ポケモンと言葉を交わせないことを、不便に思う時はある。
『キュワ、キュワワ〜』
少なくとも、好かれているのだとは思う。でなければこれほど気安く呼び出しに応じたり、猫撫で声で周囲を漂ったりはしない。
ただ、具体的に何を考えているのかはわからない。推察は簡単にできるが、正確かどうかは妄想だ。それでもキュワワーは喜怒哀楽がはっきりしていて分かりやすい部類だが、コイルやノラのこととなると分からないことばかりで気が滅入る。
例えばノラは、いつも戦闘で頼りきりなことに対して何を思うのか。誇らしく思っているのか煩わしく思っているのか。コイルなら、いつまでも成長しない自分、成長できない自分をどう感じているのか。キュワワーならば、今でも十分な実力があるのに、それでも頑なにノラに拘る私をどんな目で見ているのか。予想は出来る。それが正しい自覚もある。でもそれ自体が私の傲慢なら。本当は嫌がっていたとしたら。
一人になると、いつもこうしたネガティヴな思考の渦に陥る。でも、私は異端だから、他の誰かを誘うことも難しい。
夜が怖いことなんて久しぶりに思い知った。孤独で打ち拉がれるなんて、あり得ないとさえ思っていた。けれど私は、こんな世界に一人きり、また一つ同胞に出逢えぬまま年を重ねる。
「私は、何をしているんだろう──」
夜になる度に、そんなことを思う。答えの出ない疑問。答えの出せない疑問。誰のためでもなく、私のためでもなく、あの子の真意も知らぬまま、それでもあの子のためにと空回りする自分に対して。
『──ポケモンと話せる化け物が! 人間の言葉を話すな!』
誰かの台詞。ポケモンと人間の関係について、深く考えさせられる一言。
力を持つのはポケモンだ。だけど、それを振り翳すのはいつだって人間だった。
力に酔うのが怖い。力に慣れるのが怖い。この力が──あの子が、私に従順であることが怖い。ポケモンと話せる化け物。それは違う、化け物になるのは、いつだって人間だ。私はこの力を得て、いつか化け物になってしまうことが恐ろしい。
「──私は、間違っているのかな、ノラ」
答えは返ってこない。否、人間であるこの私は、ノラの言葉は理解できない。当然、それを不便に思うことはある。
けれど、それを嘆くのは意味がない。故に、それでも私は。化け物にならないためにも、信じる道を進むしかないのである。
☆☆☆
最近、幼馴染みの様子がおかしい。
「ッ、フー。はぁー…………ふー」
日々の鍛錬に熱が入るのはまだわかる。彼は特定のことに熱中してはぶっ倒れるまでやり続けるなんて子どもっぽいところがあるし、実際にそれで介抱してあげたことも数え切れないくらいだ。
しかし、最近のは何というか……鬼気迫る、というのだろうか? そもそも突然博士を訪ねて来た理由も分からないし、それでいてやっていることが鍛錬だったりとどこかちぐはぐな印象を受ける。
何かがあったのだろう。しかし、それを今すぐ聞くのも躊躇われる。だって彼は、それほど熱中する何かを見つけたのだ。その集中を削ぐわけにはいかないだろう。
「なぁ、ソニア」
「ん……?」
そんな彼を数時間ほど眺め続けて、しかし日が沈む頃には流石に熱も冷めたのか、今はフィールドに大の字になって寝転がっている彼が不意に私へ語り掛ける。
「ウオノラゴン、というポケモンを知っているか?」
「ウオノラゴンって、化石に纏わるポケモンの話? どこでそれを知ったか知らないけど、貴方も論文なんて読むのね?」
「──驚いた。すまない、ソニア。詳しくその話を聞かせてくれ」
