雨が降った翌日とは思えないほどにからりとしている朝。いつもの時間に家を出て、バスに乗り込み流れる景色を眺めながら暫くすれば学園へと辿り着く。まばらに生徒が歩いて行く背の高い大きな門を抜けて、俄かに色付きはじめている銀杏並木を抜けようとした時だった。
「樹ちゃん」
不意に後ろから名前を呼ばれ、振り返るとそこには聖さまが居た。
「ごきげんよう、聖さま」
「ん、ごきげんよう。――はい、これ。昨日はありがとう。お陰で濡れ鼠にならなくてすんだよ」
蓉子さまに貸したはずの傘が聖さまから戻ってくるとは。お二人の家の場所を知らないので何とも言えないけれど、貴女の方が歩く道のりが長いとか理由を付けて蓉子さまが聖さまに押し付けでもしたのだろう。
「いえ。わざわざありがとうございます」
聖さまが手に持っていた傘を私に向けられたので受け取って再度歩き始めると、聖さまは私の横に並び一緒に歩く。行先は一緒だから何故着いてくるのかなんて聞くのも野暮なのだろう、何か会話、会話と考えてみるけれど聖さまがどんな話に食いついてくれるのだろうか。登校中の生徒から時折『ごきげんよう、白薔薇さま』と声を掛けられて、それに答える聖さま。聖さまの返事を受けた生徒はずいぶんと嬉しそうに足早に去っていく。
「人気者ですねえ」
「あーうん。まあ、ね」
あまり嬉しくなさそうに私の言葉に声を返す聖さま。
「というか、君も有名人じゃない」
ぼんやりとそのやり取りを見ていた私の零した言葉に答えてくれる聖さまは、まるで他人事の様にしている私に苦笑いを向ける。私が有名になったのは、山百合会の手伝いをしているからで、私自身の力ではない。バスの一件も、もうしばらくすれば落ちつくだろうから。
「私は薔薇さまほどではありませんし、一時のものでしょうしねえ」
「でも祥子の妹候補でしょう?」
リリアンかわら版に人助けをしたことを取り上げられて、幾分か日が経ち生徒指導室へ召喚された時よりも落ち着いては来たものの。かわら版のお陰かどうかは分らないがけれど、一部界隈では私が『祥子さまの妹候補にぴったり』だなんて声も上がっているらしい。何をどのようにすれば、そんな考えに辿り着くのかが理解できないけれど、まことしやかに囁かれているそうで。
「……」
「そんな嫌そうな顔しなくてもいいじゃない」
「本人の預かり知らぬところで勝手に話をでっち上げられても、嬉しくはないですよ」
そもそも私は姉を作る気がないし、祥子さまも私を見ていないのだし。上級生と下級生という関係ならば築くことが出来るだろうけれど、姉妹の関係を築けるかと問われると無理だと即答できる。
「苦労するねえ、樹ちゃん」
「めっちゃ他人事ですね」
「うん」
ジト目で聖さまを見る私を、へらっと笑って流す聖さま。そうこうしているうちに多くの生徒が立ち止まり、祈りを捧げる場所になっているマリア像の前へと辿り着く。私は信じてもいない神様に手を合わせるつもりは更々ないので、聖さまが祈るだろうとマリア像から少し離れた場所で立ち止まる。すると不思議なことに聖さまも私と同じ場所で足を止めたのだった。
「ねえ樹ちゃん」
「はい」
「祈らないの?」
マリア像を軽く指差して、そんなことを言う聖さま。聖さまもでしょうと言いたいところだけれど、聞かれた問いの答えを伝える方が先だろうと口を開く。
「ええ。私の神さまは留守で休暇を取ってラスベガスにでも行っているので、ここには居ませんから」
流石に身も蓋もない本心を垂れ流してしまうのは気が引けて、とある漫画からの流用で誤魔化してみた。
「……」
私の言葉を聞いて目を丸く見開らくこと数舜後に聖さまは破顔し笑い始める。祈っている他の生徒が居る為か、随分と抑えているようではあるけれど、確実に笑っているのだった。
「なに、それっ。どんな理屈なのっ」
