東方千年探 ~魔理沙のはじめての文通~   作:ふーてんもどき

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九話

 

 

 

 西洋風の家には似つかわしくない、どっしりとした二つの湯呑がテーブルの上に置かれている。なみなみと入れられているのは冷やした麦茶で、魔理沙が持ってきた団子に合わせて幽香が淹れたものだ。

 

 幽香は団子の礼を言いつつ食べ始めている。

 その差し向かいに座る魔理沙は、いつになくソワソワと落ち着かない様子だった。何度かクッションの位置を直しているし、お茶に口をつける回数もきわめて多い。

 

 横目で家の中を見回すと、暖炉の側の椅子に布がかかっている。作っている途中の編み物のようだった。今自分が座っているふかふかのクッションも幽香のお手製なのかと、魔理沙は考える。

 

「なんか、変わってないな。幽香の家は」

 

「そうかしら。まあ模様替えしたくなるほど、物は多くないしね」

 

「そういうもん?」

 

「ええ。不必要な物は置かない。整理整頓の秘訣よね」

 

 魔理沙は己の家の惨状を思い浮かべ、それをサッと水に流すように茶を飲んだ。

 

「んぐ、げへっ! ごほっ!」

 

 そしてむせた。お茶が器官に入り、盛大にせき込む。

 

「大丈夫?」

 

 心配半分、呆れ半分といった感じで聞いてくる幽香に、魔理沙は俯いたままかろうじて頷く。まるで大丈夫ではない。咳と羞恥で真っ赤な顔を幽香に見せないよう必死だった。

 

 やがて治まり魔理沙が「ふう」と一息つくと、幽香は頬杖をついて笑いながら言った。

 

「あなたも変わらないわね。背は大きくなったみたいだけど、落ち着きがないところは昔のまんま」

 

「あん時の私ってそんなに変だった?」

 

「変ではないけど、まあ普通に子供だったわよ。家中の色んな物を指さしては「あれなに?」って聞くし、足を怪我しているのに駆けっこしたいって言うし」

 

 自分の憶えていない記憶を掘り返されて、魔理沙の頬が再び染まる。

 

「い、今はそんなこと言わない」

 

 幽香は微笑みながら「分かってるわよ」と言う。

 

「しばらく見ない間にどれだけ変わっちゃったのかと思っていたけど、そうでもなかったなって思っただけ」

 

「…………やっぱり、変わってなきゃダメだったか?」

 

「まさか。素敵よ。とても」

 

 幽香は湯呑を傾けておごそかに麦茶を飲んだ。飲む音にさえ品があった。

 

「それで、頼み事って言っていたけど」

 

 相手からそう促されて「ああ、うん」と魔理沙が答える。

 

「ちょっとさ、ヒマワリが一輪欲しいなって思ってんだけど…………いいかな」

 

「いいわよ」

 

 即答だった。あまりに簡潔なその返事に、魔理沙は目を丸くする。子どもの頃のことがあるから断られるとは思っていなかったが、こうもあっさり了承されると何処か居心地が悪かった。

 

「やけにあっさりしてるけど、理由とか聞かないのか?」

 

 魔理沙が思わず聞くと、今度は幽香の方が意外そうに見つめ返してきた。そんなこと考えていなかった、と顔に書いてある。

 

「わざわざ律儀に手土産を持って来るくらいだもの。そんな心配はしていないし、それに太陽の畑に生えているあの子たちは、別に私のものってわけじゃないから」

 

「幽香のものじゃないだって?」

 

 初めて聞く話に、魔理沙は驚きの声を上げた。

 風見幽香は花妖怪。花を司る四季のフラワーマスターであり、誰が言ったかこの世の全ての花は彼女に通ずるとまで謳われる。事実、幻想郷でもいっとう花が美しく咲くこの太陽の畑に居を構えており、他の存在は彼女の縄張りだと敬遠して近寄らないようにしている。それなのに、今も窓から見えるあのヒマワリの一本すらも彼女のものではないと言うのは道理に合わない。

 

 そんな魔理沙の疑問が透けて見えたのか、幽香は困ったように苦笑した。

 

「花だって生きているからね。命はただそこにあるだけで美しいもの。それを自分のものと言い張ったり、所有権を決めようとしたりするのは無粋ではないかしら」

 

