一部の人たちの空気が沈んだまま迎えた放課後。祐巳さんに令さま探しを手伝うと言った手前と仕事はあまりないが、山百合会に一応顔を出しておくかと一路薔薇の館を目指す。私に青薔薇の役職を付与されたことで、痛い視線は刺さらなくはなったけれども、何か意味合いの違う視線が刺さるようになっている。この視線どうにかならないかと考えながら、結局どうにもならないし時間が解決してくれるだろうと現実逃避しておく。
「ごきげんよう。――あれ、今日は蓉子さまと聖さまだけなんですか?」
「いえ、そのうち誰か来るでしょうけれど、どうかして?」
いつもの二階の部屋へと足を踏み入れると蓉子さまと聖さまの二人だけ。
「ああ――いえ、大した理由はないんですが、江利子さまは?」
「江利子ならアンニュイに磨きがかかってて、ここ何日かぼーっとしてるんだよね」
「んーマジですか」
令さまを取っ捕まえて、江利子さまがケツを引っ叩くかなと予想をしていたのだけれど、意外にもこの状況を放置するようで。一番楽しんでいそうな江利子さまが機能していないとなると、令さまちょっと不味いような気がする。前述したとおりケツを引っ叩く人が居ないという意味合いで。
「どうしたのかは分からないけれど、江利子は時々そうなることがあるから放っておけば元に戻るから心配はいらないわ」
割と酷い言い方ではあるけれど、信頼の上で蓉子さまが口にしているのは理解できる。本気で駄目ならお節介スキルがパッシブで発動する蓉子さまが放っておかないし、その辺りは心配していない。
「そういう事なら放っておくとして」
「また樹ちゃんは江利子が聞けば喜びそうなことを不用意に……」
片手に顎を乗せてにししと笑う聖さまが、あまり嬉しくないことを言い放つ。江利子さまに知られなければノーカウントだし、聞かれたところで玩具にされている状況は変わらないのだから今更である。――いろいろと諦めてしまったという側面もあるが。
「令さまは?」
「どうやら令も江利子と同じように駄目みたいで学園内をウロウロしているようね。もう噂になっていて私たちの耳にも届いているんだもの」
三年生にまで噂は広まっているようで、当然薔薇さまである二人には真っ先に話が伝わったのだろう。苦労が絶えないなと苦笑をしつつ。
「この状況、どうするつもりで?」
「そうね、江利子が助けを求めてくれば手を貸すけれど、基本的に他家の薔薇への干渉はしないわ」
「なるほど、了解です」
「――私を無視しないで欲しいなあっ!」
気配を消していた聖さまが唐突に後ろから私の後ろで言い、片手をおもいっきり私の肩へと乗せて体重を掛ける。倒れたりしないくらいではあるが、身長差もあるので逃れられないしなにより。
「……重い」
あと胸が当たってる。寧ろ最近はこの人当てているのではと勘ぐっているのだけれども。
「失礼だなあ……いいじゃない少しくらい。それで、樹ちゃんはどうするの?」
肩に乗せた手を私の耳に開いているピアスホールへと伸ばして親指と人差し指でぐりぐりと感触を味わっているようだけれど、楽しいのだろうか。
「なにもしませんよ、やることは済ませてますし」
取り合えず最低限の根回しは済ませておいたのだから、あとはどこまで影響が広がるかが問題だ。止めてくれれば一番良いのだけれど、二人も私と同じように干渉はしないようだから、私も手を出す必要など全くない。
「おや、意外。樹ちゃんなら手出しするだろうなーって思ってたんだけれど」
「いろんな人に聞かれましたが、今回はパスですね。――由乃さんに影響がない限りは静観します」
私の言葉を聞いて頷く二人。肩に乗せたままの聖さまの腕が重いのだけれども、突き放すのはやり過ぎだろうか。
「しかしまあ新聞部も『黄薔薇革命』だなんてタイトル、よく思いついたわね」
ペシンと軽く手に掲げて読んでいるリリアンかわら版の上の部分を反対の手で軽くはじく蓉子さまがぼやいた。どうやら何か思うことがあるらしく、いつも澄ましている顔色がよろしくない。たしかに話題性としては上手く名付けたものだと言えるが、被害を被った側からすると迷惑でしかない。
「新聞部だし仕方ないんじゃない?」
私の耳元で軽口を叩きながら離れる気配がまったくない聖さまに、仕方ないかと諦めて腕を掴んで持ち上げて離れると『ケチー』となんだかよく分からない声が聞こえてきたけれど、一切を無視しておく。
