今日も夏の名残が残る暑さは健在。夕方に差し掛かるとはいえまだ暑い。けれど真夏ほどの熱気は翳りをみせはじめ、部屋へと入り込む優しい風は涼しい空気を孕んでいる。
――なんだろう、この場違い感。
さっき目の前の人から言われたことは上の空で、正直この感情しか湧いてこなかった。
時計の針は、随分と巻き戻る。
「樹さん、お客さんだよ」
昼休み。さて今日は何処でご飯を食べようかと、弁当片手に席を立とうかとお尻を浮かせた瞬間、クラスメイトの一人が廊下を指差しながら私に声を掛けた。
そうして指差された廊下を見てみれば、昨日の放課後に出会った彼女、藤堂志摩子さんだった。彼女が私を訪ねてくる理由がさっぱりだけれど、呼ばれているのなら彼女の下へと行かなければならないかと手に取った弁当の包みを置き、私を呼びに来てくれたクラスメイトには『ありがとう』と伝え。立ち上がり廊下へと歩いてる途中、クラスメイトの視線が私に集まっているけれど、なんだろうか。何か引っかかるものを覚えつつ、廊下の窓際に立っている志摩子さんの下へ。
「ごきげんよう、樹さん。昨日は荷物を持っていただいて、助かりました」
「ごきげんよう。志摩子さん、昨日振り。あとそんなに気を使わなくていいよ。私が勝手にそうしただけなんだし」
軽く手を挙げた私の言葉に合わせて返事をして、手を口元へと当ててくすくすと小さく笑う志摩子さん。品のある仕草にどきりとして、それを誤魔化すように言葉を出した。
「それで、どうしたの?」
「薔薇さま方からの伝言なのだけれど、今日の放課後、薔薇の館に来て欲しいの」
「薔薇の館に?」
何故、と疑問が頭の中で回るけれど『伝言』ならば志摩子さんに理由を問うのは筋違いか。『薔薇さま方』という言葉が誰を指すのか、はたまた全員なのか分からないけれど。
「ええ。樹さんが放課後に予定がなければだけれど」
三年生からの呼び出しを断るには気が引けるし、使い走りになってる志摩子さんも困るだろう。それに今日断ったとしても後日また声を掛けられそうな予感がするし。それならばさっさと用事を済ませてしまう方が賢明だ。
「予定なんてないよ。放課後に薔薇の館に行けばいいんだよね?」
「いえ、また私がこちらまでお迎えにあがります」
「場所は覚えてるから平気だけれど、いいの?」
「ええ、勿論」
お迎えの必要なんてないんだけれど、ここで彼女の好意を断る意味もないし、私がごねて時間を取れば昼休憩を有用に使えなくなる。
「了解。それじゃあ、よろしくお願いします」
「はい。それではまた放課後に」
そうして『ごきげんよう』と言い残して去っていった志摩子さんに『それじゃあまた』と返してしまったのは、私がこの学園にまだ慣れていない証拠なのだろうか。仕方ないか、と教室に戻り出入り口の扉をくぐって直ぐ。
「樹さん、お弁当ご一緒しない?」
とクラスメイトに声を掛けられた。
「あ、うん。構わないよ」
「そう、よかったわ」
くすくすと目を細めて笑う彼女は、このクラスにおける序列一位とかカーストトップに立つ人物だった。これは私が勝手に決めたものだけれど、多分外れてはいないだろう。容姿、頭脳、家格はこのクラスにおいて秀でており、彼女の性格もあいまって、大人しい生徒が多い中で学級委員と双璧を成すクラスを引っ張る存在だった。
このクラスのお荷物的存在である私の世話を買って出てくれたのは主に学級委員の子で、彼女と話す機会は余りなかった。机に置いていたお弁当を手に取りまあこれも何かの縁だろうと、この時の私はそう考えていた。
「こっちよ樹さん」
ゆっくりと品よく手招きしていくつかくっつけた机へと私を招く。窓側の最奥に陣取り机を無造作にくっつけてたそこ。彼女以外のクラスメイトが二人おり、にっこりと笑って招き入れてくれる。確か彼女たちはトップの子といつも一緒に居て、三人セットのイメージが強い。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
「ごきげんよう、お邪魔します」
手に持っていたお弁当を軽く上げて空いている椅子に座る。それと同時にトップの子も横の椅子へと座ってお弁当の包みを開けていた。取り合えずは話すよりも食べる準備の方が先だろうし、少し品はないけれど話しながらでも食べることは出来るのだから。
「美味しそうね。樹さんのお母様が作られたのかしら?」
包みを開け弁当の蓋を開ければ中身を見たのか、首をかしげながらそんな質問が飛んできた。
「ううん。今日は私が作ったんだ」
