幻想郷の少女を曇らせ隊   作:ゆでたまごやき

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時間がだいぶ空いてしまいました!すいません、許してくださいなんでも(ry


伊吹萃香の場合

 

 

 

 

 生暖かい感触と共に、血飛沫が舞い散る。詰まったような呻き声を最後に、武者のような出立の男は絶命する。

 

 腹突き刺さった細腕は如何にも童のようにか弱いものに見えるが、その正体を知るものは恐れ慄くだろう。

 

 それは鬼。破壊を振りまく化身にして畏れの象徴。男の腹から手を引き抜いた伊吹萃香もまた鬼であり、その中でも四天王と呼ばれるほどの強き鬼であった。

 

 たった今、鬼狩りの男を殴り殺したことで彼女の赤みがかった金髪が返り血で汚れているが、そんなことは気にも留めず男の死体を乱雑に放り投げた。

 

「……へぇ、あんたも同じ口かい?」

 

 萃香は自分に近付く気配に気付き、獰猛な笑みを浮かべた。紛れもない強者の気配。先程の男も強い人間に値するが、鬼からすればどうってことはない。しかし、今から此方にやって来る人間はそれとは比べ物にならないほどの強さを持っているのは明らかだった。気配を感じた瞬間から鳥肌がまるで収まらない。

 

「……いや、某は鬼狩りではない。 強き鬼がいると聞いて己が腕を試しに来た、ただの破落戸(ならずもの)だ」

 

 古びた鎧を身につけた男はそういうや否や刀を抜き、構えをとった。そこに一切の隙もありはしない。迂闊に踏み込めば最後、刹那のうちに身体を切り刻まれてしまうと本能が感じ取り、萃香はブルリと身体を震わせた。しかし、またとない強敵に彼女の笑みは深まるばかりだった。

 

「それはなんていうか剛気なやつだねぇ。 天下の鬼を組み手の相手にするっていうのかい……面白い奴だ」

「気に障ったのなら謝ろう。 しかし、私は本気だ……更なる高みへ登るために必要なこと」

「それなら死んでも文句は言わない事だね。 私も手加減するつもりはないからさ……どっからでもかかってきな」

 

 

 くいくいと手招いてやれば、男は一呼吸置いて肉薄した。

 

 鬼から見ても消えたように見えてしまうほどの速さ、萃香は目の前の男の評価を更に上げた。

 

「幾千の人間とやり合ってきたけどこんなに速い奴は初めてさっ!」

 

 何処か興奮した様子で男の剣を捌いていくが、剣劇が増えるにつれて段々と萃香の皮膚に赤い筋が刻まれていく。彼女ほどの鬼が完全に捌き切れないほどの剣を振るう男は速さだけでなく、力も、技術も、もはや人の域には無かった。しかし、だからといって男が有利なわけではなく、彼もまた鎧の下に青痣を増やしていく。

 

 一撃で岩をも砕く鬼の拳である。掠っただけでもひとたまりもないその暴力を、男は剣の腹で受け流したり紙一重で躱したりして難を逃れる。

 

「本当に強いね、あんた。 鬼とここまで戦える人間なんて殆どいないよ?」

「それは光栄だ。 主も私が戦ってきた中で一番強い」

「人間の尺度で言われても嬉しくないけど、あんたなら認めてあげる」

「そうか」

 

 互いに満身創痍。軽口を交わしているように見えるが、どちらも消耗が激しい。故に、お互いに必殺の一撃を以て決着を付けようとしている。

 

 

 

「……参る」

「いいよ、かかってきな人間っ!」

 

 

 

 それから、どれくらい時間が立ったのだろうか。山に静寂が訪れる。結果として萃香は空を見上げていた。勝負の軍配は男に上がったのだった。成す術なく男の必殺の剣に打ち破れた萃香。男の剣は見事だった、鮮やかだった、殺されても仕方がないとさえ思った……しかし、萃香は納得していなかった。それどころか、心の底から怒りが沸沸と湧いていた。

 

 

「……峰打ちなんて、バカにしてるのかい?」

 

 

 男は最後の最後に峰打ちをした。その事実を鬼である萃香が許容できるはずもなかった。真剣勝負だと言うのに水を差された気分だった。

 

 明らかに怒っている様子の萃香に男は“すまない”と一言返した後に、重そうな鎧を脱いでから動けない彼女の近くに腰を下ろした。声がくぐもっていて分からなかったが、年は若いようで、怜悧な視線と冷たい表情を貼り付けた能面の様な男だった。無愛想とも言うべきか、無表情とも言うべきか、鬼に勝ったと言うのにピクリとも顔を崩さない。

 