「革命というよりクーデターじゃありませんか、この場合」
ある意味、学園内に限っていえば権力者である山百合会。普通の生徒が引き起こしたならば『革命』で合っているが、今回は山百合会員が引き起こしたのだから『クーデター』のような気がするのだけれども。
ちなみに革命は『一般の大衆が原動力となり、現行の支配階級を征服しようとするもの』であり、クーデターは『同じ支配階級の中のある勢力が、政権の奪取を狙って非合法的な行動を起こすこと』である。どちらも一度起これば被害が大きいだろうし、大変な労力と犠牲が必要となりそこからの立て直しも一筋縄ではいかないだろう。――今回の場合は狭い学園内に限られているので、平和といえば平和であるが。
「意味合い的にはそっちがあっているかもしれないけど、『黄薔薇クーデター』じゃあ黄薔薇ファミリーが崩壊しそうだね……」
「ああ、言われてみると確かに」
令さまはやらないだろうけれど由乃さんならば江利子さまを引きずり下ろすくらいはしそうだけれども。体が弱いので無理が出来ないけれど、時折に令さまの取り合いを静かに繰り広げているのだし。崩壊することはないだろうけれど、手術が上手くいけば我慢する必要がなくなる由乃さんと、そんな彼女に不敵な笑顔を向けながら遊んでいる江利子さまによる令さまの取り合い光景が浮かぶ。
「ごきげんよう」
三人で雑談を繰り広げていると、令さまを引っ張っている祥子さまを先頭にぞろぞろと山百合会メンバーが揃う。この場に居ないのは江利子さまと入院した由乃さんのみ。
「ごきげんよう」
それぞれに挨拶を返すけれど、覇気が随分とない令さまに苦笑する。いつもの優しさを抱えたオーラが全くないし、滅茶苦茶に落ち込んでいるのが目に見えて分かる。由乃さんと姉妹を解消したことにショックを受けるのは理解できるけれど、その先にある交流試合は大丈夫なのだろうかと心配になってくる程度には落ち込んでいた。
こりゃ活を入れるには江利子さまが必要になるのだろうなと窓から外を見てみるけれど、薔薇の館に来る気配が全くない。新聞部が発行した今回の記事にあの人ならば真っ先に飛びつきそうなものだけれど、一体どうしたのだろうか。ぼーっと外を眺めていると、いつの間にか祥子さまと蓉子さまとの言い合いという名のじゃれ合いに発展していたようで、内容は今回の件をどうにかしないのかということで。手を出さないと言い放つ蓉子さまに、酷いのではないかと言い返す祥子さま。心配そうに二人のやり取りをころころと表情を変えながら見ている祐巳さんに、我関せずの他メンツ。令さまは椅子に座っているけれど、なにかを考えこんでいる。
「――けど、もし貴女と祐巳ちゃんの問題だったら私は根掘り葉掘り聞くけれどね」
「どうしてですの?」
「私は貴女のお姉さまだから」
「……そういうことですの」
結局、いつものように蓉子さまに丸め込まれる祥子さまと、その光景を見ていた祐巳さんがまた顔色を変える。どうやら二人のやり取りに感動するところがあったらしい。
「そ。お家騒動に他藩は口出ししないのが礼儀。……もちろん令が助けを求めるのなら相談にのるけれど――どうする?」
祥子さまから視線を外して令さまの方へと視線を向ける蓉子さま。その視線に気が付いたのか、俯いていた令さまが顔を上げて硬い表情で答える。
「ありがとうございます。――けれど、もう少し自分で考えてみます」
まだ何かを考えているような重い雰囲気を纏った令さまの言葉を最後にこの話題は終了して、雑事を終わらせれば解散となった。学園祭も終わったので随分と仕事が減り、楽ができるのは有難い。
一度教室に戻ったものの暇な時間が増えたので図書室にでも行くかと、帰り支度を済ませて荷物を持って方向転換。気分転換も兼ねていつもは使わないルートで図書室を目指すと、今日は顔を見せなかった江利子さまがふらふらと裏門へと続く道へと歩いている。いつも澄ました顔で学園内を闊歩しているというのに今日はどうにも覇気がないようすで、遠巻きにその様子を眺めている生徒が幾人か。気になるならば声を掛ければいいのにと思うが、相手は黄薔薇さまである。無理なのか、と苦笑いをしながら江利子さまに近づいて声を掛けたのだった。
「大丈夫ですか?」
