あくまでフィクションなので
お前たちは知らないだろうな。
毎日三食しっかり食べることができて、喉が渇いたらいつでも水分が摂取でき、風邪を引いたら病院へ行って薬をもらえる。毎日風呂に入れて、身体を清潔に保てる幸せを。
暑かったら冷房を入れて涼むことができて、寒かったら暖房を入れて暖まれて。
そして何よりも、四六時中同族から狙われておらず、屋根の付いた建物で、家族と言う庇護があるというありがたみを。
ーお前たちは、何よりも先に知るべきであり、感謝しなければならないー
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「お前さ、本当に治安の悪い所って、どんな場所か知ってるか?」
「ジメジメして、薄暗くて、夏は灼熱、冬は極寒」
「その日を生きるための水を手に入れる事すら儘ならない」
「食べ物なんて、以ての外だ」
「目に見えない病原菌がウヨウヨしてるのだって感じるし、そこらへんを蠅や鼠、ゴキブリがウロチョロしてるのなんて当たり前で、」
「生きるために泥水を啜って、生きるために生ゴミを食って」
「病気になったら治るまで苦しみ続けて、不衛生な環境でまともに治る見込みなんてあるわけもなくって」
「俺みたいな境遇の奴は他にもいて、ある日突然そいつが死んでたなんてザラだった」
「死んだやつから身ぐるみを剥いで、でも碌なものなんて持ってる訳なんてなくって」
「だからまだ生きている同じ境遇の同族を殺してでも、少しでも金目のものを手に入れるしか生きていく術がなかった」
「本当にどうしようも無いときは、表を歩いている奴から物を盗んで、警察に足がつかないよう警戒をしながら」
「盗んだことを他の同族にバレないように、バレたら今度は俺が殺されるから」
「盗んだことを自慢しているバカがいたが、そいつは次の日、目も当てられなくなっていたよ」
「そうしている内に限界を迎えた奴は、どうなると思う?」
「……分かるわけ無いよな、平和な世界しか知らない一般人が」
「一番多いのが、自分で命を断つ。知ってるか、死体って放置しておくと、内臓が腐って、ウジが湧いてとんでもない異臭を放つんだ」
「次に多いのが自暴自棄になるやつ。最悪の場合周りを見境なく殺し続ける、一番質の悪いやつだ」
「そして最後の可能性、誰かに引き取られる。まあ、引き取られた先で、どうなったかは知る術もないがな」
「周りがどんな行動を取るか、周りがどんな野郎か、そんな事を見極めていくうちに、一目見るだけで分かる観察眼を手に入れてしまった」
「一目見るだけで、どんな悪事をしてきたか、分かるようになってしまった」
「一之瀬帆波、お前は運がいい。家族に守られて、きちんと叱ってくれる親がいて」
「お前のやった軽犯罪なんて、俺からしたら全く大したことのない、児戯にも等しい可愛いもんだ」
「殺し殺され、人を殺さなくては生きていけない世界で生きてきた、俺に比べたらな」
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そこまでが限界だったのだろう。彼女はトイレに駆け込み、しばらく出て来なかった。
ようやく出てきたと思ったら、顔色は真っ青で、生気を感じられないと言っても過言ではなかった。
「そこに置いてある水でも飲んで落ち着け」
コクリと頷くと、震える手でペットボトルの蓋を開け、少しづつ水を口に運んでいた。
今までに何人かにこの話をした事がある。その話を聞いた人たちはほぼ全員、今の一之瀬のような状態になっていた。
流れでつい話してしまった、そのことを後悔するつもりはない。この学校で有平の身の上を知っている人物は有栖と父親、そして一之瀬で3人目だ。
「ねぇ、どうしてこの話を私にしようと思ったの?話してて、苦しくはないの?」
「過去は過去、今は今だ。昔やったことが無くなるわけでもない、ただいつまでも引き摺っていても仕方が無いことと割り切るしかない。人間って言うのは、間違えて成長する生き物だからな」
だから、と彼は話を続ける。
「だから何時までも引き摺ってないで、前を向いて歩き始めろ。簡単に潰れてくれても面白くない。Bクラスでいる間は、せめてお嬢を少しでも楽しませろ」
「その言い方、なんか気に食わない。でも、励ましてくれたことは感謝する、ありがとう。所で、お嬢?って誰のこと?」
「お嬢はお嬢、一年Aクラス、坂柳有栖。何れこの学校を統べる御方で、他の一般生徒の追随なんか許さない、比べることすらおこがましい、そんな御方だ」
自らの主人と言うこともあり、少し白熱しながら有平らしくもなく語る。そしてーーと続けて
「いずれ、俺が超えなくてはならない存在で、叩きのめさなくてはならない」
それこそが、有平がこの学校で成すべきことで、彼らが初めてあった時、出会ったときに最初に有栖から命令されたことがそれだった。
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次の日、彼が一人で登校すると、やけに教室が騒がしい。席に着き、周りの会話に耳を澄ます。会話の内容は、どうやら今日の授業のプールで見られる、女子の水着姿で、胸の大きさを賭けているようだった。
「おい坂柳、お前もこっち来いよ、賭けるだろ?」
