山百合会の手伝いは返事をした翌週から始まり、何度か薔薇の館に出入りしていた。色々と視線が刺さるけれど、いずれ収まるだろうと無視を決め込んでいる。主に紅薔薇さまである蓉子さまから仕事が与えられ、時折江利子さまや聖さまから。稀に令さまや祥子さまからも頼まれるけれど、薔薇さまからの伝言という形だ。
体育祭まであと少し。出し物の関係で各部活動や委員会への連絡役は主に志摩子さんと私が担当している。他の人は別の仕事があるし、役職持ちの人しか出来ない事もあるので、下っ端である私にはこういった雑事がメインだ。机にしがみついて事務作業をするよりも、広い学園内を東奔西走している方が圧倒的に多い。時期的にかもしれないけれど。入学当初やたらと広い学園内の全てを覚えられるか心配していたのだけれど、どうやら杞憂に終わりそうで。まあ机でじっとしているよりも、こうして体を動かしていた方が性に合っているのだから、文句はない。
広い学園内を何度も行き来すれば、体は十分に温まる……どころか暑い。まだ暑さの残る秋、もう少し時間が経たなければ過ごしやすい季節とは言い辛い九月中旬。薔薇の館の軋む階段を上れば、暑さにやられて頭の回転が鈍くなるのを感じながら、汗をかき。広い学園内をあちこちと回るのは良い運動にはなる。ただ熱中症には気を付けないといけないだろう。まだ日射病と呼ばれ、そう騒がれてはいない時代だけれども。
「ただいま戻りました」
扉を開けて部屋に入ると山百合会のメンバーと志摩子さん全員が揃っていた。仕事を始めた時は数名しか居なかったのだけれど。
「おかえりなさい、樹ちゃん。戻って直ぐで申し訳ないのだけれど、次はこれを放送部に届けてもらえる?」
手渡されたのは数枚の紙。さてはて放送部の部室は何処だったか――なんて他所事を考えていたものだから、随分と意識が薄かった。
「リョーカイでーす」
あ、しまったと気付いたときには遅かった。暑さで頭が回っておらず蓉子さまの言葉におざなりに返事をしてしまった。慌てて口を片手で抑えるけれど、もう手遅れだった。蓉子さまは苦笑いをしているし、江利子さまは仕事の手を止めてくつくつ笑ってる。聖さまは一瞬驚いた顔を見せたけれど直ぐに興味は失せ書類に意識を戻した。令さまと由乃さん志摩子さんは驚いた顔をしている。問題は上下関係にめっぽう厳しい祥子さまだった。
「樹さんっ! 前にも言いましたがお姉さま方に取る態度ではなくってよっ!」
テーブルで作業をしていた祥子さまが、椅子を勢いよく後ろに下げ立ち上がる。
「すみません、口が滑りました」
存外、染みついた習慣なんてものは抜けにくいものだ。今生を得て随分と時間が経つけれど、前世で使い慣れていた言葉は不意に出てしまう。なるべく気を付けてはいるものの、こうして偶に口から出てくる。意識をしていなかったから仕方ないとはいえ、祥子さまの言うように先輩に対する言葉遣いではないのだから、素直に謝るしかない。
「以前にも貴女はそう仰ったでしょう……直す気はあるのかしら?」
少しトーンダウンした祥子さまは溜息を吐いて、私にそう諭す。
実は前にも同じことで、指摘を受けている。その時も私が悪いのだから謝ったのだけれど、こうして出てしまうのは私の学習能力が低い故か。直す気はあるし、直したいと常々思うけれど。言葉使いは丁寧な方が良いだろうし、社会に出ると尚更必要なものだろうし。言い訳は以前にしているから、同じことを述べても説得力は皆無。
「……」
質問されているのだから答えるべきなのだろうが、こうなると取るべき行動が『沈黙』になってしまう。結果、彼女の怒りを更に買ってしまうのは目に見えていた。
「黙っていても仕方がないのではなくってっ!!」
「――祥子、そこまでにしておきなさい」
私たちのやり取りを見かねた蓉子さまが助け舟を出してくれた。
「ですがお姉さまっ」