 萃香の殺意混じりの視線をものともせず、男は抑揚のない声で彼女に語りかける。

 

「主を殺せば、二度と手合わせが出来なくなると思った……初めてなのだ、主ほどの強者に出会ったのは」

「……とんだ甘ちゃんだね。 殺しもすれば殺されもする世界だよ……すぐにでもこの鬼の首を切らなければ噛み付かれるかもしれないというのに、こんなに近くに来るかい普通?」

 

 無論、不意打ちなどという卑怯な行為をするつもりはないが、相手を嵌めるのが当たり前な世界。いくら手負いで動けないとはいえ、鬼の近くに寄るものがいるかと内心叱責する。

 

「噛み付くのか……?」

「……いや、そんな事はしないよ」

「そうか、それは良かった」

「変な奴だね」

「よく言われる……」

 

 男と話していると何だか調子が狂ってしまうような気がした萃香だが、悪い気はしなかった。初めて自分を打ち破った人間、最後の峰打ちに言いたい事は山ほどあるが、それでも自分を捻じ伏せた事には変わりない。

 

「……また、手合わせしてもらえるか?」

「勝者はあんただよ。 そう命令したら良いじゃないか」

「命令はしない。 主が嫌なら、私は二度と主の前に現れない」

 

 命令という言葉に男の肩が一瞬震えた気がしたが、男は相変わらず感情の読み取れない顔でそう言った。あくまで決定権は萃香にあると、彼女の選択に任せると言っている。

 

 萃香は少しの間逡巡したのち、言いたいことを全て呑み込んで、言葉を返した。

 

「……いいよ、また来な。 では勘違いしない事だね……次こそアンタを殺すよ」

「そうか……それは楽しみだ」

 

 殺気を浴びせても男はピクリともしない。それどころか再戦を楽しみに微笑んでいるくらいだ。全く食えない男だと萃香は呆れたようにため息を吐くが、何処か新鮮な気持ちだった。

 

(……はじめて私を倒した人間か)

 

 鬼が人間に負けるなど有り得ないと思っていた。それこそ、搦手でもなんでもなく真正面からの正々堂々とした戦いで負けてしまったのだ。認めざるを得なかった。

 

「また、来月。 月が満ちる夜に来る……」

「そうかい……なら、とっとと帰りな」

「ああ、そうする」

 

 男はゆらりと幽鬼のように立ち上がり、暗闇の中に消えていった。萃香もまたその後ろ姿を見送ったあと、瓢箪に入った酒をぐいっと呷るのだった。

 

 

 

 ■

 

 

 そして鬼と人間は月が満ちるたびに、死神ですら裸足で逃げ出してしまうほどの死闘を繰り広げ……そのたびに人間が勝った。

 

 

 

 そして既に初めの戦いから数年経とうとしていたある日の事だった。男はいつものごとく月が満ちる夜に山の頂にやってきた。すると、何処からともなく酒精の匂いが鼻についた。おかしいと思い、視線を更に奥に遣ると小さな少女が覚束無い足取りで男の元にやって来たのだった。頬は上気し、ふにゃりと顔を崩している。

 

 

「お〜〜、来たかニンゲン〜。 ほらほらぁ、私と早く殺りあおうよぉ〜」

「……誰だお前は」

「私は鬼の四天王が一人、伊吹萃香だぞっ!」

 

 ほんのりと顔が赤い萃香からは甘い酒の匂いが漂っている。男はその様子を見て彼女は酒に酔っているのだなと思うとともに、普段の凛々しい姿との落差に戸惑った。なかなかの堅物だったというのに、目の前の彼女はトロンとした瞳で酒を呷っている。酒くさい。

 

「……萃香、酔っているのか?」

「んーー? 酔ってない酔ってない、えへへー」

 

 酔ってないと言いながら再び瓢箪を呷る萃香。これで酔っていないわけがない、タチの悪い親父と同じような酔い方だ。間違いなく完全に酔っている。

 

「……そんな状態では手合わせ出来ん」

「大丈夫だってー、私こっちの方が強いからさ」

 

 流石に男は訝しげな目を向けた。酒で強くなるなど考えられなかったからだ。

 

「それじゃあ、早速ぶっ殺すよー? 歯ぁ食いしばれぇ!」

「ッ!!……ほう」

 

 弾丸のような速度で肉薄した萃香。明らかに以前よりも速い速度に男は感嘆の声を上げる。そして、紙一重でその拳を避けた後、背後を振り返れば拳の余波で木々がへし曲がっていた。

 

「……本当に酒で強くなるのか」

「当たり前だろぉ? ほらほら、逃げてるだけじゃ挽肉になっちゃうぞ?」

 

