午後三時。
その日の講義が終わり、遅めの昼食として俺は学食で具なしのラーメンを啜っていた。配膳のオバさんからプレートを受け取り、調味料を追加で入れて、着席し、さて食事……と箸を持つや否や、後ろから急に声をかけられた。
「星影って言葉、あるじゃん」
視線だけ上げて声の主を確かめる。英一だった。ヤツは机の反対側の椅子にどかりと腰掛ける。
「んだよ、急に」
付け加えるように、星座の星に普通の影の字だろ? と聞き返すと、ヤツは「そ」と小さく返事をする。
「で、それが?」
俺は箸を盆の上に置いて、水を一口含む。
「いや、別に」
「っつーか、お前、講義は?」
「サボり」
申し訳無さのかけらもなさそうな言葉に、俺は呆れたように「あのさぁ」と呟いた。
「だいじょーぶだいじょーぶ」
俺の続く言葉も聞かず、英一はへらへら笑って言った。
「何がだよ」
「次の講義はまだ一回しかサボってない。つまり、今回のサボりも含めて後二回サボれる予定」
「あのさ、成績とか気にしてないの? 課題出たりとかよ」
「別にぃ? もうね、ダブった時点で何も気にならなくなったね。あと、初回でその辺の説明も聞いてる。次の次で小テスト、後は最後の試験だけ。課題なんて無いからどーとでもなる」
それで良いのか、と聞き返す気にもならなかった。
「まぁ、三年生に上がれたキミにはわからんだろうねぇ」
「必修を落とした上に年次の単位も落としたお前が悪いんだろうが」
英一は俺の言葉に、返す言葉もないと苦笑いを浮かべた。
「あぁ、それでさ、星影? 意味わかる?」
「ん? 星の……光だっけ?」
「そうそう、せーかい。でさ、影なのに光ってのも変だろ? なんでだか知ってるか?」
同意を求められても困る。
「知らん。そういうモンなんだろ?」
俺はそう言って箸に手を伸ばす。が、英一は「それで良いのか法学部生よ」と真面目そうに言った。俺はヤツの言葉を無視して箸に手を付けようとすると、ヤツは俺を遮るように「聞き給え」と声色を作って言う。
「法学部生ってのはもっと論理的で、理屈っぽくならなきゃならん。そのポケットの中のポケット六法はなんのためにあるのかね。それ以前に、何が何でも論破してやろうという気概がだね、法学部生には必よ――」
英一は朗々と歌うように長口上を述べ始めるが、俺はそれを手のひらを振って遮った。
「ポケットに入らねえよ、ポケット六法」
心底驚いたというように、英一は目を見開く。
「そうなの? え、マジ? 文学部だから知らなかった」
「そうだよ。何ならカバン中入ってるから見るか?」
「いや、遠慮しとくわ」
俺は「そうかよ」と応じ、改めて箸に手を伸ばす。が、ヤツは更に俺に言葉をかけてくる。
「で、星影の件」
俺は溜息をつく。この際だからちゃんと聞いてやろうと思い、箸もプレートの上だ。
「はいはい。それで? 聞いたからには知ってんだろ?」
「いんや、全然。っていうかさ、お前、それ好きだよなぁ。いつも食ってるもんな。美味いの?」
話題がコロコロ変わるというのは楽しい時とそうでない時とがあるもので、今回の場合は後者だ。とっとと食事を始めたい。
「美味くはないな。不味くもないけど」
英一はふぅんと声を漏らす。
「飽きねぇ?」
「飽きる。だから調味料でどうにかする」
俺は顎をしゃくってラーメンを示す。すると、英一は眉間に皺を寄せて、丼を見つめていた。
「なんだよ。変か?」
「変……は変だな。おかしいだろ、これ。何入れてんだよ。なんか色々浮きすぎだろ」
「ん? あー、ラー油、醤油、酢、塩、胡椒、七味、ゴマ。今回はミスって塩入れすぎたから、そこの――」
給湯器を指で示す。
「――お湯も少し足したな」
一応、全部無料のものを使っているし、大量に使うようなこともしていない。ラー油は今回入れすぎてしまったのかもしれないが、その程度だ。文句を言われる筋合いは無いだろう。
「えぇ……調味料の宝船かよ……」
「その芸人崩れみたいな比喩やめときな」
英一は考え込むような素振りを少しだけ示し、小さく頷く。
「反省、だな」
「お前の反省はどうでもいいから、食っていい?」
英一はキョトンとした顔を浮かべる。
「俺、一回も『食うな』なんて言ってないぜ?」
法学部生らしい、理屈っぽいツッコミを入れようと思ったが、麺がダルダルになるくらいに時間がかかりそうなので、喉元まで出かかった言葉を引っ込めた。
「そうかよ」
「そうだとも。……さて、俺は帰るぜ」
「あいよ、じゃあな」
なんのために来たのだろう、と言う質問をしようかと思ったが、それもやめておく。
英一が立ち上がるのを見てから、俺は箸に手を付ける。少しばかり固まっている麺をほぐそうとスープの中に箸を突っ込むと――
「あぁ、そうだそうだ」
「今度は何?」
ヤツはへへと小さく笑う。
「醤油ラーメンにオリーブオイルって意外とあうらしいぜ?」
「ふぅん。それはどうも」
「じゃ、今度こそ帰るぜ。じゃーねー」
そう言って、ヤツは学食を出ていった。
ようやく食える。麺を箸でつまみ、持ち上げた瞬間、ふと思う。
「オリーブオイル……ねぇ」
立ち上がって、調味料がまとまって置かれているラックを見る。それっぽいものがなかったので、明日にでも家で試してみよう……。