見渡す限り、蒼い世界が広がっていた。
「こんな景色を見れるなんてなぁ・・・」
「私も、ここまで綺麗なところは初めてかも」
話すたびに、泡がボコリと現れては、上に向かって登っていく。
僕も雫も身に纏うのは水着だけで、冷たい水が全身を包んでいるが、水の大妖怪である雫は勿論、僕にも大した影響はない。
おかげで、周りの神秘的な光景を見ることに意識を向けることができている。
「前に川の中で泳いだけど、全然違うね」
「あそこはゴミとか落ちてたもん。水は綺麗だったけど、近くには人間もいたしね。昔の時代の川や池だって、妖怪が暴れたりしてたし、こんなに静かじゃなかったな」
視界は澄み渡っており、はるか遠くまで蒼く染まった世界がよく見える。
砂漠のように足元に広がる砂と、そこから突き出る岩。
たまに落ちている流木の近くでは、小さな魚の群れが僕らに気付いて逃げていく。
岸辺に近いところでは水草が生い茂っていたが、僕たちが今いる場所は開けている。
「本当に、潜ってよかったな」
そう、僕と雫がいるのは、湖の中だ。
白竜庵のある丘を駆け下りた先にある湖を見た時、僕は思ったのだ。
(ここで、雫と泳いでみたい)
初めてのデートの時、水族館を訪れたが、そこで雫と泳ぐ約束をした。
河童の三郎と初めて会った時の帰りに、川で水遊びはしたが、水深の浅い場所であり、泳ぐことはできなかった。
けれどもここなら、思いっきり泳げるだろう。
そう思った僕が雫に提案してみたところ、雫も同じように思っていたらしく、二つ返事で水着姿になってくれたのだ。
おかげで、あの時の言葉を実現することができている。
「しかし、久路人も成長したというか、我慢強くなったね~。私の水着見ても挙動不審にならなくなったし。初めて水着見せた時なんか、ガチガチになってたもん」
「そりゃ、雫のいろんなところを何回見たと思ってるのさ。さすがに慣れ・・・はしないけど、我慢はできるよ」
どこか挑発的な雫の視線に、僕は少し得意げに答える。
雫が霧の衣を水着に変えた時は、ドキリと心臓の鼓動が激しくなるのは止められなかったが、理性を総動員してこみ上げる衝動を我慢することはできた。
雫の体ならば一糸まとわぬ姿を拝んだことも何回だってあるが、やはり水着というのはそれとは別の良さがあるというか、隠されてる方が滾るモノがあって大変だったが。
そもそも、水族館でもそうだったが、雫と水というのは相性のいい組み合わせなのだ。
今も表面上は平静を装ってはいるが、湖底に差し込む光に照らされる雫という、それこそ一枚の絵画のような光景に、見惚れてフリーズしないように気合を入れている最中で・・・
「ふ~ん、そうなんだ・・・私としてはちょっと寂しい、かなっ!!」
「うおぉぉおおっ!?」
そんな風に虚勢を張る僕を見て少々ムッとした表情をしていた雫であったが、すぐにニンマリと笑うと、僕の腕を取って身体を押し付けてきた。
「ふふんっ!!どう?これでも余裕?」
水の中だというのに、人外の高性能な身体は、しっかりとその柔らかさを脳に届けてくれる。
薄い布ごしに、雫の小ぶりな膨らみが潰れるのがわかった。
こうなってしまえば、僕の薄っぺらい忍耐など続くはずもない。
「雫っ!!」
「はい、これでおしまい」
「あ・・・」
僕の内面に反して、雫はすぐに離れた。
お預けを喰らったような僕は、思わず引き止めるように腕を伸ばそうとしたが、やめた。
「・・・ふふっ」
雫の顔には『してやったり』というような笑顔が浮かんでいるが、それだけだ。
僕の最初の反応が芳しくなかったので、挑発をしてみたが、その先にまで進むつもりはないということだろう。
この世界にいられるのが一日だけというのなら、まだ早い。
だから僕は、『フゥ~・・・』と水中にも関わらず深呼吸を一つしてから、素直に謝った。
「・・・ごめんなさい。調子こいてすみませんでした」
「ん!!よろしい」
雫はどや顔で胸を張る。