「へ? あ、いや、構わないけど……」
ちょっと不気味なくらいの速度で起き上がり、興味津々でこちらを見つめる彼に思わず身構える。後で聞いた話だが、まさかまともな返答が返ってくるとは思っていなかったらしい。なんて失礼な。まあ、事前におばあさまに聞いてたらしいから分からないではないけど、流石の博士も歳だから最近の論文を全て網羅なんてのは無理だって分かりそうなものなのに。
「と言っても、私もそんなに詳しくないわよ? ちょっと前に大学で話題になったってだけで──」
「話題になった……?」
「ある博士曰く、誤った組み合わせの化石標本がそのまま復元できてしまった。このポケモンが太古のガラルで生きてきた姿を想像できない。しかし現実としてそのポケモンは生きている。それこそがヤドランやマンタインのように、合体して進化するポケモンの謎を解くカギとなるかもしれない──とか何とか」
「…………」
ダンデはしばらく黙り込む。名前を知っているということは、あの特徴的な見た目もご存知なのだろう。私も学友から姿だけを見せられた時には吹き出したくらいだし、どういうことだ、と思ってたのかもしれない。そしてその理由がはっきりしたのなら複雑な気持ちになるのは間違いない。私もそうだったし。
やがて彼はスマホロトムを取り出すと、中の動画を見せたいらしく私のすぐ近くまで接近してくる。距離が近過ぎてドキッとするも、そんな感情はすぐさまその動画の衝撃で打ち消される。
「これ、ルリナ?」
「…………」
場所はバウタウンのスタジアムだろうか。画面では、私の友人であるルリナと、チャレンジャーらしき少女が向き合っている。
目を惹く少女だった。容姿が優れているのもあるし、何より雰囲気が尋常ではない。ピリピリしているというか、視線が鋭すぎてまるで殺し屋だ。なまじ全体的な雰囲気が清楚である分、その死人のような瞳だけが嫌に注目される。
少女がボールを構え、その中のポケモンを呼び出す。……周囲にどよめきが走った。何故ならば、少女が呼び出したそのポケモンは、およそこの世の生き物とは思えないビジュアルをしていたからだ。
そして、見た目同様に、戦闘に関しても、そのポケモンは常軌を逸していた。
『ノラえもん、「エラがみ」』
たった一言。死刑宣告のように繰り返されるその言葉で、ルリナのポケモンが次々と倒されていく。動画を少しだけ飛ばせば、それまでの間にポケモンが出ては消える。
ルリナは抵抗さえも叶わず、ダイマックスすら時間稼ぎにもならない。ダンデくんが相手でもこうはならないだろう、あまりに非常識な光景。声は震えていた。それでも、疑問を抑えられずに、私は彼に問いを投げる。
「な、何これ……?」
「つい昨日に行われたジムチャレンジの映像だ。何を隠そう、彼女は俺が推薦したジムチャレンジャーということになる」
「は──? でも貴方、俺の推薦は軽くないって、弟であるホップにさえあれだけ渋って」
「明日で丁度一年前のことになる。あの日俺は、ターフスタジアムにちょっとした用事があって、ヤローさんとの待ち合わせまでの間、時間潰しに地上絵近くの自然公園にいた」
いきなり何を、と言いたかったが、雰囲気に押されて黙り込む。唐突な過去話であるが、不思議と口を挟む気は起きなかった。
「何をやっているんだろうと始めは思った。少女はキュワワーというポケモンを王冠のように頭に被り、コイルというポケモンを枕のようにぺたぺた触りながら俯いていた。しかし、そんな彼女の奇行よりも驚いたのは、そのキュワワーが、俺のリザードンにすら匹敵するだろう力を秘めていたことだ」
