三題噺   作:むかいまや

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7回目


果樹、捨てる、過去帳

 その霊園からは見渡す限りの果樹園が広がっている。晴れた秋空に薄く雲がたなびき、靄のように遠くが霞んでいた。標高が高いからか、風も無いのに涼しい。そんな日に、彼は火葬場に居た。

 場内から女性が出てきた。彼女は少しだけ慌てた様子だったが、彼の数歩後ろで立ち止まり、深呼吸をしてから、ゆっくりと口を開いた。

「……始まるよ」

 その言葉に、彼は加えた煙草を地面に捨てて、火を踏み消した。彼は小さく頷いてから、場内に入る。

 

 火葬場は重い空気に包まれていたが、それでもなお、彼は涙を流していなかった。

 職員が慇懃な口調であれこれ言って居たが、それらは彼の耳に入らなかった。彼の胸中には死んだ人物との思い出が蘇っていた。

 

 ある喫茶店で一緒に過ごしていた相手、それが今から燃やされる人物だった。名前を田辺という。

「なんだ? これ」

 彼は机に置かれた一冊の手帳を指差し、田辺に尋ねた。

「ん? 過去帳ってヤツ?」

 彼は眉間にシワを寄せて、聞き返す。

「何だソレ。日記じゃないのか?」

 田辺はけらけらと笑って説明する。

「死んだ一族の名前を書いてくノートみたいなもんよ。デスノートの逆?」

 彼の背筋にぞくりと悪寒のようなものが走った。

「それ、絶対に持ち出すようなもんじゃないだろ……」

 笑顔はそのままに、田辺は過去帳をぺらぺらと捲り始める。

「だろうねぇ――っとあったあった。ここ見てみ」

 そう言って差し出した過去帳には悍ましさすら感じるひとつの事実が記されていた。

「見て良いのかよ……って、うっわ……」

 彼は眉をひそめながらも好奇心に取り憑かれたように、過去帳に並んだ名前を見つめる。

「へーきへーき。で、どう思う?」

 田辺は窓の外を見つめながら、こともなげに尋ねる。が、彼が握るアイスコーヒーのグラスは俄に揺れていた。

 彼は困惑とも恐怖ともつかない感情に心臓が早鐘を打ち始めていたのを感じていた。

「……なんで皆、二十四歳で死んでんだよ……しかも――」

 記された名前の下には享年が記されていた。そして、その人物がその当時の当主に対する続柄も。

「――しかも長男が、でしょ?」

 恐る恐る彼は視線を上げた。その視線の先に居る田辺はつまらなさそうに窓の外を眺めている。が、田辺の視線はずっとずっと遠くを見つめているのではないかと彼は感じていた。

「……ああ」

 田辺は煙草に火を点けて、一服する。そして灰皿に煙草を置いてからコーヒーを一口啜った。

「家系らしいよ? 長男が二十四歳で死ぬ。そういう家系」

 始まりは江戸時代だったが、終わりはまだ無い。それを如実に過去帳が示していた。

「お前確か……長男だったよな」

 田辺は「ん」と目を閉じて頷く。その仕草にはどこか優雅ささえ感じられた。

「今年で――」

「二十四」

 ぞくりと彼の背中が震えた。彼には喫茶店の温度が下がったようにさえ、感じられた。

「これ、冗談とかじゃないんだよな……? タチが悪いぞ……」

 彼は過去帳を閉じて、彼に突き返す。

「冗談だと思う? 放っておけば証明されるけど」

 彼は頭を振った。否定の意を示すためでなく、露悪趣味にさえ思えた田辺の言葉自体を頭から振り払うために。

「いいかげんにしろ……!」

 田辺は黙って彼の眼を見据えていた。

「もし、俺が死んだら、だ」

 真に迫った田辺の言葉に、彼は黙り込む。

 そして田辺は、突き返された過去帳を押し返していた。

「これを燃やすか、お祓いでもしてくれ。それで終わりになるのかは知らんが」

 その言葉に彼は頷くことしかできなかった。

 

 田辺の棺には、一冊の手帳が収められていた。それは田辺が彼に託した過去帳だった。

「これで終わりになるのかは知らんが、ね……」

 ぼそりと呟くと、女が不思議そうにこちらを見た。その視線に気づいた彼は小さく首を振った。

 不吉ささえ覚えるブザーの音が響き、鉄扉の向こう側からなにかの駆動音が聞こえ始める。その音を合図に、居合わせた人々は控室へと向かっていった。

 

 控室に入った彼はテーブルの端へと腰掛け、茶をすする。そんな彼の視線の先には一冊の手帳があった。ただ置かれただけの一冊の手帳だが、見知った装丁のものだった。

「これ……」

 彼は手帳を手に取り、開く。失礼でも何でも構わなかった。単に胸に込み上げてくる恐怖と不安を押さえ付けるためだけに彼は動いていた。

 彼は混乱した。叫びながらこの場を離れたいとさえ感じていた。

「どうかしたかい?」

 田辺の父が彼に尋ねる。その生者の言葉に彼は意識を取り戻したかのように、田辺の父に振り返る。

「い、いえ……なんでも……」

 彼はそっと手にした手帳をテーブルに戻した。

 それを見た田辺の父は、不思議そうに口を開いた。

「……過去帳? なんでこんなところに……」

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