「──だから貴女は、そんなものは必要ないと、余計なお世話だと突っ撥ねて欲しい」
その言葉に合わせて、リンゴさんが頭に被っている花の冠──キュワワーをボールに仕舞う。と同時に、周辺の空気が歪んでいくような錯覚を抱く。
その原因ははっきりしている。言うまでもなく、目の前の少女だ。彼女が頭のポケモンを収めるとはそれ即ち、彼女が本気で戦う時の合図である。
「………っ」
喉を鳴らす。手先が僅かに震えている。武者震いではない、これは純粋な恐怖。多少成長したからと、何を私は浮ついていたのか。その程度でまさか、彼女との絶望的な格差が埋められたわけでもあるまいに。
もしかして場所が気になる? と言われて、そこでようやく我々が結構な注目を集めていたことに気づく。
当然だ。ここはまだ熱狂鳴り止まぬシュートスタジアムからさほども離れていない場所にあるベンチ。今期最有力候補のリンゴさんは言わずもがな、つい先ほど本戦出場権を得たトレーナーの一人がいざ外で戦わんとしていたらそれは目立つ。スタジアムで注目されるのとはまた違ったその視線に羞恥を覚えるも、リンゴさんは意にも介していない様子。明らかにマスター道場の雰囲気に沿ぐわないクイズ大会を躊躇なく決行したことといい、その度胸には感服するばかりである。
それでも流石にバトルフィールドもないこの場所で戦うのはそんな彼女も躊躇ったのか、彼女は近くの公園にあるバトルフィールドへと私を先導する。……それなりの人数が遠巻きに付けて来ているのが分かる。正直かなり恥ずかしい。
「じゃあ、細かいルールは公式戦と同じで。面倒だし」
「え、ええ……」
しかしやはり彼女はそんなギャラリーのことなど目もくれず、マイペースにルールを説明する。とはいえ今更そんなもの確認するまでもない。私も彼女も、やることなんて既にわかり切っている。即ち、力でのぶつかり合いだ。
「お願い、ノラ」
「行ってください、カポエラー!」
初手に出したそのポケモンに、リンゴさんは僅かに顔を顰める。あれほど圧倒的な力を持つ彼女が何故、とは言わない。何故なのか、それは私たちが一番分かっている。何故ならば、このカポエラーは──あの島で、彼女と共に、徹底してウオノラゴンの対策を施して来たポケモンなのだから。
しかし──
「カポエラー、『ねこだまし』!」
「ノラ、『まもる』」
え、と声が漏れる。常ならぬその言葉、公式戦ではないのに、否、公式戦ではないからこそ──
「特性いかくで『ねこだまし』を使えるその子──二重に怯ませて時間を稼ぎ、その隙に『みがわり』を使う。それを、そうされると困るかも、と言ったのは一体誰だと思ってるの?」
「………っ!」
やられた。読まれていた。いや、カポエラーを初手に出した時点で読まれるのは明白だった。よもやそれでも『エラがみ』しかしないだろう──などというのは単なる願望。推測でもなんでもない愚考である。
「ノラ、『エラがみ』」
「カポエラー、『マッハパンチ』!」
絶望の一手が宣言され、それでも、とカポエラーが技を繰り出す。凄まじい速度でカポエラーに迫るウオノラゴンだが、しかし流石に『マッハパンチ』の速度を上回ることは出来ない。これなら──
「攻撃力を下げられた。先手も取られた──
「ッ──」
ウオノラゴンが頭を振りかざすと、その一撃でカポエラーが崩れ落ちる。そもそもからして、そんな足掻きは無駄だったと言わんばかりに。
(予想は、していましたが……! これでもやはり、駄目ですか……!)
単純に実力差が2倍もある相手なのだ。タイプ相性で半減してようやく互角。であれば当然、カポエラーにその一撃を耐えられるはずはない。仮に耐えられたとして、この程度の攻撃では、あのウオノラゴンにはまるでダメージを与えられない。あと一発二発当てたところで、そんなものは誤差でしかないのだ。
(根本から、考えを改めないと……!)
どうにか耐える。どうにか当てる。それでは勝機などあるはずがない。耐えるのは、当てるのは単なる前提。その上で勝つにはどうするか。それこそが、彼女の求めていることなのだから。
「頼みます、ネギガナイト!」
ならば、確実に当たる一撃に賭ける。一撃しか当てられないというのなら、その一撃の威力を極限まで引き上げる。『エラがみ』という技の性質からして、あわよくばそれで隙が生じるかもしれない。
「……ノラ、『エラがみ』」
「──全力で、『であいがしら』!!」
おそらく。
おそらく、この一撃こそ──私が現状で引き出せる最大威力の攻撃。タイプが不一致と侮るなかれ。ネギガナイトには、それをまるっと覆すだけの
(ネギガナイトにながねぎを持たせれば、技が急所に当たりやすくなる──そうですよね、リンゴさん……!)
