時計の音がよく響く物静かな部屋の中。少年が部屋で息を殺して時計を作っている。少年の手元には大きめの懐中時計があり、後少しで完成するだろうことが見て取れる。時計職人ウィルの工房で今日もその孫イアンは時計作りの腕を磨いていた。
夏休みに入ってからイアンは教科書を買いに行ったりしたが基本的にはウィルの下で時計いじりをしていた。
「後はそこを閉めて終わりだ」
ドライバーでネジを締め最後に蓋をはめ込むとふうっとイアンは息を吐いた。夏の間色々やって慣れてきたとは言え結構神経を使う作業なので少し疲れが見えていた。
「大分慣れてきたか」
手元にあった本をパタリと閉じてイアンの方を見る。読んでいた本のタイトルは『バンパイアとバッチリ船旅』と書かれていた。孫が教科書を買ってきたときに一緒に家にやってきたものだ。魔法使いの小説とはどんな荒唐無稽なものだろうかと思っていれば出てきたのはありがちなファンタジーである。魔法使いも普通の人とさして変わらんと息子と話していたら息子の嫁にそれはノンフィクションだと言われ2人で目を丸くしたのも記憶に新しい。アーサー王物語にでも出てきそうな英雄が現実にいると言われたのだ、驚くなという方がむりだろう。
彼女は嫁に来てからあまり魔法使いのことを話さなかったので外国人を嫁に迎えたようなカルチャーショックはなかったが、孫が魔法学校とやらに通いはじめてから本来あるべきカルチャーショックが今来たように感じている。
「ある程度は。それにしてもまた読んでたの?」
イアンがこちらを向きながら若干呆れたようにいう。何しろ彼が母親と一緒に教科書を買ってきてからと言うもののウィルはそれに夢中になっていたからだ。
「そういうな。結構面白いぞ、これは」
なんと言ってもノンフィクションだ。ファンタジー小説と違い本に書かれた内容が実際に起きたことと分かっている分、別の面白さがある。もっとも魔法を使えない自分にしてみれば大して違いがないのかもしれないが、それはそれである。
「僕はあまり好きじゃないんだけどね」
「ほう、どうしてだ?」
人並み程度にはお伽噺の類が好きだった孫にしては珍しい。
「上手く言えないんだけど、なんというか嘘みたいでノンフィクションだとは思えない」
「それはイアン。お前が魔法使いになってから日が浅いからじゃないのか?」
イアンが魔法学校に通うようになってから早一年だが、まだ魔法使いの感覚が馴染むには時間が足りない。実際帰ってきてから課題をこなす以外でイアンが魔法と関わるようなことをしているのを見たことがなかった。
ウィルの工房の常連客にダーズリーというお伽噺ですら聞くのもおぞましいと普段から言ってはばからない常連客がいるが、仮に彼が家に遊びに来たとしても孫が魔法使いであるなど気付きもしないだろう。
「そうかなあ。その本の内容って結構前のことなのに学校では誰も話してなかったんだよ」
流石におかしいと思うと呟いてイアンは席を立って大きく伸びをした。やっぱり魔法使いらしさは感じられない。どうやら孫は母親と同じで魔法使いになっても大して普通の人と感覚が変わらないらしい。それがなんとなく嬉しく感じられて自分が知らず笑顔を浮かべているのが分かった。
何日か経ってとうとうホグワーツの休暇も終わり、ホグワーツへと向かう孫を家族で送りに行くことになった。生徒は毎回列車に乗って学校に行くらしくキングスクロス駅がそのプラットホームの入り口であるのだとか。長年イギリスで生活してきて利用することも多かったキングスクロス駅だが、こんな秘密が隠れているとは思わなかった。イギリスの多くの学校がセメスター制をとっているためこの時期は駅が非常に混んでいることも今まで気付かなかった原因の一つだろう。
駅に着きその魔法使い見習い達が乗ると言う列車がプラットホームはどこだろうかと見渡すがそれらしいものは見当たらなかった。去年は仕事で見送りに来れなかったのでどこが入り口か知らないのでとりあえず息子夫婦の後をついていくと9番線と10番線の柱の前で急に立ち止まった。
「どうしたんだ?こんな中途半端な所で立ち止まったりして」
不審に思って息子を見るとやっぱりといいたげな表情をしている。去年は息子夫婦が見送りをしたので、息子は入口がどこか知っているはずなのだがどういうことだろうか。
「お爺ちゃん、ここが入り口なんだよ」
自分のいぶかしげな表情を見てイアンが駅の大きな柱を指さしながらいった。入口と言ってもとてもそこにドアがあるようには見えない。
「どういうことだ?」
「やっぱり父さんもそう思うよなあ」
横で息子がうんうんと頷き、息子の嫁の方はくすくすと笑っている。
「見ていれば分かりますよ、お義父さん」
釈然としないものが残ったが魔法使いでない人は中に入ることができないと聞いていたのでここでイアンとの見送りを済ませることにした。
「特に何かあるとも思えんが、元気でな」
「うん」
「時計いじりはちゃんと静かな場所でやるんだぞ」
「分かってる」
軽く頭をなでてやると息子譲りの癖っ毛の感触がした。
「さて、そろそろ時間もないし行くわよ。イアン」
「それじゃあ、行ってくるね」
息子の嫁が促すと2人は勢いを付けて柱に向かって走りだした。
またたく間に柱との距離が縮まっていき、ぶつかると思った瞬間2人の姿は壁をすり抜けるように消えてしまった。
「……なんと」
あまりにも現実離れしたことにびっくりしていると息子がこらえきれなかったのか笑い出した。
「あはははは、父さん。まるで去年の俺みたいだ」
「仕方ないだろう、これは」
やれやれとため息をついた。
これからしばらくは魔法に関わる機会もないだろうが見るたびに驚くのは避けられないだろうなと心の中で呟いた。
この後の帰り道で空飛ぶ車を見て息子と一緒に呆然とし、その横で息子の嫁が頭を抱えることになるとは今の時点では知る由もなかった。