――翌日。
朝、一年藤組の教室へたどり着くと、いつもよりざわついていた。はて、何かあったのだろうかと耳を澄ませていると、どうやら昨日の薔薇の館での出来事がすでに噂になっているようで。しばらく祐巳さんは時の人だなと心の中で手を合わせて無事を祈るのだけれど、あの場を関係者以外が知る由はないのだから、誰がどこから聞きつけたのか。可能性としては蔦子さんが第一候補。第二候補は薔薇さま方。第三候補は祥子さま、第四候補は祐巳さんといったところだろうか。とはいえみんな吹聴して回るような人ではない気もするし、本当に不思議である。
「フクザワユミさんってどんな方なのかしら?」
「そうね。同じ一年生だけれど、知っている方は少ないようですし。休み時間、桃組に行ってみませんこと?」
たのしそうにきゃっきゃっと笑っている我がクラスメイトに苦笑いをしながら机に通学鞄を置き、椅子を引いて座って眺めていると、不意に数人私に視線を移して何やら話し込みそのまま私の下へとやって来た。
「ごきげんよう、樹さん」
「みんな、ごきげんよう」
「樹さん、フクザワユミさんという方が紅薔薇のつぼみをフッたって本当なの?」
クラスメイト数人に取り囲まれ、一人が代表をして私にそう聞いてきた。昨日私が山百合会の手伝いに赴いていることは、クラスの子たちはみんな知っている。だからだろう、一番情報を持っていそうで一番聞きやすそうな人間を選んだのだ。
さきほどの彼女の質問は事実だ。
実際の現場を見ていれば、祥子さまからの申し出を断っても仕方ない状況といえたが、見ていない人たちの話をよくよく聞けば祐巳さんが紅薔薇のつぼみからの姉妹宣言を無碍に断った人となっている。誰がこの噂を広めたのかは分からないけれど、祐巳さんにとって不都合な事実となっているような。しかし、祐巳さん本人に聞いてみて欲しいなんて言えば、本当に一年桃組の教室まですっ飛んでいきそうな雰囲気である。『普通』という言葉が似あう祐巳さんが、唐突に学園内の噂の的となってしまった状況に耐えられるのか微妙な所。はあと一つ溜息を吐いて、彼女たちに視線を向ける。
「ごめん、私の口からは何も言えないよ。――あと興味本位で首を突っ込むのはどうなんだろうね。仮の話だけれどフクザワさんの立場になって同じことされたら、嫌じゃない?」
直接的すぎる言い方であるけれど、意味さえ彼女たちに伝わればそれでいい。目立ちたい人ならば、大立ち回りをして周囲の状況を変えたり煽ったりできるだろうけれど、昨日のあの子の様子では無理だろう。
「え、ああ……そう、そうね。少し、盛り上がり過ぎたかしら……」
頬に手を充てながら考える様子を見せたクラスメイトはそう言ってくれたのだった。私の言葉一つで噂が少しでも収まってくれれば御の字だけれど、まあ無理だろう。私に、薔薇さま方のような影響力はないのだし。精々、今の言葉を聞いた人たちのみといったところか。彼女たちが素直な人で良かったと安堵するけれど、人間状況に流されやすいものだから、これで収まるとは考え辛い。椅子から立ち上がり、教室内のある人の下へと向かうのだった。
「いいんちょ、ごきげんよう」
「ごきげんよう。相変わらずですね、樹さんは」
ウチのクラスで一番頼りになるいいんちょの下へと行き、今日、怒涛の勢いで流れている噂の詳しい情報を聞き出したのだった。
「なんだか随分と、昨日とは違いがあるんだけれど」
「人伝での情報ですから違いは仕方ありません。一番肝心な紅薔薇のつぼみを振ったという噂は真実なのでしょう?」
「悪い、いいんちょ。口外する気は……あーいや、全部は口に出来ないけれど、まあ独り言かな」
とはいえ噂の確認をいいんちょに願ったのは私からなのだし、いいんちょもいいんちょで口が堅いし、今までいろいろと助言を貰っている。なら、彼女には話しておくべきなのかもしれないと考え、独り言として伝えると黙って聞いていてくれた。そんないいんちょに感謝しながら呟やきが終わると、少し考えたそぶりを見せながらこう口にしたのだった。
「ユミさんという方にとって今の状況が幸か不幸か分かりませんが、はっきりとしていることは山百合会という生徒全員が注目している的の中に放り込まれたということですか……」
