東方千年探 ~魔理沙のはじめての文通~   作:ふーてんもどき

16 / 30
十六話

 

 

 

 その日の早朝は雨だった。

 

 魔法の森に建つ一軒家の屋根裏部屋で、魔理沙は森に降り注いでいる雨の音を聞きながら黙々と本を読んでいた。彼女の傍らには小さな火の灯っているランタンが置かれていて、その受け皿からは溶けた蝋が溢れそうになっていた。足元の床には分厚い魔術書がいくつも積み重ねられ、魔理沙の腰あたりの高さまで及んでいる。

 魔理沙は本に書かれている文章を指でなぞりながらブツブツと何事かを呟いている。彼女の目は赤く充血しており、目元には濃い隈が浮かんでいる。もともと癖毛の長い金髪はしばらく手入れしていないのか所々毛羽立っていて、彼女が寝ていないことは明らかだった。

 

 たまに魔導書の一文を書き写したり要点をまとめてみたりしてはいるが、あまり成果は出ないようで、書いた側からぐしゃぐしゃと紙を丸めるとその辺にポイと放ってしまう。「ああもう」と苛立たし気に頭を掻きむしり、大きくため息を吐いてまた魔術書に向き直る。それをずっと繰り返していた。

 

 八柳誠四郎を救うために未来へ。

 

 そう決意した日から一週間が経った。実際に未来へ行った八雲紫の協力が得られない以上、自分の力で何とかするしかないと時間魔法の研究に取り掛かったのは良いが、まるで進展はなかった。自宅にある魔術書には一通り目を通した。しかしそこに魔理沙が求めるものは書かれていなかった。時間という概念に対して言及している本はいくつかあるが、そのどれにも時間移動の具体的な方法は載っていない。著者である魔術師が各々の理論を展開しており、魔理沙はそれらを理解しようと根気強く読み込んだが、今のところめぼしい結果は得られず。いや、それどころか取っ掛かりすら掴めていなかった。

 

「くそ…………全然分かんねえ」

 

 誠四郎の時間はもうあまり残されていない。刻一刻と彼の死が迫っているその実感が、魔理沙の心に重くのしかかる。

 

 八雲紫から未来のことを聞かされた日、紫の話だけではどうしても納得できなかった魔理沙は一昼夜悩んだ末、件のメッセージボトルを使い、誠四郎に確認の手紙を送った。

 

『未来について、あなたのことについて、本当のことを教えてください』

 

 いつものような前置きや雑談めいたことは一切書かれていない、簡潔で有無を言わせぬ内容の手紙だった。それに対して八柳からの返信が来たのが今から三日前のこと。彼にしては返事が来るのが遅かった。おそらく向こうも、どう答えたものか迷ったのだろう。

 

 結局、彼が送ってきた手紙は、紫の言葉が全て真実だったことを裏付けするものであった。

 

 

 

 

 

 

拝啓

霧雨魔理沙様

 

 お手紙ありがとう。幻想郷ではまだ暑い季節が続いているのでしょうか。こちらも最近はどこか温かく、過ごしやすい日が続いています。

 

 なんて前置きを書いてみましたが、今回はそんな雰囲気ではないですね。実はいつ踏み込んだ話をされるかと、魔理沙さんの手紙を受け取る度、毎回身構えていました。もしかしたら生活について明言を避けている私の手紙に違和感を抱いていたことかと思います。魔理沙さんを不安にさせてしまったのなら申し訳ない。私としてもそろそろ話しておかなければならないと考えていたので、この際ですからちゃんと説明します。

 

 私のいる世界は既に滅んでいます。周りに人はおらず、食料が新たに生産されることもありません。私が一人でその日暮らしのような生活をしているというのは、そういう意味です。ひょっとしたら世界のどこかで私と同じように生き残った人間がいるのかもしれませんが、今のところ見つかってはいません。あらゆる方法を試しましたが、返事があったのはこのメッセージボトルのみでした。

 

 今までに手紙で書いたことから、魔理沙さんは未来の世界が素晴らしく発展していて、便利なもので溢れていると想像しているかもしれませんね。けど人類が科学によって繁栄できたのは、もうずいぶん昔のことです。およそ百年ほど前ですね。端的に言うと戦争が起きました。大昔にあったという世界大戦とは比べ物にならないほどの規模の戦いだったと思います。凄まじい威力の兵器によって地表は瞬く間に火の海となり、自然環境も激変して人がどんどん死んでいきました。