「私は気にしていないし、樹ちゃんもワザとじゃないのでしょう?」
声に出すのは気が引けて小さく頷くだけに留めた。蓉子さまは苦笑を浮かべ、苦虫をかみつぶしたような顔をしている祥子さまを見る。
「なら、この話はこれでおしまい。樹ちゃん、書類を放送部にお願い」
「はい、行ってきます」
この場から逃げるような形にはなるけれど、蓉子さまは祥子さまがクールダウンするには私は居ない方が良いと判断したのだろう。軋む階段を下りて仕事をこなす為に、放送部の部室を目指す。書類を渡すだけの簡単な仕事だし、直ぐに用は済む。踵を返してもと来た道をまた歩き、薔薇の館へ。
こうして同じことを何度か繰り返せば、いつの間にか終わりの時間を告げていた。手伝いなので、一番先に帰ってかまわないと言われて、やることが無いのならばと部屋を後にする。少し空いた時間。まだ開いている図書室へ向かい、本を物色しながら時間を潰した。
――さて、頃合いかな。
腕時計の文字盤を見れば、幾分か時間が過ぎていた。目に付いた本を適当に数冊借り、まだまばらに生徒が残っている図書室を後にする。少し足早に校門への道を歩けば、一目でわかる見知った背中。
「祥子さま」
「あら、樹さん。帰ったのではなくて?」
長く艶やかな黒髪を揺らして、振り返ったその人は先ほど私を叱ってくれた人だ。
「先ほどの事をきちんと謝りたくて、少し時間を潰していたんです」
「もういいわ。私も言い過ぎたところがあるのだし」
「いえ、その。ありがとうございました。いろいろと慣れなくて、同じことを仕出かしてしまうかもしれませんが、その時は懲りずにまたご指導お願いします」
敬礼をして、気持ちを示す。取り合えず言いたいことは言ったのだし、自己満足に近いものだから、あとは祥子さまが判断することだ。
「……変な人ね」
「はは、そうなのかも知れません」
否定が出来ない事に苦笑いをしながら、片手で頭の後ろを掻く。転生なんてものを果たしているのだし、今の時代の人にとって未来を生きていた私は変な人だ。時折、この時代に使われていない言葉を言ってみたり、先の事を口走りそうになったりして誤魔化したりとやらかしているのだから。
「そこで認めなくてもいいじゃないのかしら……」
はあと呆れ顔を見せて笑う人はとても綺麗で。その姿が照れくさくて、私は無意識のうちに一礼をして駆け出していた。
「それじゃあ失礼します」
「あ、お待ちなさい――……まったくもう、慌ただしい子ね」
走り出して距離が開いてしまったその言葉は私の耳には届かず。後日、みっともなく走るのは淑女のすることではないと彼女からお叱りを受けたのは、既定路線だったのかもしれない。
◇
天気もいいので外でご飯を食べるかと、お弁当の包みを持って教室を出てみた。さてはてこの広い学園内のどこで食べようかと、思案する。ミルクホールは室内であり上級生の利用者が多く、一年坊の身であるが故に入り辛い。中庭のベンチも人気があり早い者勝ちだから、競争率が激しい場所。良いな、と思った場所は往々にして人気なのだ。考えていても仕方がないので、中庭へと足を向ける。山百合会を手伝っている事から、私に向けられる視線が多くあるけれど、随分と慣れてきた。このまま慣れるのはなんだか癪だなあと、一階の玄関口前に差し掛かった時だった。
「すみません、一年藤組の鵜久森樹さんでしょうか?」
「え、あ、はい。そうですが」
前髪を七三分けにしたショートカットの人が私の進路を阻みながら呼び止めた。視線を向けられることには慣れたけれど、呼び止められたのは初めての事で、すわ何事かと少しおっかなびっくり返事をしてしまう。
「新聞部一年の山口真美と申します。お聞きしたいことがいくつかあるのですが、お時間はありますか?」