「……あら……樹ちゃん。――大丈夫、なのかしらね?」
私の声に振り向いた江利子さまは、先程の令さまのごとく覇気がない……というよりも何かを耐えているような仏頂面である。
「質問を質問で返されても、言葉の返しようがないんですけれども……」
「ああ、そうね」
なんだか要領を得ない答えに困りながら江利子さまの顔をマジマジと見つめると、頬が腫れているような気が。誰かに引っ叩かれるようなことをする人でもないのだし、こりゃ単純に虫歯にでも掛かってしまったのだろうか。時折、ぼーっとしていることがあるとあの二人から聞いたけれど、その原因がまさかの歯痛だったら笑える。とはいえマジで辛そうなので、突っ込んだりからかったりはしない方が良いだろう。
「歯、痛いんですか?」
「…………よく、わかったわね……」
「そりゃ、頬が腫れてて時々手を充てる素振りなんてしてれば分かりますよ」
「そう」
「我慢しないでとっとと歯医者に行けばいいじゃないですか」
虫歯ならば何度か通わなければならないだろうけれど、親知らずが疼いて痛いとかならば引っこ抜いて終わりだし。麻酔があるから最初にちくっと痛いだけで治療中は無痛で終わって、麻酔の切れ際や切れた後に違和感を我慢しなければならないが、直ぐに治るのだし。
「――……嫌いなのよ、歯医者」
「へ?」
珍しく小声で囁くので思わず聞き返してしまう。はあと溜息を吐いた江利子さまは、もう一度口にしてくれるようだ。
「嫌いなの。あの音が苦手なのよ」
「あれま」
あの音が苦手だという人は沢山いるけれど、やはり思ってしまうのは子供じゃあるまいしという言葉である。少し恥ずかしそうな江利子さまを見ながら持っていた鞄を漁る私を、首を少し傾げながらじっと見つめている彼女。周りの野次馬さんたちは私たちのやり取りをどうみているのやら、と頭の片隅で考えながら目的のものを取り出して、江利子さまの目の前へと差し出す。
「痛み止めです。歯痛にも効きますからキツイなら飲んで楽になった方がいいですよ」
生理痛が我慢できなくなった時の為に持っていた痛み止めを江利子さまに渡す。手を充てているということは痛いのだろうし、我慢もしているのだろう。以前に痛み止めを忘れて蓉子さまに保健室へと連行された手前、鞄の中に常備するようになっていたから丁度いい。効能には歯痛にも効くと書いてあるので、大丈夫。
「……ありがとう」
裏門へと足を向けていたので、おそらく江利子さまは帰路につくのだろう。いつもお迎えが来ているようだから、あまり引き留めてしまうのも悪い。
「早く歯医者、行きましょうね。――それじゃあ、ごきげんよう」
渡すものを渡し軽く一礼して江利子さまと別れて、一路図書室を目指す私だった。
◇
――翌日、放課後。
私立リリアン女学園、そこは良家の子女が通い長き伝統と文化が根付いている。日本も明治時代から近代化して随分と垢抜けた社会となったのに、今でも後生大事に『寄り道禁止』のルールなんてものを抱えているのだから、随分と面倒である。
とはいえ、リリアンの制服のまま街をウロつくと周囲から好奇の視線を頂くので、ある意味適切な処置なのかもしれないが。放課後にどこか用事があって学園からそのまま行くという手段が使えないのは、悪手だ。それでもまあ一応ルールは守らなければならないので、一度家に戻り着替えを済ませ直ぐに外に出たのだが。住宅街から商業地区へと向かうと大きな病院が一つある。由乃さんから聞いていた為に事前に調べて場所は把握していた。
コンクリートで作られた巨大な病棟がいくつかあり、駐車場もきちんと確保しているあたり病院側の本気度が伺える。いくつかのロータリーを経て入院病棟はどこだろうとしばし地図を眺めて、左目に違和感を感じてぐしぐしと指でこすった後に歩き出すと、ようやくたどり着く。由乃さんの名前が書かれたネームプレートを見つけ、軽くノックしてしばらくすると『どうぞ』と声が返ってきたので、遠慮なくスライド式のドアを開けた。
「こんにちは。――調子はどう?」
「ごきげんよう、じゃないのね」
ベッドに腰かけている由乃さんは扉の前に立つ私の言葉にくすくすと笑っている。どうやら挨拶がいつもの『ごきげんよう』ではないことが面白かったようで、調子も可もなく不可もなくといった様子。
「流石に外で『ごきげんよう』は使い辛いよ」
