東方千年探 ~魔理沙のはじめての文通~   作:ふーてんもどき

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二十五話

 

 

 

 正午、振り子の置き時計が重い音を鳴らし、魔理沙はそれに促されるように床からのそりと起きた。

 雨戸を閉め切ったままの部屋は暗い。魔理沙は寝不足で鈍痛のする頭を押さえながら窓を開けにいく。

 

「はあ」

 

 空を見上げた魔理沙の口から重いため息が漏れる。半日経って雨こそ上がっているが、灰色の雲は依然として空を覆っていた。魔法の森全体の空気が暗く淀んでいるようだった。

 いや、そう見えるのは自身の心境のせいか。魔理沙は部屋を振り返り、昨日のことを脳裏に浮かべる。

 

 誠四郎の死を悟った夜。文通の日々も、家を出てから積んだはずの研鑽も全てが無意味だと悟った魔理沙は、八つ当たり気味に目につくものを片っ端から捨てた。

 それは確かに自暴自棄になっての行動だったが、これまでに貯め込んできた物を捨てるというのはある種の快感であり、過去の痕跡を一つ一つ目の前から消すことに憑きものが落ちていくような感覚を魔理沙は覚えていた。

 

 魔法の森に移り住んで二年と半年。その間に築いてきたものは今やすべて重石に過ぎない。ならば捨てるのが道理だろうと、短絡的にそう結論付けた。

 そして断捨離をしている内に夜が更け、ついに体力の限界がきて、その場に倒れ込むように眠りこけてしまった次第だ。

 

 結果として、居間はこれまでにないほど片付いている。中央にどっしりと据えられているダイニングテーブルの上には何も乗っていないし、二階へと続く階段にも脱ぎ散らかした衣服は落ちていない。床に散乱していたガラクタの類いは全てずた袋に詰めて玄関先の隅に放ってある。

 今度、無縁塚に返しに行かねばならない。その手間を考えると憂鬱だったが、ずっと自分の目の付くところに置いておくよりはよっぽど良いと魔理沙は思うものだ。

 

「しかしほんと、何も無いなあ」

 

 小ざっぱりとしていつもより広く見える空間を眺めて、魔理沙は苦笑交じりに嘆息した。今までこの家を構成していた物のほとんどが拾い集めたガラクタだったことを改めて悟り、笑わずにはいられなかった。

 

 魔理沙はうろうろと何の気なしに居間の中を歩き回り、やがて椅子に腰を落ち着けた。机の上で腕を組み、その上にこてんと頭を乗せて俯せになる。喉が渇いているので茶の一杯でも淹れようかとも考えたが、今はそれさえも億劫だった。

 頭は働かず、やる気も無く、しかしもうひと眠りしようにも目だけは冴えているので、魔理沙はただ何もない虚空をぼーっと見つめるばかりだ。

 

 これから何をしよう。そんな考えが浮かんでは、答えに行き着かず沈んでいき、また取り留めもなく浮かぶ。

 

 魔法使いになるということ。人生の大目標として掲げていたそれは今やみすぼらしく風化している。どうしてあんなにも焦がれていたのか、魔理沙はさっぱり分からなかった。幽香と初めて会った日のことが思い出されるが、あの時に感じた確かな憧れがどこか他人事のように思えて仕方ない。振り返ってみれば、そればかりを支えにして生きてきたというのに。

 

 なら魔法使いの道は諦めてこの森から出て行くのかというと、そうもいかない。

 実家に帰るのは一人前になってからと決めている。おめおめと帰れるものかと、今でもその気持ちだけはハッキリと持っている。

 しかしその決意が、誇り高い信念や己に課した使命感などに支えられたものではないことも魔理沙は自覚していた。自覚せざるを得なかった。

 何のことはない。ただ恥をかくのが嫌だったからだ。必ず一人前の魔法使いになる、それまでは絶対に帰らない、と家出を反対する父に生まれて初めて真っ向から主張した。一人前という言葉が何者を指すのか知りもしないまま、いつしか引くに引けなくなって。そんなつまらない理由で五年もの間奔放に生き、家族と疎遠になっていたのだ。

 

 魔法への熱意は消えてしまった。さりとて実家にも戻れない。

 

「このまま森で、一人で生きてくのかなあ、私」

 

 ぼやいてみるとそれが思ったよりも現実味を帯びていて、魔理沙をさらに憂鬱な気分にさせた。

 振り子時計の音がする。魔理沙がうだうだと悩んでいる間に時計の短針は一周してしまったらしい。

 時間が経つのが早い。しかし時計を見つめていると逆に遅く感じる。無為な時間とはそういうものだ。魔理沙は自分がこれから一生、そんな寂れた時間の中で生きていくように感じた。

 