彼女の両手にはペンと小さなメモ帳が。新聞部なのだからなにかの取材なのだろうけれど、聞かれるようなことがあっただろうか。四月頭の編入生紹介の取材以来だなあと呑気に考えながら、一つ気掛かりが。
「どのくらい時間が掛かりますか?」
時間はあるにはあるけれど、食べ損ねると五限目から私の胃が悲鳴を上げて授業に手がつかなくなる。お弁当の包みを掲げてまだ手を付けていないことをアピールすれば、どうやら察してくれたようで真美さんが一つ頷いてくれた。
「五分もあれば十分かと」
そのくらいであれば十分許容範囲だと判断した私は了承すると、彼女は肩の力を抜いて一つ息を吐く。同じ一年生相手だから、そんなに気を張らなくてもいいのだけれど、何かあるのだろうか。
「少し場所を移動しましょう」
と彼女が言ってその後を大人しくついて行く。その場所は人気のない階段の下で、周囲の視界からは死角になっており、密談するには丁度良い場所だった。こんな所もあったのだなと感心しながら、真美さんと相対する。
「時間もないので単刀直入にお伺いします。山百合会のお手伝いをしているそうですが、白薔薇さまか紅薔薇のつぼみと
「……へ?」
予想もしていなかった質問に気の抜けた声が私の口から漏れた。どこがどうなってそうなってしまうのか、理解が追い付かない。
「待ってください。何故、そうなるのかお聞きしても?」
「薔薇さま方やつぼみが目を付けた下級生を山百合会の手伝いにと誘うのは、恒例となっているんです。ですから樹さんも志摩子さんと同様に、お二方どちらかの妹になるのではと噂があります」
「そんなものがあったんですか……」
そりゃみんなが私に視線を向けるようになるな、と何故だか納得できてしまった。
しかしよくよく考えてみて欲しい。山百合会のみんなは単純に私をただの手伝いとしか思っていないし、聖さまと祥子さまは私に興味があるわけではない。二人とも気にかけているのは志摩子さんの方で、特段私を気にかけているなんてことはないのだし。あり得ない。
「それで、どうなんですか?」
「ない、かな」
「どうしてそう言い切れるんです?」
「いろいろと、ね?」
可能性ならば志摩子さんの方が断然高い。まだ山百合会の人たちとの付き合いは短いし、すべてを把握しているわけでもないけれど。
山百合会の中で何かがあるような気がするのだ。特に聖さまと志摩子さんの間には。その間に入れるほど仲は良くないし、その人たちの問題だから土足で入り込むような真似はしない方が良いだろう。私が出来ることは見守るだけ。そして無暗に口外しないこと。
「ごめんなさい、時間だ」
腕時計の文字盤を指で指して、お弁当箱の包みを顔のあたりまで上げて笑いその場を去る。少し早めに切り上げてしまったけれど、質問の本題はさっきの一つだろうし。
「あ、ちょっとっ!」
その声を無視して足早に歩き去って。気付けば中庭の日陰になっているベンチは埋まっており、日が当たる場所でさえも占領されていた。ありゃ残念、と一瞥して足の向きを変えて裏庭の方へ。そちらの方が人気はないのだけれど、さてどうなるのやら。適当にウロウロとしながら目新しい場所に視線をさ迷わせて。桜の木が並ぶとある建物の裏手に見知った人影。
「志摩子さん。こんな所でお弁当食べてたんだ」
「ごきげんよう、樹さん。春と秋の天気が良い日限定だけれど」
私の姿を見た志摩子さんは柔和に笑って、そう答えてくれた。人気のない裏庭で、人知れず静かに食べていた志摩子さんには申し訳ないけれど。
「ごきげんよう、隣良いかな?」
図々しくも食べる場所を確保すべく、そんなことを言い放った私を志摩子さんは快く受け入れてくれた。
4639字。短いですが投げます。某ソシャゲのイベントが始まってしまった。
2020/08/01追記:話数のナンバリングを変えました。『零話』を入れた所為で作者のポンコツな脳味噌が勘違いを起こしたのでストレートに『一話』からで。