――不思議な人。
新たなお手伝いの一年生を一言で表すのならば、この言葉が適当だろうと志摩子は頭の片隅で考える。今の今まで彼女の存在を知らなかったことも不思議ではあるが。外部からの編入生ということで物珍しさからくる周囲の視線を受けていただろうに、どうやら彼女は直ぐにリリアンの日常に埋没したようだ。志摩子も中等部からの編入故にある程度、興味本位の視線を受けていたことがあるのだが、こればかりはそれぞれの性格が自ずとでてしまったのだろう。
件の一年生は、お嬢さま校に通う生徒らしくない突飛な行動に呆れられつつも、藤組のクラスメイトに受け入れられ直ぐに溶け込み、一方の志摩子は見目の良さと近づき難い雰囲気からクラスへ馴染むまでに時間が掛かってしまった。そんなどこか壁を作っている志摩子に彼女は簡単に足を踏み入れた。不用意に土足で入り込んだという訳でもなく、自然に滑らかに気が付くと深いところにまで入り込んでいたようだ。
志摩子と彼女、どちらが聖の妹となるのか周囲から騒がれていたが、気が付いていないのか、はたまた知っていてもどこ吹く風で志摩子と接してくれたのか。
初めこそ偶然ではあったが一緒に昼ごはんを食べたり、余った時間に彼女の愚痴を聞いたりと。まさか自分がリリアンのしきたりやルールについて、誰かに教えることになるなど想像もできなかったし、彼女と笑いあえるなどとも思っていなかったというのに。
右腕に巻き付いたロザリオを見る。
少し前に聖と交わした姉妹の絆。期限付きだけど私の妹になりなさい、と強い言葉で迫られたが不快感など全くなく聖らしいと思えるくらいには一緒の時間を二人は過ごしている。互いのことを語り合うことや、リリアンの生徒にとって一般的な姉妹の形をしていなくとも互いに認め合い側に居られた。四月からずいぶんと長く時間が掛かってしまったようにも思えるが、きっとこのタイミングが二人にとってのベストだったのだろう。
聖と志摩子は三年生と一年生という間柄で、一部の生徒たちから良く思われていない。二年生をすっ飛ばして絆を結んだことに反感を買っているのは理解していたし、聖という姉は学園内ではかなりの人気を誇る生徒であるが為に、志摩子にやっかみが降りかかることもあったが、姉妹になったお陰でソレは翳りを見せている。
そして志摩子が気になることは、件の同級生がどうなるかであった。体育祭で人手が足りていないが為に駆り出された同級生は、聖と志摩子が姉妹となると『おめでとう』とへらりと笑い祝福してくれた。今後は祥子の妹候補として周囲から見られてしまうのだろう。祥子の姉である蓉子も彼女のことを気に入っているようだし、妹が出来ない祥子に以前から発破をかけていたのだから当然である。ただ件の彼女はそんなことなどまったく気にもしないで薔薇の館へと出入りしている。
誰かの妹になるなど露程も考えていない様子で、仕事をソツなくこなして与えられたものが終われば更に手伝えることがないかと薔薇さま方へと進言してなければ『それじゃあ私は帰ります』と言い放ちそそくさと帰路につく。随分と素っ気ない態度でそんなことが山百合会の外に漏れれば彼女はどうなるのか、志摩子はあまり考えたくないことを予想してしまう。一部に山百合会を神聖視している過激な生徒もいるのだ。聖と長い期間、姉妹の絆を結ばなかったために、そういう人たちに絡まれたことがある。やんわりと遠回しにであったが、数人の上級生に囲まれてしまえば、上品なお嬢様たちとはいえど威圧感は十分にある。
――その後は私もお役御免だねえ。
どうやら彼女はキチンと考えを持って行動をしているようだった。体育祭が終わり、二学期最大行事の学園祭が終われば、山百合会の手伝いとして薔薇の館に出入りすることもなくなるだろうと踏んでいるようだが。