江利子も居れば良かったのにと恐ろしいことを言い放つ。この場に江利子さまが居れば確実に面白がって根掘り葉掘り神様はなにをしているのかしら、とか聞かれてしまうのが安易に想像できてしまう。横に本人が居なくてよかったと心底安堵するけれど、聖さまだって祈っていないのだから人の事は笑えないだろうと、ちょっとした抵抗を試みる。
「聖さまも祈っていないじゃないですか……」
「私の神様もバリ辺りに行って休暇を楽しんでるんだよ」
「ぐぬ……」
くしゃっと私の頭を撫でて、向いていた体の方向を変える聖さま。その先は昇降口に向いており、まあようするに祈る気はまったくないようなので、無言のまま足を進めて昇降口へと辿り着いた。
「ああ、そうだ。蓉子から樹ちゃんに伝言。山百合会の仕事があるから今日の放課後は薔薇の館に来て頂戴――てさ」
「了解です。では、また放課後に」
「うん」
軽く手を上げて聖さまは振り返りもせずに校舎の中へと消えていった。さて私も教室へ行こうと歩を進め始めた時、一瞬何かの気配を感じて後ろを向く。そこにはまばらではあるけれど登校中の生徒の姿があるだけで。不思議に思いつつも、何の変化もない普段の光景に気の所為だろうと自分を納得させて、一年藤組の教室を目指す。
ここ最近、向けられる視線は刺さるもののただ見ているだけのもので気にしても仕方ないと割り切っていたのだけれど、マイナスの感情を含んだものを感じるのは随分と珍しい。けれど、誰のものかもわからないし、これもまた気にしても仕方ないと決めて、教室へと入るのだった。
◇
――昼休み。
四限目が終わりようやくお昼の時間がやってきた。お弁当の包みを持ち、やっとご飯が食べられると歓喜しつつ席を立とうとした時だった。
「樹さん、少しお話があるのだけれど、お時間はありますの?」
「大丈夫だけれど、どうしたの」
「教室だと話し辛いので、場所を移動してもよろしいかしら?」
その言葉に私は一つ頷くとトップの子はすたすたと歩き始めて、その後ろをついて行く。横に並ぶかどうか迷ったものの、何故だか話しかけるなオーラを感じて、後ろをついて行くだけに留めた。しばらく歩いて辿り着いた場所は、温室だった。扉を開けて誰も居ないかどうかを確認した後、トップの子と向き合うと、いつもより厳しい顔をしていたのだった。
「今朝、白薔薇さまと一緒に歩いていたでしょう?」
「うん。貸した傘をわざわざ待ってて返してくれたんだ」
私の登校時間をいつ聖さまが把握したのかは知らないけれど、聖さまがあの時間帯で登校していないことを私は知っていた。傘を返すために登校時間を合わせたのだろう。それでもああやって偶然に出会う確率は低いのだから、どこかで待っていたのかもしれないのだ。こういうことを面倒だと言い放ちそうな人だと思っていたのだけれど、どうやら勘違いだったらしい。
やはり人は見かけや話を聞いただけで判断するものじゃないのだろう。先入観は拭い辛いものだけれど、ああやって付き合いを深めていけば新たな発見がある。昨日から今日までの一連のことを思い出しながら苦笑いをしていた。
「そうでしたの。それならば、今日のことは仕方ありませんが……――しかしあまりに距離が近いのではないかしら? 白薔薇さまの妹は貴女ではなく志摩子さんでしょう?」
「うん、聖さまの妹は志摩子さんだよ。ロザリオを持っているのも知ってる。でも、距離が近いって……」
距離が近いと言われても、あのくらいで近いのだろうか。それに私が近寄った訳ではなく、聖さまが歩み寄ってくれたのだから少し違う気もするけれど、外から見ればそう見えるのかも知れない。
「……編入生である樹さんでは気付きにくいのかも知れませんが、皆さま節度を持って上級生と接しておりますの。姉妹の絆を結んだお姉さまの存在は特別でしてよ?」