 

 聡明な魔理沙さんなら、私がどうやってそんな世界で生き残ったのか、そして百年という時の隔たりを疑問に思うことでしょう。コールドスリープというものはご存じですか。あまり難しい理論は説明できないのですが、人体を冷凍保存しておく技術のことです。長い年月眠りに就き、肉体はほとんど劣化しないので、遠い未来で目覚めることが出来ます。戦争が終結しているかもしれない、その時まで。

 

 私が住んでいた地域にも戦火が広がり始めた時、私は両親と一緒に地下のシェルターへ逃げ込みました。そこにコールドスリープの装置があったのです。町の共用施設にあった小さなシェルターでしたが、入ってきた人は多く、誰が装置を使うかで揉めました。その時のことは、すみません。あまり詳しくは書けません。ただシェルター内での騒乱の中、両親は僕を装置に押し込み、結果として僕は百年間眠り続けました。

 

 そうして次に目覚めた時、シェルターに人は残っていませんでした。もちろん、外に出ても生きている人間は見つからず、私は目覚めてからの三年間を生き残りの捜索に費やしました。今はもう出来ることはあらかたやってしまい、あまり余力もありませんが。

 

 きっと地球という生命は終わっているのだと思います。度重なる環境汚染のせいで大戦が始まる前からまともに生き物が住める場所ではありませんでしたし、今では防護服を着なければ満足に外も歩けない状況です。そんな環境に長く身を置いたせいか、私の体も最近ではあまり言う事を聞かなくなってきました。

 

 重たい話をしてしまいすみません。ただ、私は魔理沙さんとの文通で救われました。誰かと言葉を交わせるというだけで心が軽くなりますし、魔理沙さんが教えてくれた幻想郷の風景を思い浮かべると何故だかとても懐かしい気持ちになります。行ったことも無いのに不思議ですね。

 

 一つだけお願いです。これからも同じように私と文通を続けてもらえますか。今まで通り、他愛のない話で構いません。いえ、むしろその方が好ましく思います。こちらからは魔理沙さんのためになるような面白い話が出来ないことが心苦しいですが、どうかお願いします。

 

敬具

2×××年□月◆日

八柳誠四郎

 

 

追伸

 

 魔理沙さんの生きている世界は本当に素晴らしい場所です。幻想郷という楽園がいつまでも穏やかであり続け、私の生まれた時代のようにならないことを、心から願っています。

 

 

 

 

 

 

 淡々とした語り口で書かれている手紙は、部分部分の筆圧がバラバラだった。いつもは几帳面な誠四郎の文体が歪にブレている。僅かな違いだったが、それは魔理沙にとって大きな意味を持っていた。読み返した手紙をそっと元の場所に戻し、魔理沙は自分の両頬を叩く。

 

 しかしそうして喝を入れてみたところで、状況は好転しない。満足に寝ていない脳みそはきちんと働いてくれず、本を読んでいてもすぐに集中力が切れて文字がぼやけて見える。

 

 雨の音に混じって木を叩くような音が聞こえた気がした。聞き違いだろうか。または鳥が木を突いたりしているのか。

 

 魔理沙は重い頭を振って、かじりつくように机と向き合う。魔術の叡智が詰まった分厚い本の塔は、もはや敵にしか見えない。どれもこれもが寄ってたかって学術という名の暴力を加えてくるように思われた。

 一文一文が難解なことこの上ないのに、読んでみれば結局、時間移動の方法は分からず終いだ。そもそも時間という概念に人が触れ得るのか、という疑問から始まる。いくつかの論文から自分なりに魔術式を組み上げられないものかと考えてもみたが、それは一流の魔法使いをもってしてさえ困難を極める大事業だろう。半人前の魔理沙がいくら頭を悩ませたところで到底答えが出るものでもなかった。

 

 コンコン、と木の鳴る音がする。今度は確かに聞こえた。魔理沙は突っ伏すようにして読んでいた本から顔を上げ、耳を澄ませる。木を……いや、扉を叩いている。その音に混じって声がする。魔理沙の名前を呼んでいる。

 

「誰だ? こんな時間から」

 