さっきまであの胸が当たっていたのだと考えると、下半身が熱くなるが、湖の水の冷たさがすぐに冷やしてくれた。
本当に、水の中でよかったと思う。
そうして、僕が密かに感謝をしていた時だ。
「あ」
「お?」
不意に、魚の群れがすぐ近くを通り過ぎた。
さっきまで流木の近くにいたのは小魚だったが、今度の群れは串にさして焼けるようなサイズだ。
「魚だ。お昼は用意してあるから・・・夕飯用に捕まえてみる?」
「そ、そうだね・・・」
僕はこれ幸いと、変わった話題に飛びついた。
このままだと、ボロが出てしまいそうだったし。
「よしっ!!」
それまでは散歩のように、湖底から少し浮いたところをゆっくりと進んでいたのだが、狩りとなれば動きは変わる。
一度底まで降りてから、地面を蹴って矢のように飛び出した。
「はっ!!」
さすがは水を司る大妖怪だったことはあり、水の中の雫は凄まじい速さだった。
水を得た魚、水中の魚を上回るスピードで近づき、あっという間に一匹を素手で捕まえる。
元々身体能力は雫の方が上だが、泳ぎで勝つのは難しいだろう。
「へへっ!!まず一匹!!」
「僕もとったよ」
雫に劣るとはいえ、それでも僕だって普通の魚に負けるような泳ぎではない。
雫から逃れた群れに追いすがり、その中の一匹を捕まえてから浮上すると、お互いの獲物を見せ合った。
「大きさは僕のヤツの方がデカくない?」
「見た目は私のヤツの方が綺麗だよ!」
魚はニジマスなのか鮎なのか、魚に詳しくない僕にはよくわからないが、雫の方は紅が濃くて綺麗だった。
一方の僕は大きさでは上回っているものの、なんだか地味な魚だ。
「なら、もう一度行くよ!!」
「次は綺麗で大きい魚をとるんだから!!」
そうしてしばらくの間、湖の底で僕らは魚とりを続けたのだった。
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「この時期に、桜が見れるなんてな・・・」
「外はもう秋だもんね」
湖から上がった僕らは、畔に生えていた桜の木の下にいた。
雫が外から持ち込んでいたリュックからレジャーシートを取り出して、その上で弁当に舌鼓を打つ。
「はい、あ~ん!!」
「んぐっ!!」
雫が、僕に箸でつまんだオカズを差し出してきたので、僕はひな鳥のように受け入れた。
「うん、おいしい!!」
「えへへ・・・そう?その鶏肉の煮つけ、仕込みをしっかりしたからね」
雫が口に運んだのは、鶏肉の甘辛煮。
甘さと辛さがバランスよく両立し、火の通り方も丁度良く、適度な噛み応えがある。
「雫、やっぱり最近料理の腕がめちゃくちゃ上がってない?僕じゃあこんな風にうまく味付けできないよ」
「う~ん、火属性が使えるようになったからかな?火というか熱の扱いがうまくできるようになってきたんだよね」
おじさんやメアさんが家を空ける時期がそこそこ長かったのもあるが、月宮家の食事は僕と雫で持ち回りでやっていた。
朝は雫、夜は僕。休日の昼間は2人でやれるだけやる。
そして、水属性が使える雫は煮物や漬け込みによる味付けが昔から得意だった。
そこに火属性が加わり、熱の扱いも精密にできるようになったと言うところか。
この弁当を温めた時のように、僕も電子レンジの真似事で加熱には自信があったが、素直に負けを認めるしかない。
土属性は料理の役には立たなかったから、しょうがないのだ。
「・・・ふふ」
僕が肉を噛みしめ、その肉汁と、たっぷりとしみ込んだ『隠し味』が口の中に広がっていく感触に何とも言えない快感を味わっていると、雫がさっきのように鶏肉を箸でつまみながら小さく笑っていた。
その紅い眼は、どこか妖しく輝いており、頬はうっすらと紅潮している。
合間合間に食べてはいるようだが、食事中は味を楽しむよりも僕を見る方がメインになっているんじゃないかと思うこともあるのだが・・・
「・・・・・」
そこで僕は、ゴクリと鶏肉を嚥下して、口の中を空にしてから疑問を口にした。
