東方千年探 ~魔理沙のはじめての文通~   作:ふーてんもどき

14 / 30
十四話

 

 

 

 それは単調な一本道でありながら、複雑怪奇に曲がりくねっていた。

 

 八雲紫は時空のねじれの中を進んだ。視覚も聴覚も嗅覚も働かない。頼りになるのは第六感ともいえる直感と、己の能力に対する全幅の信頼のみである。もしも迷いが生じればたちどころに足を踏み外して奈落の底へと落ちてしまう。そんな危うさを常に感じていた。

 

 これが時間旅行。いや、世界線を跨ぐということ。長い時を生きてきた紫であっても初めて体験する感覚だった。

 

 闇の中にか細い光の筋が通っており、道標の役目を果たしている。幻想郷と千年後の異界とを——より正確に言うなら魔理沙と八柳誠四郎とを——結ぶ縁。肉眼では見ることの叶わないそれを直感的に捉えつつ、手繰り寄せるようにして進む。

 

 どれくらい前に出発したのか。今はどの程度進んだのか。もしくは下がったのか。上下の間隔もすっかり曖昧になってきた時、紫の目の前が眩しく光り始めた。

 

 

 

 

 

 

 異空間から出て、紫は地面に足を降ろした。厚底の靴がカツンと硬い音を立てる。

 

「これは…………」

 

 千年後の未来。科学が行き着く最先端の時代。その景色は、妖怪の賢者と呼ばれる彼女を絶句させるに足るものであった。

 

 

 そこはどう見ても廃墟そのものだった。

 

 

 乱立する摩天楼のごときビル群には、一つの灯りも点いていない。道路だけでなく、地上全土が金属によって完璧に舗装されているが、その上を移動するものは何もない。瓦礫が散乱していたり、崩壊した建物が無様に横たわっていたりするばかりだ。

 

 一面灰色の空はのっぺりと重たく、どんなに遠くを眺めても雲が途切れることはない。凍えるほど寒いのは、あのスモッグによって太陽の光が遮られてしまっているためか。周りにガスを排出しているような構造物は見当たらない。どれもこれも機能を停止した廃墟のようにしか見えなかった。ならば空を覆い尽くしているスモッグは一体どうやって形成されているのか。それは幻想郷においても突出した頭脳を持つ紫でさえ、想像すらできないことだった。

 

「うっ…………!」

 

 無機質極まる景色を唖然として眺めていた紫は、突如襲ってきた吐き気と眩暈に思わず呻き声を上げた。

 

 咄嗟に口元を手で覆いつつ、己の周囲に素早く結界を構築する。しばらくすると呼吸は落ち着きを取り戻し、吐き気も過ぎ去った。

 

 

 唐突な体調悪化の原因を、紫は瞬間的に確信した。

 

 大気汚染と放射線だ。

 

 

 空気が汚染されている原因の大部分は、上空にあるだろうと思われる。自然発生したとは思えないスモッグから有害物質が絶え間なく降り注いでいるのだ。よく注意して見れば、人とは隔絶した性能をほこる大妖怪の視力が大気中に漂う極微細な粒子を捉えた。先ほど吸い込んだその毒性を改めて分析し、紫は慄いた。こんなものを人間が少しでも吸ってしまえば、肺が使い物にならなくなるだろう。

 

 しかしそんな毒素より恐ろしいのが、放射線の濃度だった。即座にスキマ能力によって遮断しなければ危なかったと、紫の額に冷たい汗が滲む。

 

 観察を一時取り止め、紫は己の内部に意識を集中させる。ソナーの要領で細胞一つ一つに妖力を伝搬させ、汚染された空気を吸い込んだことによる内部被曝の程度を計る。肺胞を中心に異常が見つかった個所に片っ端から『境界を操る程度の能力』を使って除染していく。すでに壊死し始めている細胞には妖力を重点的に流し込むことで活性化を図り、事なきを得る。外科手術にも劣らない精密な検査をその場で行えるのは、世界広しといえども紫くらいのものだろう。

 

 やがて体の異常をあらかた治療し終えた紫は疲れたように息を吐いた。目を開き、改めて周囲を見渡す。

 

 まるで爆撃されたかのように四散した建築物の成れの果て。長い間放置されていることを思わせる、ひどく古びた流線型の乗り物らしき物体。地面を埋め尽くす舗装と、天を突かんばかりに聳え立つ無機質なビルの集合体。薄暗いにもかかわらずその内の一つとして明かりが灯っていない光景は、筆舌に尽くしがたい寂静感が漂っている。