私の言っていることが分かっているの、と言いたげな不服そうな顔で私を見つめるトップの子。その子の言う通り、姉妹の絆を結んだのならば特別な関係になるのは理解できる。理解はできるけれど、それ以外の人たちを仲良くなることを良しとしないのは、どうなのだろうか。人間関係が狭くなってしまうだけで、広がるはずの交友関係も広がらなくなってしまう。それにあれくらいで距離が近いというのならば、蓉子さまや江利子さまとの距離感にも気を遣えと言われているようなものであるが、彼女たちの妹である祥子さまと令さまから苦情をこうして貰ったことはないのだから問題はない気もするのだけれど。
「理解してるつもりなんだけれどねえ」
「いいえ、樹さんは理解なさっておりません。上級生の中でも薔薇さまといえば、全生徒の憧れであり特別なのです――」
だというのにあまつさえ私は彼女たちとの距離が近く馴れ馴れしいのだと、目の前の子は饒舌になる。なにか鬱憤でもたまっていたのだろうか、身振り手振りと言葉に抑揚をつけて喋るものだからまるで舞台女優のようで。火の吹くように止まらない口上に、やれやれどうしたものかと話半分に聞き流しているとようやく止まる。言いたいことを言い放った為なのか、先程のような不機嫌さはなく。
「貴女が薔薇さま方に呼ばれ、山百合会のお手伝いをなさっているのは重々承知しておりますが……、もう少し周囲の目を気になされた方がよろしくてよ?」
「ああ、うん。ありがとう」
何をどうすれば良いのか全くわからないまま、彼女の言葉に頷く私。それをみたトップの子は満足したのか、軽い足取りで温室を出ていく。何故そんなことを言われなければならないのか、周囲の目を気を付けるとは何なのか、やれやれと自分の頭を掻いてふと大事なことに気付く。
――しまった。
お弁当、教室に置いてきちゃった。
◇
蓉子さまからの伝言で、薔薇の館へと向かう私の足取りはいつもより重い。昼休みにトップの子から言われたことを考えていたのだけれど、どうしようもないという結論しかでないのだから。
とはいえ山百合会の手伝いも期間限定だろうから、二学期最大のイベントである学園祭が終われば、私が必要となることはないのだし。深く考える必要もないのだけれど、何故あんなことを言い出したのか疑問ではある。まさか、私に不満を持つ人が彼女以外にも居るのだろうかもしれない。それ故の忠告であるならば、納得は出来るのだけれど。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう、樹さん」
「樹さん、ごきげんよう」
軋む階段を上がり会議室と書かれたプレートが掛る扉を開けるとそこには、由乃さんと志摩子さんが先に来ていたようだ。どうやら軽く掃除をしていたようで、それぞれの手には雑巾と箒が。手伝うよ、と声を掛けるともう終わるからとのこと。それならばポットのお湯の入れ替えでもするかと、流し台へと立ったのだった。
「他の人たちは?」
がさごそと流し台に立って作業をしながら二人に話かける。私の声を聞いた志摩子さんと由乃さんも手を止めることはなく、床を掃いたり机を拭いたり。
「まだ来られていないの」
「もうしばらく掛かるんじゃないかしら」
仕事の呼び出しがかかったものの、今日は何をするのか伝えられていない。学園祭が近くなってきているので、おそらくは体育祭の時のように学園中を駆け回る羽目になりそうだ。
「そっか。二人とも何か飲む?」
既に慣れ親しんでいるこの場所で、遠慮の文字は存在していない。お茶が飲みたければ勝手に淹れているし、他に欲しい人が居ればついでに淹れてしまうのも癖がついてしまった。いつものでお願いと言われ、何を淹れればいいのか把握できているのも慣れてしまった証拠だろう。最初こそ何故手伝わなければならないのだろうかと、不満を持っていたというのに案外楽しんでいる自分がいるのも事実で。