 萃香の拳や蹴りを避けながら男は分析を始める。確かに速さも力も以前より良くなっているが、技のキレが悪くなっている。タガが外れていると言えばいいのか、技の精度の代わりに身体能力が向上しているように見えた。

 

 拳が擦れるだけで鎧ごと皮膚を抉り抜く出鱈目な力。しかし、その代わりに隙が大きくなったことで男は萃香に出来た大きな隙を見逃すことは無かった。故に以前よりも勝負が着くのも早かった。

 

 

「……ありゃ?」

「私の勝ちだ」

 

 いつのまにか地面に組み伏せられており、顔の横に剣が突き刺さっている。少し酔いが醒めた萃香は真っ直ぐ自分を見つめている男を見て、周りの状況を確認して、再び負けたのだと理解するのに時間は要らなかった。

 

「また負けちゃったのか……う〜〜、勝てると思ったのにぃ」

「……確かに強かった。 だが、攻撃が単調だ。 以前の方がやりにくかったというものだ」

 

 萃香から離れた男は傷口に生薬を塗り込みながらそう言った。彼も無傷では済まなかったが、酔った方が動きが単調で捉えやすかったので以前よりも戦いやすかったようだ。

 

「……殺さないの?」

「殺さん……何度も言っているだろう?」

「……抵抗しないよ? あんたが勝ったんだからあんたの好きにするといいのに」

「ふむ……ならば、そうだな……少し話に付き合ってくれ」

「甘ちゃんだねぇ」

 

 

 男は木を背にして座り込み、自分の刀を手入れしながら語り出した。

 

「生まれてこのかた、私はずっと剣に魅せられた。 誰よりも剣を極めるために血反吐を吐くような鍛錬を続けてきた」

「なにそれ……つまんなそうだね」

「ふふ、そうだろうな」

 

 負けた腹いせに嫌味っぽく言ったのに男は不愉快に思わないのか、出会って初めて笑った。小さな笑顔だったが、萃香にとってはそれが新鮮で、脳裏に印象深く刻まれた。同時に鬼に勝っても喜びもしない男が嫌味一つで笑うなんてどういうことなんだと思わずにはいられなかった。

 

「だが結局、剣しか能がない私だ。 行き着く先は、戦いのみ。 随分と……人を殺した」

「まあ、そりゃそうだろうね」

「だからこそ……最近、分からなくなってきたのだ」

 

 男の言葉に萃香は“何が?”と聞き返すと、男は一呼吸置いた後に言葉を紡いだ。

 

「血に汚れた私が……幸せを感じても良いのかと」

「ん? 幸せなのか?」

「……まぁ、そうだな。 少し前に理解したのだ……己が幸せというものを」

 

 男は萃香を一瞥して、ゆっくりと噛み締めるようにそう言った。

 

「……すまない、変な話だったろう?」

「うん」

「少しは否定してくれ」

「嫌だね。 鬼は嘘をつかない」

「そうか」

 

 

 萃香がそう言うと、男は徐に立ち上がり彼女に背を向けた。

 

 

「また……次の満月に来る」

「そうかい……なら、私は待ってるとするよ」

 

 

 男は彼女の返答に満足げに頷くと、夜の帳に消えていった。いつの間にか萃香の酔いは醒めていた。

 

 

 それからも、満月が来るたびに鬼と人間は拳と剣を交わし合った。どちらも互角、それ以上の勝負を繰り広げると言うのに鬼に軍配が上がることはない。故に何十回と繰り返された戦いは未だに終わる気配がない。

 

 

 だからこそ、今夜もまた。血湧き肉躍る戦いの為、満月の夜、萃香は男を待っていた。繰り返された戦い、永い年月を生きた鬼ではあるが、一つ一つ忘れることなく鮮明に思い出すことができる。それほど、脳裏に刻まれてしまった戦い。思い出すだけで塞がっている筈の傷が疼いてしまう。

 

 

 

 

 

 だが、その夜……男が現れることは無かった。

 

 

 

 今まで約束を違う事は一度もなかったというのに、男は現れなかった。今宵は間違いなく満月の夜。自分の身体に月の魔力が満ちていく感覚が嘘を付くはずかない。

 

 

「……破ったな…………私との約束を」

 

 

 絞り出すような声で呟いた萃香。まさか、約束を破られるとは思っていなかった。口約束であれ、鬼との約束は絶対。それを破られる事は鬼に対する最大の侮辱であり、食われたとしても文句は言えない。

 