「それは確かに凄まじいけど、これを見ると納得せざるを得ないわね」
その言葉に驚くも、映像を見て納得する。動画では丁度、件のウオノラゴンがルリナの切り札であるカジリガメを一撃で屠る場面が映されていた。もはや凄いを通り越して呆れてくる。これなら確かにダンデにも匹敵するかもしれない、と。
「それで人知れず鍛錬、と。やっぱり貴方ってば、どこまでもポケモン馬鹿よね」
「いや、そうじゃないんだ、ソニア。確かに俺はキュワワーに惹かれて彼女に話しかけたわけだが、その後の流れで見ることになった映像にもあるウオノラゴン──それこそが、今俺がここにいる理由でもある」
場所を変えるか、と言い、研究所の方へと歩き出したダンデくんに従い中に入る。そこには休憩中だったのか丁度お茶をしているおばあさま──マグノリア博士も居て、三人で軽いお茶会をすることに。
「端的に言えば、俺は、あのポケモンを恐れている」
「え?」
「勝てるヴィジョンが見えないんだ──相棒のリザードンでも、いや、リザードンだからこそ、あのポケモンを相手に勝利する自分が想像できない」
「──」
絶句する。想像もしていなかった。今、彼が漏らしているのは弱音だ。無敵のチャンピオンとしていつも堂々としていた彼が、おそらくは親しい間柄である私たちにだけ、見栄を張らずにこうして弱音を吐いている。
「なら他のポケモンなら──そう考えて、それさえ想像も出来ずにいる。あの素早さに正確無比な狙い、そして何より異常な攻撃力。ギルガルドの盾すらも一撃の元両断するようなポケモンを相手に、俺は一体どうすればいい……?」
見れば、カップを持つ手は僅かに震えていた。あれだけ大きく見えた背中が、いまだけは随分とちっぽけに見えた。どこか超然とした雰囲気の彼が、私と同じ人間だということに今更ながら気づいた。
「なら、しばらくしたら、ダンデくんも、あの子たちと同じ、チャレンジャーになるのかしらね」
「え……?」
「ふふ。なんだか懐かしいねぇ……ダンデくんに、ソニアやルリナちゃん、キバナくんと、みんながトーナメントで必死になって──」
「──」
おばあさまが、心底から懐かしそうにそんなことを言う。慰めではなく、楽しそうに。もしかしたら訪れるかもしれないその未来が、決して悲観的なものではないのだと暗示するように。
「ダンデくん」
「マグノリア博士──」
「バトルについては、私は詳しくないのだけど──貴方だって、いつかはそんな日が訪れると覚悟していたのでしょう?」
「ああ──いえ、そう、ですね。その通りです」
「わたしは、まさか貴方が負けるだなんて思わないけれど──それでも、どんな窮地に陥っても。貴方なら。
貴方がチャンピオンになったあの日のように、観客全てを魅了させるような、素晴らしい逆転劇を見せてくれると、わたしは期待してますよ──」
☆☆☆
カブさんと言えば、私が最も印象に残っているのは、スタジアムに入る直前に、いつのまにか隣にいたあのシーンだと思う。
「君のことは噂に聞いているよ。今期一番の有望株で、圧倒的な力を秘めていると」
「…………」
他にもトロッゴンを長年の相棒のように連れ歩いときながらバトルでは使わなかったり、いきなりキュウコンウインディマルヤクデと種族値爆上がりかつおにび使うガチっぷりだったり、初めてキョダイマックスを使う相手であったりと話題に事欠かない人物ではある。
「君も、そのポケモンも、勝つために厳しいトレーニングを重ねたんだろう。
だが闘う相手も同じように努力している!
