――放課後、薔薇の館にて。
これから体育祭に学園祭にと忙しく動き回らなければならなくなる二学期当初、山百合会幹部である水野蓉子は頭を抱えていた。
原因は人手不足という単純なもので、解決を早々に望むのならば白薔薇さまである佐藤聖と自身の妹である小笠原祥子に妹が出来れば良いだけの話であるが、そんな夢は見ていない。
聖が一年生である藤堂志摩子を気にかけている様子を見せ良い雰囲気ではあるけれど、過去の出来事により彼女が及び腰になっているのは理解しているし、無理もさせられない。かといって祥子が妹を作るとなると、そうとうに胆力のある下級生を選ばなければ、姉妹関係は上手く続かないだろう。聖も祥子も学園内で憧れの対象となっているが、当の本人たちは気難しい部分を持っているのだから。
そしてもう一つ、黄薔薇ファミリーの一人である島津由乃も体が弱く、あまり無理をさせる訳にはいかない。こればかりはどうしようもないし、彼女を責めてしまうのは筋違いで、由乃を妹として選んだ支倉令にも責任はない。令の姉である江利子にはその分頑張って欲しいものだが、本人はどこ吹く風である。まったく大変な世代の薔薇さま役を背負ってしまったものだと、自然と苦笑が漏れてしまう蓉子だが、不満を口にせず悪くはないと考えられるのは彼女自身の性格なのだろう。
「蓉子……いえ、紅薔薇さま」
珍しく蓉子と江利子しかいない薔薇の館の二階の部屋の一角で、ゆっくりとした時間が流れていたというのに唐突に言葉を発した彼女が蓉子へと問いかけた。
「どうかして黄薔薇さま」
いつもつまらなそうな顔をした黄薔薇さまこと鳥居江利子が、珍しく蓉子のことを役職で呼びにたりと笑う。その様子に一瞬不安を感じる蓉子であったが、とりあえず彼女の話を聞かなければ始まらないと姿勢を正したのだった。
「面白そうな一年生を見つけたのだけれど、お手伝いとして引っ張ってきても構わないかしら?」
まるで蓉子の考えていたことを見透かしていたような発言に驚きを隠せないが、江利子は恐らくなにも考えてはいないのだろうと見切りを付ける。ただ単純に自分の興味を引いた一年生を手元に置いて観察したいという、身勝手なものではあるが棚から牡丹餅、渡りに船、言葉はなんでも構わない、お手伝いの子を見つけたというのならば忙しくなっていくであろうこの時期に有難い話ではある。
「それは……いいけれど、役に立たなければ直ぐに切るわよ」
自分たちから手伝いとして引っ張りこんでおいて非情な言い方ではあるが、過去に手伝いとして招いた一年生に仕事を任せてみたものの、緊張からなのかあまり上手く回らず手伝いにきた本人も落ち込んでしまうことがあった。
それを見て祥子が正論を一年生に伝えてしまったことも、彼女が落ち込んだ理由に輪を掛けてしまったのだから目も当てられない事態となってしまったのである。手伝いに招いた一年生に仕事の速さや器用さを求めてはいないが、山百合会という憧れの対象に緊張してしまい本人が持ち得る能力を発揮できないという事態が何度かあったのだ。役に立たなければ直ぐに切る、という蓉子の非情な言葉はある意味で救済処置でもあった。何度か手伝って貰い山百合会に馴染まないのならば『お役御免』とやんわりと告げて、幸せな記憶だけを残した方が下級生の為でもある。
「ええ、それでいいわ」
笑みを深める江利子に溜息を吐く蓉子。後に『志摩子には"暇だ"と言って、私には"用がある"って逃げたんだもの。捕まえたくなるのは当然じゃない』と言い放った江利子に蓉子は呆れたものの、彼女の勘を侮るものではないと唸ってしまったのは、後から知ることとなるあの一年生の所為だったのだろう。
◇
山百合会の手伝いとして一年生を引き込むと、紅薔薇さまである蓉子が薔薇の館の住人たちに伝えた次の日。件の一年生が志摩子に連れられて薔薇の館へとやって来たのだった。黒縁の眼鏡に少し長い黒髪を小さく揺らしながら『失礼します』と堂に入った声を発した少女は、薔薇さまである二人から目をそらすこともなく正面からとらえ。