 喉の渇きがひどかった。半日以上水分を摂っていないので当たり前だ。肺のあたりも何だかムカムカとして息を吸うのも煩わしい。

 あまりに不快なので魔理沙は嫌々ながら席を立ち、外にある井戸へ行って桶に水を汲み、湯呑も使わず木杓子で掬って飲んだ。

 

 人心地ついて空を見上げるが、依然として陰鬱な雲模様だ。苔むした地面もぬかるんでいて靴越しに嫌な感触が伝わる。

 ついと向けた視線の先には郵便受けがある。何気なしに開けてみたが中は空っぽだった。まあそりゃそうかと魔理沙は思う。射命丸文から買っていた新聞と、あとは毎月届く母からの手紙を受け取る以外はもともと役に立ってなどいなかった。一時期気まぐれでとっていた新聞を止めた今、郵便受けは空ではない方が珍しい。他人とそう大した繋がりなど持っていないのだから。

 

 しかし何故か、魔理沙は違和感を覚えた。郵便受けの蓋を開けたままその場に立ち尽くす。

 

 しばらく考えて今日が何日かという考えに至った。秋も深まりつつある神無月の第一週。月初めは、実家から手紙が送られてくる時期だ。違和感の正体はそれだった。今まで必ず届いていた母からの便りが郵便受けに入っていない。

 

 ついに見捨てられたか。

 一番最初に魔理沙の頭に浮かんだのはそんな考えだった。

 最後に実家とやり取りをしたのはちょうど一カ月ほど前。珍しくも魔理沙の方から手紙を出している。その内容を、魔理沙は今でも一字一句違わず思い出せた。もう帰って来られないかもしれないほど遠いところに行くけど心配はしないで欲しいと、そんな勝手過ぎることを書いて寄こしたのだった。

 ああも無茶苦茶な、決別ともとれる手紙を一方的に送っておいて、ついこの間香霖堂で兄に出くわしてしまった。兄は聡い。自分が行き場を失って腐っていることなど、きっと一目で見抜いたことだろう。普段の兄らしからぬ険しい表情も、出来の悪い妹の凋落ぶりを嘆いていたというのなら納得がいく。むしろそれ以外に考えられないと魔理沙は結論を出し、思わず笑いをこぼした。自嘲的で小馬鹿にしたような最低の笑い方だと我ながら思った。

 

 空っぽの郵便受けから逃げるように家の中に戻り、意味もなく鍵を閉める。

 片付けをしたばかりの居間はこれまた空っぽで、何の面白味も無く、魔理沙は一瞬気が狂いそうになるほどの激情に駆られた。訳が分からない。もう自分が自分ではないみたいで心底嫌になる。これから一生こんな気持ちを抱えて生きていくのかと思うとそれこそ気が狂ってしまいそうだった。

 

 寝よう。寝てしまおう。そうすれば幾分かマシだ。

 まるで眠くないことを無視して、魔理沙は屋根裏の寝室に上がった。乱雑に靴を脱ぎ、自分の体を叩きつけるような勢いでベッドに倒れ込む。ベッドの枠組みがギシリと悲鳴に似た軋みを上げた。

 

 一向に眠れる気配は無く、魔理沙はごろごろと何度も苛立たし気に寝返りを打つ。目を閉じればその内眠くなるだろうと思ったが、今はかえって音に敏感になってしまい余計に落ち着かないだけだった。

 

 しかし目を開けていても不快である。嫌なものばかりが視界に映る。屋根裏部屋はまだ一階ほど片付けておらず、あまり綺麗とは言えない状態だ。散乱したままのガラクタはやはり魔理沙を腹立たせるし、前までは気にならなかった埃っぽさも嫌に鼻についた。母からの手紙や、八柳誠四郎とのやり取りの記録が残されている文机など見たくもない。

 

 そうやってうじうじとベッドの上で無意味に腹を立てていた魔理沙の目が、サイドテーブルに置いてある愛用の鞄に向いた。昨晩に放り出したままの状態で、ベルトの留め具が外れて口がだらしなく開いている。中からはくしゃくしゃになった新聞がはみ出していた。

 

 なぜ新聞が。

 

 魔理沙は覚えのないそれを訝しみながら手に取り、しわを伸ばして見てみる。『文々。新聞』だ。日付は四日前のもの。ややあって、香霖堂から持ち出してしまった物だと気付いた。霖之助がやけに神妙な顔で「この前の新聞を読まなかったのか」と聞いてきたのでその場で物色したのをそのまま持って帰ってしまったらしかった。居合わせた兄から逃げることに精一杯で意識の外だったのだろう。実に情けない話だ。情けないくせに手癖も悪いのだからどうしようもない。

 

 魔理沙はまた内心で自分を責めながらも、好奇心に惹かれて新聞を読み始めた。霖之助が何を伝えようとしていたのか気にはなっていた。また、一度言いかけておいて「知らないならいい」と思わせぶりに突き放すのだから余計に知りたくなるというものだ。