「ご飯のたびに思うんだけど、自分の血の混じったモノを食べるのって、気持ち悪くならない?」
「え?・・・私が言うのもなんだけど、自分のだろうが他人のだろうが、血の入った食べ物を気持ち悪がらない方もおかしいんだからね?」
「いや、僕は雫のだから平気だけど、雫はどうなのかなって」
実は、地味に気になっていたことである。
もはや慣れ切ってしまったことだが、僕が家で口にする食事には、すべて雫の血がふんだんに混じっている。
僕と雫は食事のタイミングも一緒であり、食べる物も同じだ。
つまり、雫は自分の血を味わって食べていることになるが・・・
「あ~・・・そう言われればそうなんだけどね。これをやり始めた時にはそんなこと考える余裕なかったしなぁ」
雫が遠い目をする。
雫が料理に血を混ぜだしたのは、僕の人外化が目的だった。
そのころは僕も雫も九尾との戦いを終えて、心に様々な問題を抱えていた時期であり、雫も自分の血を取り込む程度、気にしている場合ではなかったということか。
あの頃を思い返してみれば、よくここまでこれたものである。
「それに、私の血って久路人から吸った分も混じってるし、もう一回久路人の血を取り込むと思えば、別に・・・最近なんか、久路人とヤる時に〇液まで飲んでるし。九尾も言ってたけど、精〇って血よりも霊力の効率がだいぶすごいから・・・」
霊力を向上させる上で大きな効果を持つモノは男女で異なっていたりする。
男は処女の生き血なのに対し、女は若い男の精というのは霊能者界隈では有名な話だが、パスを繋ぎ合った男女の場合は相手が処女でなかったり、若くなくとも強力な効果を発揮する。
そして、未だ若い僕の精をほぼ毎日取り込んでいる雫の霊力は驚くべき勢いで上昇しており、その雫の血を摂取することで僕の霊力も同じように増大しているのだ。
僕と雫は2人だけで食物連鎖の輪ならぬ霊力連鎖の輪を循環させており、つまり、雫の言いたいことは・・・
「実質私の血は久路人の精え・・・」
「待って雫。そう言われると、急に食欲無くなってきた」
僕は雫の台詞を遮った。
そうしなければ、この弁当を食べきれなさそうだったからだ。
好きな人の血を飲む。
字面にすれば異常としか言いようがないが、恋人が進んで血を混ぜてきてるのだから、据え膳食わぬは男の恥と言うし、食べるのはまったく構わない。
しかし、雫の理屈で言うと、僕は自身の精〇まで食べてしまっているということになる。
さすがにそれは勘弁願いたい。
「まあ、私からすれば、久路人が私の体の一部を食べてくれるってだけで食欲湧いて来るから、自分の血がどうとかはどうでもいいかな。久路人が美味しそうにしてくれると、私も嬉しいから」
「それなら、僕もさっきの答えは忘れるよ。うん、これに混じってるのは雫の血だ。誰が何と言おうと雫の血なんだ・・・」
僕は、努めてさっきまでの話の内容を考えないようにしながら、弁当を口に運ぶ。
うん。味は最高だし、雫の想いもたっぷりと込められた弁当だ。
霊力のパワーアップという意味でもこれ以上ない方法だし、なんら気にすべき要素はない。
それでいいのだ。
「あれ?でも久路人も、Hする時には私の〇液舐めてるし、その理屈だと久路人の血は私の・・・そう考えると、う~ん」
なにやら雫がウンウン唸っているが、藪蛇になりそうだったのでスルーした。
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「あ、花びら・・・」
食事中にするのが憚れるような話をしてからしばらく。
弁当を食べ終えてから、ふと、雫が上を見上げた。
釣られて僕も頭上を見ると、僕らの真上にある桜の木から、そよ風に吹かれて花びらが散るところだった。
「綺麗だね・・・」
「うん・・・」
ひらひらと舞う花びらが、湖の上まで飛んでいく。
桜の木は湖の畔の各所にあるようで、そこかしこから飛ばされた花びらが、花吹雪となっていた。