「だね。本人の意思とは関係ないって所が気になるんだけれど」
「目立つようなことを好む人ではない、と?」
「多分、だけれどね」
そもそも目立つことが好きならば、あの場で祥子さまの申し出を断っていないだろう。紅薔薇のつぼみの妹となれば今朝と同じように噂になるし、好奇の視線を受けるのではなく羨望の眼差しを向けられるのだし。
「なるほど。それだと今のこの状況はその方にとってはあまり良い状況とは言えませんか」
いいんちょの言葉を聞いて、こくりと頷くといいんちょは眼鏡の位置を指で直しながら私に気を付けるべきことを教えてくれるのだった。曰く、周囲の状況に耐えれない可能性も出てくるだろうから気を付けて、強引な人は本人に直接問いただそうとするだろうから、あまり一人にしないこと。
「助かるよ、いいんちょ」
「助言だけでいいならば、いくらでも」
苦笑いをしながらそう言ってくれたいいんちょには感謝しかない。一学期から世話になっているけれど、お嬢さま校という特殊な環境なので、どうしても読めないこともあるから、こうして相談に乗ってくれる人は貴重だ。
「フラれたってだけで話が終わっていれば、こうも大騒ぎにはなっていなかった気がする」
あの場で聖さまがあんなことを言い出さなければ、祐巳さんはもう山百合会……祥子さまに関わることは無かっただろう。
「薔薇さま方の真意は分かりませんが、祐巳さんを山百合会に引き込む価値はあったということでは?」
「なるほど」
いくらなんでも最初に出会った相手にロザリオを渡すなんて行為は無茶振りであるが、意味もなくそんなことを祥子さまがする人ではない気がする。だからこそこんな時期まで妹を作らずいたのだろうし、きっと祐巳さんに惹かれるものがあったのかも知れない。タイを直している写真も、いつもの祥子さまならば口頭で注意するはずなのだ。
さんざん祥子さまにリリアンのしきたりについて教え込まれてきた私も、タイが乱れているから直しなさいと注意されただけだから。本当にあの写真は奇跡の一瞬を切り取ったもので。そんな祥子さまの機微を感じ取れない蓉子さまでもないだろうし、だからこそ聖さまの賭けを認めた。山百合会は人手不足だから、猫の手も借りたいという気持ちもあったのかも知れないが。
「ああ、それともう一つ。――樹さんが紅薔薇のつぼみの妹候補だったのに、件の方が横入りしたと言う方もいらっしゃるかもしれませんので、気を付けた方がいいかと」
「いや、それって言い掛かり……」
「無理がありますが、そう思う人も居るということですよ」
澄まして笑ういいんちょに、勝手に想像して勝手に行動した人に巻き込まれてしまう祐巳さんも私も笑えない状況に、口の端が吊り上がる。
「バスの一件で樹さんの名前は売れてしまいましたので」
「え――。その事実はもうみんなの記憶から消えてなくなっているって思ってたんだけれど……」
「まだ忘れるには早いですよ。それに樹さんが紅薔薇のつぼみの妹候補という声は、志摩子さんが白薔薇さまの妹に納まってからバスの件も含めて強くなっていましたからね」
「勝手に話が進んでる……」
片手を顔に当てて盛大な溜息を吐くと、そんな姿を見たいいんちょが苦笑いをしながら私の肩を二度軽く叩いたのだった。
「私も含めて傍観者は気楽なものなんですよ。頑張ってください」
「これ私も巻き込まれるの……」
「その可能性もあるということです」
マジかあと頭を抱えそうになるのを堪えて、天井を仰ぎ見る。このまま現実を逃避してしまいたいと考えるけれど、無理なんだろう。
また周囲に気を配らないといけなくなるなあと、胃が重くなるのを感じながら女性社会の冷徹な仕組みにゲンナリする私が居たのだった。このまま私がやらかしたことはみんなの記憶から消え去ってしまえと、一瞬でも頭に浮かんだことがいけなかったのだろうか。やはり神などいないと視線を床へと下げれば、朝のホームルームの時間を告げる予鈴が鳴り響いたのだった。
◇
腕時計の針がようやく真上を指した、昼休憩。いまだ例の噂に盛り上がるクラスメイトが気になり、祐巳さんのことが心配になり始める。あまり自己主張をしない大人しそうな彼女は、新聞部や周囲の好奇の視線を耐えられるのだろうか。桃組には志摩子さんがいるから大丈夫だろうし、他のクラスからわざわざ出向くのもどうかと暫く席に座っていたのだけれど、結局気になってお弁当箱を持って桃組に向った私は、教室前で沢山の生徒がたむろしている状況に溜息を吐いたのだった。