 しかし、萃香が怒りに震えるということは無かった。いや、以前の萃香なら約束を破った人間を地獄の底まで追い詰めてから(はらわた)を引き裂くくらいのことはしていた筈だ。なのに、萃香の心には哀しみばかりが溢れていた。何故、来ないのか、何故、約束破ったのか……今まで約束を破ることなく来てくれたからこそ萃香は怒りよりも先に疑問と哀しみに飲まれていた。

 

 既に月は沈み、日が上り始めた。夜が明けたことが意味するのは男が約束を違えたこと。

 

「……なんで来ないんだ」

 

 何かあったのかと、萃香は思う。だが、自分を難なく御せる力を持つ男が自分以外にやられるなど考えられず、もやもやとした気持ちのまま男がいつもやってくる道の先をぼんやりと眺めていた。

 

 

 特に代わり映えもしない風景。夜風に吹かれるのはただ一人。それが当たり前だというのに、自分一人だけがこの場にいることに漠然とした寂しさを感じてしまうのは何故だろうか。

 

 

 

 それからどれだけ時間が経ったのだろうか。萃香が異変に気がついたのは、再び月が上り始めた頃だった。

 

 風上から濃い血の匂いが漂う。嗅ぎ慣れた血の匂いに萃香は思わず顔を青褪めさせた。どきりと胸を打つ感覚を抑えながら、血の匂いが濃くなる方向へと萃香は足を進める。

 

 

 一歩、また一歩、血の匂いは濃くなっていく。

 

 

 そして、彼女は、目にした。

 

 

 血みどろになりながらもゆっくりと一歩ずつ、此方に歩を進める男の姿を。

 

「……萃香、か?」

 

 自分に気が付いた男は普段と変わらない抑揚のない声でそう尋ねた。だがしかし、余りにも弱々しい男の姿に居ても立っても居られず、萃香は側に駆け寄った。

 

「どうしたんだいその傷!? あんた程の人間がどうしてっ」

「……少し、な」

「少しなわけあるもんか! 背中なんて……酷い」

 

 背中の刀傷は内臓が零れ落ちてもおかしくはないほどパックリと開かれ、夥しい程の赤黒い血が流れ出ていた。

 

 男は萃香と出会ったことで一安心したのか、近くの木を背にして座り込んだ。

 

「すまない……約束に遅れてしまった」

「そんな事気にしなくて良い!! それより、傷を治さないと」

 

 だが萃香には人の壊し方は分かっても人の治し方は分からない。さぁっ、と顔を青褪めさせる萃香。どうしようもない現実がそこまで迫って来ている。

 

 萃香の慌てふためく様子を見てか男は彼女の手を引いて、首を横に振った。

 

「……傷のことは気にしないで欲しい。 それよりもお主と話がしたい」

 

 言外に手遅れだと言われ、萃香は思わず息を呑んだ。そして、男の意思を尊重すべく、彼の隣に腰掛けた。萃香の指は震えていた。

 

「少し前に隣国との戦があった……私は何千もの敵を殺した。殺して、殺して、殺し尽くして……私の国は戦に勝った」

 

 目の前の男なら、同然の如く一騎当千を実現するだろう。それだけ規格外の人間だった。

 

「だが、過ぎた力は見過ごされない……私を恐れた主人に毒を盛られ、刺客を送りこまれた挙句……このザマだ」

 

 自重気味に笑う男。男はいつかこうなると分かっていた。戦果を上げるたびに化け物扱いされ、後ろ指を差される。敵からも味方からも恐れられ、戦だけが自分の居場所であった。

 

「なんだいそれ……ふざけるんじゃないよっ!! あんたは何も悪くないじゃないか! 戦果を上げ、国を勝利に導いたんだろ!? なのにっ、なんで……なんでこんな事になってんのさ」

 

 萃香は男の腕を優しく掴み、表情を悲哀に染めた。

 

「人は安寧を求める。身近に危険を置きたがらないものだ……」

「……でも欲のためにあんたを戦に利用したんだろうっ、使うだけ使って用が済んだら捨てるなんて……許せない、あんたをそんな目に合わせた奴ら……全員殺してやる」

 

 

 萃香の語気が強くなる。男を卑劣な手で傷つけた人間への怒りが湧き上がっている。しかし、男は嗜めるように萃香の頭に手のひらを置いた。

 

「気にしなくて良い。 それに、私は自分の主人の事を恨んではない。 孤児(みなしご)だった私に戦いの道を教え、生かしてくれたのだからな」

 

 男は幼い頃。今日食うものにも困っていたのだ。放っておけばどこかでのたれ死んでいた筈なのに今まで生きていたのは間違いなく男の主人のお陰である。

 

「それに、主人のお陰でお主とも出会えた」

 