これはある種の信頼。彼女が史上最強のトレーナーであるからこそ、その言葉に偽りはないという確信。あるいは盲信とも呼べるだろうそれは、けれど確かな結果として、ウオノラゴンの急所を深々と抉った。
「お見事──」
「………え?」
返しの一撃で沈んだネギガナイトに、彼女は予想外の言葉をかける。少なくとも、私は彼女の賞賛などこれまで一度も聞いたことがない。しかし、続けて放たれた言葉に、私は更なる絶望を抱くことになる。
「今のを
「5、回……?」
今の一撃を、5回。間違いなく全身全霊を込めた一撃。並のポケモンであれば、ダイマックスをしようが関係なく吹き飛ばしたであろう渾身の一撃。
それが、体力の半分どころか、その更に半分にも満たないダメージにしかならない。対する彼女の一撃は、本来の性能の半分でこの威力。これが才能の差。これこそが私と彼女の実力差。あまりに険しく、絶望的な壁。ある意味でそれは、ポケモンバトルというものの本質を示していた。
(そんな……こんなの、一体どうやって──)
「……それとも、諦める?」
「え?」
「無茶を言ってる自覚はある。こんなの無理だ、と思う気持ちも分かる。多分、他でもないこの私が、それが不可能に近いだろうことは重々承知している」
だから私は──と言い掛けて、彼女はそれきり口を噤む。相手に降参を促すのはマナー違反だと思い出したとかそういうわけじゃなく、単に口を滑らせたように感じるその言葉。
だから私はどうなのだ。こんなところで、諦められるものか。ポケモンのいる世界において、敗者の末路は知っている。その惨めさも十分に思い知っている。ここで折れたら、ここで諦めたら。もう二度と戻ってこれない自覚がある。
「──お願いします、タイレーツ!」
ボールを放り、視線を無理やり上げる。驚いたような顔が映る。しかし生憎と、ここで諦める選択肢を奪ったのは彼女自身だ。彼女は私を救ってくれた。だから私は、彼女が諦めたその可能性を、弱者の足掻きというものを魅せてやる!
「その頭の……。でも、何度やっても同じ。ノラ、『エラがみ』──」
「タイレーツ、散開!」
「は──?」
その指示に、いわゆる一般の『ポケモンの技』とは異なる単なる指示に、彼女が間の抜けた声を上げる。
(『エラがみ』の弱点でもなんでもなく、ごく当たり前のこととして──あの技は、あくまで
キバナジムリーダーは、どうしてあのポケモンに攻撃を当てられたのか。もちろん彼自身の実力もあっただろう。私なんかと比較にならない技術も持っていたことだろう。しかし、一番大きな要因は──!
「──
まず先鋒のヘイチョーが倒される。次鋒があっさりと迎撃されゴミのように弾き返される。中堅がそれに衝突して吹き飛ばされる。けれど、この子たちは6体で1匹。たとえ隊長であるヘイチョーが真っ先に倒されても、その身朽ちるまで、彼が死に際に遺したその指示は絶対である──!
「な──」
残された3体の攻撃が、それぞれウオノラゴンに命中する。
とはいえ、モロに命中したとして、威力についてはおそらく先の『ねこだまし』と同等か、それに劣るくらいのダメージにしかなっていないだろう。タイレーツは6体揃ってようやく1匹のポケモンになる。ならば当然、個々の力が一般的なポケモンより大幅に落ちるのは仕方ない。
しかし、重要なのはそこではない。元より威力に期待などしてない。ネギガナイトで駄目ならば、他のどのポケモンを出してもおそらくは無駄だ。故にこそ、ここは確実に相手を蝕む楔を撃ち込む……!
「…………」
確かな手応えを感じ、うっすらと唇を吊り上げる。彼女がさりげなく提案した公式戦のルールでは、状態異常を回復する手段はそのポケモンが持つ道具に限られる。故に、おそらく彼女はその手段を持ち得ない。必要がないと思っていたのだろう──それこそが、私の持ち得る唯一の勝機となる。
「………ポケモンリーグ規則。バトルにかかる規定、細目15条の1。ポケモンに保持させる道具についての補足」
「え?」
「そのポケモンと無関係な道具を新たに同ポケモンへ所持、または装着させる場合、それは原則として一つのみとする──よもや、それに苦しめられることはあれど、助けられるとは思わなかった」
いつの間にやら、気付けばタイレーツは既に全滅していた。そして、彼女はそのうち1匹を──真っ先に倒されたタイレーツの隊長格にして先頭を睨みながらそのように告げる。
否、彼女は厳密にはタイレーツの方を見ていない。見ているのは、そのタイレーツのヘイチョーが身に付けていた道具──曰く、『ゴツゴツメット』というらしいその道具を見つめている。
「…………なるほど。タイレーツをそう使うのは盲点だった。状態異常になれば、レベル差もあまり関係がない。どうせ貴女のことだから、『みきり』が有効なのは既に下調べ済みなんでしょう?」
「…………」
(……レベル?)
