自分で水をぶっかけて会場から去った私を、何故か祥子さまが追いかけてきて二人でお手洗いから出ると、そこには柏木さんが立っており。
「全く君も無茶をするね。――けれどさっきのアレは見物だったよ」
呆れ顔を見せたあと直ぐ破顔し柏木さんは随分と愉快そうに笑っている。
「家族のことを悪く言われたので平手打ちでも見舞いたい所ですが、手を上げると問題ですしねえ」
空手なんてものを習っていたのでどうしても素人よりも威力が上がってしまうし、受けた相手が耐えかねて床に倒れでもすれば、そこまでに至った経緯はどうであれ悪いのは私となってしまい、有段者が素人に手を出したので更に状況が悪化するのだ。その上にそんな人間を誘った柏木さんの非を責められる上に、ウチの家族の質も疑われる。
「それで自ら飲み物を被るだなんて、貴女って本当に行動が突飛だわ」
話を勝手に切り上げてその場を去っても、後々に悪く言われてしまうのは明白だったから、そうするくらいしか方法が浮かばなかっただけだ。本当はもう少しスマートに行くべきなのだろうけれど、社交場の礼儀作法なんてさっぱりだし。
「でもさっちゃん、二人を取り囲んでいた彼女たちの顔を見たかい?」
くくく、と笑いを堪えながら柏木さんが祥子さまに語り掛けると、私へと不敵な視線を向ける。
「悪趣味ですわよ、優さん」
「とはいえ、彼女たちに少々困っていたのは事実だろう?」
二人は私を置いて、彼女たちのこれまでの行動を語る。どうやら私にいろいろと吹っ掛けてきたのは、プライドの高さ故。周囲から問題視されていたものの彼女たちがまだ未成年ということもあり、放置されていたそうだ。
「ご両親はさぞ顔を青くしているだろうね」
「今回のことで反省なさってくださるのかしら?」
「もう後がないからね。――再教育されるんじゃないのかな」
彼女たちの年齢的にもこれが最後通牒のようだ。大学に進学しないならば社会に出なければならないし、学生のうちに更生することを願っているのだろう。社交界も人間関係が大変だなあと痛感しつつ、遠くない未来にトップに立つであろう二人は随分と余裕そう。この辺りはきっちりと家から施された教育と本人の資質や矜持によるものだろう。
「樹くんも巻き込んでしまって済まなかったね。まさかこんなことになるだなんて」
その言葉とは裏腹ににっと笑って全然済まなさそうな表情の柏木さんに溜息をありありと吐く祥子さまと私。完全に面白がっているよなあと私をあの会場へと誘った張本人を見ながら、目の前の人は敵に回すべきではないとそっと心に誓う。
「いえ。美味しいものをお腹に収められたのでそれで満足です」
家族を悪く言われたことにはイラっとしたが、それ以外はなんら問題はなかったのだ。
「君は安上がりだねえ……」
更に笑みを深める柏木さんと、呆れた様子の祥子さまに見送られ都内の高級ホテルを後にしたのだった。そうして数日後に鵜久森家へと届いた荷物の差出人から上を下への大騒動となり、家族全員が見守る中で開封の義を執り行い柏木家からの詫びの品にダイエット器具が入っていたことに私以外が首を傾げてるのは当然で。
「……柏木さんめ」
絶対あの人楽しんでいると眉根を寄せながら目を細めると、父から頼むから妙なことはしないでくれと念を押されたので、どことなく悔しい気持ちは次に会った時に取っておくこととしたのだった。
――数日後。
「そういえば、お見合いはどうなったの?」
放課後の薔薇の館。下っ端の一年生が集まり雑談を交わしている最中、由乃さんが唐突に話題を変えてそう聞いてきた。
「ん、どうにもならなかったよ。そもそも断る前提だったしね」
「なんだつまらない。何かあれば面白かったのに」
本当はいろいろとあったがわざわざ恥をさらす必要もないと黙っておくが、祐巳さんには祥子さまとホテルで会ったことを伝えておいた方が良いだろう。素直な彼女が妙な嫉妬や猜疑心を発露させることはないだろうが、大好きなお姉さまのことなのだし、その人に柵があることを知っておいた方がそういう場に立った時に己の身の振り方を先に考えることが出来るだろうから。
「由乃さんが期待するようなことはなかったけれど、ホテルで偶然柏木さんに会ってパーティーに誘われたんだよね」
「うえっ!? か、柏木さんにっ?」
「あら」
驚いた顔を見せる祐巳さんに、目を細めて喰いついた由乃さん。そしていつものように静かに話を聞いている志摩子さん。三者三様ぶりに苦笑しながら、ある程度ぼかしつつあの会場で起こったことを話す。