――へえ。
にたりと心の中でほくそ笑む鳥居江利子は、目の前の一年生に期待と歓喜の眼差しを向ける。判断を下すにはまだ早いが、薔薇さまである自分たちへ今まであまり感じたことのない視線を向けているのだから。山百合会に憧れを持っているリリアン女学園に通う生徒たちとは違う、目の前の彼女が抱える異質なモノに、己が持つセンサーが頭の中に鳴り響き直ぐに喋り掛けたくなる感情をぐっと堪えて平静を保つ。
「志摩子、ご苦労様。悪いわね、私たちの我が儘に付き合わせて」
ねぎらいの言葉を掛ける蓉子に江利子はいつものことであると思考を切り替えて、孫にあたる由乃へと視線を向けると一つ頷いて立ち上がった。黙ったままでの意思疎通ができるのは、由乃ゆえである。
妹である令が他の下級生を妹として迎えていたならば、こうはならなかったかもしれないし、今以上のものが得られていたのかもしれないと一瞬他所事を考えてしまうが、今は目の前の彼女のことである。志摩子から昨日のあらましを根掘り葉掘り聞き出して彼女の情報を出来る限り手に入れてはいたものの、学年と名前くらいしか分からず。人付き合いをあまり得意としない志摩子を責めてもしかたないし、これから知ればいいことなのだと割り切る江利子は薔薇さまとしての笑顔を張り付ける。
「ごきげんよう、樹さん。昨日は私たちの仕事を手伝っていただいて感謝しているわ」
本心を隠して薔薇さまとしての言葉を紡ぐと、目の前の一年生が小さく分からないように呼気を吐き、少し猫背気味だった背をきっちりと伸ばして口を開くのだった。
「余所見をして志摩子さんとぶつかって迷惑を掛けたのは私の方ですから、気になさらないでください」
随分と淡白な物言いをする子だと目を細める江利子は昨日よりも更に彼女に惹かれていた。もちろん恋愛感情や先輩後輩として下級生を導くというような尊い感情ではなく、自分のつまらない日常を変えてくれる人物になり得るという期待の心であるのだが。純粋培養であるリリアンの生徒であるならば、はにかみながら照れくさそうにもう少し気を使った言い回しをするだろうが、随分とこの一年生はストレートな言である。どうやら志摩子とぶつかったことに対して悪いと思っているのだろうが、ここに呼ばれた理由にはあまり納得していない様子。
彼女の口ぶりに祥子が少し反応を示しているが、話の主導権は薔薇さまである自分たちが握るからと彼女がこの場に来る前に牽制を掛けたのだから、一年生が酷い態度にならなければ割り込んでは来ないだろうと江利子は考える。
空いている椅子へ蓉子が一年生を招き着席を促すが、一人重要な人物が足りていなかった。白薔薇さまである聖がまだこの場へ訪れていなかった。新たなお手伝いを招き入れるから、その前の事前報告の為に全員集まるようにと蓉子が彼女にきっちりと昨日伝えていたのを江利子は側で見ていたのだが。どうやら聖の悪癖が発動されたようだった。以前から時間にルーズな部分が彼女にあるのは知ってはいたが、己の楽しみにしている時間を奪われてしまうのは不本意な江利子は少しばかりの苛立ちを覚え。
「悪い、遅れた」
ようやく登場した腐れ縁の悪友は悪びれる様子もなく、一年生が軽く頭を下げたというのに一瞥しただけで何の反応も示さぬまま指定席へと着く。もう少し協調性や愛想よく出来ないものだろうかとふと江利子は頭の片隅で考えるが、自分もそれらについては聖とあまり変わったものではないなと心の中で笑うのだった。
「回りくどいのも面倒だから単刀直入に言いましょうか。――山百合会を手伝って貰えないかしら、鵜久森樹さん」
考えごとをしているうちに蓉子が話を進めていたのだった。
「……はあ」
リリアンの生徒ならばすぐさま顔を綻ばせ『よろこんで』や『私なんかでお役に立てるのでしょうか』と言うのだが。目の前に座す一年生、鵜久森樹という少女は黒縁の眼鏡の奥にある瞳を一瞬だけ細めて、なんともいえない声を上げた。
「あら、気のない返事」
