東方千年探 ~魔理沙のはじめての文通~   作:ふーてんもどき

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二十三話

 

 

 

 魔理沙は唸っていた。無縁塚の片隅、倒木に腰かけて何やら難しい顔で悩んでいる。

 彼女の手にはガラス瓶があった。それは文通に必要な道具。千年後の未来、滅びかけた世界にいる八柳誠四郎との唯一の連絡手段だ。コルク栓は開いており、中にはリボンで括られた便箋といくつかの薬包紙が入っている。それを睨みつけながら魔理沙は考えに耽っていた。

 魔理沙が新しい手紙を書いて無縁塚に持ってきてから、もう四日目になる。これまでは一晩も経てば自ずと未来に送られていた物が、どういうわけか四日も野ざらしとなっていた。最長記録だ。今までにこんなことはなかった。

 

 誠四郎を待たせてしまっているなあ、と魔理沙は困り果てる。毎日のようにやり取りしていた手紙の返事が渋くなったらどんなに不安になるだろうか。もしも自分がこう何日も待たされたら堪らないと焦りばかりが募る。

 

 どうして送ることが出来ないのか。そう考えるにつけ不吉な考えが頭を過るのだが、魔理沙はそれを深く考えようとはしなかった。蓋をするように目を反らすのみである。なにも報われることなく唐突に訪れるであろう文通の終わりが今は怖くて仕方がない。そんな焦燥にも似た恐怖から逃げるために、魔理沙はどうにかして以前のように手紙が送れないかと考える。今彼女の中にある誠四郎を助ける方法は、永遠亭の薬を届ける以外に無いのだから。

 こうして悩んでいる間にも刻一刻と誠四郎の容態が悪くなっているのかと思うと気が気ではなかった。

 

 やがて、魔理沙は痺れを切らしたようにやおら立ち上がった。近くの木に止まっていた小鳥が逃げていく。

 理由など、どれだけ考えても分かるはずがない。この文通の不思議が解明できるのならば、時間だろうが時空だろうがとっくに飛び越えて誠四郎に会いに行っている。それが出来ないからこれだけ苦心しているのだ。

 

 一瞬、脳裏に八雲紫の存在が浮かんだが、すぐに頭の中から追いやった。紫はどういうわけか魔理沙を未来へ連れて行きたがらない。手紙一つを軸に易々と千年の時を飛んでいけるのに、まるで協力してくれない。それとグルになっている霊夢など特にひどいものだ。親の仇でも見るかのような霊夢の顔がチラつく。それと共に、今では若干トラウマになりかけているこの間の弾幕ごっこのことを思い出し、魔理沙は苦虫を噛みつぶしたように顔をしかめた。

 

 自尊心の摩耗していく音がする。

 最初から何も出来ないと決めつけられているような気がして、それが何よりも不満でならなかった。世界の全てを救うのが土台無理であることは、霊夢や紫に言われずとも心のどこかで理解している。

 ただそれでも何かしなくてはいけないのだ。

 一つでもいい。何か出来なくては、前に進まなくては。そうでなければ、今までの自分に一体何の意味が……。

 

「あー、駄目だ、駄目だ」

 

 卑屈になりかけた思考を否定するように魔理沙は叫んだ。このまま無縁塚の隅っこでしゃがみ込んでいたところで埒があかない。そう結論を出したばかりではないかと己を叱咤する。

 

 紫には頼めない。霊夢に取り次いでもらうことも出来ない。無論、自分では手紙が送りにくくなっている理由すら分からない。

 魔法で易々と解決、ともならないのが辛いところである。幻想郷においては誰よりも魔法史に精通しているだろうパチュリーが「時間に関することは無理」と断言しているのだ。望みは限りなく薄い。

 

 気合を入れ直したはいいが手詰まりのように思えて魔理沙は落胆した。意気込みは瞬く間に消沈し、再びその場に座り込もうとする。

 しかし魔理沙は何を思い立ったのか、次の瞬間パッと顔を上げた。すぐさま箒に跨り、無縁塚を飛び出て行く。小脇には薬と手紙が入った瓶を抱えている。

 