「フクザワユミさんってどなた?」
友人と桃組に訪れたのであろう野次馬たちは、きょろきょろと教室内を見渡しながら、きゃっきゃっと声を上げて楽しそうにしていた。当事者である祐巳さんは、蔦子さんといっしょにその光景をゲンナリしながら見ているから、この状況は彼女にとって不本意なものなのだろう。とはいえ祐巳さんは運があるのか、リリアンの生徒たちには顔は広くないようで。教室を覗いている誰も彼もが祐巳さんを探していたし、桃組の人たちも野次馬たちに祐巳さんを紹介することなく静観しているだけ。
桃組の人たちが良識ある生徒で良かったと安堵しつつ、いつぞやに見た七三分けが特徴である新聞部一年の山口真美さんが桃組の教室に訪れたことにより、状況は急を急ぐのだけれど私が祐巳さんに声を掛けると注目を浴びることになる。さて、どうしたものかと様子を見ていたら、志摩子さんが祐巳さんの手を握って行動を起こしてくれたのだった。
「――二人とも、ごきげんよう」
「ごきげんよう、樹さん」
「ご、ごきげんよう」
桃組の教室を少し過ぎた廊下で声を掛け志摩子さんはいつも通り静かに挨拶を交わしてくれ、祐巳さんは私の登場に驚いたのか、ツインテールを揺らすとどもっていた。
「志摩子さん、いつもの所でお弁当?」
「ええ。あそこは静かだもの」
ゆっくりと目を細めて私の質問に答えてくれた志摩子さんに、その様子をころころと表情を変えながら私を見ている祐巳さん。聖さまの言った通り、百面相だなあと微笑ましく眺めながら、お弁当箱を目の前に掲げる。
「だね。私も一緒にいってもいいかな?」
「私は構わないけれど」
そう口にすると志摩子さんは祐巳さんの方を見たのだった。
「祐巳さん、親交を兼ねて私も一緒に行っていいかな? あと由乃さんも誘いたいんだけれど……」
由乃さんはこの場に居ないので、了解を取れればという形だけれど、山百合会のメンバー一年生だというのに一人だけ外すのはなんだかなあと思い、勝手に名前をだしたのだ。
「あ、はいっ! 平気ですっ!!」
「ありがとう。あと同じ一年なんだし、そんなに気を使わないで。――由乃さんに声かけてくるから先に行ってて貰っていいかな」
「ええ、わかったわ」
志摩子さんには了承を取ってないけれど、由乃さんも来ることは気にしないだろうと、それじゃあと軽く手を上げて松組の教室を覗くと、どうやら四限目の授業が長引いたらしく弁当箱の包みを開けようとした由乃さんの姿が見えたのだった。
「由乃さん」
「樹さん、どうなされたの?」
持ってきていたお弁当箱をまた掲げると、首を傾げた由乃さん。結わえたおさげが小さく揺れて、少し驚いた表情を見せたのだった。
「外で一緒にお弁当食べない?」
「いいの?」
「いいも何も、一緒に食べたいから誘ってる。あと他の人と約束してたり嫌だったらはっきり断ってもらっていいから」
「そんなわけないじゃない。勿論行くわ」
前のめりになりながらそう答えた由乃さんに苦笑いをしながら、椅子から立とうとする由乃さんに手を差し伸べる。
「あ、後出しになるんだけれど、志摩子さんと昨日の子も居るんだけれど、良いかな?」
「あら、そうなの?」
「うん、ほら大変でしょ、朝から」
「なるほど」
肩をすくめて苦笑いをする由乃さん。由乃さんも山百合会のメンバーの一人で注目を浴びる人だから、祐巳さんの苦労が分かってしまうのだろう。ゆっくりと由乃さんと一緒に雑談を交わしながら歩を進め、人の少ない建屋の裏へと辿り着くのだった。
まだこの場所が物珍しいのかきょろきょろと周囲を見ながら歩く由乃さんに、足元がおざなりになっているので転倒しないか気を使いつつ歩みを進めると、建屋の出入り口となっている二段程の階段で座り込んでいる祐巳さんと志摩子さん。どうやら二人もおしゃべりに花を咲かせていたようで、楽しそうに笑っていたのだった。
「お待たせ」
「待たせてごめんなさい」
