SAO外伝 翼を求める者【改訂版】   作: Gat

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少女は遥かな高みを目指した。
手を届かせることも、目にすることすらできない高みへ、一刻も早く到達したいと願った。
自分の憧憬へ近づくために、友との誓いを果たすために、少女は羽を振るう。
より鋭く、より速く、羽撃き続けていれば、いつか高みに届くと信じて。



第七話 羽を失う者

二〇二二年十二月六日

 

 

 

 二層が開放されてから、今日で三日目。二層主街区《ウルバス》はすでに日が落ちかけているにもかかわらず、武器防具をまとったゲーム攻略を目指すプレイヤーと、初期装備とあまり変わらない簡素な服装をした一層からの観光客らしきプレイヤーたちで賑わっている。

 

 エリスはたくさんの人と行き交いながら、一人でウルバスのメインストリートを歩いていた。

 今日までの間に、ウルバスと南東にある小村《マロメ》で発見されたクエストの調査はすでに完了している。明日からフィールドの辺境を探索するために、今日は午後から皆準備も含めて自由に行動している。

 

 買い物を終えてから、エリスは東広場の端で《Nezha’s smith shop》という看板を出した、露天鍛冶屋のところに来ていた。本当は一層の森に住む老人の工房を訪ねたかったが、彼のところに行くまで時間がかかりすぎるので、二層で腕が良いと噂のこの店を選んだ。

 

「いらっしゃいませ。お買い物ですか? それともメンテですか?」

 

 灰色の絨毯の上で、鉄床の前に座る小柄で気弱そうな青年が訊いてきた。

 一瞬NPCかと思ってしまうが、彼の頭上にあるカーソルは自分たちと同じグリーン。つまり、彼はプレイヤーなのだ。

 アルスから聞いた話では、《ベンダーズ・カーペット》というアイテムを圏内に敷くことで、簡易的なプレイヤーショップとすることができるらしい。彼が下に敷いている地味な絨毯がそのアイテムなのだろう。

 絨毯の上には小型の炉に回転砥石、鉄床、数多の武器と、到底一人では持ちきれない量のアイテムが並ぶが、カーペットの収納機能を使えば問題なく運ぶことができるらしい。

 

 エリスは腰に下げていた愛用の片手剣である《フェザーブレード》を鞘ごと外して答えた。

 

「強化をお願いします。強化の種類は鋭さで」

「……素材のご用意はありますか?」

 

 一瞬、質問の意図がわからなかったが、彼の手元に置いてある革袋を見て合点がいった。

 NPCの鍛冶師は、強化や製造などの鍛冶に関係したことしか行わない。でも、プレイヤーの鍛冶師はそうではない。自分で素材を集めることだってできる。

 NPC鍛冶師に強化を依頼する時は、必要な素材をすべて依頼者が用意しなくてはならないが、プレイヤーの鍛冶師が相手なら、鍛冶師の方でも素材を用意してくれるのだろう。もちろん、追加料金は取られるのだろうけど。

 エリスはトレード窓を開いて、用意した素材を鍛冶師に見せた。

 

「上限まで用意があります。スチール板が四個とレッド・スポテッド・ビートルの角が二十個です」

「解りました。では、武器と素材をお預かりします」

 

 頭を下げながらそう言った鍛冶師に、エリスは鞘に収めたままのフェザーブレードを渡し、トレード窓経由で素材と強化代行の代金を払った。

 鍛冶師は左手に剣を持ち、右手で携行炉の操作を始めるが、その表情はどこか残念そうに見える。

 素材を買わなかったから、儲けが減ったと思っているのか。いや、生産職としてはやはり、自分の武器を買ってくれる客の方が嬉しいのかもしれない。だけど、絨毯の上に並べられた武器は、一層の武器屋でも買えるようなものばかりで、欲しいものはなかった。

 

 携行炉に入れられた素材アイテムが溶け、炉の炎が黄色く染まった。鍛冶師はそれを確認してからフェザーブレード抜き、携行炉に置く。薄く細い刃が黄色い炎に包まれていく。

 刀身全体が炎をまとうと、鍛冶師は剣を鉄床の上に置き、スミスハンマーを振り上げた。

 