 煮詰まってどうにもならなくなった時、躓いてやり切れなくなった時、魔理沙が行く場所は決まっている。

 しばらく飛ぶと魔法の森の切れ目が見えて来る。その縁に佇む一軒の平家。香霖堂の看板を掲げている玄関口へ、魔理沙は一直線に向かって行った。

 

 

 

 

 

 

「うーん。僕にはどうも分からないけど」

 

 森近霖之助は何の変哲もないガラス瓶を見つめながら言った。彼の目の前でカウンターに身を乗り出している魔理沙は「もっとちゃんと見て」とさらに前のめりになる。

 

「これがその、未来との通信機? 僕には普通のガラス瓶にしか見えないが」

「本当だって。それと通信機じゃなくて、文通するためのメッセージボトル。これに手紙とか入れてやり取りすんの」

「ひょっとしてそっちの魔理沙が持ってる手紙に何かあるんじゃないか」

「あ、読むなよ。絶対に読んじゃダメだから」

 

 霖之助が伸ばした手から庇うように、魔理沙は巻いてある手紙を胸に抱いた。不承不承、霖之助は瓶の観察に戻る。

 

 香霖堂に入ってきた魔理沙は狭い店内を駆けて、茶器を磨いていた霖之助に「この瓶を調べて欲しい」と詰め寄った。あまりの勢いに、霖之助は思わず茶器を落としそうになった。

 そうして魔理沙に言われるがままガラス瓶を調べてみてはいるが、彼の目にはただの瓶にしか見えなかった。何故これまで出来ていた文通がしにくくなっているのか分かるはずもない。いや、そもそも本当にこんなものが千年の時を行ったり来たりしているのか、魔理沙の必死な説明を聞いてもにわかには信じられなかった。

 

 というか君、文通なんてやっていたのか。

 霖之助はそう思った。しばらく前に変な様子の魔理沙が「ガラス瓶を探している」と訪ねてきた日のことを思い出し、あの時言っていたのはこのことだったのかと得心いった。

 

「こーりんの能力って道具の鑑定だろ? 何か分かんないかなあ」

「厳密には『道具の名前と用途が分かる程度の能力』だね」

「じゃあ今何が分かるんだ?」

「名前はガラス瓶、またはボトル。用途は飲料等を入れておくためのもの……くらいかな」

「何も分かんないじゃん! それじゃあただの瓶じゃん!」

「だからさっきからそう言っているだろう。まったく信じ難いよ。これが時間移動を可能にするなんて」

 

 魔理沙はがっくりと項垂れた。魔理沙が霖之助の元を訪ねたのは彼の鑑識眼を頼ってのことでもあった。その生涯が道具と共にある半妖、森近霖之助。彼の固有能力を使って何かしら、音信不通の原因の一端でも分からないかと期待したのだが、その結果はご覧の有り様だった。

 

「どうしよう。それが無きゃ手紙を送れないんだよ。あまり時間もないし待たせられないのに……」

 

 魔理沙は青ざめてほとほと弱り果てる。今にも泣き出しそうだった。

 そんな様子を見ながら、どうやら本当に困っているらしいと霖之助は思う。少し前は赤ら顔で秘密にしたがっていたことを何でも喋る。それだけ切迫しているのだろう。

 

「まあ座って。もう少し色々とやってみるよ」

 

 霖之助は魔理沙に座敷へ上がるよう勧めてお茶を出した。魔理沙は座っても尚そわそわと落ち着かなかったが、霖之助の鑑定を待つ以外にすることもないので茶菓子に手をつける。

 

 霖之助は眼鏡をいくつか変えながら丹念にガラス瓶を観察する。彼は魔道具の類も扱っており、眼鏡にも特別な効果が施されているのだろう。

 鼈甲(べっこう)の縁取りや西洋貴族の片眼鏡。小さな歯車が付いた機械仕掛けは、右端にあるつまみを捻ると歯車が回り出し、レンズに幾何学模様の魔法陣を映す。他にも可動式のレンズが三つも付いている虫眼鏡のような物だったり、霊獣の牙を削って枠を作ったという大変高価な物だったりと、まるで珍品の見本市である。

