東方千年探 ~魔理沙のはじめての文通~   作:ふーてんもどき

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十八話

 

 

 

 街の至るところから湯けむりが立ち上っている。石畳の舗装が美しい大通りには饅頭を売る露店や、炭火の良い匂いをさせる飲み屋などがひしめき合うように並び、客を呼び込んでいる。

 

 そんな街中を闊歩するのは鬼を始めとした妖怪や、霊魂だけの姿でふよふよと浮かぶ幽霊である。人間は一人として混じっていない。かつては地上で忌み嫌われ追いやられる形で地底に住み着いた彼らだが、温泉街はそんな不幸とは無縁の活気に満ちていた。

 

 仄かに鼻をつく硫黄の匂い。店先の蒸籠で蒸されている温泉饅頭。酒の入った大徳利を片手に浴衣姿で街を練り歩く鬼の団体。「極楽浄土は地下にあり」と誰かが言う。

 

 この温泉街は地底の中心地である旧都からほど近い場所にある。以前、地底に住む一人の妖怪が力を暴走させてしまい、博麗神社の付近に巨大な間欠泉を噴き出させるという異変が発生した。地底で管理されていた怨霊までもが熱湯の激流に乗って脱走してしまうというなかなかに厄介な事件だったが、博麗霊夢らの活躍もあって今ではすっかり解決している。

 

 しかし、そんな異変の影響の一端がここに現れていた。かつては巨大なばかりで大した娯楽も無かった旧地獄の都だが、間欠泉の異変を機に一転、温泉街として目も眩むような躍進を遂げたのである。故に出来てから日はまだ浅く、建っている家々もほとんどは新築だった。

 

 心身に染み渡る効能豊かな温泉が妖怪霊魂の区別なく魅了せしめたのだ。人気はさらなる人気を呼び、いつしか商いが生まれて経済が回り、あれよあれよという間に現在に至る。

 

 

 

 

 

「なんか向こうは賑やかで楽しそうだなあ。温泉入るなら私、あっちが良かった」

 

 華々しい温泉街から遠く離れた場所、人気のない荒野にも一つ、大きな温泉があった。滔々と湧き出る天然のお湯が丸石で囲った露天の湯船を満たしている。そこに浸かっている霧雨魔理沙は、遠くから聞こえてくる微かな喧騒に耳を立て、薄暗い地下世界で煌びやかに光を放っている温泉街の方角を眺めて愚痴をこぼした。

 

「うるさいだけよ。温泉はゆっくり浸かるべきだわ」

 

 魔理沙の側で石に背もたれ、気持ちよさそうに肩まで温泉に浸かっているパチュリーがそう言った。二人とも長い髪をしているので邪魔にならないように結い上げている。魔理沙はその金髪をお団子にまとめて簪を差し、パチュリーは白いうなじの横で簡単に束ねて肩に垂らしている。

 

「でもさあ、温泉饅頭とか食べたくないか。それと地獄蒸しで卵とか蒸したい。あ、旧地獄で地獄蒸しってなんか面白いよな」

「別に。仕事が終わればあなた一人で遊びに行くといいわ」

「なんでだよ。つまんないこと言うなよ」

 

 紅魔館にやって来た時の切羽詰まった様子もどこへやら、魔理沙は噂を聞くばかりでまだ行ったことのない地底の温泉街に思いを馳せてはしゃいでいる。

 

「せっかくなんだから温泉巡りしようぜ。勿体ない」

「私は嫌。温泉に入る時はね、誰にも邪魔されず、救われていなければ駄目なのよ。独りで静かで豊かで…………」

 

 パチュリーは目を瞑って露天風呂の心地よさに身を預けながら持論を展開する。魔理沙が「意味わからん」と言った。

 

 街から離れたところに人知れず湧くこの温泉に、彼女たち以外の客の姿は無い。いわゆる貸し切り状態だ。小高い丘の上にあるので地底の殺風景な大パノラマを見渡せる。

 

 近くにある人工物と言えばこの温泉と、入り口にある簡易脱衣所。そして圧巻の存在感を誇る白亜の巨塔だけだ。塔の直径は今二人が浸かっている温泉よりも大きい。白く滑らかな外壁が円筒上に伸びており、その高さは易々と地底世界の天井を貫き、上部は地上にまで達している。

