

 

 久路人が雫に欲情しているということだ。

 久路人もまた、今の雫との中々進まない関係に思うところがあるのだろう。

 

(わ、私から誘うような真似ははしたないからできないって思ってたけど、ぐ、偶然なら仕方ないよね。降ってわいたこのチャンスを逃す方がもっとダメだよ)

 

 偶然そうなったという大義名分ができたことで、雫の中にあった羞恥心という枷が緩んだ。

 

「あれ~?思ったより遠くにあったな~?中々手が届かないよ~」

「そ、そうなんだ・・・」

 

 雫はやや棒読みになりながらも、何も動きがないのは不自然なので少しだけ前に進みつつ、左右に体を揺らしてみる。

 すると、久路人の座るソファが軋むような音が聞こえてきた。

 自分に向けられる熱い視線も尻の動きを追いかけるように揺れる。

 

「えいっ!!」

「っ!?」

 

 あっちにフリフリ。

 

「よっ!!」

「・・・っ!!」

 

 こっちにフリフリ。

 

(こ、これ、なんか、すごくイイ!!)

 

 体を動かすたびに久路人の動きも変わるのが分かる。

 だんだんと、視線に籠る熱が上がっていくのも感じられる。

 自分の好きな人が自分の身体に夢中になっていることそのものが、雫の中にある自尊心やら独占欲、征服欲を満たしていく。

 久路人以外の男ならば生理的に無理だが、久路人にならばどれほど視姦されようともご褒美にしかならない。

 

「ハッハッハッ・・・」

「・・・・・!!」

 

 いつの間にか、雫の動悸が荒くなっていた。

 体中の血液がガソリンに変わったかのように熱を帯びている。

 久路人に見られている臀部からも熱が伝わったかのように、下半身の一部が燃え上がるように熱くなった。

 

(くっ!!こんなことならミニスカートに着替えとくんだった!!でも、よ、よし!!このまま久路人を誘惑して、そのまま・・・!!)

 

 時刻はまだ正午前。

 昼の光が燦燦と降り注いでいて若干ムードに欠けるが、この状況を見逃すことなど考えられなかった。

 このままいけば辛抱たまらなくなった久路人が理性の枷を外して獣となって、今も獲物を狙うような目を向けている自分に襲い掛かり・・・

 

(はっ!?)

 

 しかし、そこで雫は致命的な見落としに気が付いた。

 

(私、シャワー浴びてない!!)

 

 ここ最近は蒸し暑く、部屋の中にいても汗ばむほどだ。

 さりとて、能力を使うほどかといえばそれほどでもない。

 結果、雫はわずかに汗を含んだ服を着ているわけである。

 

(ど、どうしよう!!このままじゃ久路人に臭いって思われちゃう!!)

 

 突発的に起きたラッキーではあるものの、だからこそ準備が足りていない。

 勝負下着こそ身に着けているが、そんな一級品の装備も臭かったら台無しだ。

 いや、ある程度経験を積んでいたらお互いの濃厚なエキスに塗れながら致すというのも乙なモノかもしれないが、初めてでそれは流石に嫌だった。

 

(でも、でも!!このチャンスを捨てるのも・・・!!)

 

 テーブルの下で、雫は深く葛藤した。

 この千載一遇のチャンスを捨てて理想を追い続けるか。

 あるいは妥協してこのまま久路人と一歩先に進むか。

 

(そんなの、そんなのって!!どうしたらいいの、私~~!!)