ただ紅薔薇さまと黄薔薇さま、そしてあまり誰かに近寄ろうとしない自身の姉の白薔薇さまさえ、彼女を気にかけている。仕事を無難にこなしていることも一因としてあるのだろうが、とにもかくも周囲に溶け込むことが早いのだ彼女は。部活動や委員会へと書類の提出や回収に回ることが多くあるのだが、いつの間にか各部長や委員長たちとの繋がりも出来ているようだし、教師やシスター陣からの評判も良い。
さらに拍車をかけたのがつい先日に起こった彼女が帰宅途中で人助けをしたという吉報。
紅薔薇のつぼみの妹として彼女は相応しいのかという身勝手な憶測は立ち消え、彼女こそ相応しいとこれもまた身勝手な言を囁く人たちが増えていき。祥子がフラれた噂と聖と志摩子が姉妹の絆を結んだという、リリアン生ならば一大事件が彼女の行動によって少しだけ鎮静化されたのは、一体誰の手引きだったのか。興味本位の視線に辟易して、後ろ手で頭を掻きながらゲンナリとしている彼女の為を思うのならば、薔薇の館から彼女が身を引くのも一つの手なのだろう。
「あ……」
そう考えた瞬間に何かよくわからない感情が志摩子の中に流れた。そもそも彼女を引き留めているのは自分たち山百合会の人間――特に薔薇さま方である。祥子の妹となる可能性も捨てきれないので、まだ早計なのかもしれないが、彼女にその意思は皆無であるし祥子にもその意思はなさそうだと志摩子は考えている。
やはり彼女の言う通り学園祭が終われば役目を終えて離れてしまうのだろうか。いや、同学年なのだし進級すれば同じクラスになる可能性だってありえるのだが。薔薇の館での一室に穏やかに流れる時間を愛おしく感じている志摩子は、彼女が去ることによってもたらす一抹の寂しさを感じつつ、自分にはどうしようもないことだと教室の自席で静かに目を閉じるのだった。
◇
初めて彼女を見た時は何処にでもいるような子だと、由乃は薔薇の館の一室で静かに観察していた。
新たにお手伝いの子を一人招き入れると、上級生である薔薇さま方から告げられた朝。そうして授業も進み、昼休みも終えて午後の授業も問題なく終え。志摩子が迎えにあがり薔薇の館へと彼女を部屋へと招き入れ、席へと導き静かに椅子へと座る。
――あら。
何か今までと違うものを由乃は彼女に感じ取るが、江利子の視線を受けこくりと一つ頷いた。自身は一年生なのだから雑用は当然であるのだが、令の姉である江利子に顎で使われるのは、正直癪である。いろいろと思うことはあれど今この場で、その感情を押し出す訳にもいかないし、取り合えずは自分に与えられた仕事を成すことだと割り切って、流し台へと立つと同じ一年生である志摩子も並んで慣れた手つきで、全員分の紅茶を用意したのだった。
黄薔薇のつぼみの妹なれど、発言権など持ち合わせていない由乃は黙ってみているしかない。ただ面白いことは今までのお手伝いの生徒とは違い、あの薔薇さま方に臆することなく喰いつこうとする彼女の胆力だろうか。薔薇さまが『貴女にお手伝いをお願いしたいの』なんて言えば、断る生徒などいなかったし、顔を赤らめながら『嬉しいです、一生懸命頑張ります』と健気に答える子たちが殆どで。だけれど今回の一年生は随分と確りとした性格をしているようで、保護者の確認が必要との事で一旦保留となった。彼女が部屋を去った後であり得ない態度を取った一年生に祥子が苦言を呈していたが、姉である蓉子に丸め込まれていたのは日常風景であろう。
そんな二人を見ながら由乃の祖母となる江利子がほくそ笑んでいるのが気に喰わないが、自分も何故だか彼女が今考えているであろうことに同意はしているのだ。もし今回の一年生が山百合会の手伝いをすることになるのならば、楽しいことになりそうだと心のどこかで期待をしている自分がいるのだから。
そして彼女は由乃の期待を裏切ることはなかった。