「あー……わびさび、みたいな?」

 

 魔理沙が思い付いた言葉を口にすると、幽香は「そんな感じ」と笑った。

 

「花を愛しむことにも、摘み取ることにも、善悪を問うつもりはないわ。何が良くて何が悪いかなんて人それぞれの価値観でしかないわけだし」

 

「そっか。あれ、でも幽香、この辺を荒らしたからって犬の妖怪やっつけていたよな」

 

「もちろん私だって心はあるもの。美しいものがただ踏みにじられているところを黙って見過ごしたくはないわ。あの日、あなたにヒマワリを持たせたのだって、私がそうしたいと思っただけのこと」

 

 魔理沙が「なんか勝手だなあ」と言う。「そう、勝手よ」と幽香。

 

「まあそれはそれとして、ヒマワリが欲しい理由は気になるわね。誰かにあげるの?」

 

「お、押し花を作ろうと、思って」

 

「へえ。押し花ねえ」

 

 幽香が興味深そうに魔理沙を見る。

 

「誰かにあげるの?」

 

「……まあ、そんなとこ」

 

「あなたのお母さんかしら。そういえば、あれから具合は良くなって?」

 

 母のことを聞かれた魔理沙は、ぐっと言葉に詰まり、思わず俯いてしまう。

 

 魔理沙の母は昔から病弱だ。生まれついてのものらしい。今でこそかなり良くなったみたいだが、以前は咳がひどくて寝たきりになることもあり、幼かった魔理沙の心胆を寒からしめた。枕元にいる自分と兄を優しく見つめながら「大丈夫」と言った母の言葉が、今も魔理沙の耳に残っていた。

 

「母さんは、違うんだ。関係ない。最近はあまり、顔も見ていないし」

 

 下を向いて茶飲みながらぼそぼそと呟くように言う魔理沙に、幽香はただ一言「そう」と返した。

 

「たしか、今は魔法の森で一人暮らししているんだったわね、あなた」

 

「そうだけど……なんで知ってんの?」

 

 自分から幽香に伝えただろうかと魔理沙は頭をひねる。幻想郷は閉じられた狭い世界だ。どんな話題でも隅から隅まで伝わっていても不思議ではないが、風見幽香にわざわざ魔理沙が一人暮らしをしていることを知らせるような物好きがいるだろうか。少なくとも魔理沙の知り合いの中で思い当たる人物はいないように思われた。

 

「風の噂ってやつね」

 

 幽香は立ち上がってキャビネックの上に置かれていた新聞紙を取り、魔理沙に手渡した。見てみると、大見出しの上に『文々。新聞』とある。言わずもがな、あの厄介なパパラッチ天狗が手掛けている新聞の名前だった。日付は何日か前のもので、魔理沙は少し考え、これが先日無縁塚で無理やり押し付けられたのと同じ朝刊だと分かった。もちろん貰った方の新聞は読んでいない。と言うか何処かに仕舞った記憶が無い。おそらくガラクタの中に埋もれてしまっているだろうと、魔理沙は他人事のように考える。

 

「だいぶ前だけど、あなたのこと新聞に載っていたのよ。なんだっけ。『魔法少女(見習い)一人暮らし始めました』みたいな題名で」

 

「あの阿保天狗め……人の許可もなく記事にするとか…………つーか新聞読むんだな、幽香って」

 

「意外?」

 

「うーん、少し」

 

「なかなか面白いわよ、あの鴉天狗の新聞。よくもまあこれだけ色々とネタを集めてくるものだわ」

 

 話しながら記事を流し読みしていくと、ある部分で魔理沙の目が止まった。

 

 片隅にある、ちょっとしたコラムだった。『第31回、古道具小話、煙管問答後編』とあるその記事には、人里の古道具屋の主人による煙管の話が載っていた。文章の傍らにある小さな写真に写っている男は魔理沙の父親だった。モノクロだが、娘の魔理沙が見間違えるはずもない。

 

 そういえば文は「一部寄稿してもらっている」とか言っていたなと思い出す。まさか自分の父親が天狗の新聞の原稿を書いているとは露知らず、魔理沙は形容しがたい気持ちになった。

 

 父は寡黙な人物で、仕事のことと子供を叱ること以外ではあまり口を開かなかった。もちろん魔理沙に送られてくる実家からの手紙もほとんどは母が書いたもの。もしくは稀に兄が寄こすくらいで、父からの手紙なんて一度も来たことがない。

 

 それなのにこの記事の饒舌なことと言ったら!