二人が腰かけている場所に適当に座り込む。四人となると少し狭く感じるけれど、ぎゅうぎゅう詰めまでとはいかない。これ以上人数が増えると大変だけれど、もう一人二人ならば可といった所だろうか。由乃さんの登場に、背筋をピンと伸ばした祐巳さん。有名人は大変だなあと由乃さんの方を見ると、祐巳さんを見た由乃さんも少し苦笑いをしていた。
「いらっしゃい」
「お、お邪魔してますっ!」
「そんなに緊張しなくても」
肩をすくめ、おどけながら祐巳さんに伝えると、みんな学園内だと有名な人たちだからと緊張を滲ませる。
「昨日の方が緊張しない? あの濃い三年生に囲まれてたし、祥子さまも居たんだし」
私の『濃い』という言葉に極端に反応を示した祐巳さんだけれど、声にはならなかったようだ。
「うっ……。それはそうなんだけれど……」
「まあいっか。自己紹介がまだだったよね。祐巳さんと同じ一年の鵜久森樹です。山百合会の下っ端の手伝いだから、学園祭が終わるまで顔を合わせるだろうから、よろしくね」
「ふふ、祐巳さんって面白い方ね。黄薔薇のつぼみの妹の島津由乃です。山百合会でこれから顔を合わせるでしょうし、よろしく」
「い、一年桃組、福沢祐巳ですっ。いろいろとご迷惑をお掛けするかもしれませんが、よろしくお願いしますっ!」
ぺこっと勢いよく由乃さんと私に頭を下げた祐巳さん。
「硬い。カット。リテイクを要求します、もう一度」
「ええっ!?」
頭を下げていた祐巳さんは私の言葉に、ガバっと体を起こして目を真ん丸にひん剥いて驚いている。そんなに驚くことでもないのに、もう一度やり直そうと考え込んでいる彼女が微笑ましくて、笑いがこみあげてくるのだった。そしてそれは私以外の二人も一緒のようで。小さく笑っている志摩子さんと由乃さんは、声を出さないようにと我慢しつつ堪えていた。その様子を見た祐巳さんはどんどんと顔を赤くしていき。
「みんな、酷いよー」
渋い顔をしながら抗議する祐巳さんは、少しぷりぷりしながらお弁当に置いていた箸を取り、口元へとご飯を運ぶ。
「ごめんごめん。緊張してそうだから、つい」
「ううっ。樹さんってイメージと全く違う」
「そうかな。割と自由にしてるつもりだけれど」
そうしていると祥子さまの指導を受けることがあるけれど。それは直せばいいことだし、一度やらかしても二度目をやらかさなければ祥子さまも目を瞑ってくれるようになった。
「近寄りがたい人と思っていたのに、冗談を言う人なんだって」
一度、偶然出会って愚痴を聞いて貰った相手ではあるけれど、その時は彼女が一年生と知らなかったし気を使いながら喋っていたから、こうしてからかうこともないまま別れたのだから仕方ないのかもしれない。
「でも前に愚痴を聞いてもらったよね」
「あの時はお互いに名乗らなかったし、有名な人に喋りかけられたって驚いていたから」
「あら、お二人は面識があったの?」
静かに祐巳さんと私の会話を聞いていた由乃さんが、気になったのか声をかけた。
「うん。知らない上級生に妹になりなさいって言われて断ったんだけれど、スッキリしないから愚痴を聞いてもらったんだよね」
「樹さん……そんなことがあったなんて知らないんだけれど……」
「いや、終わった話だったし話す機会もなかったから」
お箸を握りこんで負のオーラを背負う由乃さんがちょっと怖い。愚痴は祐巳さんと蓉子さまと祥子さまに吐き出したから、これ以上は出す必要もないし、上級生の名誉にも関わるから伝えていなかっただけなんだけれど。
「むう」
「ほら、怒らないでご飯食べようよ。あと今日の主役は祐巳さんなんだし、ね?」
ぷいと横を向く由乃さんに苦笑いをしながら、話題反らしに奔走する。名前を出された祐巳さんは、またぴゃっと驚いて背筋を伸ばし、祐巳さんの横に座っている志摩子さんが小さく微笑んだ。
「――仕方ないわね。あとでその話詳しく聞かせてね、樹さん」
「え、終わったこと掘り返すの?」
「勿論よっ」
「……ハイ」
何故だか逆らわない方が良いだろうと本能が叫んでいるので、素直に返事をしておく。それに納得したのか満足そうな顔をした由乃さんに、みんなが苦笑いを浮かべていたのだった。
「ところでお二人さんは何を話してたの?」
「あ、えっと昨日のことと、志摩子さんは銀杏が好きだって盛り上がっていたんだ」
