東方千年探 ~魔理沙のはじめての文通~   作:ふーてんもどき

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過去編ですね。捏造注意。


八話

 

 

 

 魔理沙と幽香の出会いは十年ほど前まで遡る。

 

 当時の魔理沙は寺子屋に通い始めたくらいの年頃で、意味もなく穴ぼこを掘り、チャンバラごっことおままごとに明け暮れ、何度痛い目を見ても裏庭の木に登り、門限や父の言いつけを破ってはこっぴどく怒られて兄と一緒に泣き喚くといった、わんぱくな日々を全力で生きていた。

 

 魔理沙の世界は人里のなかで完結していた。きらびやかな魔法なんて、おとぎ話だけの存在だった。

 

 人里で魔法を目にする機会がまったく無いというわけではない。

 魔女のアリスは定期的に人里へやって来ては大通りの端で人形劇を開くし、霧雨家に限って言えば霖之助が持ってきた魔道具を見せてもらうこともあった。魔法とは違うが、霊夢はこの頃からすでに紫によって退魔術の基礎を教えられ始めていて、幼馴染である魔理沙がそれを目にすることも何度かあった。

 

 しかしどれも、魔理沙の心を突き動かしはしなかった。興味は持ったし面白くも感じたが、ただそれだけで、自分も覚えようなどとは考えもしなかった。

 

 幼い魔理沙にとっては魔力の糸で人形を動かしたり御札で結界を張ったりするよりも、路地裏の探検とその日の晩御飯の方がよっぽど重要であった。芋ご飯が出ると飛び上がって喜び、その日は最高の一日となったものだ。

 

 そんな毎日が続き、やがては普通に大人になるはずだった。兄は霧雨店の跡を継ぎ、自分はその元で働くか、どこか他の家に嫁ぐか。そんな未来が漠然と広がっているだけのはずだった。

 

 

 しかし思いもよらず、転機というものは訪れるものだ。

 

 

 ある夏の日のこと、魔理沙は友達数人と結成した探検隊を率いて、人里の外へと出かける計画を立てた。井戸端で大人たちがいつも「恐ろしい、恐ろしい」と噂する太陽の畑へ行くのが目的だった。

 

 一面に咲くヒマワリ畑の絶景と、そこに住む美しい大妖怪。一目見なくては好奇心に収まりがつかなかった。

 

 小さな子どもだけで里の外に行くと言えば親に止められることは分かっていたので、魔理沙はいつものように探検ごっこをすると言って家を出た。里は防衛のための塀で覆われていて、門の側には守り人の駐在所がある。魔理沙たちはずっと前にせっせと掘った穴から塀の外に抜けることが出来た。

 

 そうして順調に出発したヒマワリ探検隊であったが、丘に向かって進むにつれて隊員たちの威勢が薄れ始めてきた。それまで持参したお菓子を食べたり、拾った木の枝を振り回して遊んだりしていたのが、だんだんと口数が少なくなる。

 皆の顔には不安の色が浮かんでいた。知らないところに行く恐怖と親に怒られるかもしれない焦燥感が、好奇心を上回り始めたのだ。

 

「もーやだああああ!」

 

 一番小さい女の子がそう言って泣き出してしまった。その子のお姉ちゃんが心配して背中を擦ると「足が疲れた」とべそをかく。姉は妹を背負い、魔理沙たちに謝りながら里へと引き返していった。

 それが発端となって次々に帰りたいという者が出る。結局、丘の麓に着く頃には、意地を張った魔理沙以外、皆帰ってしまった。

 

「はくじょーだ。はくじょー」

 

 魔理沙は寺子屋で習ったばかりの言葉を口にしつつ丘を登った。なだらかな丘陵地帯が続いていて、まだ目的のヒマワリ畑は見えない。

 

 足が痛くなってきたので靴を脱いでみると、親指の付け根が靴擦れをおこして赤くなっていた。それでも負けず嫌いの魔理沙は、目尻に滲んだ涙をごしごしと拭って歩き続けようとした。

 

 

 しかし立ち上がった魔理沙の視界は、ぐるりと反転した。遅れてやってくる腹部の痛み。

 突然、草むらの中から何かが魔理沙に飛び掛かってきたのだ。腹に激突され、押し倒されて仰向けになる。

 

 

 それは野犬だった。いや、ただの犬ではない。異常に涎を垂らし、狂気さえ感じるほどに歪んだ顔を見て、幼子でもそれが物の怪の類だと理解できた。

 

「な、なんで…………」

 

 あまりに予想外の出来事に涙も引っ込んで、魔理沙は呆然としてそう呟いた。大人の話では、明るいところなら妖怪は出ないはずなのに。香霖堂に行くときには一度も襲われたことなんてなかったのに。

 

 その時の魔理沙には知る由も無かった。いくら日中でも、活動している妖怪がまったく存在しないわけではないことなど。今まで道中で襲われなかったのは、保護者が退魔の護符を持っていたからなどと。