 

 煙管の歴史や用途などの蘊蓄に終始するその文章からは、隠そうにも隠し切れない煙管への愛が読み取れる。後編とあるからには前編もあったはずで、文との対談形式になっている部分を見ればなるほど、たしかに続きもののようである。随分と気合を入れているもんだ、と魔理沙は呆れるしかなかった。

 

「どこ読んでるの? ああ、霧雨道具店のコラムね。あなたの実家」

 

 魔理沙が食い入るように新聞を読んでいると、いつの間にか幽香が後ろに回り込んで覗き込んでいた。驚いた魔理沙は思わず新聞の見開きを閉じる。

 

「お父さん、煙草好きなのね」

 

「…………いや、私は小さい頃から、父さんが吸ってんのは見たことないけど。道具が好きなだけじゃないかな」

 

「ふうん。自分で使わない物を集めるなんて、やっぱり人間って変わってるわ」

 

 実家のことについて何を言われるかと身構えていた魔理沙だが、話はそれであっさりと終わって、幽香は新しくお茶を淹れに台所の方へ行った。

 

 新聞を畳んで置き、魔理沙はふうとため息をつく。不意打ちだった。まさかこんなところで父親の知られざる一面を見ることになるとは。昔から鉄面皮で、何を考えているか分からなくて苦手だったが、いよいよ理解が困難になる。父が煙管を好きで集めているのはもちろん魔理沙とて知っていた。しかしここまで造詣が深いとは思っていなかったので面食らうばかりである。

 

「今度、こーりんにでも聞いてみるかな」

 

 ふと、霖之助のことが魔理沙の頭を過る。彼と霧雨家との付き合いはとても長いと聞く。そんな彼なら父が煙管を集める理由なんかも知っているだろうと、魔理沙は考えた。

 

「おまたせ」

 

 幽香がお茶の入ったやかんを持って戻ってきた。ほとんど空になっていた魔理沙の湯呑におかわりが注がれる。椅子に座った幽香は自分の麦茶に口を付けようとして「あ、そうだ」と言う。

 

「魔理沙、あなた魔法の修業をしているんでしょう。やっぱり将来は魔法使いになるつもり?」

 

 魔法使いとはれっきとした種族名だ。魔力を栄養の代替にする捨食の術というものがあり、これを会得すれば人間ではなく魔法使いとして見られる。生き方の根幹が違うからだ。さらにその先には肉体年齢を止める秘術、すなわち不老を実現させられる捨虫の術というものもあるが、どちらも魔理沙にとっては未到達の領域だ。

 

 きっと以前なら「当たり前だ」と答えていた。だって魔道を志す者なら、誰もがそこを目指すことになるから。考えるまでもなく、それが当然のことだから。

 

 しかし魔理沙は幽香の質問に答えあぐねていた。どこかに引っ掛かりを感じて、上手く言い表せられない。

 

「どうだろ。そんなに先のことは、まだよく分かんないかな」

 

 目をそらし曖昧な答え方をする魔理沙へ、幽香は穏やかに言う。

 

「じゃあ何か他に目指しているものはあるの?」

 

 その言葉に、魔理沙はハッとして顔を上げる。目の前では自身の羨望と憧れの的である風見幽香が微笑みを浮かべている。

 

 父には荒唐無稽だと言われた。兄にも普通に暮らすことを勧められた。親友の霊夢にだって、危ないことはしない方がいいんじゃないかと注意を受けた。

 

 それでも意地になって、一人で突っ走ってでも目指すものがあるのなら、それはきっと————。

 

「別に…………今は目の前にあることをやるだけだよ」

 

 魔理沙の口からは、なんとなく誠実に聞こえるような、ありふれた言葉が出た。それが本心なのかどうか、自分ですら分からなかった。分からないことが何よりももどかしい。

 