「でもなんで柏木さんは樹さんをパーティーに誘ったのかな?」
「祥子さまの虫よけ剤じゃないかな。ああいう場所って参加する人が限られているから、知らない人間が居たら目立つからねえ」
まあ社交せずにずっとご飯を食べていたから祥子さまの目に付いたという裏話もあるのだけれど、わざわざそれを彼女たちに話すことはない。
そのあと見慣れない女が小笠原家の一粒種と話していれば、当然目立つ訳で。柏木さんは男性たちと話していたし、女性だけで話している場に割り込むのは恐らくあまりよろしくはない行動だったのだろう。柏木さんの手のひらの上で踊らされた気もするが、詫びの品やら届いているのだし。
「まあ、そういうことがあった訳だから祐巳さん、頑張ってね」
「な、なんで私が頑張るの?」
「祥子さまの妹イコール目立つし目を付けられるだろうからねえ。あと祥子さまは不器用だから、そういうことには正面から立ち向かおうとする人でしょ」
私は適当に逃げるし、どうしようもなければ最終手段の暴力に出るんだけれども、彼女の性格上それは無理だろうし、祐巳さんを守るには少々不安が残る。逆に柏木さんのような人なら安心できるんだけれど、シンデレラの件であまり印象は良くなさそうだし。
「うぐっ」
否定できないのか言葉に詰まる祐巳さんが、微妙な顔をしている最中、部屋の外から階段が軋む音が響く。誰か上級生がやってきたから、そろそろこの話は終わりだろうと畳みかける。
「今回は柏木さんの気まぐれで社交場に踏み入ったけれど、祐巳さんも祥子さまの妹を続けるならそういう機会が訪れるだろうからねえ。虫よけ剤として頑張らないと」
「ええーっ!」
「ちなみにその人たちには私が青薔薇だってことが知れ渡ってた。超怖い」
うん。本当にホラー。学園外の人だというのに内情を知っていた事実に驚きを隠せない。もしかすればリリアンに入学したかったのに、入れなかったのだろうか。
流石に私の人相風体は知られていなかったが、そういうことならば動向を知っていたことには納得できる。
「祐巳に妙なことを教え込まないでくださる、樹さん」
「お、お姉さまっ!」
扉が開くと共に声が聞こえ、そこには祥子さまが呆れた顔で立っていた。その姿と声を見聞きしするとツインテールを揺らして、嬉しそうな顔をする祐巳さんはまるでご主人さまに再会したワンコのようで。
「あれ」
「あら」
「お」
祐巳さんの言葉に違和感を感じて首を傾げる由乃さんと志摩子さんに私。つい先日まで『祥子さま』と呼んでいた気がするのだが、いつの間に。とはいえ彼女たちは姉妹なのだから、なんら可笑しなことはなく。にやにやと笑い、由乃さんと志摩子さんへと視線を向けて肩を竦めると、彼女たちも小さく笑いながら祐巳さんと祥子さまのじゃれ合いを暫く見ているのだった。
◇
期末試験も終わり、二学期も残すところあとわずかとなった今日この頃。寒さが身に染みるがあと少しすれば冬休みに入るのだから、もう少しの我慢だと言い聞かせて寒空の下を歩く。こういう時に車があれば、暖気してからエアコンを即入れてぬくぬくと通勤していたものだが、未だ学生の身ゆえ致し方ないと割り切り、取り合えずバスに乗り込めば寒さをしのげるのだからまだマシだろうと心を騙して学園前で降りて、校門を抜けて銀杏並木を進む。
「ごきげんよう」
そう交わされる言葉を聞きつつ、己に掛けられた言葉には律義に返しながらようやく教室へと辿り着いて、自席へ座る。外よりもマシではあるが寒いなあと深々と息を一つ吐き、喧騒の中一限目の授業の準備をしつつ周囲の声をなんとなく聴いていた。
「――
「でも、白薔薇さまが――――」
やたらとクラスメイトが聖さまの名を口にする。リリアン生にとって彼女はアイドルのような存在だから注目を浴びているのは仕方ないと言えるが、こうも彼女だけの名が挙がるのは珍しい。ファンの子たちが騒ぐ分には自由にすればいいのだから、気にする必要はないかと意識を戻して再度机に向かうと、こちらへと誰かがやって来る。
「樹さん、いえ
「え、あ、うん。どうしたの?」
割と切羽詰まっているクラスメイトの気迫に押されて、返事がしどろもどろになりながら顔を見上げる私。いつも落ち着いている子が珍しいこともあるものだと首を傾げれば、彼女は落ち着きのない様子のまま口を開いた。
「これを白薔薇さまが書いたとの噂があるのだけれど、本当なの?」
「なにこれ?」