志摩子さんが余りリードして喋らないことを知っているのか、私の言葉を祐巳さんが答えてくれた。
「おお、渋いねえ」
うんうんと私に同意の頷きを寄こすとツインテールとおさげが揺れていた。志摩子さんはきょとんとしているけれど洋の雰囲気を纏う彼女に余り和のイメージが付かないのは仕方ないことだろう。とはいえ和が駄目という事ではないし、志摩子さんの意外な一面が知れたのだから良いことである。確かに茶わん蒸しに入っている銀杏は不思議な味がするけれど、嫌いではない。銀杏は毒素を含んでいるそうなので食べ過ぎると駄目らしいのだけれど、志摩子さんも知っているだろうしその話題を流してしまっても良いだろう。
「じゃあ、みんなの好きな食べ物は?」
私のその声に由乃さん祐巳さんが答えてくれるのだけれど、それぞれの性格が出ているというか、なんというか。
「樹さんは?」
それぞれが答えたので最後となった私に、志摩子さんがそう言ったのだった。
「和菓子の練り切り食べながら、コーラを一気飲みするのが至福かな」
練りきりを食べて甘くなった口の中と喉を、キツイ炭酸でスッキリ洗い流すのが快感なのだけれど。
「ええっ?」
「ないわね」
「……合うのかしら?」
驚愕の表情に、ドン引きしている顔と頭に疑問符を浮かせている顔。やはり同意は得られないかと、項垂れる。中学時代の友人にも話したことがあるのだけれど『いや緑茶か抹茶でしょ』とばっさり切られたのだ。
「いいよ、いいですよ。誰の理解を得られなくても、私の幸せな時間だもの」
悔しまぎれの言葉と、理解を得難い行為だと知っているので強要はしないのだ。
「え、えっとっ、人にもよるし、好き嫌いはそれぞれあるものだからっ!!」
「ありがとう、祐巳さん。なら、今度試してみる?」
「えっ……」
懸命にフォローを入れてくれる祐巳さんに悪戯心が湧いて、すこし意地悪をしてしまったけれど、このくらいならば構わないだろう。
「ですよねー」
「うっ、あ、あのっえっと……」
「樹さん、祐巳さんをからかい過ぎよ。あと祐巳さんも樹さんの冗談を信じちゃ駄目っ。それと志摩子さんも笑っていないで樹さんを止めて」
この場で唯一の突っ込み属性を持つ由乃さんがたまり兼ねたのか苦言を呈し、その隣で志摩子さんはくすくすと笑ってる。なんだかこの四人の立ち位置が決まってきたなあと、腕時計を見ればそろそろ昼休みの時間が終わる頃だった。
「あ、そろそろ時間なのね」
私が腕時計を見たのが気になったのか、由乃さんも腕時計の文字盤を覗いてそんな言葉を零す。
「戻りましょうか」
「うん」
「そうね」
「ん」
志摩子さんの声にそれぞれが頷いて先を歩き始めたのは、由乃さんと志摩子さん。
「樹さん、一つ聞きたいことがあるんだけれど……」
「答えられることなら答えるよ」
聞き辛そうに少し視線を落としている祐巳さんが聞きやすいようにとなるべく声を明るくして。
「祥子さまの妹候補だったでしょう? それなのに私なんかが……」
言葉を選んでいるのだろう。そこで止まってしまった祐巳さんの言葉の続きを想像するのは簡単だったから。
「祥子さまと私じゃあ、姉妹にはなれないよ。よくて先輩後輩の関係かなあ。それにね、祥子さまは私を見ていなかったんだし、周りが勝手に騒いでいただけだよ」
「志摩子さんも、樹さんと同じことを言ってた。――どうして私だったんだろう……」
だんだんと言葉尻が小さくなっている祐巳さんに苦笑いをしながら、どう答えたものかと思案する。
「祥子さまの心の中が分かる訳じゃないけれど、なにか祐巳さんに惹かれるものがあったんじゃないかな? でないとあんな勝負引き受ける人でもないんだし」
「私の魅力ってなんだろう……」
「自分自身じゃあ分かりにくいだろうね。さ、二人に置いて行かれるし授業に遅れるから行こう」
祐巳さんと私が話し込んでいることを気にすることなく、二人の背がどんどんと小さくなっていく。こうなることを予想していたのかも知れないと、二人の優しさに感謝しながら。そして、未だ悩むそぶりを見せている祐巳さんに、心の中でそっとエールを送るのだった。
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祐巳ちゃんが輝くのはまだ先だなあ……。