 

 野犬に似た妖怪はそれほど大きくはなかったが、妖力によって強化されたその力は子供が振り払えるようなものではなかった。

 

「グルルルッ」

 

 長い犬歯を剥いて妖怪が呻る。今にそれが魔理沙の軟な首に突き刺さり、肉ごと頸動脈を食い千切るだろう。

 

 死への絶望がすっかり魔理沙の心を塗り潰し、ぎゅっと目を瞑った、その時だった。

 

 何かが激突したような凄まじい音とともに「ギャ」と短い悲鳴が上がり、のしかかっていた重量がかき消えた。

 

 魔理沙が目を開くと、そこにはさっきの妖犬ではなく、日傘をさした麗人が立っていた。シャツにチェック柄のスカートと、人里では珍しい洋服を着たその姿に、魔理沙は命の危機だったことも忘れて見とれてしまう。母が読んでくれた本の中に出てくる妖精のように綺麗だと思った。

 

「大丈夫?」

 

 女性が覗き込むようにして問う。魔理沙は訳も分からないままコクコクと頷いた。

 

 しかし危機はまだ去ってはいなかった。遠く離れたところから、先ほど魔理沙を脅かした獣の唸り声が聞こえる。びくりと身を震わせて振り向くと、遥か向こうの木々の間から、野犬の妖怪がよろよろと歩いてくる。

 

「頑丈なのね。少し強く蹴ったつもりだったけど」

 

 当時は何も分からなかった魔理沙だが、後々になってあれは異常なことだったのだと思い返す。

 妖犬は、その姿が点に見えるほど遠くの林まで飛んでいったのだ。女性が言う通り、たしかに妖犬の耐久力もなかなかのものだったが、なにより「少し強く蹴った」程度でそこまで吹き飛ばした彼女の脚力は妖怪のものとして見ても大いに逸脱していた。

 

「私の後ろにいなさい」

 

 女性が魔理沙の前に出てそう言う。

 

 妖犬が大きく吼えたかと思うと、その体がみるみるうちに巨大になっていく。体高はたちまち辺りの木々を超えて、もともと凶悪だった牙は太刀のように変貌した。周囲の空間すら陽炎のように歪んで見えるほどの妖力は、大妖怪の領域にすら達すると言える。

 

 しかしそれを目の当たりにしてもなお、女性の余裕は崩れない。むしろ面白がるように笑みを深めて「へえ」と言う。

 

 真の姿を現した妖犬は背中の筋肉をぐっと引き絞ったかと思うと、矢のように女性へと襲いかかった。百メートルはあった距離が一瞬にして潰れる。人間では認識することすら難しい、魔性の俊敏。

 

 流星のごときその勢いは、女性に牙を突き立てようとした刹那、進路を上へと変えられる。いつの間にか日傘を閉じていた女性が、それを振り上げ、妖犬の顎を打ち砕いたのだ。それも優雅に、片手で易々と。

 

 血をまき散らしながら、妖犬は紙切れのように空高く舞い上がる。女性はまるで銃の照準を定めるがごとく傘の先端を妖犬へと向けた。

 

 ゴウッと極太の光線が放たれる。ほぼ真上に向けて打ち出されたそれに、妖犬は成す術もなく飲み込まれた。

 やがて光が粒子となって消えた空には恐ろしい妖犬の姿など何処にもなく、ぽっかりと不自然に穴の開いた雲が、青い空に浮かんでいるだけだった。

 

「困ったものね。あれ、ここら一帯を荒らし回っていたようなの。被害の大きさにしては相応の妖力を感知できなかったから手をこまねいていたんだけど、まさかただの野犬に扮していたとはね。なんにせよ、野山が荒廃する前に退治できて良かった」

 

 魔理沙は女性の言うことのほとんどを理解できなかった。幼いからということもあるが、今しがた目にした強烈な光景に心を奪われていたのだ。

 

 空を穿った眩い極光。全てを灰燼に帰す圧倒的な力と、消えた後には何も残さない、花が散るような儚さ。その一部始終を目に焼き付けるように、魔理沙はしばらくの間ぼーっと空を見上げたままだった。

 

「ごめんごめん。驚かせちゃったわね」

 

 女性はそう言って屈みこみ、魔理沙に怪我がないか確かめた。

 

「あなた人里から来たの?危ないわよ。いくらお昼時でも、子どもが一人で外を出歩いていたらさっきみたいに襲われちゃう…………あらやだ、足が腫れているじゃない。靴擦れかしらね。歩くのも辛いでしょう。手当してあげるから、私の家まで来なさい。すぐそこだから」

 

 されるがまま、魔理沙はまともに答えることも出来ず頷くだけだった。

 

 華奢だがこの上なく安定感のある背中に負ぶってもらい、丘を登っていく。ウェーブのかかった艶のある女性の髪からは良い匂いがした。色とりどりの花を思わせる素敵な香りだった。