今日のお弁当は自作だった。朝の弱い母が楽が出来るようにと高等部に入学してから、当番制を導入して交互に家族のお弁当を作っているのだ。一人分を作るのも四人分作るのも手間はそう掛からないし。お弁当作りに台所を占領する羽目になるから、朝食づくりも一手に引き受けているのが我が家の実情だったりする。
「あら、ご自分で作られるの?」
「時々だけどね」
料理なんて覚えてしまえば簡単だし、よほど苦手な人でなければ不味いものはそうそう作れない。レパートリーが足りなければ料理本を参考にすればいいし、冷凍食品もある――この時代の物の味は余り保証は出来ないけれど――のだから。でもやっぱり一番嬉しいのは『美味しかった』という一言でそれに勝るものはなく、その言葉が欲しいが為に作っているのは私の我が儘だし。
「凄いのね、樹さんは」
「そんなことないよ。回数こなして慣れればどうってことないから」
とはいえ前のわたしは百円均一で売られている弁当箱を使い潰しては買いなおして、中身が詰められれば何でもいいし味なんて変わらないと信じていたのだけれども。母のチョイスは渋いというか、何故これを選んだのか。少し前に値段も張るし手入れもしなければならないので、どうしてこれを選んだのか聞いてみた所、母の答えは『美味しいものを食べて欲しいじゃない』とにっこりと微笑まれた。
母は味ももちろんのこと、ご飯の彩りやおかずの配置などに随分とこだわる人だけれど、私は適当派。だというのに外装である『曲げわっぱ』の弁当箱が五割増しくらいで美味しそうに見えるのだから、不思議なものである。
学園の図書室で借りた料理本の片隅に、曲げわっぱの魅力が書かれていて母の言葉に納得したのは記憶に新しい。親の優しさをありがたく思いながら、手を合わせる。
カトリック系の学校だから神に感謝を捧げる方が正しいのかもしれないけれど、日本人として生きた時間が長い私の習慣は中々抜けそうにないし、他の子も手を合わせているのだから気にする必要はない。むしろ手を合わせている子の方が多く、熱心な子が十字を切っているのを時折見るくらいだから学校側は強制する気はないのだろう。
そうして暫く他愛のない話を進め、お弁当箱の中身が尽きる頃だった。
「志摩子さんが樹さんを訪ねてきてたけれど、どうされたの?」
「ああ、うん。薔薇さま方からの伝言で、今日の放課後薔薇の館にくるようにって態々事前に連絡をよこしてくれたんだ。律義だよね」
そう。志摩子さんが昼休みに教室に訪れ、また放課後に迎えに来てくれるのは良いんだけれど、はっきりいって二度手間だろうに。先輩からの呼び出しならば、放課後無理矢理に拉致することもできたのだ。乱暴な物言いだけれど『上級生が呼んでるんだからツラを貸せ』と。
「ええっ! 本当にっ!?」
上品にお弁当を食べていたというのに、机から身を乗り出して私に体を近づけたトップの子の顔は驚きに満ちている。
「うん」
「樹さんは何故薔薇さま方に呼ばれたのかしら?」
「理由はよくわからないんだよね。昨日のことじゃないだろうし、本当に謎」
「昨日のこと?」
そう聞かれたので昨日の放課後、志摩子さんとぶつかり荷物を薔薇の館に運んだことを話す。志摩子さんの名前が出てからの、話の食いつきが三人とも見違えたように反応があるのが少し面白い。志摩子さんは美人だし、一緒に歩いているだけで注目を浴びるのだから、彼女たちが気になっても仕方ないのだろう。
「薔薇の館の中ってどんな感じでしたの?」
「古い木造建築だから、結構傷んでるところがあってちょっと怖いかも。――あ、でも階段を登り切った所にあるはめ込みのステンドグラスは奇麗だったよ」
少し怪訝な顔をした後、直ぐにぱっと明るい顔をして手を胸の前で合わせる三人のクラスメイト。今の言葉の中で何処に感動する要素があったのか、凡人の私には疑問である。そこから始まった薔薇の館についてや薔薇さま方やそのつぼみ、そしてつぼみの妹へと話は広がっていき。
私が『ロサなんとか』としか覚えていないことに衝撃を受けた彼女たちは、私がきちんと覚えるまで何度も正式名称を口にして叩き込んでくれ、そして『山百合会』に所属している人たちのフルネームもきちんと教え込んでくれた。
「薔薇の館にお邪魔するなら、お姉さま方のお名前くらい空で言えないといけませんもの」
私がようやく間違わずに名前と呼称を言えることに満足した三人は、にっこりと笑う。そうして次に話題となったのが薔薇の館の住人たちの人柄だった。どこがどうで、どう素晴らしいのかを淀みなくすらすらと言えてしまうほど饒舌になるのは、きっと彼女たちの憧れの対象なのだろう。なんの淀みもなく語る姿は前世の腐っていた話下手な友人――その手の話になると滑らかに語るのだ――と被ってしまうけれど、彼女たちに失礼かもしれない。まだまだ話は続き三年生たちの事を語り終えると、次は二年生である二人の話へ。そして黄薔薇のつぼみの妹と呼ばれる唯一の一年生の話へ。