 中には巨大な鼻と髭が付いているふざけた宴会用のオモチャもあり、魔理沙は「真面目にやってくれよ」と抗議した。しかし霖之助は至って真面目だったらしく「これは凄いんだぞ」と毅然と返した。その顔に付いているものが物なだけに説得力は皆無だった。

 

 次々に多種多様な眼鏡を付け替えては鑑定に勤しむ霖之助を、魔理沙はハラハラとした気持ちで眺める。

 もしこれで何も分からなかったら。それは瓶以外に問題があることになる。決してそうではないように、大事にはならないように、と魔理沙は心の中で祈るばかりだ。

 

「そういえばさ」

 

 固唾を飲んで見守っていた魔理沙に、霖之助が声をかけた。何か分かったのかと弾かれるように半ば立ちかけた魔理沙だったが、霖之助の視線は未だにガラス板に集中している。

 

「君、実家の方に帰るつもりはないのかい」

 

 魔理沙は息を吐いて座り直す。そっちの話か、と少なからず落胆する。今はそんなことに気を取られている場合ではないのに。

 

「無いに決まってるだろ、こーりん。私決めてんの。一丁前の魔法使いになるまでは死んでも家の敷居は跨がないって。前から言ってるだろ?」

 

 何を今更、と呆れた口調の魔理沙。いつもの霖之助の小言である。たまには帰って顔を見せなさいと言うのだ。それを魔理沙が突っぱねて、霖之助は「仕方ないな」と苦笑し、話は終わる。慣れたやり取りだ。

 

 しかし霖之助はいつになく渋い顔をしていた。険しいと言ってもいい。鑑定をしている真剣さとは別種の、何かを言い淀むような顔。魔理沙があまり見たことのない表情だった。

 

「一度、ちゃんと顔くらいは見せた方がいい。今年の盆も帰らなかっただろう」

 

 そう言われて、今度は魔理沙が顔を(しか)める。何か言い返そうにも言葉が見つからない。此方を向いた霖之助の視線がかち合う。魔理沙は咄嗟に目を逸らしてしまった。八柳のことを思うのとは違った焦燥が胸を焦がしている。

 苦しそうな様子の魔理沙をどう捉えたのか、霖之助は困ったように眉をひそめて言った。

 

「君がこの文通を大切にしていることは分かるよ。一人前になるまで家に戻らないというのも、人間にはよくあることだと思う。でも違うだろ。家族に心配をかけて、それで自分自身が苦しんでまで意固地になる必要は無いじゃないか」

「何で、そんな、今更」

「今だからだろう。魔理沙、家族が弱っている時は側にいるべきだ」

 

 魔理沙は霖之助の言葉に頭を捻った。弱っている時、と言う意味が一瞬分からなかった。

 ややあってそれが自分のことだと納得する。今の自分はきっと弱り果てていて、家族の助けを必要としているように見えるのだろうと。霖之助の言う意味をそのように理解した。

 

「あー。大丈夫。そんな心配することじゃないって。確かに最近仕事のし過ぎで目に隈とかあるけど、ほら、私まだ若いんだからさ」

 

 から元気の乾いた笑いを漏らす魔理沙。しかし霖之助は「何を言っているんだこの子は」と言いたげに首を傾げるばかりだった。その様子に魔理沙も怪訝な表情を浮かべる。

 おかしい。会話がどこか噛み合っていない。

 霖之助はその細目を見開いて意外そうに言った。

 

「魔理沙、君たしか鴉天狗の新聞を取っていなかったか」

「え? ああ、うん」

 

 話題の変化に魔理沙は戸惑い、やや遅れて射命丸文が発刊している『文々。新聞』のことだろうかと思い至る。仕事で忙しく忘れていたが、少し前までは朝刊を取っていたのだ。霊夢との弾幕決戦の前、家族への手紙を出す為に文のもとを訪れた際に定期購読を断ってしまったのだが。未来に行きっぱなしになってしまったらどうしようもないからと、泣きつく文を袖にしたのである。

