「ふんむ……」
彼、畠山は床に置かれたビニール袋数個とダンボール箱をしげしげ眺めながら、呟いた。袋の中は全てじゃがいもで満ちていた。芽が出始めるほど古いものはなかったが、あまりにも多い。一人暮らしのアパートメントには不釣り合いな芋の群れに、畠山は圧倒されていた。
「どーすっかなぁ、これ……」
何故こんなことになったのか。話は数日ほど前に遡る。
彼はその時、仕事帰りに立ち寄った居酒屋で深酒をしていた。家から歩いて数分のところにある、大衆居酒屋。そこに毎週金曜日の夜に立ち寄るのが彼の習慣だった。注文する内容も、多少のブレこそあれ、大体決まっていた。フライドポテトとビールをまず頼む。それを腹に収めてから、次は芋餅と焼酎芋焼酎を中心に、時折麦焼酎なんかも注文していた。その後は気分であれこれ内容は変わるのだが、それでもやや炭水化物が多かった。
要するに彼の好物は芋なのである。芋、芋、芋……三食芋でも構わないくらい、彼は芋を愛していた。
事件が起こったその日、以前の職場の後輩がたまたま店に居た。
「――って、畠山さんじゃないっすか! お久しぶりです!」
飯田というその後輩は、顔を真赤にしながら畠山の肩をばしばしと叩く。
「ん? おお、飯田かぁ! なっつかしいなー……何時ぶりだ? 三……四年か? ともかく久しぶりだな!」
酒を飲んで強気になっていた畠山はガハハと笑い飯田の肩をどんどこ叩いた。
「どうっすか、最近?」
飯田の言葉にとりとめもなく畠山は愚痴をこぼす。
畠山は仕事は出来た。人付き合いも無難か、上手い方だった。が、運が悪かった。
「あっちの方が報酬いいってんで移ったんだがなー……会社自体の業績が落ち気味なのよ。ボーナスでねーってさ」
彼はそう不満げに飯田にこぼし、がばりとグラスの芋焼酎を飲み干す。それからは立板に水のような具合で畠山は愚痴をこぼし続けた。
愚痴をこぼしながら、酒を飲み、飯を喰らい、飲み込んだ。飯田もそれに付き合うように同じペースで暴飲暴食を重ねた。愉快げな彼らは、誰にも止められない。そしてその結果、ひどい酔っぱらいが二人、出来上がる。終電はとっくに過ぎていて、彼らはそのまま畠山の家に泊まることとなった。
注意すべきことが、ひとつある。
金曜日の夜。畠山は買い物をしてから帰る。奇妙な習慣に思われるだろう。ナマモノは大丈夫なのか? 冷凍食品とかは? 疑問もごもっとも。しかし問題はなにもないのだ。
なぜなら、彼が金曜日に買うものはじゃがいも以外に無いのだから。故に、芋男爵と彼は一部界隈(主に居酒屋のバイトの間)で渾名されるほどだった。畠山はそのことを一切知らないが、もし知ったとしても怒らなかっただろう。むしろ「夢のようだ」と歓喜の声をあげたかもしれない。彼は彼の愛する芋を名前に冠することが出来るのなら、婿入りすら考えたことのある男だった。
さて、お気づきだろうが、こうして畠山は居酒屋にじゃがいもの袋を忘れて帰った。婿入りを考えるほど愛した芋を、店に忘れるとはこれ如何に? 仕方あるまい。酒とはそういうものである。
「畠山さん! 先日は失礼しました! これお詫びッス!」
それから二日後、飯田が畠山の家を訪れた。手からスーパーのビニール袋を下げ、九十度くらい身体を曲げて。
「いや、俺も飲みすぎたからなぁ……あー、いいっていいって」
畠山の静止を無視して飯田はビニール袋を無理やり手渡した。
「先輩、好きでしたよね、じゃがいも! インカのなんとかっつー高いヤツ買ってきたんで、ホント、受け取ってくださいって」
それからは「要らぬ」と「でもでも」の応酬が続いたが、結局畠山は折れた。普段買わない品種を味わえるとなれば、少なからず好奇心も沸くもので、結局食ってみたかったのだ。
「わかったわかった。もらう、もらうよ……。お前、その押しの強さを仕事でだな……」
飯田は畠山の言葉に「ざーっした!」と元気よく答え、帰っていった。
「まったく……」
畠山は飯田の背中を眺めながら呟いた。が、飯田に対する呆れの気持ちは既になくなっていた。
「どうやって食うかなぁ……」
既に彼の気持ちは芋へ。生きていきやすそうな性格をしている。
次の日。月曜日である。
その日の仕事終わりの時、その日は仕事が遅くなり、普段よりも遅い時間に道を歩いていた。その日の畠山は普段とは違うスーパーへと足を運んでいた。日曜日に受け取ったじゃがいもが存外旨かった為、買い足そうと思っていたのだ。
飯田から渡されたビニール袋を頼りに店へと赴き、閉店間際の中必死に探し出して見つけた芋。彼はそっと愛娘を撫でるかのような優しい手付きで芋を撫で、会計を済ませたのだった。
その店から歩いて帰る途中、居酒屋の前を通った。その折、畠山は忘れたじゃがいもの袋を店員から手渡された。
「あー……悪いね、店員サン……ども!」
畠山はぺこりと会釈し、袋を受け取る。不思議とその店員の笑顔がにやにやしていたようにも思えたが、畠山は無視して帰っていった。実のところ、「芋男爵が芋を忘れていった」という事態は居酒屋を少しばかり笑いの渦に包んでいたのだが、そんなことを畠山が知る由もない。
帰宅して、玄関の鍵を開ける。すると、一通の紙片がポストに入っていた。畠山の実家からの宅配便だった。
「食品、ねぇ……」
紙片に記載されたとおりに在宅の時間を告げて、その日はそのまま何事もなく終わった。
さらに翌日、火曜日。
その日の朝、部屋の前の廊下で煙草を吸っていると、お隣さんから声をかけられた。
「あのぅ……すみませぇん……」
口数の少なそうな、長い髪をした大学生がお隣さんだ。今まで何度かすれ違ったことこそあったが、畠山と大学生の間の接点はその程度だった。
「はぁ、どうかしました?」
畠山は喫煙を咎められると思い、煙草の火を消す。
「あ、いえ、実家から仕送りが届きまして……食べ物なんですけど、食いきれないんです」
畠山は眉間にシワを寄せる。
「なるほど、それで……?」
既に畠山の中にひとつの嫌な予感があった。
「頂いてもらえないかな、と……腐らせるよりもマシ、と思って……」
返礼なども不要だと大学生は付け足す。
「まぁ、構いませんが……ありがとうございます」
流石に何も返さないのも申し訳ないと思った畠山は、今日の帰りに酒でも買って返そうかと考えていた。
「いえ、こちらこそありがとうございます! えーっと、これなんですけど……」
じゃがいもだった。
流石の畠山も絶句していた。しかし受け取ると言った手前、断れなかった。
畠山はその日、残業をせずに急ぎ足で自宅に戻った。宅配の受け取りの為である。
実家から届いた荷物。じゃがいもだった。それも数キロはあるであろう。じゃがいもだった。
かくして冒頭に戻る。じゃがいもの前に絶望すら抱きそうになった畠山は、自らの頬をぺちりと叩く。
「まずは茹でて、ポテトサラダにでもするか。酢を多めに入れて――」
じゃがいもを愛し、じゃがいもに愛された男。畠山。これから先の摂取カロリーや如何に……。それは畠山さえ、知らなかった。