池という生徒が有平に声を掛けてくる。ちなみに彼らが会話をするのはこれが初めてで、最初から変態と思われているらしい。
「いや、遠慮しておく。周りの視線に少しは気を使ったほうが、身の為だぞ」
そう言って、彼は席から立ち上がることなく、池に言い放つ。
その一言に、男子たちはつまらなさそうにしている者が多い、反面、女子生徒たちからはほんの少し評価が上がった。
因みに綾小路も賭けには参加していた。思春期なのか、友人付き合いを優先したのかは、彼のみぞ知る。
プールの時間になり、各自更衣室に入り、水着に着替えていく。男子は肉体自慢や高校生らしからぬ水着の脱がし合いなどしてじゃれ合っているものもいた。逆に高校生らしいかもしれないが。
しかしそれも、有平が上半身裸になったことで、それを見た誰かが息を呑んだ。
「坂柳……お前、その身体……」
「すまない、見ていて気持ちのいいものではないだろうが、少し我慢してもらえると助かる」
無駄な脂肪がない肉体。鍛えられたその身体にはその身体にふさわしくないものが刻まれていた。
最も多いのが刺し傷と切り傷。縫ったあともある訳でもなく、ただ自然に傷が塞がった結果、最低限の処置が為されただけの傷跡。所々に焼けただれた火傷後も見られた。
これは彼が過去に受けた傷跡であり、一種の罪の烙印と言えなくもないのだ。
男子たちは着替え終わり、プールサイドに移動していく。その際、ほとんどの男子生徒は、有平から距離を取っていた。
「お前は俺から離れなくて良いのか?高円寺六助」
「フッ、なぜこの私がその程度のことで居場所を制限されなくてはいけないのかね、傷痕ボーイ?」
「確かにそれは正論で、正しいが、奇異の目で見られてるやつの近くにいると、お前まで同類に思われるぞ」
「他人の目など気にして何になると言うんだい?私は私自身を最も認めていている」
「ああ、そうだな、お前はそういう奴だよ。他の奴等からしたら、お前の生き方は眩し過ぎて、目を覆いたくなる」
「たったそれだけで、私のことを理解したつもりかい、ボーイ?」
「いいや、俺はお前の生き方を好ましく思うし、お嬢に通ずるものだ。どうだ、俺に協力して見る気はないか?」
「私が首を縦に降るとでも?答えは否、なぜ私が従わなくてはならない?私は私の為に行動する。ゆめゆめ忘れない事だ」
話し終えた時点で、授業の担当教員がやって来た。それとほぼ同じタイミングで女子生徒達もやって来た。
池と山内という生徒が何やら騒いでいる。有平には関係ないので傍観を決め込む。
「見学者は16人か……結構多いが仕方が無い。お前ら、集ま……!お前!その身体は……」
先生が有平の身体を見て驚愕すると。女子生徒は数人悲鳴を上げているし、息を呑むものがいる。このような対応は慣れているので、そこまでショックはない。
それよりも、過去のことはともかく、有平のことは理事長、有栖の父親が色々言っているものだと思っていたが、そうでは無かったうようだ。
「すでに痛くもありません。問題なく泳げます。先生が不快になる様でしたら、見学をしますが」
「……いや、構わない。皆もあまり気にしないように努めてくれ。では授業を始める。手始めに、二十五メートルを泳いでみてくれ」
準備運動を各自済ませてプールへと入水。泳ぎ終わったものからプールサイドへと上がっていく。
「よし、問題なく泳げているようだな。ではこれから皆に競争をしてもらおう。一位のものには5千プライベートポイントを贈呈しよう」
その言葉に運動自慢の者たちが一斉に沸き立つ。逆に運動が苦手な者たちは盛り下がっていく。
女子の方は水泳部に所属していたものがいたため、彼女がトップだった。
男子は三グループに分けられ、有平は第一グループだった。同じグループに綾小路がいたが、彼は全体の中間になるように調整したかのようなタイムだった。
決勝は高円寺、平田、須藤、有平の四人にまで絞られ、須藤は平田と高円寺に対して熱意を燃やしていた。
それもそのはずで、高円寺は現在四人の中でもトップ、平田に対してはモテナイ男の僻みから熱意を燃やしており、有平のタイムは現在四人の中では一番遅いもののため、気にしていないようだ。
四人は飛び込み台に立ち、先生からスタートの合図を待っている。
スタートの合図が出たと同時、四人は一斉にプールへと飛び込んだ。
やはり、トップに躍り出ているのは高円寺だ。僅差で平田と須藤が縋りついており、有平は5メートル程後方へと飛び込んだ位置付けていた。
そのまま高円寺がトップでゴールかと誰もが思っていた。しかしラスト十五メートルで有平が一気に加速し、須藤と平田を追い抜いた。
決勝ともなれば、皆本気を出すだろうと見越して、今まで手を抜いていたが、もうその必要はなくなった。
そのまま高円寺とデッドヒートを繰り広げラスト五メートルでとうとう高円寺を追い抜き、そのままゴール。
優勝は有平だった。
「まさか君に負けるとは思わなかったよ、傷痕ボーイ。私の大胸筋、大腿四頭筋が絶好調で負けたのだ、言い訳はしない。が、次は負けないよ」
プールから上がり声高らかに笑いながら高円寺は更衣室へと向かっていった。
授業終了のチャイムが鳴り響く。授業の担当教員にポイントを振り込む為のアドレスを教え、皆が更衣室へと向かっていく。
制服に着替え終わり、次の授業のために移動を開始すると
「待、待ってーー」