 幻想郷では類を見ない大きさの建造物は『間欠泉地下センター』と呼ばれる研究施設である。パチュリーの言う仕事とは、どうやらその施設で行われていることに関係するようだった。

 

「しかし仕事前なのにこんなのんびり温泉に浸かってていいのか?」

 

 魔理沙がもっともな疑問を口にする。

 

「平気よ。これも仕事の内だもの」

 

 露天風呂を楽しむことが仕事とはこれ如何に。よく分からず首を傾げる魔理沙だったが、仕事だなんだと言いつつ、パチュリーが持参してきた風呂道具一式から単なる温泉好きであることだけは確信できた。紅魔館の魔女は温泉にご執心。文にでも知られれば瞬く間に記事にされること請け合いだろう。

 

「それにちょうど、依頼人も来たみたい」

 

 パチュリーが言いながら脱衣所の方に視線を向ける。魔理沙もつられてそちらを見ると、引き戸がガラリと開いて誰かが入ってきた。短く切った桃色の髪をした、華奢で小さな女の子。しかし彼女の体から伸びている細い触手と、その先に繋がっている大きな目玉のような物体が、この少女もまた人間ではないことを示していた。

 

「こんにちは、お二人とも」

「依頼人って、さとりかよ」

 

 魔理沙がげんなりとした様子で呟く。会って早々あんまりな態度をされた妖怪の少女は、しかし意にも介さず二人の側まで歩いて来ると温泉に肩まで浸かった。気持ちよさそうに「ふう」と小さな息を漏らし、パチュリーがそうしているように縁の丸石に背を預ける。

 

「いつもご足労いただきありがとうございます、パチュリーさん。今日は魔理沙さんもご一緒ですか。ええ、もちろん構いませんよ。私たちの仕事を助けてもらえるのなら何も文句はありませんし。ただ、なにぶん急なことですから、お給金などについてはまた相談し後日お渡しするという形にしたいのですが、よろしいですか」

 

 魔理沙とパチュリーのどちらも喋っていないのに、とんとん拍子で話を進めてくる。

 この少女の姿をした妖怪がパチュリーの依頼主であることに疑う余地はないが、魔理沙の急な来訪に驚かないばかりか、何もかも訳知り顔で話すその超然とした態度は、ある種異様とすら言えるものだ。

 

 万が一、パチュリーが何らかの手段で魔理沙も一緒に来ることを事前に伝えていたのなら辻褄も合うのだが。魔理沙はそういった確認の意思を込めてパチュリーに視線を送るも、首を横に振られる。事前打ち合わせはなかったらしい。

 

 古明地さとりは、その名の通り覚り妖怪である。触手と繋がっている大きな目によって人間でも妖怪でも、果ては霊魂であっても相手の心情を読んでしまえる異質な力を持った希少種族だ。

 地底の妖怪は、その多くが地上で疎まれて人気のない地下に潜ったという経緯を持つが、さとりはその筆頭とも言える。心を読めるが故の弊害。破壊的なまでのコミュニケーション能力が、彼女を嫌われ者No.1の座に君臨させ、さらには地底世界のトップに立たせている。旧都の中心に建っている地霊殿の主、そこにおわす地底の総まとめ役、怨霊すら恐れ怯む存在とは、彼女のことであった。

 

「そんなに畏まらないでください。私に害意も戦闘能力もないことは、以前申し上げたでしょう」

 

 カチューシャで前髪を上げているさとりは、不服そうな口調で魔理沙に言う。

 

「私たち覚り妖怪にとって人の心が読めてしまうというのは、これはもうどうしようもないことなんです」

 

 そのことは魔理沙も理解している。間欠泉の異変に首を突っ込んだ際にさとりと顔を合わせており、今が初対面というわけでもない。しかしやはり、繊細な悩み事や、自分ですら意識できていない感情の機微を探られるというのは、心穏やかではいられないものだ。複雑な事情を抱えている今は、特に。

