盆の暮れ、彼は田舎の実家に帰っていた。
古い日本家屋の裏手には管理が殆どされていない裏山がある。山菜や茸なども取れず、せいぜいが薪に使う木材が散らばるばかりの山。今となっては誰も立ち入らない。
そんな裏山に、彼は居た。
天蓋を覆い尽くす濃緑色の木の葉達の所為で、裏山は早朝だと言うのに暗い。
「暗いな……」
何故、ここに居るのか。彼がここで暮らしていた時でさえ、裏山には殆ど立ち入らなかった。せいぜい、麓を散歩した程度だったのに、どうしてか山頂を目指して歩くことになった。
「ちっ……めんどくさいモン見つけやがって……」
そう言って彼はズボンのポケットから一枚の紙片を取り出す。古びた紙片には、山を横から見たような絵が描かれ、その天辺をめがけてうねうねと線が引かれていた。その線の終点には、黒く塗りつぶした小さい丸があった。
彼は昨日の晩を思い出す。
盆に集まった家族達。彼の両親、彼の兄、兄の嫁、祖母……そしてひとりだけ原色のような元気を振りまく一人の男の子。彼の兄の息子。つまり、彼からすれば甥だ。
甥がやにわに叫びながら、彼にじゃれつく。
「おじさんおじさんおじさん!」
「おじさんじゃないし、一回で良い」
彼はぼうっと眺めていたテレビから視線を移して、甥の方を向いた。
「おじさん! これ! これ見て!」
聞く耳を持たないことに露骨に彼は肩を落としたが、甥は気にしない。甥は手にした紙片をぶんぶんと振り回しながら、見せる気も無いのに見ろと言う。
「あーはいはい、ちょっと貸して」
「やだ! 宝の地図だもん!」
見れば良いのか、羨ましがれば良いのか、彼は判然としない。隣に居る母に視線を送ると、彼女はくすりと笑った。
「あら、りょうちゃん。それなぁに?」
「宝の地図! ほーもつこで見つけたの!」
彼は「裏の蔵で見つけたのか」と甥の言葉を翻訳して納得する。
「へぇ、凄いねぇ。おばあちゃんにも見せて?」
甥は相手をしない彼よりも、ちやほやしてくれる祖母を選んだらしい。数歩の距離を器用にどたどた走って、祖母に抱きついたのだった。
その晩はそれで終わる筈だった。
甥が眠りについてから、彼は母に声をかけられる。
「ねえ、コウ」
母は甥が持っていた紙片を手にしながら、眉間にシワを寄せていた。
「何、母さん」
「これ、裏山の地図じゃない? ほら、ここ……麓の石積みじゃない?」
彼は「んー?」と言って、紙片を受け取る。
「あぁ、確かに……三本の石塔ってのは他に見ないしなぁ」
「でしょう? で、コウにお願いなんだけど……」
嫌な予感がした。
「行かない」
「そんなこと言わないでさぁ……そうだ、帰る時、ビール持ってって良いわよ」
彼は露骨に渋い顔をする。母に向ける表情ではない位、渋い顔だった。
「ウィスキーも良いわよ? 孫の安全には変えられないもの」
「酒はありがたいがねぇ……ま、わかったよ」
母はふふんと勝ち誇った笑みを浮かべて、言う。
「ありがとうねぇ。あ、でもりょうちゃんにバレないようにね? 探検したがってたから、危ない所が無いかどうかのチェックだけ、頼んだわよ?」
そして母は風呂場へと向かっていった。
「ばあさまに聞けばいいだろうに……」
彼の呟きを母は無視したのだった。
緩やかな傾斜を登りながら、三十分。頂上に着く。今までの道程に危険な箇所はなかった。
「ここにこんなのあったのか……」
彼の視線の先には薄汚れた洞穴だった。入り口には朽ちた木の柱があったが、厳重に封をされていたというよりも、何かを祀るかのようである。しめ縄や紙垂の類は見当たらなかったが、とうの昔に朽ちて消えたのかもしれない。
「ふんむ……罰当たりな気もするが……」
少し覗く程度なら問題あるまい、そう思って木柱の間を通って中を伺う。
「なんだ、浅いな……」
人口的に作られたかのような洞穴だった。奥行きはせいぜい数メートルで、天井は彼が屈んでようやく中に入れる程度。そして、穴の中心に、ひとつの台座があり、そこにそっと銀色のなにかが安置されていた。
「これは……?」
好奇心に駆られ、彼はそれを手に取る。懐中時計だった。
「古いが……多分、いいヤツだな、これは……」
時計屋でアルバイトした経験から、彼は判断を下す。
とてつもなく大きな力で穿たれたような小さな穴を除けば、外装の欠けもないし、経過した時間の長さを思わせる汚れ以外は綺麗なものだった。大きさの割に異様に重いことから、恐らく外装は純粋な銀で出来ているのだろう。時計の裏側には削られたような傷があるが『大正』という文字が刻まれていることが辛うじてわかった。
「んー……」
彼は悩みながらそっと時計を元の場所に戻す。
歴史的な価値があるかもしれないが、時計としてはもう使い物にならないように思われた。中の機構が壊れているだろうし、穴の所為で直すに直せない。実用目的からすればただのガラクタだった。
「まぁ、あいつには過ぎたおもちゃだろうが……そもそもがウチの山だからな」
彼はゆっくり踵を返し、山を下る。
彼の内心では、奇妙なロジックが組み上がりつつあった。
あの時計が何であれ、いずれ甥は山を継ぐ。そうなのであれば、甥があの時計を欲しがっても問題はない。未来から前借りするに過ぎないのだから。要らないのであれば、あそこにあのまま置いておけば良い。
そんなロジックだった。
山を下ると、甥とその両親は家を出ていた。近くのプールに遊びに行ったのだろう。
ふんと鼻を鳴らしながら縁側の前を通ると、祖母がのんびりと茶を啜っていた。気になった彼は、地図と時計について尋ねた。
「ばあさん、この地図、知ってる?」
祖母はのんびりとした動きで、彼から地図を受け取る。
「あぁ、じいさまがお前に書いたヤツじゃないか」
彼はまるで記憶に無いことを言われ、聞き返す。
「そうだったっけ? 俺は知らんぞ?」
穏やかに笑って茶を啜って、祖母は応じる。
「んー、セイの方だったかなぁ……?」
兄の名前が出たので、彼は皮肉っぽく笑う。
「じゃあ知らんわな。……それと、銀色の時計があったんだけど、それは?」
祖母が「どんな?」と聞いてきたので、彼は特徴を説明する。
「銀で出来てる、古い時計。なんかの穴があって、壊れてる。裏には『大正』って文字」
彼の説明で十分納得できたのだろう。祖母はくすくす笑い出す。
「死んだじいさまの、お守りだね、そりゃあ。……昔、戦争で撃たれた時に守ってくれたやつだそうでね。神様にお返しするって言ってたが、そうか、あそこにねぇ……」
しばしの間、両者の間に奇妙な空気が流れた。厳かなようで、懐かしいようで、過去からの不思議な贈り物に、困惑していたのだ。
「……これを、りょうが見つけたら、欲しがるかもしれん」
「くれてやってもいいと思うがねぇ」
死んだ爺様が兄に渡そうとしたのだろう。そしてその兄の息子が、時計を得ようとしている。彼はそう直感した。見つけたのは俺だと言って、かっぱらっても良いかもしれないが、それほど貧乏でもない。
「りょう次第、か……」
彼の言葉に、祖母は茶を啜ってから、のんびりと頷いた。