 

 今となっては、父親の寄稿が載るコラム目当てにまた買い始めても良いのだろうが、購読を打ち切って間も無い。文に何か勘繰られそうだと思い、魔理沙は今日まで新聞を読んでいなかった。人里での日々の出来事も知らずに、八柳との交信だけを中心に過ごしてきたのだ。

 

 しかしそれが先ほどまでの話と何か関係があるのか。魔理沙は不思議そうに霖之助を見つめた。

 

「読んでいないのか? 三日前の記事」

「いやあ、実は最近金が足りなくてさ。しばらく前から新聞買ってないんだよね」

「……そう、だったのか」

 

 魔理沙は世情をろくに知らないことに照れたような苦情を浮かべながらも、内心ではどこか不穏な落ち着かなさを感じていた。三日前とはえらく具体的だ。事件でも起きたのだろうか。

 

 しかし何があったのか聞いても、霖之助は「いや、なんでもないんだ」と答えをはぐらかし鑑定作業に戻ってしまう。どうも一人で勝手に納得されたような気がして魔理沙は不満そうな顔をする。

 

「こーりんは読んでるんだろ。何処にあんの、三日前の朝刊」

「あ、ちょっと、待ちなさい」

 

 魔理沙がいる座敷の隅にちょうど新聞が積まれている。それをガサガサと漁り出すと霖之助は少々慌てた様子で声を上げる。知らせたいのか知らせたくないのかどっちだよ。魔理沙は是が非でもその新聞を見てみたくなった。

 目当ての日付のものはすぐに見つかった。霖之助は几帳面な性格で、新聞も角を揃えられ日付順に並んでいた。

 

 魔理沙がそれを広げて大見出しを読もうとした時だった。鈴の音が響いた。店の玄関扉が開いたのだ。霖之助と魔理沙が揃って振り向くと、一人の若い男性客が入ってきた。

 

 その姿を見て、魔理沙に衝撃が走った。やって来た客とは兄だったのだ。

 あまりに驚いたので咄嗟に隠れようとしたが、狭い店内にはすぐに隠れられる場所が無く、ただ慌てるばかりだった。そうこうしている内に魔理沙の兄が歩いてくる。

 

「こんにちは、霖之助兄さん。前に言ってた修理の件で来たんだけど……」

 

 言いながら歩いてきた彼もまた、座敷の奥で小さくなっている魔理沙を発見し、瞠目した。

 交錯する視線。魔理沙は気まずそうに目を逸らす。

 

 魔理沙は今までにない引け目を家族に感じていた。これまで努めて忘れようとしてきたこと。未来へ行くために「遠くへ行くのでもう帰ることはないかもしれない」と書いて送った手紙の内容がまざまざと思い出され、魔理沙は死にたい気持ちになった。前へ進むはずだったのに、今こうして香霖堂の座敷に座っている自分がひどく矮小な存在に思えて仕方ない。

 

 兄の目から見て、自分はどのように映っているのだろう。顔を上げることも出来ないまま、魔理沙はそんなことばかりが心配になる。

 

 痛いほどの沈黙だった。兄は今どんな表情をしているのか。どうして黙っているのか。何故こーりんは助け舟を出してくれないのか。

 散々頭を悩ませた挙句、魔理沙の口から出たのは「久しぶり」という掠れた声だけだった。

 

「……魔理沙、そのだな、実は」

 

 深い思慮から抜けたように、兄が言葉を紡ぐ。

 しかしそれを魔理沙は遮った。兄と対面してからの態度とは打って変わり「ああ、いけね!」とわざとらしく大きな声を上げた。

 

「私、この後仕事が控えてるんだった! ごめんこーりん。これ持ってくな」

 

 奪うような勢いで霖之助が手に持っていたガラス瓶を取る。すぐにでも出て行こうとする魔理沙だったが、鑑定結果だけは気になったのか足踏みをして霖之助に小声で聞く。

 