 一方でパチュリーは変わらず堂々としたものだった。大魔女ともなると、心が読まれることにも抵抗は無いのだろうか。

 

「それで、パチュリーさん。この後の予定なんですが」

 

 さとりは身を固くしている魔理沙から目を離し、パチュリーと仕事の段取りなどの話を始めた。話とは言っても、さとりには相手の考えていることが手に取るように分かるのでパチュリーが喋ることはほとんど無いが。

 

 時間はそれほどかからなかった。覚り妖怪の類い稀な能力とパチュリーの小ざっぱりした性格が見事にかみ合い、事務的な話は二、三言さとりが喋るだけで終わってしまった。第三者からすればどのような会話の内容だったのか、そもそも本当に会話をしていたのかすらよく分からない。自分がどのような役回りで呼ばれたのか理解できなかった魔理沙は目を白黒とさせるばかりだ。

 

「魔理沙、だいたいは分かったかしら」

 

 珍しく気を利かせてか、パチュリーがそう聞いてくる。魔理沙が「いや、何が?」と言うと、今しがた話していた仕事のことを説明してくれた。

 

 魔理沙たちが浸かっている温泉のすぐ側にある巨塔、間欠泉地下センターは有体に言えば研究所だ。それもただ単に温泉や地熱などの観測をしているだけではない。あの巨大建造物の最奥で行われているのは核融合技術の研究である。

 

 核融合炉。それは幻想郷にあって異質なほどに発達した科学技術の結晶だった。

 

 霊烏路空という妖怪がいる。元は地獄鴉と呼ばれていた彼女は、さとりのペットとして地霊殿で暮らしている。そんなしがない一妖怪にある日、はた迷惑な神から特別な能力が与えられた。下賜されたるは八咫烏の御力。太陽神にまつわるその力は、霊烏路の中で『核融合を操る程度の能力』とされる破格の異能として顕現した。そのせいで間欠泉と共に怨霊が地上へ出て行ってしまう異変が発生したのだが、暗く殺風景だった地底が温泉街として繁栄する起点にもなった。なんやかんやあって霊烏路の力の暴走も収まり、今は元気に間欠泉センターで研究対象として働いているという。

 

「で、なんでそこにパチュリーが出てくんの」

 

 前置きとしてパチュリーが経緯の説明をしていたところに魔理沙が質問を挟む。

 

「技術顧問として雇われているのよ。核融合の研究の手助けはもちろん、施設を建てる時、外壁に強化魔術を施したりもしたわ」

 

 パチュリーはおもむろに両手でお湯を掬うと、そこに魔力を流した。すると湯の中に含まれていた魔素と反応し、掌の中にあるお湯全体が淡く光を発した。この露天風呂に注がれている温水は一度間欠泉センターを経由して湯量や温度などを調整されている。その際にパチュリーの仕組んだ魔術式を通すことで、温泉としての効能がより高まっているとのことだ。

 

 言われてみれば、魔理沙も心なしか体が軽くなったように感じる。いつの間にか肩こりがほぐれ、寝不足で気怠かった頭もすっきりとしていた。血潮と一緒に身体中を流れている魔力はさらさらと淀みなく、手足の先まで活性化しているようだった。

 

 無論、地底の誇る間欠泉センターの恩恵はそれだけではない。短期間で温泉街が発展できたのも、この研究施設が生み出すエネルギーがあってこそだ。

 核融合によるエネルギー生産は外の世界でも未だに実現していない驚異の技術である。それが霊烏路空の持つ八咫烏の力を発端にして、河童の技術とパチュリーによる魔法の掛け合わせで飛躍的な進展を遂げていた。

 

「パチュリー、質問」

「なにかしら」

「そもそも核融合って何さ」

 

 今までの話の前提となっていた部分について問いただされたパチュリーはぽかんと口を開く。しかし魔理沙の側からすれば至極真っ当な疑問だった。

 

 なんだか凄く便利らしいということは分かった。それだけ。

 

 魔理沙は生まれてこの方、聞いたことも無い単語に首を捻るばかりだ。仕方がないじゃないか。寺子屋で習わなかったんだもの。今の今まで太陽が核融合によって出来ているなんて知らなかったし、霊烏路空の能力にしても凄い高温を出せる程度の能力くらいにしか考えていない魔理沙であった。