三人それぞれに推しが違うようで、トップの子は白薔薇さま、他の二人それぞれ紅薔薇さま、黄薔薇さまのようだ。うっとりとした顔で薔薇さま方の素晴らしさを語る彼女たちは、まるで憧れのアイドルや芸能人について語る熱狂的なファンのごと。
インターネットやSNSが発展していないこの時代の娯楽は少ないから、学園という閉鎖された場所での共通の話題として大事なのだろう。そして山百合会の面々のスペックの高さがさらに拍車をかけて、テレビやラジオを通さずに直接目にすることができ、運が良ければ直接話すこともできる存在。それらと思春期特有の若さも重なり、こうしてリリアン女学園高等部独自のアイドルとして、生徒たちから羨望の眼差しを受けている。
「でも志摩子さんって、白薔薇さまと紅薔薇のつぼみどちらを選ぶのかしら?」
話の意味が分からず首をかしげる。そういえば志摩子さんは薔薇の館に出入りしているはずなのに、先ほどの会話の中には登場しなかった。恐らくそれにつながる話なのだろうけれど、置いてけぼりにされた私を他所に話が進んでいく。
「どちらを選んだとしても山百合会の一員になれるのだから、志摩子さんは贅沢者だわ」
「羨ましい限りですわね。お二方からアプローチを掛けられているんですもの」
ふうと溜息を彼女たちが吐き、一旦話が途切れた。恐らく姉妹制度のことだろう。話を聞いているうちに何となくではあるけれど話が見えてきた。
どうやら志摩子さんは白薔薇さまと紅薔薇のつぼみから目を掛けられているみたいだ。それならば彼女が山百合会のお手伝いとして薔薇の館に出入りするのは自然な流れなのだろう。でも選ぶ権利が志摩子さんにあるのかどうかは別の話のような気もする。それはお互いの意思によるものだろうし、断る権利もあるだろうし。上級生の方が選ぶ権利があるような気もするのだけれども。
「ええ、とても」
静かに同意の声をあげるトップの子。珍しく口を真一文字に結んで、先ほどまで薔薇さま方のことを熱く語っていたようには見えない。学園のアイドルから志摩子さんが選ばれるのが羨ましいのか、妬ましいのか。おそらく両方なのだろう。
「――どうして志摩子さんがあのお方たちの妹として候補にあがったのかしら?」
「確かにそうですわね。成績は優秀な方ですが、山百合会の方々とご縁があったようには思えませんし」
「桃組の友人に聞いてみても、理由は定かではないようですわ」
私は志摩子さんが山百合会のお手伝いをしていることを知ったのはつい先程。てっきり薔薇の館の住人だと思い込んでいたことは、目の前の三人には言えない雰囲気で何故だか重い空気が流れ始めている。
「それって重要なことなの?」
無知を理由に無謀にも話の中に加わってみた。
「ええ、とても大切な事ですわ」
「志摩子さんが山百合会のお手伝いとして呼ばれ始めたのが四月の終わり頃。だというのに今の今まで聖さまと祥子さまから差し伸べられた手を取っていないもの」
「全く。彼女はどういうつもりなのかしら?」
直接的な批判の言葉は出ないものの、目の前の少女たちは苛立ちを見せていた。
学園生憧れの先輩たちに目を掛けられているのが、羨ましくてたまらないのだろうか。姉妹の絆を結んでいないというのに、長期間生徒会を手伝っている志摩子さんへの不満がここにきて高くなっているようだった。
「嗚呼、嫌だわ。そろそろお昼休みの時間が終わってしまいますわね」
手首の内側に向けた腕時計の文字盤をのぞき込み、少し大げさにタイムリミットを告げるトップの子。どうやら機嫌は元に戻っているようで、笑みを携えている。
「樹さん、もしよろしければ山百合会でのお話を聞かせてもらっても良いかしら?」
先程まで少し不機嫌だった彼女の興味は、山百合会に招かれる私に移ったらしい。
「了解。機会があればまたその時にでも」
「ええ。楽しみにしているわ」
各々好きな場所で食事を済ませてきた生徒たちが随分と戻ってきており、大分騒がしくなり始めた教室内。席は借りているのだから、持ち主が戻ってくる前に元の場所へと戻して三人に手を軽く上げて自分の席へとつく。
予鈴前だというのに、ほとんどのクラスメイトが戻ってきているのはリリアン生の真面目さ故だろう。中学校時代は予鈴が鳴って慌てて教室に駆け入る生徒が多かったけれど。