流石に掃除中に茶葉の封を開けるわけにはいかず、ポットのお湯が沸くまで大人しく待つ。流し台に背を預けて、由乃さんと志摩子さんが掃除をしている様子をぼーっと眺めていた。
「樹さん、何かあった?」
「え」
「珍しく考え込んでいるわ」
二人の言葉に顔に出ていたのだろうかと手を充てる。ポーカーフェイスは苦手だし、隠し事も苦手な部類に入るから、昼休みの事を考えていたのがバレてしまっても仕方ないのだろう。話してみるのも良いかもしれないと決意をすると、湯沸かし器の沸いた音がけたたましく鳴り響いたのだった。
「バレバレかあ。ちょっと愚痴になるけれど話、聞いてもらってもいい?」
「ええ、もちろんよ」
「構わないわ」
掃除も丁度いい頃合いだったようで、二人は階下の倉庫へと道具を戻しに行ったので、その間に手早くお茶を用意して、二人の席の前に置く。ゆっくりと優雅に席についた二人を見て、私も指定席となっている場所へと腰を下ろして、今日の昼休みの出来事をかいつまんで話す。
「どうしてそんなことを樹さんに言わなきゃなんないのよっ」
怒り心頭の由乃さんが、ぷりぷりしている。
「そうね。――でも難しいことね」
志摩子さんが困ったようにそう言った。
「どうして? 関係ない人からそんなこと言われる筋合いはないじゃない」
「まあ、そうなんだけれど……」
「けど?」
「私がこの場に居るのが相応しくないって考えているのかもね。でもまあ、少数派だとは思うけどね」
あははーと笑って誤魔化して、場の空気を軽くしたかったのだけれど、由乃さんの怒りは収まりそうにない。
「なに言ってるのよ。それを決めるのは私たちと樹さんでしょ?」
「そう思ってくれれば、簡単なんだけれど……まあ忠告じみたことをされたから流石に気を付けないと」
「気を付けるって、何を?」
少しトーンの下がった由乃さんに苦笑いをしながら、二人の顔を見る。
「ま、薔薇さま方との距離感を間違えるなって言われただけだから、少し離れてみるのも良いのかも知れないね」
近づくなと考える人は少数かも知れないけれど、何か行動に出た場合困るのは私ではなく蓉子さまたちだろう。火消しに奔走しなくてはならなくなるし、三年生の時間を奪ってしまうのは心苦しい。少なくとも薔薇の館以外で接触を図るのは止めた方が良いのかも。
「…………」
「そう不満そうな顔をしないでよ」
眉間にしわを寄せて私からぷいと視線を反らす由乃さん。どうやら私の出した答えに納得がいかない様子で。
「山百合会のお手伝いはどうするの?」
「それは頼まれているからきっちりやり通すよ。ただ薔薇の館以外で会うのは控えるってだけ」
「樹さんはそれでいいの?」
「私にだけならどうとでもなるんだけれど、流石に山百合会の人たちに迷惑を掛ける訳にはいかないから」
肩をすくめて笑うと、由乃さんと志摩子さんが微妙な顔をした。その顔色にどんな感情が含まれているのか分からないけれど、私のことを少しでも考えていてくれるのならば嬉しいことだ。仲が良くなった証拠なのだから。距離を取らなければならなくなったことは少し寂しくはあるけれど、仕方がない。
「さて誰か来たみたいだから、この話はこれで」
階段が軋む音に気が付き、聞いてくれてありがとうと言って立ち上がり、飲み終わったカップを回収して流し台へと向かう。――問題を先送りにして。
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※次回の投稿から18時→17時に戻します。17時の方が都合がいいので……。
なんだかシリアスな空気が流れましたが、重くする気はないですし、何かあってもメンタルの強いオリ主なのでへこたれません。キャラ作りちょっと間違えたかもw