教科書を忘れてわざわざ由乃のクラスである松組まで訪れてきたし、由乃の下を訪れる前に志摩子を頼ったようで。授業が終わったその後で彼女は直ぐに教科書を返してくれたのだが、苦笑いをしながらいろいろと外の学校のことを教えてくれることに感謝し。江利子の悪戯に正攻法で仕返しをしたと体調が悪くベッドに寝ていた由乃に学校で起きたことを語る令から聞いた時、その場に居なかったことをどんなに悔やんだか。
挙句の果てには由乃の家に遊びに行く約束を自然と取り付けてくれたり、倒れた人を助けたというのに生徒指導室に呼ばれたり、知らない上級生から『妹になりなさい』と声を掛けられたりと彼女の日常は随分と忙しく日々が進んで。
夏の暑さも随分と薄れ銀杏の木も随分と色好き始め、学園祭が近くなってきたある日。
――私は必要ないでしょ。
薔薇の館の倉庫、祥子と祥子の妹候補として唐突に表れた福沢祐巳以外のいつものメンバーが居る側で、その一言を聞いた由乃は随分とショックを受けていた。ただなんとなく心配になり聞いただけの言葉が胸に刺さる。令や江利子の言う通り由乃に随分とお手伝いの一年生は構っていたし、なにより素の自分を出せていた。
いつも自分を偽ってクラスの子や同級生、上級生と接していたハズなのに不思議と彼女の前では考えていることをストレートに口にして、そして彼女も平然と受け止めてくれて。そんな彼女が薔薇の館から居なくなると考えると、寂しいという気持ちが由乃の心から溢れ出てくるが、学園祭までにはまだ時間があるのだと言い聞かせ、とりあえずその場は誤魔化しておいたのだった。
学園祭が終わった直ぐ後に、祥子さまの妹の座に祐巳さんが収まったことをみんなで祝福したのだが、素直に喜べない自分がいることに驚きを隠せない由乃。その出来事はお手伝いの一年生が薔薇の館に出入りする理由が完全になくなってしまうことを意味していた。
空白だった役員という席が埋まったというのに薔薇の館に部外者が出入りする訳にもいかないし、そのまま何の意味もなく彼女が出入りを続けていれば周囲が良く思わない。それが分かっていても現実を突きつけられると泣きたくなるほどに辛いものなのだと、由乃は知ることとなる。
「樹さん、薔薇さま方が仕事があるからお手伝いに来て欲しいって言っているのだけれど」
大丈夫かしら、という意味の視線を由乃が彼女に向けると、後ろ手で頭を掻いて少し困ったような顔をした。
「あ、ごめん。用事があってこの後直ぐに家に帰らなきゃならなくて。今日のところはゴメン」
苦笑いをしながら片手を真っ直ぐに立てて顔の真ん中で止め、小さく頭を下げる同級生に由乃は不満を感じるが、用事というのならば無理には誘えない。本当ならば彼女の腕を取って無理矢理にでも引き連れていくのだが、由乃が体調を崩したときに彼女が代わりに山百合会の仕事をこなすこともあったのだから、余計に口には出せないでいた。
「……そうなの。――仕方ない、わよね」
「次があれば手伝うから。それじゃあ」
苦笑いをしながら藤組の教室へと戻る彼女の背を見つめていると、ふと違和感を感じた由乃は周囲を見渡した。
――何、この感じ。
自身に刺さったものではないが、なにか強いものを感じて目を細める由乃が見たもの。それは先ほど由乃の願いを断った彼女に一切強く向けられた、誰かの視線であった。
◇
初めてのことで慣れない祐巳を笑いながら慣れるから大丈夫だと、仕事のコツを教えてくれたのは鵜久森樹という編入生だった。リリアン女学園というお嬢さまが通う学園に随分と毛色の違うその人物は、周囲の目も気にした様子もなく薔薇の館へと出入りをし、祐巳と祥子の仲を応援してくれているようにも感じていた。
周囲の圧に耐えきれず逃げた先に彼女がひょっこり現れて、面白可笑しく関係のない話を語ってくれたり、新聞部からの追求を逃してくれたり。もちろん彼女以外にも志摩子や蔦子、そして由乃までもが手を差し伸べてくれたことにはとても感謝している。
だというのに生徒会役員の席は全て埋まってしまったからといって『はい、さよなら』ではあんまりではないかと思えてしまうのだ。もちろん薔薇さま方である三年生もそんなことは欠片も考えてはいない。ただ、山百合会以外の周囲の眼が厳しい。