 男は萃香の頭を愛おしそうに撫でる。無表情だった顔には優しげな笑みが浮かんでいる。それが彼の本来の表情なのだと萃香には分かった。

 

「どういうこと……?」

「私はもっと遠くの場所で生まれ育ったのだが、数年前主人が此処まで連れてきてくれたんだ……だから、お主と出会う事ができた」

 

 じっと見つめてくる萃香の頭を撫でながら男は言葉を紡ぐ。

 

「……本当にこの数年間、幸せだった。 萃香……お主と共に過ごす時間が私にとっての幸せだった」

 

 男が度々言っていた幸せの意味。それを理解できない萃香ではない。

 

「初めは、単なる興味だったのだがな……互角に渡り合える好敵手だったのに……いつの間にか堪らなく愛おしい存在になっていた」

「ッ〜!?」

 

 自分の瞳を一直線に見つめながら紡がれた告白に、萃香はびくりと身体を震わせた。生まれてこのかた、これ程までの純粋な愛を囁かれたことはない。

 

 萃香もまた、己が胸に燻る気持ちに気付いていた。だから、何か言ってやろうと言葉を紡ごうとしたが、男の身体が倒れていくのが見えた。萃香は咄嗟に男の身体を支えて、彼の頭を自分の太腿に乗せた。

 

「……すまない、萃香」

「無理はするもんじゃないよ……大馬鹿者」

 

 男の血に濡れた髪を梳かすように撫でていく。男が普段通りの口調で喋るせいで大丈夫そうに見えるが、男は致命傷を受けている。萃香に心配をかけまいと普段通りを装っていることは萃香にはお見通しであった。

 

「……大地を抉る蹴りを放つというのに……まるで女子のように柔らかいものだな」

「女子のようにって……失礼な奴だね。 私はれっきとした女子だよ? それに人間初の鬼の膝枕だというのにそんな感想しかでないのかい?」

「酒臭いな」

 

 萃香は無言で男の額をパチンと弾いた。

 

「冗談だ」

「つまらない冗談だね」

「すまないな。 ちゃんと良い匂いがする……好きな香りだ」

「ッ〜〜!? な、なに言ってんのさぁ」

 

 萃香は堪らず顔を朱に染める。だが、太腿を伝う生温い血の感触が近付きつつある男の死期を仄めかしていた。だんだんと冷たくなっていく男の体温を肌で感じていると、男が掠れた声で言葉を紡いだ。

 

 

「……良い夜だな」

「そうだね」

「少し欠けているが、綺麗な月だ……」

「……うん」

「……願わくば、次の満月も見たかったものだ」

「……いくらでも見させてやるさ」

「そうか……それは楽しみだな」

 

 男は満足げに微笑む。そして最後の力を振り絞って、萃香の手を握った。

 

「……また……次の月が満ちる夜に……来る…………」

「……約束だぞ」

「ああ…………約束だ」

「……破ったら許さないぞ」

「破らないさ……」

 

 

 叶うはずもない約束。だが、それでも萃香は良かった。男との繋がりを確かに感じられるから。

 

 

 

 萃香の手を握る男に手から徐々に力が抜けていく。

 

 

「……萃香…………幸せにな」

 

 

 そう言い残して男は静かに息を引き取った。それまで留めていた涙が溢れ出し、萃香は嗚咽を上げた。

 

 

 

 

「なんで……なんで死ぬんだよ馬鹿ぁ…………私を一人にしないでよ……」

 

 

 

 男の亡骸を抱きしめた鬼の啜り泣く声が静かな森に木霊する。先程まで脈を打っていた男は血錆に濡れた鎧と同じように冷たくなっていく。手のひらから零れ落ちた命は二度と手のひらに収まることはない。それが当たり前で、覆ることはない。萃香が1番それを良く知っている。しっているからこそ、これが最後なんだと理解していた。

 

 最後の最後で気付かされた、胸の内に燻るこの想いは恋慕に違いない。そうじゃないのなら、こんなに胸が痛くなることはない。少なくとも、今までの生の中で最も鋭い痛みが萃香を襲っていた。

 

 

「……かえってきてよ」

 

 

 

叶わぬ願いは誰にも聞き届けられないまま、掻き消えた。

 

 

 

日が登り、また沈み。幾度となく世界は回る。やがて、萃香は男の遺体を抱えて山を登る。互いが命を賭した、あの場所に帰るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして、それから満月の夜になるたび。山の頂の小さな墓標の側で酒を呷る小さな鬼の姿が見られたとか。

 

 

 

 

 

 




すいかわいい

萃香はお酒を飲んでないと堅物なので少し酔っているくらいが丁度いいですよね。
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