「ちなみに何か分かった?」

「いや、何も。きっとこれ以上見ても同じだとは思うが……」

「そ。ありがとう。邪魔したな」

「あ、おい、魔理沙!」

 

 壁に立て掛けていた箒を片手に、もう一方の手には瓶を抱えて魔理沙は短い別れを告げた。霖之助の静止の声には振り向かない。

 

「魔理沙」

 

 扉の取手に手をかけたところで、兄が呼んだ。朗らかな兄らしくない重たく低い声だった。意識とは別に、ドアノブを半ばまで捻った魔理沙の手が止まる。

 

「魔理沙、家には」

 

 しかし今度も、兄の言葉を最後まで聞くことはなかった。魔理沙の硬直は一瞬で、家という単語が兄の口から出たと同時、勢いよく扉を押し開けて香霖堂を出て行った。

 「ごめん、兄ちゃん」とだけ、捨てるように残して。

 

 

 

 

 

 

 魔理沙は出鱈目に飛んだ。体にかかる負荷にも気を払わず、鬱屈とした気持ちを晴らすように、魔法の森の上空を我武者羅に飛び回る。言葉にならない叫びは風に掻き消える。

 

 なんだあの醜態は。

 なんだあの醜態は。

 

 成長したはずだった。魔法使いになりたいという夢を追って五年、自分の歩んだ道が家族にも誇れるものになると思っていた。

 特にこの数ヶ月、千年先の未来の人と文通をするという誰もしたことのない奇跡を体験し、目新しいことや慣れないことにも取り組んできた。幼い頃からの憧れだった風見幽香を訪ねるきっかけにもなったし、様々なことに今までより積極的に関われている気がしていた。

 何よりも、未来を救うという大目標を掲げて研鑽の日々を過ごしたはずだった。

 

「————ッ!!!」

 

 その結果がこれだ。何も変わらない。人里で、うどん屋の軒先で兄と鉢合わせた時もそうだった。地に足をつけて生きている兄を前に、ただ目を伏せるばかりで満足な会話も出来ない。さらには耐えかねて逃げ出す始末。こんなにも恥ずべきことはない。

 

 兄から、霖之助から、母から、父から、今まで何をしていたのかと聞かれる想像が頭を過ぎる。きっと何も答えられない。未来と交信をしたからなんだと言うのか。結局は何も出来ず、自分の身の程を知っただけじゃないか。それが五年間の、これまでの半生の集大成だというのか。

 

 魔力が暴走気味に発散し、下層雲に近いところまで飛び上がる。まるで箒に振り回されるような、無茶苦茶な飛び方だった。

 最低だ。最悪だ。消えてしまいたい。最悪な自分を叩き潰して無くしてしまいたい。

 

 瞬間、切り返すように風向きが変わり、一段と強い突風が吹きつけた。魔理沙はそれに煽られて揺らめく。ぎゅっと目を瞑って飛んでいたので簡単に制御を失い、箒は己の意思と関係なく暴れ出した。

 

「わっ、わっ、わっ」

 

 慣れたはずの飛行術は見る影もなく右往左往。すごい勢いで上がったり下がったりを繰り返しながら地面に近付いていく。

 眼下には木々が生い茂っている。針葉樹の天辺にぶつかりそうになったのを急制動で何とか回避し、落下の速度が一瞬弱まる。

 

 そうして魔理沙は箒から投げ出され、重なり合った葉の上に墜落した。咄嗟にガラス瓶の入っている鞄を胸に抱え込む。

 枝に体を打ち据えられながら落ちていき、苔むした地面に落ちた。重たく鈍い音が鳴る。小鳥がけたたましく鳴いて飛び去っていった後には、魔理沙の荒い息遣いだけが聞こえていた。

 

 魔理沙は横向きに倒れたまま暫く動けなかった。打った右肩がジンジンと痛む。肺が潰されたような感じがして、何度か咳き込まずにはいられなかった。

 乱れた呼吸を必死に整えた後、緩慢な動きで仰向けになる。寝返りを打った感じ、身体中のあちこちが傷んだが骨折はしていないようだった。

 