どう反応しても見透かされそうだったので、とりあえず浮かんだ疑問だけを脳内に占め、表情を固めて無言で押し通す。ただし、そうするまでもなく思いっきり図星である。やはり私は策略に向いていない。いや、これは彼女が聡明なだけだろうか?
「……頼みます、オトスパス!」
とはいえ、見破られたところで関係がない。彼女がウオノラゴンというポケモンに抱いている拘りは聞いている。故に交代を考慮する必要はない。であれば、あからさまな遅延行為であろうとも、それさえ成せば勝機はある。
ただ、問題としては。撃ち込んだ毒がウオノラゴンの全身に回るまで──決して短いとは言えないその時間を、ダイマックスすら一撃で屠るあの『エラがみ』を前にして、優雅に舞い続けなければならないことである。
「……ノラえもん」
彼女がウオノラゴンの名を呼ぶ。それは彼女がウオノラゴンに付けたニックネームなれど、普段は短く『ノラ』と呼ぶ彼女には珍しいその呼称。何かある──と察したところでもはや遅く、またその一手は、今の私には、どう足掻いても防ぐことが叶わない絶望の一手だった。
「──『ねむる』」
「………──な」
『みきり』を指示しようとした唇が固まる。どころか全身が硬直し、世界が恐ろしくスローになっていくような錯覚を抱く。
けれども、如何に時間を遅くしようと、それを巻き戻すことは絶対にできない。故にこそ、その一手はあまりに厳しい現実として、私の胸に重くのしかかるのだった。
「っ………。戻ってください、オトスパス!」
その指示を出せたのは、もはや奇跡だった。既に私は半ば敗北を確信し、膝を折っていないのが不思議なくらいの精神状態にある。
(まずい、まずいまずいまずいまずい……! どうする? どうすれば勝てる……!?)
焦燥した思考。往生際が悪い、と言うべきか。そうしてる間にも、貴重な時間は過ぎていく。いや、違う。望んでいた方向性とはまるで異なるが、ある意味では今こそ千載一遇の好機なのだ──二手か、あるいは一手分。ならば、ここでどうにかすれば或いは……!
『これは例外的な事例ですが──』
「…………!」
一つだけ、可能性を閃く。『ねむる』という技に紐付いて掘り起こされたある記憶。吟味している時間はない。一縷の望みに賭けて、私はこの直感を信じる!
「カイリキー、『アンコール』!」
「………!」
戻したオトスパスへの労いさえも惜しんで、新たに出したカイリキーへと即座に指示を出す。寝てる相手には効果が無いのでは? という当然の疑問は、どういう理屈かは不明だが、門下生の方々と共に『効果がある』ことをしっかりと確認している。
故に、この一手で彼女は『詰み』の状態へ陥る。普段通り、このまま頑なにウオノラゴンに拘るつもりなら、これ以降はいたずらに己がポケモンを傷つけるだけだ。
「チェックメイト──とでも言いたげね、サイトウさん」
「…………っ」
だからこそ、堂々と。それは予想していたとばかりに、何一つとして動揺を示さずにそう告げる少女と、それに合わせてゆらりと起き上がるウオノラゴンの姿に寒気がする。
(まさか──………じゃあ、初手の『まもる』は、ブラフ……?)
確かに現状は彼女の『詰み』で間違いない。しかし、その手段を示したのは一体誰だった? あるいは、もっと直接的に──その『詰み』でさえ打開する方法を導いてくれたのは、果たして、どんな人物だったのだ?
「ここまでで、時間にして〆て2分──煙草でも、その倍は優に保つ」
これまでに、異様なまでに目紛しく動く戦況──息つく間もない争い。それはつまり、戦闘時間そのものが短いということでもある。したがって、彼女が忍ばせていただろう対策、『
「ノラ、『エラがみ』」
無慈悲な一撃がカイリキーを屠ったところで、私は目を瞑って天を仰ぐ。
それと同時に、リンゴさんはウオノラゴンを自然にボールへ戻すと、ゆっくり歩み寄ってある問い掛けをする。
「……課題は、見つかった?」
「ええ。とても。ですが、これは──実にやり甲斐がありますね」
そう返して、倒れたカイリキーを回収する。まだ私は全てを出し切っていない──などと無粋なことは言わない。ここから先は、本番で──おそらくは、そういうことなのだろう。
「では、1ヶ月後に」
「…………ん」
健闘を称えて手を差し伸べると、周囲から歓声が上がり、そこで今更ながらに我々がかなり衆目を集めていたことを思い出す。そのことに私が思わず赤面するも、衆目を集めていることよりも、私との握手の方を恥ずかしげにしている彼女の姿が、何故か強く印象に残るのだった。
次回からチャンピオンカップになります。