 

「まあ、とても制御が難しい技術なんです。もちろんお空も使いこなせてはいません」

 

 さとりが横合いからそう言った。複雑な科学知識をどうやって説明したものかと悩んでいたパチュリーへの助け舟だった。一応は納得したのか「ふうん」と魔理沙。

 

「でもさ、それって私にどうこう出来ることなのか?」

 

 今まで聞いたことも無いような最先端技術の実験だの研究だのと言われても力になれそうもない、と魔理沙は考える。

 

「あなたの持っている八卦炉を、制御装置の参考にさせて欲しいのよ。今のところは河童もお手上げでね。私としては魔法でどうにか中性子線の安定した利用の目途を立てたいのだけれど…………あ、中性子線っていうのは放射線のことで…………」

 

 先ほどの反省を活かしてかパチュリーが用語の説明をしようとしたその時、魔理沙はやおら立ち上がった。バシャッっと勢いよく水飛沫が上がる。

 

「今、放射線って言ったか」

 

 魔理沙の顔が驚愕と怒りによって歪んでいる。いや、それは怒りと言うよりは憎悪と呼ぶ方が適切かもしれない。パチュリーは魔理沙の唐突な変化についていけず、小首を傾げる。

 

「どうしたの、急に」

「どうしたもこうしたも…………危険なものなんだろ、放射線って。もの凄く」

 

 紫から聞かされた生々しい未来の話が、魔理沙の脳裏に鮮明に蘇る。今や魔理沙にとって放射線とは八柳誠四郎を苦しめている諸悪の根源に他ならなかった。世界の滅ぶ原因となった技術。それがまさか幻想郷にすでに存在していたとは夢にも思わなかったのだ。

 

「核融合ことは知らないのに、放射線のことは知っていたのですか」

 

 心を読む第三の目に見つめられ、魔理沙は言葉を詰まらせる。その質問は核心を突くものだった。知識の矛盾。そこから遡れば魔理沙の抱えている事情や感情の機微までが見えてくることだろう。

 さとりの真っ直ぐな視線が、激情に駆られそうになった魔理沙を射抜いていた。

 

「安心してください。と言っても難しいでしょうが、パチュリーさん達は皆の生活を豊かにするために研究に励んでいるんです。決して悪用はしませんし、させませんよ」

「でも、でもさ。危ないことに変わりはないんだろ?」

「その危険を無くすための研究です。まあ私に詳しいことは分かりませんが……技術はあくまで技術でしょう。肝心なのは使い方。使う者の心が問われると、私は思っています」

 

 さとりは言いながら、サードアイをそっと撫でる。パチュリーも同感だと言うように頷く。

 

 魔理沙は再び腰を下ろして温泉に浸かった。感情的ではなくなったが複雑な心境に変わりはないようで、表情は曇ったままだった。目を瞑ると、瞼の裏に荒んだ未来の光景が映るようだった。幻想郷は美しいままでいて欲しい、と書かかれていた誠四郎の手紙が思い起こされる。

 

 さとりもパチュリーも黙って魔理沙の返事を待つ。しばらくして「わかった」と魔理沙は言った。

 

「協力はするよ。乗りかかった船だし、それに、ちゃんと見ておきたいし」

 

 魔理沙の答えに頬を緩めたのはパチュリーだった。ちゃんと見るという言葉が、純粋な探究者である彼女の心に響いたのだ。

 

「じゃあ、そろそろ行きましょうか」

「うん。これ以上入っているとのぼせそうだぜ」

「ちょっと待ってください。私まだ入ったばかりなんですが」

 

 湯船から立ち上がった二人に、さとりが苦言を呈する。

 

「泉質の確認は十分出来たでしょう。それにあなたはいつでも入れるじゃない」

 

 パチュリーの口調には若干妬みが篭っていた。

 心を読めるにも関わらずわざわざ口に出して言われ、さとりは膨れ面をする。いつも泰然としている彼女にしては珍しい不満たらたらな表情を見て、魔女でも妖怪でも温泉が好きなんだなあ、と魔理沙はしみじみ思うのだった。