 しかし魔理沙がいの一番に気にしたのはガラス瓶だった。今も魔理沙の書いた手紙と薬が入っているメッセージボトル。節々が痛むのを無視してガバッと起き上がり、鞄を開けて中身を確認する。

 どうにか無事だ。(ひび)も欠けたところも無い。

 魔理沙は長く大きく息を吐き、再び倒れ込んだ。バクバクと脈打っていた心臓も落ち着いてきたのでそろそろ起き上がれるはずだが、魔理沙は地面で仰向けになったままでいた。目元を右腕で覆い、唇を噛んでいる。

 

 ああ、泥まみれの傷だらけ。まともに飛べもしない自称魔法使い。今の自分になんてピッタリなんだろう。

 そんな腐った思いが勝手に湧き上がり、ジクジクと魔理沙の胸を苛んだ。

 

 湿っぽく肌寒い木陰の下でどれだけの時間そうしていたか。ようやく体を起こした魔理沙は、ふらつく足取りで周囲の茂みを漁って回り、箒を引っ張り出す。霊夢との弾幕決戦以降に新調した物だが、柄が折れてしまった。

 それを抱えてとぼとぼと歩き始める。住み慣れた森で迷うことはない。一際背の高い木々に付けてある印を道標にすることができる。魔法の森に住み始め、まだ飛べなかった駆け出しの頃に迷子にならないよう自分で掘ったものだ。箒を乗り回すようになってからはてんで見ることのなかった目印が今になって役立つとは。魔理沙は自嘲的な嗤いを漏らした。

 

 仕事があると言って香霖堂を出て来たが、それは嘘だ。今日は久しぶりに仕事の予定が入っていない。せっかくの休みだったのに、いつもより心身が疲れているのはどうしたことか。

 

「まあ、当分は、いいかな」

 

 そんな独り言をぽつりと呟く。ここ最近手紙を送りにくくなっているせいで、毎日買っている薬も持て余し気味だ。今の状態ではあくせく働く意味もない。

 

 しばらく歩くと自宅の屋根が見えてきた。幻想郷には珍しい西洋式。掃除をしていないレンガの煙突は煤けている。獣よけの囲い柵、手入れをしていない野放途な庭、キノコと苔の生えた赤い郵便受け。見慣れた住処が魔理沙を迎える。

 家に前に着いた魔理沙はしかし、中には入らなかった。柵の内側に折れた箒を放り込み、そのまま森の奥へと消えてしまう。

 

 彼女が歩く先には無縁塚がある。徒歩で行くにはなかなか根気のいる場所だが、魔理沙はふらふらとおぼつかない足取りでそこへ向かった。

 

 夕暮れ時になって無縁塚に辿り着いた魔理沙は、所定の場所に瓶を置いた。斜陽が魔理沙の影法師を長く、色濃く映している。

 魔理沙は座り込み、太陽が落ちるまでの間、ずっとそこにいた。無縁塚の片隅で手を合わせ祈りを捧げた。

 どうか送れますようにと、切実に、痛々しいほどに。

 

 

 

 

 

 

 翌日、瓶は消えていなかった。魔理沙が置いたままの状態で無縁塚にある。

 家から本を持ち出し、おまじないを掛けてみる。

 

 その翌日もガラス瓶は送れない。

 おまじないの種類を増やした。慣れていないので全部かけ終えるのに半日もかかったが、その間もガラス瓶が透けて消えることはなかった。

 

 さらに翌日もガラス瓶は送れない。

 言霊でのおまじない以外に薬品を試してみる。本の通りに作ったそれは、正常に作用すれば縁結びの効果があるはずだ。

 

 それでも瓶は送れなかった。無縁塚にいる時間が増えていく。意味もなく朝から晩まで待つこともあった。

 

 朝も昼も、何の変哲もない瓶は変わらずそこにある。深夜に目が覚めて見に来ても、やはりガラス瓶は送られていない。

 

 次の日も、その次の日も、またその次の日も。

 八柳誠四郎の元に、メッセージボトルが送られることはなかった。

 

 

 

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