 カァン、カァンと剣を打つ槌音が響く。

 強化の時は武器の性能や鍛冶師のスキル値に関係なく、武器をスミスハンマーで十回叩く必要がある。今まで何度も見た光景だが、叩かれるたびにドキドキする。

 武器の強化は必ず成功するわけじゃない。鍛冶師のスキル値や使用する素材の質、量などで確率が変わるが、よほどスキル値に余裕がない限りは百パーセントになることはないらしい。今まで武器の強化が失敗したことはないが、成功するのかどうか、毎回不安になってしまう。

 

 フェザーブレードはアルスが選び、最初にみんなで狙って手に入れたドロップ武器だ。できることなら完全強化をして、少しでも長く使っていたい。

 

 カァン。カァン。

 

 八回。九回。あと一回で強化は終わる。

 強化に失敗して、プロパティが減少するのは嫌だ。あと、プロパティチェンジで重さが強化されるのもダメだ。失敗だとしても、この二つにだけはならないで。

 

 カァンッ。

 

 十回目の槌音が響き、剣は一際強い光を放った。

 結果はエリスが恐れていたものにはならなかった。しかし、強化が成功したのでも、失敗して強化数が変化しなかったのでもなかった。

 

 フェザーブレードは……

 

 カシャーン。

 

 儚く、寂しい音とともに砕け散った。

 

 

 

 

 

 

 

「え……」

 

 エリスが目の前で起きたことを理解するのに、数瞬の時間を要した。そして、理解すると同時に粉々になった剣に手を伸ばす。

 剣の欠片を集めようとするが、欠片は淡雪を掴んだように手の中で消えていく。

 十秒ほどで宙を漂っていた欠片も全てなくなり、剣があったという痕跡は何一つ残っていなかった。

 

「すみません。すみません」

 

 鍛冶師が地面にぶつけそうな勢いで何度も頭を下げて謝るが、その言葉はエリスに届いていない。

 パーティー内で初めて強化した武器は、あのフェザーブレードだった。その時に、アルスが強化についての一通りの説明をしてくれた。

 その説明では、強化失敗の際に発生するペナルティは、《プロパティ減少》、《プロパティチェンジ》、《素材ロスト》の三つしかないと言われた。

 アルスが嘘を教えるわけがない。きっと、これは何かの間違いだ。バグか何かで、武器が一時的になくなっただけで、すぐに修正が入ってくれるはずだ。

 

 そうに決まってる。

 

 何度願っても、エリスの手元にフェザーブレードが戻ってくることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 そこからどうやって帰ったのか、鍛冶師とどんな話をしたのか、ほとんど覚えていない。

 気づいた時にはカインに連れられて、宿の部屋に戻っていた。

 カインに尋ねられながら、さっきのことをポツリポツリと話していると、いつの間にか部屋にはビルと、アルゴを連れてアルスが入ってきていた。

 カインによって剣が失くなるまでの経緯を説明がされた後、ビルがアルスに尋ねる。

 

「武器強化の失敗に武器消失は無いんじゃなかったの?」

「ああ、無いはずだ。ベータテスト時代に見た公式サイトの情報には、強化失敗のペナルティに武器の消失は存在しなかった。これは間違いない」

 

 同じ質問にアルゴも答える。

 

「オイラも強化で武器を失ったなんて話、今まで聞いたことがないゾ。プレイヤー鍛冶師のみに起きる現象なのカ……いや、バランス調整にしては、ペナルティが重すぎル」

 

 二人が考察を始めようとしたが、カインがすぐに中断させた。

 

「武器が壊れた理由を考えるのは、後にしましょう。今はエリスの武器をどうするかを考える方が先です」

 

 二層のNPC武器屋で買うという案が真っ先に出たが、すぐに却下された。

 フェザーブレードはその名が示すように、羽根のように軽い片手剣で、重さは同ランクの細剣にも劣らないほどだった。そのため、筋力要求値も他の片手剣に比べて低く設定されていて、敏捷性を優先していて筋力値が低いエリスでも扱うことができた。

 エリスが装備可能な剣を選ぶと、フェザーブレードよりもかなり攻撃力が低い剣しか無いだろう。

 

「二層のクエスト報酬かドロップ品で、似た剣はないの?」

 

 ビルが訊くと、アルスは少し考えてから答えた。

 