 

 

 

 

 

 

「この台座にミニ八卦炉を置けばいいのか?」

「ええ、私の七曜の魔法に対応するように魔法陣が組んであるわ。原理が少し違うから十全にとはいかないけど、ちゃんと機能するはずよ」

 

 地底にある研究所の、さらに下へ潜ったところにある奥深く。核融合の実験エリアに立ち入った魔理沙はパチュリーに言われるままミニ八卦炉を幾何学模様の描かれた台座に置いた。

 

 白一色の室内は、虫どころか菌さえ入る余地がないほどの無機質な清潔感に満ちている。そんな中に複雑怪奇な実験装置や計器類がずらりと並んでいる光景はまさしく近未来。幻想郷の地底から一転異世界に迷い込んだような錯覚を魔理沙に抱かせた。

 

「あまり変なところには触らないでくださいね」

 

 魔理沙の後ろからさとりがジト目を向けながら言った。

 

「わ、分かってるよ。失礼だな全く」

 

 魔理沙は「実に心外だ」といった風にぼやくが、その手はこっそりと近くにあった計器に触れようとしていた。明らかに好奇心が隠し切れていない魔理沙に、さとりは一層警戒を強める。間欠泉センターに入ってからキョロキョロと忙しなく辺りを見回す様はまるで工場見学に来た子供のようだった。と言うか、そのものだった。

 

「大丈夫だよ。どの装置にもセーフティが掛かってるから不味いことにはならないよ」

 

 横合いからそう言ったのは河童の少女、河城にとりだった。幻想郷の河童は総じて大変な発明家気質である。中でも彼女は電気工学や機械工学に並々ならぬ関心を持っており、この実験施設では所長という地位に収まっている。もっとも役職は形だけのもので、河童たちは各々好き勝手に自分のやりたい実験を繰り返しているだけなのだが、それを良しとしてしまうのはさすが妖怪と評すべき大らかさである。

 

「で、今回やるのはそのミニ八卦炉を使ったエネルギー変換ってことで良いんだね」

「ええ。より正確に言うなら熱エネルギーを純粋な魔力に変えられるか、という内容になるわね」

 

 にとりとパチュリーが作業内容や段取りの確認をしているところに、魔理沙が質問を挟んだ。

 

「熱を魔力に変えるのってそんなに難しいのか?」

「ええ。私の魔法でもあらかた試してはみたんだけど、ロスが多すぎてあまり使えなかったのよ。魔力はいろいろな方法での保存が可能だし使い勝手も格段に良いから、是非とも実現させたいところなんだけど…………」

 

 結局、魔理沙のやることは単純で、いつも使っているようにミニ八卦炉を駆動させるだけで良いらしかった。

 

「じゃ、準備するよー」

 

 にとりが操作盤のキーを手慣れた様子で叩く。するとミニ八卦炉を乗せた台座や、そこと太いチューブで繋がれている機器が稼働し始める。同時に、魔理沙たちの近くにあるモニターが光り、とある部屋が映し出された。

 

 ドーム状の部屋には物が一つも置かれていない。その代わりに、台座に刻まれているのと同じ魔方陣や、今の魔理沙では到底理解できそうにもない魔術式が壁一面にびっしりと描かれていた。

 

「霊烏路、お待たせ。今から始めるから入ってきて」

 

 マイクに向かってにとりがそう言うと、ややあってモニターに映っている殺風景な部屋に、黒い翼を持った長身の女の子が入ってきた。さとりのペットの地獄鴉、今はこの間欠泉センターの重要な研究対象として働いている霊烏路空である。彼女は辺りを見回し、こちらのカメラを見つけると嬉しそうに笑って手を振った。

 

『さとり様ー! 見てますかー!』

「ええ。見ているわよ、お空。頑張ってね」

『はい! 頑張ります!』

 

 ぴょんぴょんと飛び跳ねて全身で自分がここにいると伝えてくる霊烏路と、そんな彼女に微笑みながら答えるさとり。外見年齢こそあべこべだが、まるで小学生とその子の授業参観に来た親のようなやり取りが衆目の前で繰り広げられる。