「ご気分を害されたなら申し訳ありません。ただ単純に何故私なのかという疑問と、面識のない一生徒よりも仲の良い方やクラスメイトに助っ人に入ってもらう方が気が楽で手っ取り早くありませんか?」
嗚呼、やはり彼女はリリアン生らしくないと江利子はほくそ笑む。普通のリリアン生ならば先程の己の言葉を受けて気分を害したと委縮してしまうのだが、目の前の彼女は随分と肝が据わっている。
「それでもいいのだけれど、丁度暇そうな一年生が昨日みつかったものだから」
蓉子に全てを任せて己は横で傍観し彼女の観察に勤しむ腹積もりだったのだが、つい江利子は口に出てしまうが直ぐに思考を切り替えて蓉子の方へと視線を向ける。
「あと単純に、もうすぐ体育祭で人手が足りていないの。部活動をしている子たちは出し物の準備もあるし、手の空いている人って限られてくるでしょう?」
江利子の意図をくみ取った蓉子がフォローに入ると、一年生は考えるようなしぐさを一瞬だけ見せて更に反論するものだから、江利子の興味を引いてしまうのは当たり前である。随分と上級生に対して失礼な物言いではあるが、不快感は不思議と湧くことはなかった。幾度か交わしたやり取りの後、蓉子の『どうしても駄目かしら?』という言葉で流れが少し変わる。
どうやら自分の一存では決められないらしく、彼女の両親の許可が必要だと言うのだ。確かに彼女が『了』とこの場で快く返事をしたとしても、この話を聞いた保護者が『否』と言ってしまえばこの話はなかったことになるし、一年生の保護者が厳格な人物であれば勝手に生徒会へと引き込んだことを学園側へ苦情が行く可能性だってある。
――助けられた、か。
確証のない今現在の時点では可能性の話でしかないが。いままでの手伝いの子たちが余りにも素直だったばかりに失念していた江利子は、目の前の一年生に期待の眼差しを向ける。ありきたりで変わらない日々を、もしかすれば彼女が楽しいものに変えてくれるのではないか、という期待を。そして彼女が江利子のその期待を裏切らないことを、そう遠くない日に江利子は知るのだった。
◇
――悪くはない。
確かに自身の言葉としては珍しく素直に人を褒めたかもしれないと、佐藤聖はひとつ溜息を零したのだった。何故そんなことを言ったのか理由は定かではない。ただ一つだけ確かなことは、下級生たちが薔薇の館の住人である聖たちに向ける憧れの視線、それを一切彼女から感じなかった。ただそれだけではあったが、随分と気持ちが楽だったのだ。
聖が山百合会で白薔薇さまを担うのは、ただ単に自身の姉から引き継いだだけのもので薔薇さまとしての自覚などほとんどなく、降りろと言われれば簡単に捨てられるものである。執着など全くないし学園の生徒から憧れの眼差しで見られるのは、少々気が重い。ただこの場所は聖が潰れそうになったあの時、手を差し伸べてくれた人が拠り所として残してくれた場でもある。自身の両隣に立つ二人はかけがえのない友なのだと、今ならばそう思える。時折、鬱陶しくもあるが。
そうして今現在、中等部から交友を持つ蓉子が聖に対して気の立つ言葉を発し、言い争いになるのはここ最近での常である。四月から山百合会の手伝いとして薔薇の館に赴いている志摩子の立つ足場は脆く、彼女の処遇をどうするのかと口を開けばそう聞いてくるのだ。
志摩子を薔薇の館へと招いたのは自身ではなく蓉子だろうと、心の中で毒づく聖は迷う。山百合会のことを考えるのならば志摩子を妹に迎えるべきなのだろう。ただ彼女を妹にして聖に一体何ができるというのだ。自分と似ているあの子にロザリオという重りを与えているようにしか思えないが、聖自身も迷っているのだ。どこか希薄な志摩子に自分と同じように彼女にも居場所を与えることが出来るのではないか、と。答えを先延ばしにしているだけだと理解している、けれど今はまだ。
蓉子の言葉に答えることもなく、薔薇の館二階のあまり新しくない扉を思いっきり開いて、そこから聖は飛び出した。
「っ!」
「うわ」