「一つある。ただ、ドロップするモンスターがかなり強くてな。そいつを倒しに行くなら、エリスを街に置いていくことになる」

 

 その瞬間、今まで微動だにしなかったエリスが顔を上げた。

 

「置いていくって。大丈夫だよ。フェザーブレードがなくたって、私はちゃんと戦えるから」

「ダメだ。主武器を失った状態で連れて行くことはできない。それに戦えるというが、今のエリスに何ができるんだ」

 

 確かにそうだ。

 攻撃力が落ちたスピードタイプのアタッカーなんて、戦闘では何の役にも立たない。

 防御力の低い自分に壁なんてできるわけがないし、敵を撹乱するようなスキルもない。一緒に行ったところで、足手まといになるだけだ。

 

「わかった。じゃあ、私は一人で別の場所に」

「それもダメだ。フィールドに一人で出ることは許さない。剣を手に入れるまで、街でおとなしく待ってろ」

「そんな、そんなの……」

 

 いやだ。

 剣がなくなって戦力差ができているのに、その上街を出られなかったら、レベルにも差ができる。

 立ち止まりたくない。

 戦いたい。

 一秒でも早く、強くなりたい。

 

 そう言いたいのに、言葉が出ない。

 

 断固としてエリスを連れて行こうとしないアルスに、アルゴがなだめるように言う。

 

「落ち着けヨ。エリスちゃんのことが心配なのはわかるが、そこまでする必要無いだロ」

 

 言い終えた直後、アルゴはメッセージが届いたのか、ウィンドウを開いて読み始める。そして、小さく「オッ」と声を上げてから、何かを企むようにニヤリと笑った。

 

「エリスちゃんは、盾を持たないスピード型の片手剣士だったヨナ」

「は、はい。そうですが」

「三日間スキルの修行をしてみないカ。《体術》というスキルのナ」

 

 

 

 

 

 翌日、岩壁を登り、洞窟を抜け、川を下るというなかなかにスリリングな道程を経て、エリスはアルス、アルゴとともに二層東端にある岩山に来ていた。

 

「こんなところに体術スキルの獲得クエストがあるとはな。二層解放直後にここにいたのは、このクエストについて調べていたからか?」

 

 アルスの問いに、アルゴは「ニシシ」と笑う。

 

「悪いが、これ以上の情報は有料だヨ。体術スキルの分だけは、一層のボスクエストでチャラにしてやル」

 

 アルゴが教えてくれたのは、体術スキルの効果と拳で大岩を砕くというクエストの内容だけで、それ以上は有料だと言って譲らなかった。アルスにも訊いてみたのだが、ベータテスト時代にスキルの存在は噂で聞いていたものの、詳細はほとんど知らないらしい。

 

 岩山の頂上近くまで登ると、岩壁に囲まれた小さな空間に出た。そこには一本の木と小さな泉、所々に転がっている大岩、奥に小さな小屋が一軒建っている。

アルゴが躊躇わずに小屋の中に入ると、いかにも格闘道場の師範といった佇まいの筋骨隆々な禿頭の大男が、クエスト開始店である金色の【!】マークを浮かべていた。ただ、先客がいたようで、艶やかな銀髪を長く伸ばした細身のプレイヤーが、師範と話している。

 そのプレイヤーはこちらに気づいたようで、話を中断して近づいてきた。

 

「あら、アルゴちゃん。情報提供ありがとね」

 

 後ろ姿でてっきり女性だと思い込んでいたが、その声音はやや高いものの男性のものだった。よく見れば、身長もエリスより頭一つ分高いアルスと比べても少し高い。しかし、体格が少し華奢で、容姿も中性的で整っていて、長身な女性にも見える。

 

「ヨオ、早速来たんだナ。こっちの子もクエストを受けるから、いろいろ教えてやってくれヨ」

 

 アルゴに手で示され、エリスは思わず挨拶をした。

 

「エリスです。よ、よろしくお願いします」

「エリスちゃんね。私はラスク。時間がかかるクエストだけど、お互い頑張りましょ」

 

 そう言って差し出してきた手をエリスは軽く握った。

 やや距離感が近いように思えるが、アルゴも信用しているようだし、悪い人ではないのだろう。と、ラスクの人となりを想像していると、後ろでアルスが「ラスク?」と男の名前を呟いていた。

 それに気づいたのか、ラスクがアルスの顔をじっと見つめる。

 

「ねえ、あなた……もしかして、アルスじゃない?」

「え! ……おい、じゃあ、まさか」

「やっぱり。久しぶりね、アルス」

 

 ラスクはエリスの手を離し、いきなりアルスに抱きついた。

 

 えー!