 

 そして、その全てが有害物質や放射線により汚染されているという絶望が、厳然たる事実として紫の目の前に広がっていた。人どころか、生命体が活動できるような環境ではなかった。

 

 千年後の未来。そこは紛れもなく滅びた世界だった。

 

 紫がわざわざ出向いたのは、幻想郷と奇妙な繋がりを持ったこの世界がいかなるものか見定めるためである。重要なのは幻想郷の害にならないかどうか。むしろ益になりそうであれば良好な関係を気付く算段も立ててはいたが、その必要はなかったようだと紫は判断を下す他に無かった。

 

 見て回る必要すらない。この世界は既に終わっていると断定しながら、しかし、紫は歩を進めた。すでに視察の目的の大部分は達成していたが、どうしても確かめておくべきことが残っていたのだ。

 

 紫は確かに、この時代の人間との『縁』を伝ってここへやって来た。そうしなければ初見ではとても辿り着けないような場所だった。

 

 つまり存在していなくてはおかしいのだ。魔理沙の文通相手、未来からの手紙の差出人である八柳誠四郎が必ず生きているはずである。そもそもの原因である彼について少しでも調べないことには、紫は帰るに帰れなかった。

 

 

 先ほど自分に対してそうしたように、周囲一帯に対して妖力の探査網を広げる。どんな微細な生命でも見落とさないようにじっくりと、全方位に満遍なく意識を配る。

 

 この世界に来るための手掛かりに使ったものが八柳の手紙である以上、必然として彼に近い場所に着地しているはずだが、有害物質を防ぐために結界を張っていることもあり探索に手間取る。

 

 微生物すら一つも見当たらない異様な空間に眉根を寄せながら、紫は地味な作業を淡々とこなし続けた。

 

 

 

「っ!」

 

 やがて微弱な生命反応を発見した紫は、その方角へと飛翔した。空高く飛び上がっても灰色の景色は何ら代わり映えしない。どこまでも続く、崩壊した文明の跡地。ビル群の向こう側にある海ですら薄暗く、生命の母と称されていたとは思えない色に染まっている。

 

「あれね」

 

 紫の目が、海岸にしゃがみ込んでいるたった一つの人影を捉えた。海岸とは言っても砂浜や岩場ではない。海岸線は全て、ブロックで不自然に埋め立てられている。

 

 その一角にぽつねんと座っている人物は、全身を何やら特殊なスーツで覆っており、頭にも宇宙飛行士が着けるようなヘルメットを被っているので、見た目には男か女かすら分からない。しかし探知できた生命はあの人間だけだったし、状況的に見ても間違いなく彼が目的の人物と見て間違いない、と紫は判断する。

 

 彼はただ静かに殺風景な海を眺めていた。何かを待ち焦がれるようにぼんやりと、遥か遠くの海岸線を見続けている。身動ぎ一つしないので意識が無いようにも見えたが、紫になおも伝わってくる生命反応から、彼が死んでおらず寝てもいないことが分かる。

 

 いや、得られた情報はそれだけではなかった。

 

 はっきり言って、彼は死に体だった。

 

 生物であればどんなものにも魔力が流れている。生命力とも言い換えられるそれは修業を積まなければ自在に操ることは出来ないが、例え目に見えないほどの微生物であっても僅かながら保有しているものだ。

 

 男から感じられる魔力は、常人を遥かに下回っている。紫は外の世界に出向いた時などに、それと同じような波長を感じたことは何度かあった。末期のがん患者や、エボラ出血熱発症者、もしくは老衰し余命幾ばくもない寝たきりの老人。そういった類のものだ。

 

 この世界の現状を見るに、彼の体が過酷な環境に耐えられず悲鳴を上げていることは明らかである。他に協力し合える人間がいないということも鑑みれば、生きていること自体が奇跡のような存在だった。

 

 

 紫は気配を消し、上空からすうっと降りていき、彼に忍び寄る。近くで見れば死に体だと評した自分の観察眼が確かだったとよりはっきり分かる。

 

 彼が着ている白い防護スーツはどのような素材で出来ているのか判然としない。しかしこれで放射線を防いでいることは確かだ。ガスマスクと一体になっているヘルメットも同等の性能をしていると見える。そうでなければこうして外に出るなんて自殺行為以外の何ものでもない。覗き込んでも気付かれないのは、紫が不可視の結界を発動させているからだ。