勝負の分かれ目は本番でどれだけ実力を出せるかだ。それを僕に見せて貰おう!」
「…………」
ただ、共通して言えるのは彼がゲームにおけるいわゆる一つの壁──特にゴリランダー一辺倒でストーリーを攻略している人にとっては鬼門となり得る人物だということだ。
「行け、キュウコン!」
「お願い、ノラ」
私はいつものウオノラゴン。対するカブさんの先手は、ゲームと同じくきつねポケモンのキュウコン。
同レベル帯では進化未進化の関係もありまず抜けない素早さから放たれるおにび。そもそも初心者でおにびの攻撃力半減を知らなかったという人もいるかもしれない。
それでも対策にと『10まんばりき』の技レコードを見つけ──半分もゲージを削れずに絶望した人がいるのは想像に難くない。
「行け、『おにび』だ!」
「ノラ、『エラがみ』」
とはいえ、それもゲームであったら対策できる。メッソンを選んでいれば私のように上から殴ったり、回復薬の使用は無制限だからPPが切れるまで粘り続けたり、ドーピング系のアイテムの効果も従来のポケモンより増加していて、そもそもレイドバトルで集めた飴を使ってレベル上げなんて身も蓋もない攻略法もある。
「なんと……! なら、次だ、ウインディ!」
私の場合、キュウコンであれば行動も許さず屠ることは容易い。しかし、どうだろう。ゲームのようにレベル上げの手段もなく、都合よく相性がいいポケモンを持っているなんてこともなく、それこそ最初のヤローさんの手持ちをレベル30くらいにしたのが限界で、それでもカブさんに挑もうと意気込むトレーナーがいたらどうだろう。
「ウインディ、『こうそくいどう』だ!」
「させない。『エラがみ』」
結論から言うと、突破は不可能だ。どう足掻いても、レベルという才能の壁はゲームのように超えることはできない。
カブさんは言っていた。僕ら三人を超えられるチャレンジャーは少ないと。その通りだ。例年、8割を超えるトレーナーがカブさんという壁を超えられずにトレーナーとしての人生を終える。
どんな気持ちなんだろう。己が新たなトレーナーの希望を摘むというのは。
「これさえも……! ならば、これだ! マルヤクデ、燃え盛れ! キョダイマックスで、姿も変えろ!!」
何を思っているのだろう。自分のジムがチャレンジ初めの関門と呼ばれることに。
カブさんのマルヤクデが変貌する。単にダイマックスで巨大化しただけでなく、姿や技をも変化させるキョダイマックス。
ムカデのような見た目から変貌したそれは、まさしく巨大で凶悪な東洋龍。体内に蓄えたエネルギーから放射される熱は1000度を超え、その熱波は相手を焼く尽くすだけに飽き足らず気流を乱し嵐を起こすのだという。
「…………」
だが、そんな力でさえも、ウオノラゴンには及ばない。タイプ相性の問題ではない。ポケモンバトルとは、才能が全てだ。
才能がない私は、この子に頼るしか道はなく、才能がないと分かっているからこそ、私はこの子を信奉している。すなわち、私ではなく、この子こそが世界一のポケモンであると。
「ノラえもん、『エラがみ』!」
熱波を物ともせず駆け出したノラが、果敢にその巨体にエラを突き出し──接触したその瞬間、凄まじい爆風がスタジアムを覆う。
「く、ぅ………」
尻餅を付く。阿鼻叫喚の悲鳴が舞い踊る。熱い。すぐにでも会場から駆け出したい衝動に駆られる。
でも、違う。それをしていいのは私ではない。この光景は、私の引き起こした結果だ。叫んでいいのは私ではない。怯えていいのは対戦相手を除いてあり得ない。
「お、お疲れ、ノラ……」
震える膝を叩き起こして立ち上がり、喜色満面で戻ってくるノラを抱きしめる。まあ、私はノラが好きだし、それ自体は構わないんだけど、体格の問題で辛いので、体重を掛けるのだけはやめてほしい。
「──」
そして、例の如く目の前の光景を受け止めきれずに硬直するカブさん。
しかし、流石に腐っても経験豊富なジムリーダー。ヤローさんやルリナさんとは比較にならない速度で立ち直ると、
「いいポケモンと、いいトレーナーだった。君たちは勝って当然だよ」
そう言ってバッジを渡す彼に、えもしれぬ感情が湧き上がっていく。
「………ありがとうございました」
罪悪感から、私は心にも無いことを告げる。彼は、どんな気分でいるのだろうか。こうして若く才気あるトレーナーが、己が長年の鍛錬を、かくもあっさりと踏み越えていくことに。
私はもう、考えることさえ疲れてしまった。故に、どこまでも諦めないであろう彼が、いつか絶望から膝を折ることがないようにと願うのみである。