クラスメイトの声をBGMに五限目の教科の準備をいそいそと始めて、六限目もつつがなく終わり。上級生からの呼び出しということで、柄にもなく緊張し始めているのだけれど、流石に『生意気な一年を〆よう』という発想はないと願いたい。
あり得るとすればリリアン生としての態度がなっていない、位だと思う。慎ましく学園生活を送ってきたつもりだったのだけれど、この学園特有のルールには疎い所があるから仕方ないか。怒られることを覚悟しながら、志摩子さんが我がクラスである藤組に来ることを待っていた。
昼休みの出来事で志摩子さんが藤組を訪れることは周知の事実だったから、取次は素早く行われた。志摩子さんが顔を覗かせればクラスメイトが気を使い、私に声を掛けてくれたので荷物を詰め込んだ通学鞄を下げて、昼と一緒の場所で待っていた志摩子さんの下へとスカートのプリーツを翻さない程度の速さで歩く。
「?」
刺さる何かを感じて振り返る。そこにはお昼ご飯を誘ってくれたトップの子。自分の席に座ったまま、こちらを見ているけれど他の子たちも見ているから気になるのだろう。特に変わった様子もないから、気のせいかと視線を戻して志摩子さんへの挨拶を済ませて、先輩方を待たせてはいけないだろうと足早に二人一緒に薔薇の館へ向かう。
「――……」
「どうかしたの?」
薔薇の館の入り口前。一旦足を止めて館を見上げる私に志摩子さんから声が掛かる。
「あーうん。まさか昨日の今日で呼び出し喰らうなんて考えてもいなかったから。なんでだろうなって」
肩をすくめて笑ってみせる。学校行事で姿を見せる山百合会のメンバーの姿を思い出す。お嬢様学校と呼ばれることだけあって通う生徒たちは皆品行方正で、高校生とは思えない落ち着きようだ。
廊下を走っている人は居ないし、大口を開けて爆笑する人も居なければ、髪を染めたり制服を改造したりする子も居ないのだから。その中でも特に目立つのが山百合会の面々だった。遠目から見ても目立つ容姿に生徒会役員という称号を持つ彼女たちは、明らかに別の世界の人間だと認識していたのだけれど。
志摩子さんから始まった昨日の切っ掛けから、何かが大きく変わり始める――なんてことは無いだろう。彼女らだって普通の女子高生なのだ。ただリリアンの生徒たちから特別視されているというだけで。
「大丈夫。樹さんと会って話がしてみたいって仰っていただけだから」
「それってリリアン生ぽくない私が珍しい的な意味合いが入ってない?」
珍獣的な。ポカをやらかしてクラスで生ぬるい視線を感じる時があるし。その時は同じ過ちを繰り返さぬようにと、学級委員が私に軌道修正を求めてくるけれど。
「薔薇さま方と話してみればわかるはずよ」
「腑に落ちない……」
面識なんてほとんどないし、あるとすれば私が一方的に知っているだけだ。そういって下あごを突き出す私は生粋のリリアン生ではないなと苦笑し、私の様子を見た志摩子さんも苦笑いをしていた。
「悪いことにはならないはずよ。――多分」
最後の言葉は小さく聞こえそうで聞こえない。
「待って、志摩子さん。今何か言わなかっ――」
「――行きましょうか」
私の言葉を最後まで聞かずに流してにっこりと笑顔を深めて薔薇の館の扉に手を掛けて、中へと入っていく。あれ、志摩子さんって結構お茶目な一面を持っているのだろうか。とはいえ不快感は全くなく、私の気を紛らわせるための冗談の一つだろう。
軋みの酷い階段をまた昇りながら、後ろ手で頭を掻く。学校運営は教師陣やシスターたちの仕事だけれど、生徒会としてそれなりに忙しい彼女たちが無名の、しかも編入生の私を呼んだことに違和感を覚えずにはいられない。ただ頭の中で考えるだけじゃ解決なんてしないだろうし、やはり直接会って聞いてみるのが一番簡単だろうと意を決して。
『会議室』と書かれた扉の前へと辿り着いたのだった。
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謝罪。前話の後書きは大嘘でした。展開と辻褄を考えながら詰め込んでたら文字数ががが。ラストだけはきっちり決めて、後は詰めたいことを詰め込んでいくスタイルなのでこうなりやすいんですよね。きっちりプロット作ることが出来ない弊害。
内情を知らない外野の人たちは好き勝手にこんな感じに思っていそうな? というのに力を入れ過ぎた回になりました。本当はもっとあっさり流すはずだったんです。
あと日間ランキング入りを果たしていたようで、皆様からの評価・お気に入り登録と誤字報告等ありがとうございます。嬉しい限りです。