一冊の文庫本を机の上に置かれたのだった。見たことも聞いたこともないから、有名なものではないのだろう。『いばらの森』とタイトルが打たれて著作名には『須加星』とある。たしかに聖さまっぽい名前であるが、本当に彼女が書いたならば、バレないように捻りのあるペンネームにしそうなものだが。
「じゃあ、樹さんも知らないのね」
「うん、なにも」
「そっか」
机の上に置いた文庫本は彼女の手に戻り変なことを聞いてごめんなさいと言い残し、仲間内の下へ帰っていく。噂の真意はどうであれ、今の時点では噂に過ぎないし彼女が書いたという事実はない。仮に彼女が書いていたところで問題などない。ならばそのうち勝手に鎮静化するだろうと始まったホームルームに意識を向け、時間は放課後となる。
「樹さん、白薔薇さまの噂話は聞いて?」
「聖さまが本を書いたってヤツ?」
「そう、それよ!」
顔をぐいっと私に近づける由乃さんの気迫に押されて、背が自然に後ろへと反る。薔薇の館へと向かう道中、由乃さんに声を掛けられて捕まったのだけれど、どうやら既に噂の虜らしい。若いなあと笑いながら手で頭を掻くと『気にならないの?』と問われるが、そもそもなんでこんなに盛り上がってしまっているのかが分からないのだから、根本的な部分ですれ違いを起こしているのだ。
「みんなみたいには気になってないよ」
中身が面白いという評判でもたてば、興味は湧くかもしれないが。
「どうしてよ」
「んー。仮に聖さまが書いていても個人の自由だし、アルバイト禁止の学園に目を付けられないならそれでいいんじゃないかな」
お金を稼ぐことを学則で禁止してはいるものの、逃げ道はある。
お金の入る場所を彼女の親やきょうだい、ようするに第三者へと入るようにすればいいだけだし、実際副業禁止の会社で働いているというのに家で農業を営み、その収入は奥さんに入るようにしている人だっているのだし。少し面倒なのは個人で税務署に行かなければならない事くらいである。
「……」
「なんで黙るの由乃さん」
「樹さんは心配じゃないの、白薔薇さまのこと」
「何を心配するの?」
二学期の体育祭の頃ならば少しは気にしたかもしれないが、今の聖さまならのらりくらりと問題が起きても乗り越えられる気がするし。
「もういいわっ、樹さんの馬鹿っ!」
突然走り去る由乃さんを止める間もないまま、その姿が小さくなっていく。病み上がりなんだから無茶しないで欲しいと、私的にはそちらの方が心配になるんだけれども。
由乃さんはどうやら薔薇の館にそのまま向かったようなので、私は情報を仕入れに行きますかねえと、薔薇の館へと向けていた足を変えて。仕事も少なく暇な時期で良かったと呑気に考えながら、帰路につく生徒や部活へと向かう生徒たちとすれ違いながら目的の場所へと辿り着く。
「ごきげんよう、青薔薇さま」
もしかすれば件の『いばらの森』が置いてあるかもと、図書室に入るとそこには静さまの姿が。先に見つけられて、声を掛けられるのだけれど違和感を感じて苦笑いを零してしまう。
「静さま、ごきげんよう。その呼び方は止してくださいよ」
役職名を上級生から言われるのはどうにも慣れない。
「いいじゃない。呼びたいのだからそう呼んでいるのだもの」
くすくすと笑う静さまと言葉を交わしながら図書室の中を伺うと、いつもより人が多い気がする。どうやらいつもより多い生徒たちの目的は、私と同じらしい。
「もしかして貴女も『いばらの森』をお探し?」
「ありゃ、バレましたか」
「そう。――……残念だけれど、置いてはいないの。だから個人で購入するか、持っている誰かから借りて読むしかないわね」
普段の彼女とは違い珍しく目を細めて、何か含みを持った言い方をした。いつも余裕の表情を崩さない人だからきっと何かあるのだろう。
「そうですか。なら本屋巡りでもしてみますね」
ありがとうございます、と頭を下げて図書室を出る。寄り道禁止の校則があるので一度家に帰って出直すか、誰かに頭を下げて借りるしかないかと両手を空へと向けて背伸びをしながら、ひとつ息を吐いて帰路につく私だった。
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五十話以上かけていばらの森にやっとたどり着きましたが、いろいろと記憶が飛んでいて齟齬が出てる……。いばらの森の話ってテスト期間中だったのかorz 終わってしまったのでどうにか誤魔化しながら書いてますorz