 

 初めに目を通したのは裏面の端にある小さなコラム。父の寄稿する『古道具小噺』を追っていたため、確認する記事の順番に癖がついていた。

 今回は他の人が書いたらしい野菜の話だった。魔理沙はやや残念そうに息をつき、改めて霖之助が話題に出した記事がどれかを探そうと紙面を翻した。

 

『長屋で大火事。四軒が全焼す』

 

 表にある大見出しはそれだった。綺麗に撮られたモノクロ写真も載っている。映したのは消火後のことのようで、見るも無残に焼け落ちてしまった家々とその周りに集まる大人数の民衆が映っている。

 

 写真に色こそ無いが、そこは魔理沙の見覚えのある景色だった。火事を免れた他の家と、後ろから覗く火の見櫓から、自分の実家の近くであることが分かった。

 魔理沙の呼吸がにわかに浅くなる。心臓を鷲掴みにされたような心地がした。

 

 火事が起こったのは五日前の夜中だったと書いてある。出火元は煮炊き用の釜土で、おそらく燃え残っていた炭か灰が原因だろうと記者の考察が添えられている。

 よくある話だ。実際、魔理沙も小さい頃に何度か、火事の現場を見たことがあった。問題は、そう、実家のすぐ近くで火事が起きたという事だ。

 

 記事を読み進める。被害情報。幸いにして死者は出ていないとのことだ。住人数名と火消しの男衆のうち一人が軽い火傷を負ったが命に別状は無いらしい。

 しかしその後に載っている文面は、魔理沙の顔面を蒼白にさせるのに十分だった。

 

『古道具屋・霧雨店の奥方が意識失う。煙を吸い込んだのが原因か』

 

 魔理沙はそこから先の文を読むことが出来なかった。多くの人が見舞いの品を持って訪れている様子が書かれているが、瞳孔が開いた魔理沙の目は紙面を上滑りするだけだ。

 

 母の心肺の弱さはよく知っている。新鮮な空気が必要で、常に部屋の窓を開け放しているのだ。そこから煙が入ったというのか。

 

 幼少期、もうダメかもしれないという瀬戸際まで悪化し、眠る母の横で一晩中すすり泣いたことを魔理沙は今も覚えている。長すぎる夜だった。その時の恐怖がまざまざと思い出され、魔理沙の思考を埋め尽くした。

 

 脳内で、先日の香霖堂での出来事が瞬時に結び付く。朗らかなはずの兄が見せた固い表情。いつになく真剣な様子で家に帰ることを勧めてきた霖之助。

 彼は言った。家族が弱っている時は側にいるものだろうと。

 

 魔理沙は弾かれたように駆けだした。

 衣服のしわや乱れた髪を梳く暇もない。持ち物の確認もせず鞄を掴み、他のゴミと一緒にまとめておいた箒を引っ張り出す。乱暴に扱ったせいで、蔓草で縛っていた柄がまた折れてしまっている。ゴミの山から針金を見つけた魔理沙は、それで応急手当とした。醜く不格好で、決して空を飛ぶのに相応しい代物ではないが、今そんなことに気を配る余裕は欠片も無かった。

 

 箒に跨り、間髪入れずに飛び上がる。出力調節を無視した急上昇。押し潰されそうな風圧を受けるが、そんなものを気にしてはいられない。

 人里の方角を睨む魔理沙の表情は鬼気迫っていった。一直線に風を切り裂いて飛翔する。箒が壊れているせいか時々ふらつくが、それを無理やりに立て直しながら魔理沙は飛んだ。

 

 バカだ。本当にバカだ。

 

 心の中で繰り返しそう唱えた。滲んだ涙が風に吹かれて落ちていく。

 自分のことばかりにかまけて何も見えていなかった。前に進んでいる気でいたのに、本当は昔よりずっとダメになっている。兄が自分の堕落ぶりに失望していたなどと、月一の手紙が届かなかったから家族に見捨てられたなどと、そんなふざけたことを考えていた自分を魔理沙は殴り殺してやりたくなった。

 

 しばらく飛ぶと、森の切れ目が見えてきた。その遥か先に人里がある。数刻前、もう二度と帰ることはないと思っていた故郷。それを目にした魔理沙の瞳が躊躇いがちに揺れる。

 魔理沙は僅かでも躊躇したことを恥じるように、箒を握る手に力を込めた。

 

 人里が近づく。魔理沙の生まれ育った郷里が。

 空から見下ろすと焼失した長屋の一部が一目で分かる。その側に立つ、自分の実家も。

 

 魔理沙は墜落するように砂塵を上げて大通りに着陸した。道を行き交う人々がどよめく。

 すぐ目の前には大きな屋敷がある。霧雨店の看板を掲げる、魔理沙の生家があった。


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