ただの生徒会だというのに山百合会は学園内で神格化され、薔薇の館は近づき難い場所と認識されているのだ。今の今まで一般生徒であった祐巳も祥子との縁がなければ一歩も踏み入れなかった場所であろう。お手伝いをお願いと紅薔薇さまである蓉子から告げられて、仕事があるからと言われて参加するために訪れた初日は緊張して夜もあまり眠れなかった。
――祐巳さん、手伝うよ。
どうすればいいのか分からず困り果て右往左往していた祐巳に一番最初に手を差し伸べたのが、噂の一年生だった。
体育祭前、山百合会が新たな人をお手伝いに招いたと、周囲が少し騒がしく彼女のことを噂をしていたし、白薔薇さまの妹候補として名前が挙がったこともある。そしてのちに祥子とも妹候補として名前が挙がり、一時期、祐巳の目の前で笑っている人物に嫉妬したりもした。ただその張本人は祥子の妹になるつもりはないし、祥子も自身を見ていないと言い切った。どうしてそんなことが言えてしまうのか不思議でたまらなかったが、彼女を見ていると『姉』なんて存在を必要ともしていない人なのだろうと祐巳は感じる。
「祐巳さん、志摩子さん。――少しお話があるのだけれどいいかしら?」
「どうしたの、由乃さん」
「?」
放課後、一年生しかいない薔薇の館の一室で由乃が祐巳と志摩子へと声を掛けた。一階の倉庫から道具を持ち出して三人で上級生がくるまえに簡単に掃除を済ませてしまおうと、会議室へと戻った矢先のことである。
「学園祭のあとから何度か樹さんをお手伝いに引っ張り出そうとしたでしょう」
「うん。でも最近は数回に一回、断るんだよね……樹さん」
「学園祭までは一度も断ったことがないものね……」
どうやら祐巳以外の二人も件の同級生の行動には違和感を抱えているようで、困ったような顔をしている。ただどうすればいいのか分からず、動こうにも身動きが取れないという状況であった。山百合会の手伝いとして彼女と会わなくなっても、同級生なのだからどこかで会う機会はあるだろう。しかしその回数は確実に減ってしまう。
由乃は目に見えて落ち込んでいるし、どこか他人を寄せ付けない志摩子も彼女のことは気にしているようだった。彼女たちよりも付き合いの短い祐巳でさえ、どこか寂しさを覚えている。もし仮に無理矢理に彼女を連れだせば、彼女自身はやれやれと言いながら着いてきてくれるだろう。ただ周囲は席は埋まったはずの山百合会に部外者が出入りをすれば、あまり良く思わなく、自分たちではなく彼女へと矛先が向かってしまう。それを理解しているからこそ、三人は押し黙ってしまう。ただ今は何も起きてもいないしただの妄想に過ぎないし、リリアン生らしくない彼女ならばどんな苦境でも乗り越えてしまいそうな強さを持っていると、妙な確信もある。
このまま離れてしまうのか、それとも何かしら行動を起こして彼女を山百合会に引き留めるのか。自分たちだけではどうしようもないが、困れば頼りになる姉たちが居る。どうしようもなくなれば彼女たちを頼ろうと三人で決め。
そうしてそう遠くない未来に一騒動があるのは必然だったのかもしれない。
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ちょっと短いですが昨日も投げたので許しておくんなまし。
志摩子さん、オリ主と少しでもやり取りをするつもりで書いていたのに全く接触しないまま独白だけで終わっちまった……。彼女らしいっちゃらしいんだけれど。由乃さんもまだ無理は出来ないので、手足に枷をつけているのでなかなか身動きが取れない状態。あんなにアクティブなのにw 教室前で山百合会関係者とこんなやり取りをすりゃあ聞き耳立てている連中の一部は腹立てるよねーって。やっぱ動くとしたら祐巳ちゃんなんだけれど、どうしたものか……(ノープラン!)