 

 思わず肘を床に付き、頭を抱えて首を振る。

 それに釣られて下半身も動き、久路人の視線も誘導されているのだが、雫はそれには気づかなかった。

 究極の選択を突き付けられ、ただただ身もだえすることしかできなかったのだ

 そして、雫の振る腕が、椅子に当たってその脚を動かし・・・

 

「って、あぁ~~っ!!?」

「うおっ!?し、雫っ!?」

 

 テーブルの下に入り込んでいたボトルは椅子に突き動かされ、再びコロコロと転がっていった。

 まるでピタゴラスイッ〇のようにボトルはガンガンとその辺の物に当たって、テーブルの下から出ていった。

 

「あ・・・」

「え・・・」

 

 慌てて雫が机の下から這い出した時、ボトルは何の因果か、久路人の足元に到達していた。

 

「うう・・・」

「えっと・・・と、とりあえず、飲もっか?」

「うん・・・」

 

 瞳に涙を浮かべて悔しそうな顔をする雫と、ボトルを手に持ったまま先ほどまでの自分の変態じみた行動を思い出して後ろめたくなった久路人。

 何ともいたたまれない空気になった二人は、それを誤魔化すようにお茶にすることにしたのだった。

 

 

------

 

 

 時間的にも丁度良かったのでお茶と一緒に昼食も食べた後のこと。

 そのまま居間を出るのも露骨に避けているようなので憚られ、あまり近くにいるのも気まずいという歯がゆい状況の中。

 

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 

 二人はひたすらに自分の手に持ったスマホの液晶を見つめていた。

 お互いにソファに腰掛けてはいるが、やはり二人の間には一人分のスペースが空いている。

 

 

--カチカチカチ

 

 

 部屋の中には、二人が時折画面をタッチする音だけが響いていた。

 二人の間に会話はなく、そのまま重苦しい空気だけが流れていく。

 

(くっ!!あぁ~~~っ!!もうっ!!)

 

 

 そんな中、雫の心は荒れ狂っていた。

 

(私の馬鹿!!なんであそこで迷ったの!!あのまま焦らずに続けていれば今頃は、今頃ぉ・・・!!)

 

 ひたすらに、その心の中で逃がした魚のことを悔いていた。

 あそこで余計なことを考えずに目的を達成することに集中していれば、今頃この居間で雫の人生初の運動会が開催されていたに違いないと、雫は己の行いを呪っていたのだ。

 

 

--カチカチカチ

 

 

 先ほどまでと変わらず、スマホを触る音だけが鳴る。

 

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 

 さっきまでギラついていた久路人の視線も、今はその画面にだけ向けられていた。

 

(むっ!!)

 

 そして、それは雫にとってひどく腹の立つことだった。

 

(む~~っ!!久路人!!さっきまであんなに私のお尻見てたくせにっ!!・・・もしかして、ネットでエロ画像とか見てるんじゃないよね?)

 

 せっかくの二人だけの空間。

 さっきまで部屋に満ちていた熱い高揚感。

 けれども、今の久路人はそんなことはなかったとでも言うように、すました顔でスマホをいじっている。

 相手が無機物だと言うのに、雫は久路人の視線を独占しているスマホに嫉妬の念を向けていた。

 なお、同じようにスマホを見ている自分のことは完全に棚に上げている。

 

(まったく!!久路人には危機感が足りてないよ!!いつ私たちのツーショットとか撮られて、『これバラされたくなかったら、わかってるよなグヘヘ』みたいな展開になるのかもわかんないのに!!久路人って結構人がいいし、弱みとか握られたら周りに迷惑かかると思って黙ってそうだし!!最近はNTR本の方がよく売れてるし!!本当に今のシチュエーションなんてNTRモノの王道・・・ん?)

 

 相変わらずこれまで読んできた薄い本によって蓄積された知識によって嫌な想像ばかりが雫の脳内に浮かんでは消えていく。京が見ていたら、『同人誌に脳みそ寝取られてんじゃねぇよ』と言われるだろうが、そこで雫に本日二度目の電流が走った。それは、一度目の同人誌のシチュエーションをさらに深く考察したからこそ至ったモノ。

 

(・・・考えてみれば、NTR本もエロ本の類。ということは、その中で竿役とヒロインは致しているのは間違いない。ただ、その相手が竿役になっているだけ。ならば何故、竿役はそこまで展開を持っていくことができた?)