 

「なあパチュリー。ひょっとして毎回このやり取りしてんの?」

 

 魔理沙が小声で聞く。パチュリーは慣れた顔でこくりと頷く。

 霊烏路はこの研究所の要とも言うべき存在だ。重要度で言えばここにいる誰よりもダントツで高い。現状、彼女の能力なくしては核融合を行えないので当然と言える。しかし画面に映っている霊烏路は今まさに新しいことに挑戦するような初々しさで、自分の主人に手を振っているのである。凄まじきは地獄鴉の鳥頭と、そんな彼女に全力の愛情を注ぐさとりの親バカっぷりだった。

 

「じゃ、お二人さん。そろそろ始めるからね」

 

 にとりが遠隔操作で霊烏路のいる実験室の扉を閉める。それを確認したパチュリーが持参した魔導書を開き、呪文を詠唱し始めた。呪文に呼応するように、ドーム室内のてっ辺に描かれている一際巨大な魔方陣が光り出す。そこを中心として壁面の魔術式も次々に輝き始め、室内は見る見るうちに何重にもかけられた七曜の魔法の光で満たされていく。

 

「変換魔術式の起動を確認、っと。電力補助42%を維持。内壁の防護結界も問題なく作動しているよ」

 

 にとりはそれぞれの計器を確認しながら状況を逐一報告する。魔理沙は今まで考えもしなかった科学と魔法の共同作業をポカンとした顔で見つめている。しばらくして詠唱を無事に終えたパチュリーに「そろそろ準備して」と言われ、慌ててミニ八卦炉に魔力を流し込む。

 

「なあ、こんな大掛かりなもんなの? 私のミニ八卦炉壊れない?」

「大丈夫よ。実験は空の最低火力でしか行わないから。それに、その八卦炉はヒヒイロカネで出来ているのよ。この実験室の内壁でもそこまで丈夫な素材は使っていないわ」

 

 さらりとミニ八卦炉にまつわる重大な事実を述べるパチュリー。何故そんなことまで知っているのかと問い詰めたくなった魔理沙だったが、早く準備してと急かされる。

 

「魔理沙はマスタースパークを撃つときの要領でミニ八卦炉の操作に専念してくれればいいわ。あ、実際に撃たないでね」

「撃たないよ。そこ心配するなよ」

 

 二人がそんなことを話している内に全ての準備が整ったようで、にとりが「よしやろう」と振り向いて言う。ミニ八卦炉も台座に描かれている七曜の魔法と上手いこと連結し、稼働していた。

 

「三つ数をかぞえるから、それに合わせて出力最大にしてね。じゃあ行くよ。さーん。にー。いーち…………」

 

 意外にその辺はハイテクじゃないんだな、と魔理沙が拍子抜けしたのも束の間。にとりが「ゼロ! はい今!」と叫んだ瞬間、触れているミニ八卦炉を通して凄まじい熱量の発生を感じ取った。

 

 驚愕に目を剥いて、魔力変換に全神経を集中する。パチュリーの言った最低火力という言葉が嘘に思えるほどの膨大なエネルギー。それは魔理沙が全力で撃ったマスタースパークと比べても、なんら遜色のないものだった。

 

 八咫烏の力による核エネルギーの発露はすぐに終わった。たった一瞬の出来事だったが、魔理沙は額から汗を流して息も切らせていた。

 

「わあ、すごいすごい!」

 

 にとりのはしゃぐ声に皆が視線を向ける。

 

「今までで一番良い数値出てるよ。ほら、パチュリーたちも見てこれ」

 

 呼びかけられて、にとりの周りに皆が集まる。台座に寄りかかってぐったりしていた魔理沙も遅れて歩み寄った。

 

「あら、本当。上手くいったわね」とパチュリー。

「でしょでしょ!? まだ実用段階には程遠いけど、一歩前進って感じ」

「うーん。最初から魔理沙さんに頼れば良かった気もしますね」

「さとりは分かってないなあ。実験っていうのは度重なる失敗の上に成り立つんだよ。結果じゃない。過程が大事なわけよ。繰り返し繰り返し、何度でも挑戦するのさ!」

「それは単にあなたが実験大好きっ子なだけでは?」

 