制服を着ていればお嬢さま校に通っている証明となって、恥ずかしさも幾分か紛れるけれど私服姿であの言葉を使うには恥ずかしい。つかつかとベッドの側へと歩んで、備え付けられてある椅子へと勝手に腰を下ろす。
「そうかしら?」
「由乃さんは染まり過ぎてるんだよ、リリアンに」
リリアン以外の友人に『ごきげんよう』なんて言い放てば、指を指されながら大笑いされるのがオチである。
「ずっと通い続けた人と編入した人の違いなのね」
「かもね。――あ、これ大したものじゃないんだけれど暇つぶしにと思って持ってきた」
「ありがとう、助かるわ。退屈で仕方ないんだもの」
手術までにまだ日数があり、それまで検査検査検査の状態らしい。それでも空いた時間は沢山あるし、看護師さんが始終相手してくれるはずもなく。家族だって面会時間もあるし仕事やら家のこともあるしで、一緒に居られる訳はない。付き添いが必要ならば病院側から告げられるだろうし、居ないということはそういうことだろう。手渡した紙袋を開けてしげしげと本を眺める由乃さん。適当に見繕ってきたのだけれど、彼女の趣味に合うのかは謎である。
「令ちゃん、どんな様子だった?」
「ああ、うん。この世の終わりみたいな顔してた」
ずーんと落ち込んで学園内を夢遊病のようにフラフラしていたのだから。由乃さん離れをするには大変だろうけれど、あの様子をみるにいい切っ掛けではないのだろうか。
私の言葉を聞いた由乃さんは『情けないなあ』と小さく零している。
「いつも一緒に居たなら仕方ないんじゃない? 突然由乃さんから姉妹破棄されたんだし」
「あら、樹さんは令ちゃんの肩を持つのかしら?」
「いや、そういう訳じゃなくてさ。――ただ単に学園であからさまに落ち込んでいたから重症だなあって。あの姿を見てると由乃さん離れすべきなんだろうなーって」
「やっぱりそう思うわよね」
「あの姿みると、ね」
互いに苦笑を零しながら令さまについて語る。令さまは由乃さん第一主義者だから仕方ないとはいえ、アレを見るとどうしても大人になった時にどうするのだろうと考えてしまうのだ。先に由乃さんに彼氏が出来て結婚話まで出てくると、令さまはこの世の終わりを通り越して絶望の淵に叩き落されるんじゃないかと。まあ逆に令さまに彼氏が出来て、顔見世でもしようものなら由乃さんは絶大な駄目だしを始めそうだけれど。そのくらい一緒に過ごした時間が長いのだ、この二人は。
「まあ、令さまだけじゃなくて江利子さまの様子もなんだか変だしね」
「変? あの人が?」
「うん。歯が痛いみたいでぼーっとしてる。子供じゃないんだし歯医者に行けばいいのに、嫌だからって痛いのを我慢してるみたいだよ」
子供じゃないとはいえ、まだ成人していないのだから子供かと突っ込みを一人で入れつつ、由乃さんを見ると良い笑顔を浮かべている。
「ふふ、良いことを聞いたかも」
「ま、悪巧みは学園に戻ってからしようね」
そんな会話を交わしながら、今日来れなかったメンツの話やら祐巳さんが昨日お見舞いに来たという話に学園内が騒がしいこと。リリアンかわら版で『黄薔薇革命』と銘打たれ騒ぎになっていることと、それに影響された人たちが居ること。竹を割ったような性格をしている由乃さんは、その人たちを一蹴していたが。
令さまがしっかりと自立できている所を見れば、由乃さんは復縁するだろう。それにまた影響されて元の鞘に戻る人たちもいるだろうし。少し心配なのは姉妹関係に本気で疑問を持っていた人たちであるが、まあそういうグループは戻らないのだろうなあ。取り合えず由乃さんの責任にならなければ良いのだし、静観するしかない。
残りの心配ごと、というか一番の問題は由乃さんの手術が成功するかどうか、なのだし。こればかりは祈るしかないし、由乃さんの手術を施す医師の人たちを信じるしかない。やきもきした時間を過ごすことになるだろうけれど、一番大変なのは由乃さんなのだ。これくらいは我慢しなければ。休みの日にでも神頼みでもしますかと、由乃さんと他愛のないお喋りに興じて日が沈む前に病室を後にしたのだった。
――手術まで、あと少し。
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やばい、原神に時間を取られ過ぎている。でも楽しい。でもこっちも進ませたいジレンマ。