 時計を見ればまだ日の出からさほど時間は経っていない。そんな早朝に、魔法の森にあるこの家を訪ねるなど霊夢以上の物好きになるが。鈍い頭痛のするこめかみを抑えつつ、一階に降りて玄関扉を開ける。

 

 そこにはカラスの黒い翼を生やした天狗、射命丸文が立っていた。

 

「いやー、おはようございます。もしかして寝てました?」

 

 文はいつも通りに人好きのする笑顔を浮かべながら「雨は困りますねえ」と言って羽ばたき、水気を飛ばす。今日の彼女は雨合羽を着ており、頭からくるぶしまで防水布に覆われている。背中の翼を除けばまるでてるてる坊主のようである。

 

「こんな朝っぱらから何の用だよ」

 

 魔理沙がぶっきらぼうな口調でそう言う。不機嫌と言うよりかは、疲れの滲んだ声だった。

 

「やだなあ。私といえば新聞。新聞といえば朝刊でしょう。朝の新聞配達は私の日課ですよ」

 

 魔理沙と対照的に元気はつらつな文は「はい、今日の朝刊」と言って合羽の下から新聞を一部取り出す。魔理沙は「ご苦労さん」とそれを受け取った。

 

 ここしばらく、魔理沙は『文々。新聞』を購読していた。以前、向日葵の花を貰いに幽香の元を訪ねてからあの日以来、文に配達を頼んでいる。きっかけは霧雨店の前店主である魔理沙の父がコラムに小さな記事を寄稿していると知ったことだった。魔理沙から定期購入したいという話をされた文は最初こそ仰天同地といった様子で驚いていたが、すぐさま有頂天になり「雨の日も風の日もお届けに上がります!」と意気込んでいた。

 

 そうして日々の生活の中に新聞を読むという習慣が加わった魔理沙だったが、今まで一度も、文が手渡しに来たことはない。新聞は当然郵便受けに入れられる。代金も封筒にまとめて郵便受けの中に入れておき、月毎に文がそれを回収するという約束になっているので、基本的に二人が顔を合わせることはない。

 

 だというのに何故、雨も降っている今日に限って自分に会いに来たのだろう、と魔理沙は訝しんだ。妖怪である文の身勝手さには定評があるので、空も白い早朝に訪ねて来たのはこの際目を瞑るとしても、やはり怪しいことに変わりはない。文通のことがバレたのか。それともその延長で、八雲紫が未来へ行ったり自分が時間魔法の研究を始めたりしたことを何処かから嗅ぎつけたのか。「何の用だ」と魔理沙が聞いたのはそういった意味でのことだった。

 

「そんなに睨まないでくださいよ。ひょっとして本当に寝てました? 二階の窓から灯りが漏れていたので、てっきり起きているのかと思ったんですけど」

「いや、まあ起きてたけどさ……」

「良かった。ああ、別に大した用じゃないですよ。ちょっと依頼人から魔理沙さんに手渡しするよう頼まれていまして」

 

 文がそう言って取り出したのは、花柄の包装がされた小包だった。大きさは片手でも掴める程度で、実際に持ってみると見た目よりも軽く感じる。

 

「元払いなのでお金は大丈夫です。こちらに印鑑だけお願いします」

「はいはい。ちょっと判子取ってくるから待ってて」

 

 魔理沙は居間に戻り、長いこと使われていない箪笥の小さな引き出しから判子と朱肉を見つけ出して、文が開いた手帳の受領欄に赤い判を押した。

 

「魔理沙さんって判子持ってたんですね」

「おい、そりゃ嫌味か」

「純粋に感心してるんですよ。いやあ、それにしても凄いお宅ですね。今チラッと見えただけでもかなり面白そうな……また今度取材させていただいてもよろしいですか?」

「よろしくない。あと覗くな」

 

 魔理沙は顔を赤らめて玄関扉を閉めた。しかし霧雨魔法店の恥ずべきゴミ屋敷っぷりは玄関先にまで及んでいるのであまり効果はなかった。

 

「しかし誰からなんだ、この荷物」

「まずは受け取ったらその場で開くように、とのことです。私は立ち合い人になって欲しいと頼まれました」

「はあ、今ここで?」

 