 女性はちらりと魔理沙の方を見て、柔らかく微笑んだ。

 

「私は風見幽香。あなたの名前は?」

 

「ま…………まりさ」

 

 それが大妖怪である風見幽香と、年端もいかない魔理沙との出会いだった。

 

 

 

 幽香の家は、まるで絵本の中に登場する小人の住処のようだった。

 

 レンガの壁と一体になった竈があり、側には銅製の鍋やフライパンが壁にかかっている。木製の食器棚には白くて美しい皿が展示されているように収まっており、他にも大きな振り子時計や、美しい装丁の本が詰まった本棚などのインテリアが魔理沙の心をくすぐった。

 

 そこで足の手当てをしてもらった魔理沙は、おまけにお茶とお菓子までご馳走になってすっかり元気になった。抱えられながら、家の周りに咲くヒマワリも間近で見せてもらった。どうしても自分の足で歩きたがった魔理沙だったが、それは「また今度」と幽香に止められてしまった。

 

「足の具合がよくなって、もっと大きくなったら、またいらっしゃい。歓迎するから」

 

 夕焼けも濃くなってきた頃、魔理沙が帰りたくないと言ってぐずっていると、幽香はお別れの品としてヒマワリを一本持たせてくれた。草丈が三十センチほどしかない小さくて可愛らしい品種の花だった。

 

「いいの?」

 

 魔理沙がそう聞くと、幽香は彼女の頭を撫でて言った。

 

「お母さんにも見せてあげてちょうだい。お体、良くなるといいわね」

 

 そうして幽香は魔理沙を抱えて人里まで送ってくれた。その時、魔理沙は生まれて初めて空を飛んだ。行きは、幼い子は怖がるかもしれないからと幽香が気を使って徒歩だったのだが、魔理沙が平気だと豪語するので帰りは飛んでいくことになったのだ。

 

 幽香は人里のすぐ側で魔理沙を降ろした。自分は怖がられているから、無暗に里へは入らないと言う。わざわざ人里に来ることがあるとすれば、たまに買い物をしに来るくらいだとか。

 

 魔理沙は別れを惜しみつつも絶対にまた来ると固く約束を交わした後、里の方へと駆けて行った。

 

 

 

 

 帰った魔理沙を待っていたのは父のお叱りだった。あれだけ太陽の畑には行くなと言ったのに、とかつてないほど長く怒られて魔理沙はしょぼくれた。

 どうやら先に帰った友達が親に話したせいで魔理沙の父にも何処へ行ったのか伝わっていたらしかった。そんな友人たちもそれぞれの親にこっぴどく説教されたようで、後日顔を赤くしながら魔理沙に謝ってきた。

 

 しかし魔理沙が納得いかなかったのは、誰も彼女が太陽の畑に行ってきて風見幽香と会った話を信じなかったことである。どんなに本当だと言っても信じてもらえず、大人たちはムスッとする魔理沙に「太陽の畑で花なんて取ってきたら、今頃お前は生きちゃいないよ」と笑った。

 幽香からもらった証拠のヒマワリは、どこか別のところで摘んできたのだと結論付けられた。唯一信じてくれたのは母くらいものだ。

 

 じゃあもう一回行ってやる、今に見てろ、と魔理沙は躍起になったが、一度里を抜け出したせいで警備が厳しくなり、もう一人では外出すらままならなくなってしまった。また塀の側に穴を掘ろうにも深くまで柵が埋められるようになったので断念せざるを得ず、たいていは父に言いつけられた兄が側にいるために、木に登ったりして抜け出すことも叶わない。結局その後、また会いに行くという幽香との約束は果たせぬままだった。

 

 大きくなるにつれて幼少の記憶は薄れていくもので、いつしか約束への使命感も無くなっていった。あの時幽香と何を話したとか、何を食べたかまでは、魔理沙もよく覚えていない。強いて言うなら、なんとなく親切にされた感覚が心の奥に秘められているくらいだ。小さい頃の思い出とはそういうものである。

 

 

 けれど今もはっきりと憶えていることはある。

 夕焼けの中、風を切って飛んだ時の感触が魔理沙の肌にまだ残っている。絶体絶命のところを助けられ、空に風穴さえ開けた強大な光の奔流が、時を経て尚、魔理沙の目に焼き付いている。

 

 そんな憧憬に焦がれて今日に至る。ごく普通の少女が魔法使いを志すようになった、人生の分岐点。

 

 十年経った今では、すっかり空を飛べるようになった。靴擦れで腫れた足に塗ってもらった軟膏も自分で作ることが出来る。

 そして霖之助からの賜り物であるミニ八卦炉を使って、あの光線を再現することにも成功した。本人はまだ完成度に満足してはいないが、一応形になったその奥義に『マスタースパーク』という名前を付けた。

 

 

 

 魔理沙はあの日の感動を、今でもずっと、追い続けている。

 

 

 


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