「そう。見てみたいものだわ。あなたの魔法」

 

「きっと度肝抜かすと思うぜ」

 

「いいわね。抜かしたいわ、度肝」

 

 不敵に笑ってみせた魔理沙だったが、こう真っ直ぐに返されると弱ってしまう。マスタースパークという自慢の技もあるけれど、まだ自分一人の力で撃つこともできないそれを幽香に見せびらかすのは憚られた。

 

 幽香は言い淀む魔理沙を見つつ、何を思ったのか、口角を吊り上げた。

 

「ところで、さっきのヒマワリの話に戻るんだけど、結局誰にあげるつもりなの」

 

 聞かれて、魔理沙はまたも返事に窮する。未来から送られてきた手紙なんて突拍子もない話——霊夢には仕方なく打ち明けたが——やはりどう説明したものかと悩む。

 

 いやそれ以前に、文通相手に送るためにわざわざ押し花を作りたいだなんて、魔理沙が素直に言えるはずもなかった。

 

 そんな魔理沙の心境を見越してか、幽香は楽しそうに笑みを深めて言った。

 

「話しにくいみたいだけど、やっぱり太陽の畑の管理者としては、ちゃんと理由くらい知っておきたいわねえ」

 

「さっきと言ってること違くない? 花は別に自分のものじゃないとか言ってたじゃん」

 

「そうだったかしら」

 

「言ってた! 言ってた!」

 

 抗議する魔理沙に対して「それはそれ」と幽香は軽く受け流す。「勝手だ、横暴だ」と喚かれてもどこ吹く風。話してくれなきゃ花は譲らないと言う。幽香の唐突な心変わりに魔理沙は目を白黒させるばかりだ。

 

「ではこうしましょう」

 

 黙ってヒマワリを持ち帰りたい魔理沙と、そんな魔理沙から押し花を贈る相手のことを聞きたい幽香。ここに両者の意見は割れ、対立することとなった。かなり強引にその状況を作った幽香は、心底楽しそうな笑みを浮かべたまま言った。

 

「弾幕ごっこで私が勝てば、詳しい話を聞かせてもらう。魔理沙が勝てば、これ以上の詮索は止めるし、どれでも好きなヒマワリを持って行って良い」

 

 弾幕ごっこ。八雲紫が考案した、スペルカードによる宣誓式の、清く正しく安全な決闘方法。

 幻想郷は人妖入り乱れる魔境とも呼ぶべき場所であり、その自由な空気感もあって個人間での争いが絶えない。昔は力にものを言わせる、たいへん妖怪的な実力主義がまかり通っていた時代もあったが、今では弾幕ごっこという平和的な解決手段が普及し始めている。単純な強さではなく、妖力などによって形成する弾幕の美しさや、それを回避する際の華麗さなどに重きを置くこの遊戯は、なかなかどうして人と妖怪の双方に受け入れられつつある。

 

 魔理沙も弾幕ごっこを嗜む一人だった。のめり込んでいると言ってもいい。

 もともと勝負事は好きな質だし、自分の魔法修行の成果を存分に発揮することが出来るのは何においても喜ばしいことだった。賭け事の有無に関わらず、霊夢とはもう何度もやり合っている。あの非凡極まる博麗の巫女を相手に魔理沙が勝てた試しはまだないが、おかげで弾幕ごっこの経験は豊富だった。

 

「…………わかった。言っとくけど、けっこう強いぜ、私」

 

 自信に胸を張り、魔理沙がそう言う。正真正銘の実力勝負ならいざ知らず、弾幕ごっこでなら勝機があると踏んでいた。少なくともそれくらいの自負を持てるくらいには、研鑽を重ねてきたつもりだった。

 

 それに何より、あの幽香と手合わせできる。かつて雲の上にいるように思えた彼女の背中に、どれほど近づいたか試せるまたとない機会だ。そう考えると、俄然やる気が湧いてくる。

 

 魔理沙の啖呵を受け、幽香は「決まりね」と言って立ち上がり、玄関へ向かって歩き出した。魔理沙も箒を手に取り、幽香のあとに続いて外へ出て行く。

 

 飲みかけの麦茶が入った湯呑の肌を、結露した水滴が伝って落ちた。

 

 

 

 


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