 

「・・・・・」

「・・・?」

(え?雫、どうしたんだ?まさか、さっき僕が雫に変な眼を向けていたことに気付いて・・・?)

 

 急にスマホをいじる音がしなくなり、ふと不思議に思った久路人が雫を見るも、雫は虚空を睨んだまま真剣な顔で何やら考え事をしていた。

 久路人は己の行いはバレたのではないかと思うも、それを正面から聞けるわけもない。結果、それまでのように黙っているしかないが、それでも雫をチラチラと見やる。

 しかし、雫は久路人の向けていた視線のことなどとっくに気付いていたし、その脳内はさらに先を見据えて高速で回転をしていた。久路人が自分を見ていることにすら気づかないほどに集中して。

 

(要するに私としては、竿役のやった手法を久路人にやってもらえればいい。竿役を久路人に置き換えるようにすればそれでいい。では、どうやって竿役はヒロインにその毒牙をかけた?思い出せ、私!!今こそメアより渡された10万3千冊の薄い本の知識を活かす時!!・・・そうだっ!!)

 

 そこで、雫はスッと立ち上がった。

 

「し、雫?どうしたの?」

「・・・・・」

 

 久路人が声をかけるも、反応はない。

 しかし、その顔は熱に浮かされたように高揚感に満たされていた。

 相手が雫でなければ、不気味さのあまり久路人は武器を抜いていただろう。

 

「雫?」

「・・・久路人」

「っ!?」

 

 二度目の呼びかけに、雫は応えた。

 しかし、自分の方を向いた雫の眼を見た瞬間、久路人の身体に震えが走った。

 

「私、ちょっと二階に行って休んでくるね?」

 

 その眼は、煌々と紅く輝き、危険な色に染まっていたからだ。

 

(な、なんだこの雫の眼は・・・これ、絶対なんか変なことをやらかす気だ)

 

「ちょっと、雫・・・」

「じゃあ、そういうことでっ!!」

「雫っ!?」

 

 呼び止めようとした久路人の声を無視するように、雫はダッと駆けだした。

 そのすぐあとに、久路人も雫を追って走り出す。

 

(まさか、雫。僕みたいにお見合い話とか受ける気じゃ・・・)

 

 雫のしていた覚悟の決まった眼。

 あれには覚えがあった。

 他ならぬ自分自身が勘違いから暴走したときの顔だ。お見合いに行く前に鏡で身だしなみを整えたからよく覚えている。

 

「雫っ!!・・・え?」

 

 どんな勘違いでそんな暴走に至ったのかは分からないが、絶対に止めなければならない。

 そう思って玄関に向かおうとするも、雫の足音は別の方向に向かっていた。

 

(え?これ、僕の部屋?)

 

 足音が聞こえるのは階段の方からであり、つい足を止めて耳を澄ませてみれば、離れに新しく用意された自分の部屋に行こうとしているのがわかった。

 

(え?なんで?)

 

 どうやら自分の想像していた最悪のケースではなさそうだが、だとしたら雫がなぜあんな肝の据わった表情になっていたのか分からない。

 しかし、とりあえず放っておくわけにはいかないだろう。

 

「まったく!!雫!!」

 

 久路人は、自室に向かって階段を駆け上りながら雫の名を呼んだ。

 

 

------

 

 

「到着っ!!」

 

 ズザザッと華麗なスライディングを決めながら久路人の部屋に滑り込んだ雫は、すぐに扉を閉めた。

 

「ふんっ!!」

 

 そして、全力で扉を凍り付かせる。

 これで、久路人もすぐに入ることはできないはずだ。

 だが、稼げる時間は短いだろう。その間に、やるべきことをやらねばならない。

 

「ふふっ、NTRモノの王道・・・それは、ヒロインが竿役に弱みを握られるところから始まる」

 