それは、とても幻想的で、まるで物語のワンシーンのようで・・・
「あ・・・」
「ん?どうしたの、久路人?」
「いや、雫の頭に花びらが付いたんだよ」
「え?本当?どこどこ?」
風向きが少しだけ変わり、花びらの落ちる方向がズレた。
それによって、雫の髪に花びらが乗っている。
僕は、その花びらを落とそうと、雫の頭に手を伸ばして・・・手を止めた。
(そう言えば、前にもあったな、こんなこと)
「久路人?」
不意に思い出されたのは、過去の記憶。
それは、九尾の話が出たからだろうか。
前にも、今のようなことがあった。
あの九尾と戦った、葛城山。
あの時は秋だったが、山の中にあった神社の境内で、今のように雫の頭に、風に吹かれた紅葉が乗った。
そして僕は、その葉を取ろうとした時に気付いたのだ。
(そうだ。あの時だったな。自分の気持ちがわかったのは・・・)
「久路人?さっきからどうしたの?」
「雫・・・」
「?」
突然動きを止めた僕に、雫は怪訝そうな顔をする。
その頭に乗っている花びらは、あの紅葉に比べれば小さいが、やっぱり髪留めのように見えた。
雫の銀髪にはどんな色でも似あうと思うが、赤に近い色がいちばんよく映える。
僕は、その髪飾りを取るように手を伸ばして・・・
「ん・・・」
「っ!?」
雫の顎に手をやって、素早く唇を重ねた。
唇どうしが触れ合うだけの、軽いキス。
雫が、目を見開いて驚くのがわかった。
「く、久路人っ!?どっ、どうし・・・」
「好きだよ、雫」
「~~~っ!?」
追い打ちをかけるように僕が言葉を続けると、雫の顔が真っ赤に茹で上がる。
頭についた桜の花びらよりも、なお濃い色だ。
その顔を見て、僕の顔に自然と笑みが浮かんだ。
「ふ、不意打ち禁止って、いつも言ってるでしょぉ~!!」
「さっきのお返しも兼ねてだよ。からかわれて終わりってのも悔しかったし?」
「む~~~っ!!」
混乱から回復したのだろう。
湯気が上がりそうなくらい赤くなった雫が、僕の胸をポカポカと叩いてくる。
もちろん、手加減をしてくれてるから、全然痛くない。
僕は甘んじて猛攻を受けつつ、雫の頭を撫でて反撃すると、雫は気持ちよさそうに目を細めた。
「ん・・・私がいつもいつも頭なでなでで懐柔されると思ったら、大間違いなんだからね?でも、今は気持ちいいから許してあげる」
「あはは・・・雫様の寛大なお慈悲に、心から感謝いたします」
お互いにおどけながら、言葉を交わす。
そんな中、僕の胸の内にはゆっくりと達成感が湧き上がっていた。
(今度は、ちゃんと言えたな。だいぶ時間が経っちゃったけど・・・)
僕は、あの時に言おうと思ったことを、今やっと果たせたのだ。
九尾に襲われて、雫と離れ離れになって、言えなかった言葉を。
これまで、ずっと心のどこかに残っていた忘れ物を。
「久路人、もっと・・・」
「うん・・・」
雫が、僕の胸に顔を埋めて、身体を預けてきた。
雫の華奢な身体は軽いが、それでも確かな重さと、華のような良い匂いが伝わってくる。
僕は、これまで以上に大事な大事な壊れ物を扱うように、雫の頭を優しく撫でた。
「ずっと、ずっと・・・こうしていたいな」
「・・・うん。僕もだよ」
ポツリと呟かれた雫の言葉に、僕の口からも自然と答えがこぼれる。
この時、僕の中からは、修行のことも、旅団のことも、外の世界のすべてが抜け落ちていた。
「・・・・・」
「・・・・・」
しばらく、言葉はなかった。
雫の顔も、僕の胸に押し当てられているから、見ることはできない。
それでも、今の僕と雫は同じことを考えているのがわかった。
「・・・・・」
「・・・・・」
桜の花びらが舞い散る中、僕と雫はそのまま佇み続けた。
お互いの温もりと、今この時しかない宝石のような刻を、ゆっくりと味わうために。
低評価も歓迎ですが、その場合は理由を教えてくだされば幸いです!!
作品に活かしたいので!!