考えるべき事は沢山ありそうだったが、とにもかくにも今は未知を楽しもう。
自己紹介を終えた後、ヨハネ達は部屋を後にした。街を見てみたいと言うヨハネの要望があったためだ。善子達にしても、部屋にこもって話し合っただけで事態の把握は難しいと判断して、ヨハネの要望に沿うことにした。
部屋を出て街へと繰り出すと、ヨハネは驚いてばかりだった。先ず目に付いたのは、巨大な建物群。やはり見たことがない造りで、何よりも煌びやかなものが多い。
(余の知らない国、ではないな。そんな小さな話ではない。どうも世界そのものが違う。間違いない、ここは余のいた世界ではない)
ヨハネは確信を抱いた。あの魔法陣で、自分の知らない人間の国に転移させられたのかと思っていたが、どうやら違う世界に転移して来たようだ。確かにそう答えを出した方が納得も出来る。何故なら自分の知らないものが多すぎるのだ。
(例えば、あの魂を感じない生き物。中に人を乗せて走るようだ。馬の役割をしているようだな)
車、あるいは自動車と言うらしい。人間が作った馬。本物の馬よりも速い。建物といい、この自動車といい、途轍もない技術力である。ヨハネならば構造さえ理解してしまえば片手間に創造出来るが、そんな力を持たない人間が造ったことに感心を抱いた。
見るもの全てが興味深いヨハネは、気になる事があればその都度善子達に訊ねた。
「ヨハネよ、あれは何だ?」
「ああ、あれ。自販機よ。お金入れたら飲み物が出てくるの」
「リリー、これはどういうものだ? 自動車とどこか似通っている。見た感じ、こちらの方が馬とそっくりだな」
「これはですね、自転車と言います。車と同じで、移動する時に乗る物です。ほら、あんな感じで」
「マリー、あの者は何をしている?」
「ワオッ! 公衆電話? 今時珍しいわね。あれは離れている人と話が出来る道具よ」
三十分ほど街を歩けば、四人はすっかり打ち解けてしまった。まるで子供のようにこれはこれはと訊ねて来るヨハネに、善子達も親しみを持ったのだ。魔界の王、つまるところ魔王であるが、三人にしてみれば同年代の女の子にしか見えなくなったのである。
暫く当てもなく歩いていると、鞠莉の腹が鳴った。善子と梨子には聞こえていなかったが、ヨハネの耳にははっきりと聞こえている。指摘されて、鞠莉は顔を赤らめながら食事を取ることを提案し、一同頷いた。
三人に案内されて、ヨハネはファミレスという食堂に入る。勝手が分からないヨハネは三人に導かれるままに席に着き、メニュー表を手に取った。
「味はどれもそこそこに美味しいわよ」
どれを頼むか悩むヨハネに鞠莉が笑いながら言った。
ヨハネが唸ってる間に、善子達は選び終える。善子はスパゲッティというもの、鞠莉はハヤシライスというもの、梨子は、チャーハンというものだった。どれもヨハネにはどういう料理なのか分からない。誰かと同じものを頼もうかと思ったが、とある絵――写真というらしい―を見てその料理に決めた。どういう料理か想像がつくものだったからだ。ステーキとメニュー表には書いてあった。見た感じ、何かの肉を焼いたものだろう。
全員の料理が決まったところで、梨子が店員を呼ぶ。呼ばれた店員は迅速な動きで注文を受け取った。チラリと、ヨハネに目線を向けたのをヨハネは気付いていた。三十分も街を歩けば分かったが、今の自分の恰好は異質なのだ。店員の行動も全くおかしなことではない。
注文してからそう時間も経たないうちに、別の店員がやって来た。
「お待たせいたしました。ステーキのお客様は――」
「余だ」
料理を運んで来た店員に応えると、店員は怪訝そうにヨハネを見た。これは鞠莉に訊いたのだが、余、という一人称は身近なものではないらしい。物語の中でしかないような人称で、それを当然のように使うヨハネにこの店員は驚いたのだろう。
ヨハネの前に絵の通りの料理が置かれた。良い匂いだ。食欲がそそられる。
既に全員の下に料理が行き渡っているので、早速食事の時間に入る。
「「「いただきます」」」
ヨハネ以外の声が揃った。
「いただきます?」
「料理を作ってくれた人、この料理に使われている生き物に感謝の気持ちを込めて言う言葉よ。私たちの国の文化」
善子が教えてくれた。
ここでヨハネが頭に浮かんだのは、宗教にあるような、神の恵みがどうちゃらこうちゃらという前口上。あれと似たようなものだろうが、存在もしない神に言うのではなく、実際に存在している者たちに言ってるところは気に入った。