 ニヒルな笑みを浮かべながら、雫は目的のブツの前にまでやってきた。

 ガラガラとキャスター付きの椅子を引いて腰掛け、目の前の箱のスイッチをオンにする。

 

「相手に怪我をさせる、恥ずかしい所を撮られる、単位が足りないと脅される・・・色んなパターンがあるけど、今の私にできるのは、コレ!!」

 

 カタカタとキーボードを動かしながら、雫は標的を画面に映す。

 ソレが視界に映った瞬間、雫の整った眉が不快そうにしかめられた。

 それと同時に、ドタドタと足音が聞こえる。

 部屋の主が到着したようだ。

 

「雫!!いきなりどうした・・・って、開かないっ!?っていうか、冷たっ!?なんでっ!?」

「・・・久路人、ゴメンね。でも、私にはコレがあるのはどうしても許せないの!!私の目的のためにも・・・・」

 

 ガチャガチャとドアノブを回しているようだが、開くにはもう少し時間がかかるはずだ。

 久路人が苦戦している間にも、雫の握るマウスは動き、ターゲットをすべてドラッグし・・・

 雫の人差し指が、天高く掲げられた。

 

「消えろ!!抹消(デリート)ぉぉぉおおおおおお!!!!」

 

 

--タッーン!!

 

 

 雫の指がキーボードのデリートキーを押した瞬間、画面に映っていたモノたちは消えていった。

 

「はっ!!よし、開いた!!雫、さっきから本当にどうした・・・え?」

 

 そして、術による身体強化で無理やり扉を開けた久路人は、目にすることになる。

 

「あ、僕の、僕の・・・」

 

 自分がここ数年で集めてきた、巨乳モノのエロ画像フォルダが電子の海の藻屑となっていく光景を。

 

「久路人・・・」

 

 さっきから起きている事態に脳がついていけず、思わずペタリと座り込んでしまった久路人の前に、雫はゆっくりと歩み寄った。

 久路人がノロノロと首を上げると・・・

 

「すいません!!許してください!!なんでもしますから!!」

「・・・はい?」

 

 雫が、自分に向かって90°の角度で腰を折って頭を下げていた。

 訳の分からないという顔をする久路人を見ながら、雫は己の勝利を確信していた。

 

(決まった!!私の渾身の策が!!NTR本王道・・・竿役の大事なモノを壊してしまうこと!!)

 

 自分の大事なモノを壊された時、人はどのような反応を見せるだろうか?

 怒る者が大半だろう。相手に殴りかかる者もいるだろうし、弁償を要求する者だっているに違いない。

 そこで、物を壊したのが美少女ならばどうか?

 その少女の身体を弄ぼうとする者も、まあ、いるかもしれない。少なくとも、同人界隈ではそれなりにありふれた展開である。

 そして雫の脳内に天啓のように浮かんだ策こそが、それだった。

 

(いくら久路人でも、ゲームのセーブデータを全消ししたら流石に取り返しがつかないかもしれない。デッキの中身を全部売り飛ばしたら口をきいてもらえなくなるかもしれない、というか私も久路人とデュエルできなくなるのは嫌だし・・・でも!!これなら問題ない!!久路人にとって大事なモノで、私にとっては忌々しいモノ!!怒られるだろうけど、ギリギリでこの展開に持っていけそうなモノ!!)

 

 それこそが、久路人の集めていたエロ画像集であった。

 

(恋人たる私がいるのに、こんなものがあるからいつまでも進めない!!それは、久路人にだって突かれたくないポイントのはず!!だから、そこで私の方から折れる!!『私を好きにしてもいい!!』という逃げ道を作って、誘導する!!これならはしたないこともしないし、忌々しい画像も消せる!!まさに一石二鳥!!)