 

 一通り観察を終えた紫は、ふと彼の視線と同じ方を向く。ここが日本のどこに当たるのかは分からないが、目の前には墨汁を混ぜたような海が広がっているばかりで、他の陸地は目視できない。灰色の空と同系色の海。靄がかかっているように空気が汚れているのもあって水平線はぼやけて見える。

 

 

 やがて、ただでさえ薄暗かった景色がさらに暗さを増してきた。日が沈もうとしているのだ。海の向こう側からだんだんと闇が上ってくる。逢魔時になり、世界の終末めいた色合いはいっそう濃厚になっていく。

 

 するとそれまで座り呆けていた男が動いた。膝に手をつき老人のようにのっそり立ち上がり、踵を返してビルが倒壊して出来た瓦礫の山の方へ歩いていく。おそらくはねぐらに戻るのだろう。紫もしずしずとその後に続く。

 

 迷路のように入り組んだ道なき道を、男はまったく迷う素振りもなく進む。どの瓦礫がどのように絡み合っているのか完全に理解しているらしく、不必要な部分には触れないように気を付けている様子だった。紫が見るに、一つ間違えると崩落しそうな箇所がいくつかあり、それらを的確に避ける男の経験と観察眼は大したものであった。

 

 よじ上ったり下ったり、狭い所を這いずったりしてしばらく行くと、男は地面に埋め込まれた一つの円盤の前で足を止めた。頑丈そうな金属で出来た丸い物体。つまみがあることから、ハッチのようなものであると推測できる。

 

 決まった手順があるようで何重かに渡る複雑な施錠を解除し、男が分厚い蓋を開けると、地下へと続く階段が現れた。灯りが無く真っ暗な闇がわだかまっているが、新月の夜でも遠方が見渡せる紫の視力は、階段をずっと下りた先にある鈍色の鉄扉を見つけた。今しがた開いたハッチよりも重厚な造りを思わせる扉だ。男はヘルメットの上部にあるライトを点灯すると、階段に足をかけて降り始める。

 

 

 

 紫はそこから先には付いて行かなかった。内側から閉じていくハッチを、地上に留まって眺める。

 

「この先はシェルターになっているのね。食料の備蓄もあるだろうし、彼はここで暮らしていると見て間違いない」

 

 私生活までつぶさに見ても仕方がない、と紫は判断した。知るべきところは知った。どうやってたった一人生き残ったのかは分からないが、今ある事実は見たままだ。

 

 彼はどこまでもただの人間で、幻想郷への憧れはあるにしても害を為すような存在ではない。縁が繋がったのも偶然と見るのが正しいと思われる。暮らしぶりは至って単純。シェルターで寝泊まりし、食料を探すために外へ出て、魔理沙との文通だけを楽しみに生きている。または死に向かっていると言った方が正確か。

 

 そう遠くない内に、彼は亡くなるだろう。

 

 幻想郷の害になるものは無い。逆に利益にもならない。この世界はどこまでも空っぽで、あまりに手遅れだった。

 

 そんな場所に一人きりで取り残されている彼へ黙祷を捧げるように、紫は目を閉じた。すでに日は暮れ、辺りはシンとした夜闇に包まれている。

 

 紫は目を瞑ったまま、己の内部、心胆の中心へと意識を集中させる。出発地点である魔理沙の部屋では、藍が帰還術式の展開を維持しながら紫の帰りを今か今かと待っていることだろう。自分自身と幻想郷が繋がっている縁を感じ取り、そこへ向けて能力を発動する。

 

 来た時と同様に、異空間へといざなうスキマが現れ、紫は愛しの幻想郷に戻るためにその中へ入っていく。振り向きはしなかった。紫が完全に地上から足を放した瞬間にスキマは閉じ、後には何も残らなかった。

 

 来訪者が立ち去った世界はなおも森閑とし、虫の音一つしない。豊かな土も、青々と茂る木々も、可憐に咲く季節の花も、何も無い。かつて科学文明が隆盛を極めたことを示す残骸が捨て置かれているばかりである。青い惑星と呼ばれた面影は欠片も無く、灰色の雲が空を埋め尽くしている。

 

 

 そこは死の星だった。

 

 少女が夢見た未来の形は、どこにも無かった。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。