 各々が感想を言いつつも、実りのあった結果に喜色を浮かべている。

 

「ん、あれ?」

 

 どこからか取り出したキュウリを齧ってご機嫌だったにとりが、計器の一つを見て眉根を寄せる。端末に映されているデータと交互に見比べながら「おかしいなあ」と呟く彼女にパチュリーが問いかけた。

 

「どうしたの?」

「いやさ、これ見てよ。残留している放射線濃度のところ。ちょっとおかしくない?」

 

 まさか失敗でもしたのかと魔理沙が食い入るように計器を覗き込む。しかし機械には疎いので何が何やらさっぱり分からない。対してある程度の知識を持っているパチュリーはにとりに賛同した。

 

「確かにおかしいわね。低すぎる」

 

 霊烏路がいる実験室の放射線濃度が、限りなく低い値を示していた。具体的に言えば、人体や環境にはただちに影響の表れない規定値の範囲内である。それは地下間欠泉センター発足当初から研究に携わってきたパチュリーやにとりから言わせれば、あり得ない現象だった。

 

 放射線の濃度が低いことに問題は無い。むしろこの結果だけなら喜ばしいことだと言える。クリーンエネルギーと謳われる核融合でも、放射性廃棄物などの問題は避けては通れない。通説では低レベルのものであっても百年は管理する必要があるとされている。

 

 化学的な除染技術はこの研究所だけでなく外の世界であっても全く見通しが立っておらず、夢のまた夢と言っても過言ではない。

 その常識が今、なんの前触れも無く覆されようとしていた。

 

「…………まさか、ミニ八卦炉の効果がこれほどのものだとはね」

 

 口元に手をあててしばらく黙考していたパチュリーは、台座に置いたままだったミニ八卦炉を手に取る。八卦の要素を司る幾何学模様を撫でながら、感慨深げにじっくりと見つめる。

 

「放射性物質の除染……いえ、中和かしら。或いは中性子が単純な熱エネルギーに変換された? そのプロセスを経たなら魔力に変えることも可能か……だとしたら魔力量の数値が高いことにも説明がつくけど…………」

「おい、どういうことだよ。私にも分かるように説明してくれ」

 

 ぶつぶつと何事かを呟いて思考するパチュリーに対し、魔理沙が困惑気味に言う。パチュリーは顔を上げると、魔理沙にミニ八卦炉を返した。

 

「魔理沙。核融合で発生する放射性廃棄物の処理に何年かかるか知ってる?」

「いや、そもそも単語が分かんないし…………」

「百年よ、百年。ひどいものだと何万年もかかると聞くわ」

「つまりどういうとだってばよ」

 

 魔理沙がやや興奮気味のパチュリーから身を引く。あからさまに引かれてもパチュリーは気分を害した様子は無く饒舌に話を続けた。

 

「つまり、今この場で、あなたは従来の技術ではどうにもならなかった問題を抜本的に解決してしまったのよ。それがどれだけ凄いことか分かる?」

 

 実感こそ湧かないが、何となくパチュリーの言わんとしてることを掴みかけた魔理沙はこくりと頷く。だんだんと胸の奥が熱くなる感覚をおぼえ、鳶色の瞳は爛々とした輝きを帯びる。

 

「これはまだ私の憶測だけれど、ミニ八卦炉のエネルギー変換は思った以上に万能だったということよ。おそらく、十二分に使いこなしたのなら、エネルギーと呼べるものは自由自在に操れる」

 

 パチュリーの言葉を聞きながら、魔理沙はミニ八卦炉を見つめた。森近霖之助から門出の餞別にともらった摩訶不思議な道具。魔力を熱や光に変えることができ、修業を積んだ今では火力の調節も自在である。しかし、魔理沙の半身とでも言うべきそれが、ここにきて全く別の意味を持ち始めている。

 

 遥か未来で苦しむ独りの人間を救うかもしれない希望の光を、魔理沙は手にしている香炉の中に見た気がした。

 

 

 




お空ちゃんの能力マジで扱い難しい……。さすがは熱かい悩む神の火ですわ。

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