 おかしな注文に首を傾げつつ、魔理沙は小包の包装紙をびりびりと破く。小さな木箱が入っており、その蓋は見慣れない文字の書かれている紙で封がしてある。

 寝不足でボケた頭の魔理沙は深く考えず、その封を切って蓋を開けた。瞬間、飛び出したのは眩い紅色の閃光。魔理沙と文は揃って「きゃっ」と驚き、咄嗟に顔を覆った。

 

「な、なんだったんだ。今の光は」

「さあ…………」

 

 しばらくしても他に何も異変が起きないので、魔理沙はゆっくりと目を開け、箱の中身を覗いた。小さいながらしっかりとした造りの箱には、一枚の封筒があるのみ。それ以外には何も入っていない。さっきの赤い光といい、どういう贈り物だと一層怪しさが増す。

 

「それで差出人は…………え、パチュリー?」

 

 封筒の裏に書かれていた名前を見て、魔理沙が素っ頓狂な声を上げる。パチュリー・ノーレッジ。七曜の魔女、もしくは動かない大図書館という異名で知られる生粋の魔女だ。霧の湖の側に建つ吸血鬼の屋敷『紅魔館』に客人として住まう彼女は、膨大な蔵書量を誇る紅魔館の書庫に籠って日がな本を読み耽っている。一に読書、二に研究。三四が無くて、五に読書。そういった気質の魔法使いだ。外に出ることは滅多になく、他人と関わることもない。魔理沙は同じ魔道を志す者として交流はあるが、パチュリーが自ら人に対して働きかけるような人物ではないことを知っている。そんな彼女が何故贈り物を、それも開けた瞬間に発光するような仕掛けまで施すのか、魔理沙は不思議に思った。

 

 木箱を文に持たせて封筒から便箋を取り出す。そこには端正な文字で、実に簡素かつ明瞭な文が綴られていた。

 

 

 

『魔理沙へ。本の返却期限から三カ月が経ったわ。この手紙を読んでいるということは赤い光を浴びたでしょう。今日中に返却しない場合、問答無用で心肺が停止して死ぬ呪いをかけました。それでは返しに来るのを待っています。かしこ』

 

 

 

 ただでさえ疲れ切っていた魔理沙の顔から血の気が引き、蒼白になる。

 

 何という理不尽。何という横暴。いや、どちらが悪いかと言えば、パチュリーが命の次に大事にしている魔導書を期限超過して我が物顔で持っていた自分に他ならないが、いくら何でもその代償が死刑とは重すぎる。本の取り立てのためだけに複雑かつ高度な呪いの術式をひょいと組んでしまうパチュリーを流石と褒めるべきか、阿呆と罵るべきか。魔理沙は天を仰いだ。

 

「あっ。裏面。文宛てにも何か書いてあるぞ」

「え、なんですか」

 

 便箋を裏返した魔理沙がそこに書いてあった文章を見つけた。顔色が悪くなった魔理沙をどうしたのかしらと見ていた文は、突然自分の名前を呼ばれてきょとんとする。

 

「えー…………追伸。不躾な鴉天狗の記者にも一つ呪いをかけました。私の盗撮写真を新聞に載せたら全身の毛という毛が抜けて最後には焼き鳥になる呪いよ。くれぐれも注意されたし。だってさ」

「は!? 呪い? なにが、なんで!?」

 

 文はその実年齢に似つかわしくないほど狼狽して自分の頭部を押さえた。盗撮は良くないけど確かにこれはやり過ぎだろう、と魔理沙は文に憐れみを込めた視線を投げつつ説明する。

 

「さっき箱を開けた時なんか光っただろ。あれ、呪いだったんだってさ」

 

 文が声にならない悲鳴を上げた。魔理沙にかけられたものより残虐で手が込んでいることから、パチュリーの文に対する印象が伺える。

 

「そんな、ベストショットだったのに…………明日の見出しに何を載せればいいの…………」

 

 そんなうわ言を呟く文を見ながら「パチュリーの判断は正しかったのだろう」と魔理沙はコロッと意見を変えた。

 

 誠四郎の安否を思えば、今は一刻でも惜しい。しかし呪いまで掛けられては仕方ない。それに、魔理沙自身も現状では手詰まりであることを理解しつつあった。自分の力でやると決めた以上、独学から逸れるのは業腹だが、そうも言ってはいられない状況だ。

 

「ちょうど良かったのかもな」

 

 少女の小さな呟きが、雨音に混じって消えた。

 

 

 




合羽着たあややが見たいです(切実)

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。