「いただこう」
善子達と同じように両手を合わせる。
そうしてから、テーブルに備え付けてあったナイフとフォークを使いステーキを一口サイズに切った。梨子が意外そうにポツリとこぼした。
「……ナイフとフォークは知ってるのね」
当たり前ではないかと返しそうになったが、先ほどまでしつこいぐらいに質問をしていたのだから、梨子がそう思うのも不思議ではないだろう。
ヨハネは聞かなかったことにして、切ったステーキを一つ、口の中に入れる。
「ふむ、美味いな」
自然と出た感想だった。美味い。そして、鞠莉の言う通りで、そこそこ美味い。こう目を瞠る様な美味しさではなく、安心感があると言うか、安定感かあると言うか、そう、普通に美味しいというやつだ。色々と不満を抱きにくい味だった。
そのことを口に出すと、鞠莉は同意するように頷き、善子と梨子はムッと眉間に皺を寄せてヨハネと鞠莉を睨んだ。ブルジョワどもめ、と善子がぼやくのをヨハネは聞き逃さない。
一時、料理を食べることに集中していた四人だったが、食事が半ばになって来ると、会話を挟み出す。
「しかし、何がどうなって余はこちらの世界に来てしまったのだろうか」
「えっ? ヨハネさんの力で来たんじゃないんですか?」
「マリーもそう思っていたのだけれど、違うの?」
梨子と鞠莉が顔を見合わせ小首を傾げる。
「いや、余の力ではない。そもそも意図して来たわけでもない」
世界を移動する。出来ない事はない。ただそれは、ヨハネが移動する世界を把握していたらの話だ。存在を認知していないような世界に移動することは、ヨハネの力を以ってしても不可能なのである。やはり、ヨハネをこちらの世界に連れて来たのは――。
「ふふふ、この堕天使ヨハネの大いなる力が、異界の魔王を召喚せしめたのだ」
善子が恰好を決めながら言った。出会った当初の魔導師風の服であれば様になっていたのだが、街を出る前に鞠莉達と同じような服に着替えていたため、その衣装でやると違和感はぬぐえない。梨子が呆れたように手を叩く。
「はいはい、よっちゃん。今は真面目な話の最中だから、ごっこ遊びは後にしなさい」
「こっちだって大真面目よ! そもそも私の描いた魔法陣から出て来て、出て来た本人は知らないって言うんだから、後は私しかいないでしょ? リリーも認めなさい。私は、ヨハネは本物の堕天使なのだと」
「んっもう、ヨシコったらオーガの首を獲ったように」
「善子じゃないわ、ヨ・ハ・ネ!」
善子の主張を鼻で笑う鞠莉と梨子だが、ヨハネは一考に値すると思っている。大体、ヨハネとしては、初めから善子が呼んだのだと推測していたし、自分や、鞠莉達も知らない特別な力を善子が持っている事だって戯言と断定は出来ない。
では善子ではないとしたら、全くの第三者が介入していたとするならば。これも頭の片隅には入れておいた方がよい考えである。
「そもそも、事が事だから私たちだけじゃ何も解決しない気が」
「だったら、梨子、皆を巻き込んじゃう?」
「そうですね。ダイヤさんの意見とか聞いてみたいですし。まあ、千歌ちゃんは『奇跡だよ!』とか言うだけで何の役にも立たないような気がするけど、居ないよりはマシかな」
言いながら、梨子は手提げの入れ物の中から手のひらサイズの道具を取り出すと、その道具を操作して耳に当てる。続けて、一人で話し出した。
(公衆電話というものと同じようだな。あれは不特定多数の人が使えるもので、今リリーが使っているのは個人で所有し使えるものなのだな)
傍から見ていておかしいな光景である。話し相手が見えないから、あれでは気狂いのようだ。これが、この世界の常識の一つなのであろう。この常識の一つをとっても、ヨハネの世界とは完全に異なるのが分かるものだ。
梨子が話をしている間に、ヨハネは残っていたステーキを胃の中に放り込む。ヨハネが食べ終るのと、梨子が話し終えるのは同時刻だった。
「取りあえず、ダイヤさんの家に集合」
「ふ~ん、ダイヤの?」
「はい。大人数が集まれる場所は限られてますから」
「じゃあ、早く行くわよ。皆にも、堕天使ヨハネが本物であることを証明しなくちゃ」
どうやら場所を変えるらしい。ダイヤという共通の友達の家へと向かうようだ。かなり頭の回る人物で、何か問題があれば一番頼りになるとの事。ヨハネも特に言う事もなく決定に従う。四人とも食事は終えたので、早速とばかりに席を立ち、店を出て行く。
因みに、食事の代金は全額鞠莉が支払った。