走ってはいなかったが随分と歩く速度が出ていた為に、どんっと勢いよく肩をぶつけた痛みに立ち止まると、先日から山百合会を手伝う事となった件の一年生がぽかんとした顔で下を向いていた顔を聖へと向けたのだった。黒縁の眼鏡の奥にある瞳に浮かべる感情が読み取れず、聖は口を真一文字に結んでその場を去り、ひとしきり走ったところで立ち止まりふと考える。今頃ぶつかってしまった彼女は蓉子にでも泣きついているだろうか。黙って去っていった白薔薇さまの機嫌をそこねてしまったと。――いや、ぶつかってしまった彼女はおそらくそんなタマではないと、聖は幾度か頭を振る。
あの江利子が興味を引いた子なのだから、この学園での普通ではないだろう。ならば今頃はぶつかって散らばってしまった紙束を拾いも謝罪もせず去っていったことに対して文句でも言っているかもしれないと、聖は少し気が楽になる。自身は学園の生徒らに憧れを抱かれるような人間ではないし、その期待に応える気もないのだ。それでも上辺だけ取り繕うことを覚え、どうにかこうにか薔薇さまとしてやってはいるが。
――謝らないといけないか。
今思えば流石に出会い頭でぶつかって何も言わずに去っていったのは不味かっただろうと、聖は思いなおす。今日は手伝いがないから薔薇の館へ訪れるはずのない彼女が居たのかは謎であるが。
翌日の昼休み、缶コーヒーを自動販売機で買った聖は学園内をうろうろと彷徨いようやく彼女を見つけ立ち止まる。人気のない中庭のベンチに座り食事を終えて、眠そうな顔で聖が助けた猫を見つめ大あくびをしていた。そんな間抜けな彼女の姿に気が抜けて足を踏み出して声を掛けてると、ぎょっとした顔で口元を塞ぎみっともない所を見せたと謝るが、謝罪すべきは己なのだけれどもと聖は彼女に聞こえないように独り言ちる。
さて、どう言葉を掛けたものかと迷っていた聖に彼女から声が掛った。どうやら聖が彼女の下へと現れたのは山百合会の仕事関係だと踏んだらしい。謝罪しようとようやく探し出したというのに、昨日のことをこれっぽっちも覚えていないようで気が抜ける聖。取り合えず持っていた缶コーヒーの一本を彼女へと渡して事情を説明する羽目になったのはご愛敬なのだろう。
彼女は昨日聖とぶつかったことを忘れ去っており、江利子に仕事を押し付けられたことのほうが印象に残ったようだ。嗚呼、これは江利子の興味を完全に引いたなと目の前の彼女に憐みの視線を向けてしまう。あの悪友のしつこさは並ではないので、そうそうに逃れることなど出来ないだろう。ご愁傷さまと、小さな声でつぶやくと聞こえなかったのか彼女は不思議そうな顔をする。
江利子に捕まったことはひとまず置いておき、昨日のことを謝罪すれば『賄賂は貰った』とカラカラと笑う彼女に安堵が漏れて。飲み終わった空き缶を鉄籠のごみ入れに放り入れると、彼女も聖に倣って空き缶を放れば見事に外れて聖から自然と笑みが零れ落ちる。時間も時間なので彼女と一緒に校舎へ戻る為に中庭を歩き、昇降口でまた放課後と言って別れた。
「ごきげんよう、白薔薇さま」
見ず知らずの生徒にそう声を掛けられて聖も『ごきげんよう』と返す。それは必要であったが為の自然に染みついてしまった無意識の行為であったが、ふと思い返す。
そういえばあの子はまだ一度も聖のことを『白薔薇さま』と呼んだことはないな、と。何故そう呼ばないのか理由は知らないがそれはそれで気が楽であるし、もしそう呼ばれる日がくるのならばきっと何か意味があるのだろう。そして願わくばそんな日がこないようにと聖は校舎の窓から見える空を見上げ、邪魔になる前髪を片手でかき上げるのだった。
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【謝罪】薔薇さま三人のイメージが崩れていたら申し訳なくorz そして三人称難しい。あと前話で愚痴を吐いて申し訳ありませんでした。沢山の感想や評価ありがとうございます。モチベーションは持ち直しております。
次の更新は日曜日(11/1)予定です。三日に一度ペースを取り戻したいのですが、仕事が忙しくて、仕事中に頭の中で話を組み立てられない……。はよ暇になって。