 

 雫の中でさきほど思いついた策は、完璧なモノであった。

 雫の中では。

 端的に言って、雫はさきほどの失敗のことや、ここ最近の焦りのせいで頭がおかしくなっていたのだ。

 客観的に見て、これなら身体を使って誘惑した方がいくらかマシだったろう。

 その画像集は久路人によって隠しフォルダに収められていたモノであり、偶然消せるものではない。というか、消すところを見られた時点でわざとやったのがバレバレなのだから。

 

「え?え?」

 

 案の定、久路人は目を白黒させていた。

 それも無理はない。

 自分の恋人がいきなり据わった眼になって家の中をダッシュし、自分の部屋に侵入してパソコンの隠しフォルダに入れていたエロ画像を根こそぎ消去した上で謝罪してくるというのは、文字に起こしてみると中々に意味不明だ。軽く恐怖すら感じるかもしれない。

 これが偶然隠しフォルダを見つけた風を装って、軽くむくれた表情で『そんなのに頼らなくても私がいるでしょ?』とか『そこに載ってること、私が代わりにしてあげる』とか言えれば高ポイントを稼げたかもしれない。不可解な奇行に走るのはできたくせに、そんな風に直接誘うような台詞を言える度胸は雫にはなかったが。

 

(さあっ!!来てっ!!久路人!!お仕置きされる覚悟はできてる!!早く『ん?今何でもするって言ったよね?』って続きを・・・)

「・・・雫」

 

 そんな危ない薬でもキメたかのような思考の雫の頭を、いくばくかの時を置いて落ち着きを取り戻し、ゆっくりと立ち上がった久路人はポンポンと撫でた。

 

「雫、ゴメンね」

「え?」

 

 なぜ自分が謝られたのか分からなかった雫は、驚いたように顔を上げた。

 目線を上げた先にあったのは、憐れみに満ちた表情で自分を見る久路人だった。

 

「え?久路人?なんで・・・」

「・・・・・」

 

 未だに頭に載せられている久路人の手の感触を心地よく思いながらも怪訝な顔をする雫を見ながら、久路人の心の中にはある感情が湧き上がっていた。

 

 

--僕が、雫をこんな訳の分からない奇行に走らせてしまったのだ。

 

 

(僕が、あまりに雫を待たせすぎたから・・・)

 

 久路人の中にあるのは、悔恨だった。

 自分が雫を焦らしすぎたから雫はおかしくなってしまったのだろうと。

 それは正解であったが、雫がおかしくなったのは彼女の生来の素質である。

 

(・・・やろう)

 

 雫の本質はともかくとして、久路人は後悔と共に決心する。

 

(僕の方から、進めるんだ!!雫がこれ以上おかしくなる前に!!)

 

 デートの時と同じ。

 久路人方から、二人の関係を前に進めるのだ。

 思えば、『身体目当てと思われるかも?』などというのは雫にとっての侮辱に他ならない。

 それは、雫が自分の想いを分かってくれない、信じてくれないと疑うことと同じなのだから。

 

(でも、その前に・・・)

 

 久路人は覚悟を決めた。

 しかし、それを口に出す前に、どうしてもケリをつけておきたいことがあった。

 それもまた、デートと同じく久路人が人間でいる内にやっておきたいこと。

 一人の男として、関係を進める前に雫に示したいことがある。

 

「雫」

「は、はい!!」

 

 突然張り詰めた久路人の雰囲気に、『や、やっぱり怒らせすぎちゃった!?ど、どうしよう、どんな鬼畜プレイをされちゃうんだろう・・・初めてだからハードSMくらいまでで済ませてくれるかな、三角木馬とかバラ鞭使うヤツで』と、初めてで自分が臭うと思われるのは嫌がるくせにSMはOKなのか、判断基準がよくわからないながらも期待と不安に胸を高鳴らせる雫に・・・

 

「僕と、決闘をしてくれないか?」

「・・・はい?」

 

 久路人は、そう言ったのだった。

 




次のお話で3章は終了予定。
そしたらタイトルをちょっと変える予定です。

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