 

 エリスが声にならない悲鳴をあげる横で、アルゴはなぜか値踏みするような目で二人を眺めている。

 

「フム。この情報はいくらになるカナ」

「おい、アルゴ。何を売ろうとしてやがる。ラスク、もうわかったから離れろ」

 

 アルスが振り解くと、ラスクは簡単に腕を離した。ただ、その目にはわずかに涙を浮かべている。

 

「だって、こんなところで会えるなんて思わなくて。突然デスゲームになったとか言われるし、姿も変わっちゃうしで連絡しづらくて」

「だいたいわかったから、落ち着けよ。俺も連絡できなくて、すまなかった」

「ううん。アルスのせいじゃない。元はと言えば、私が……」

「旧交を暖めるのはそれぐらいにして、早くクエストを受けないカ。さっきから、おっさんが待ってるゾ」

 

 アルゴに言われて見てみると、こちらを睨んでいる師範がどこか苛立っているように感じられた。これ以上待たせると、小屋を追い出されそうな気がする。

 ラスクはアルスから離れ、再びエリスの手を取る。

 

「さあ、早く行きましょ。エリスちゃん」

「ちょっ、待って」

 

「オイラたちはもう下山するカ」

「そんな急かすなよ」

 

 アルスもアルゴから小屋から出るように促されている。このクエストをクリアするには、少なくとも三日はかかると、アルゴは言っていた。たった三日とはいえ、アルスに会えなくなるなら、最後にちゃんと話しておきたい。

 師範の元へ行くのを渋っていると、ラスクが耳元に顔を寄せて囁いた。

 

「このクエストを受けると、顔に落書きをされちゃうの。そんな顔を見られないうちに、アルスには帰ってもらった方がいいんじゃない」

 

 ラスクは顔を離すと、全てを見透かしているかのように空色の瞳を細めて微笑んだ。

 顔が赤くなるのを感じながら、エリスは小屋から出ようとしないアルスに、突き放すように言った。

 

「私のことは気にしないでいいから、もう帰って。クエストが終わったら連絡するから、それまでここには絶対に来ないで」

 

 言った後で、言葉のチョイスを誤ったと思ったが、弁解する前に「わかった。頑張れよ」と言って、アルスは小屋を出て行ってしまった。どこか寂しそうな表情で。

 凹んでいるエリスに、ラスクが声をかける。

 

「大丈夫。アルスはあれくらいで嫌ったりしないわ。さっさとクエストを終わらせて、アルスのところに帰りましょ」

「……はい」

 

 ちゃんと説明すれば、アルスはきっとわかってくれる。ならば今すべきことは、あの師範が課す修行を終わらせ、一刻も早く戻ること。

 

「よし! 目標は三日、いや二日以内」

「その意気よ。まずは師範に挨拶をしないと」

 

 

 この時、エリスは知る由もなかった。

 クエストクリアのために砕く大岩が、想像を絶する硬度であるということを。

 クエスト中、ほとんど干渉してこない師範とは違い、ラスクが少しでも早く終われるようにと、とんでもないスパルタ指導を行うことを。

 このクエストが終わる頃には、ラスクを師匠と呼ぶようになることを。

 

《続く》

 




キャラ設定

ラスク
Player name/Rask
Age/19
Height/181cm
Weight/62kg
Hair/ Silver Long
Eye/Sky blue
Sex/Male

Lv12(七話時点)
修得スキル:《短剣》《隠蔽》《軽業》《体術》

長い銀髪と空色の瞳の中性的な容姿の青年。ベータテスト時代にアルスとパーティーを組んでいた一人で、ベータでは女性アバターを使っていた。当時の言葉遣いが抜けないせいで、今でもフェミニンな話し方をする。
テスト期間中に体術スキルを発見した数少ないプレイヤーの一人であり、正式サービスで二層が解放された際に、アルゴからクエストのクリア者が出た時に連絡するよう依頼していた。

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