体育祭の準備も大方進み、残すところは前日作業となる設営を残すのみとなっているそうだ。山百合会の仕事も慣れて、飛脚もどきから事務作業員へとジョブチェンジされたので、学園内を駆け回る仕事は随分と減り、薔薇の館へ赴く回数が減った気がする。今日は私の仕事はないので本を借りようかと放課後は教室をいそいそと抜け出し、図書室を目指していた。
「樹さん、ごきげんよう」
「ごきげんよう」
呼び止められて振り返るとそこには手にクリップで止めた紙束を持った放送部部長が立っていた。少し困ったような顔をして、私に歩み寄る。山百合会でのお使いで何度か彼女の下を訪ね既知であるから、声を掛けられることには違和感はない。
「貴女が通りかかってくれて助かったわ。申し訳ないのだけれどこれを薔薇さまへ渡していただけないかしら?」
「構いませんよ。お預かりします」
暇なのだから断る理由もないかと快諾する。紙束を受け取ると、放送部部長はそそくさと部室へと戻っていった。おそらく体育祭のリハーサルで忙しいのだろう。来場者が居る以上、進行に不備があるのは不味いだろうし。部員への指導もあるだろうから、暇な私を見つけてこれ幸いと声を掛けたようだ。
なるほど大変そうだと他人事のように考えながら、図書室へと向けていた足を薔薇の館へと変える。さほど遠くはないから、書類を届けるならすぐに終わるだろう。人気の少なくなった中庭を通りたどり着いた薔薇の館はもう勝手知ったるなんとやらで。施錠はされていなかったので誰かはいるだろうと、軋みの酷い部分を避けながら階段を上り、会議室の扉の前に差し掛かった時だった。
「っ!」
「うわ」
勢いよく開いた扉から、勢いよく飛び出てきた誰かと肩がおもいっきりぶつかり、持っていた書類がはらはらと床に散らばり。あちゃーという気持ちとぶつかった相手は大丈夫だろうかと気持ちがせめぎあい、相手の無事を確認する方が先だろうと視線を上げた。
ぶつかったことに驚いた顔をした聖さまは、私の顔をまじまじと見たあとに目を細めて口を真一文字に結び、短い廊下を凄い速さで去り階段を下りて行った。余裕のなさそうな雰囲気が気にはなるけれど彼女を追いかける理由も見つからない。取り合えず預かった書類を渡さなければと、床へとしゃがみ込んで盛大に散らばった紙を拾う。順番に並べていただろう書類はバラバラになっていて、元に戻すのに少し手間取りそう。
「ごめんなさいね、樹ちゃん。聖ったらそのまま行っちゃったでしょう?」
「いえ、気にしていませんから」
開いたままの会議室の扉から出てきたのは蓉子さまだった。聖さまとは打って変わり慌てる様子もなく落ち着き払って、床に散らばる書類を拾い始めた。
あの様子から何かがあったのだろうと予測はできるけれど、何が原因で聖さまが走り去っていったのかまでは分からない。会議室にはどうやら蓉子さまと聖さましか居なかったようなので、大方ケンカでもしたのだろう。若いな、と他人事で済ませて全ての書類を拾い上げれば蓉子さまは困ったような顔をして笑っている。
「並べなおすの、大変ね。これ」
「やるしかないですねえ」
放送部部長から預かった書類は割と面倒なものだった。枚数は多いし、並びも決まっていたものだったし。お互いに苦笑しあいながら会議室へと入って、ちまちまと書類をもう一度広げ元に直していく。
「ところで今日は仕事はないって伝えておいたはずだけれど、どうしたの?」
「図書室で暇をつぶそうと歩いていたら放送部の部長さんに頼まれたんですよ。コレを薔薇さまに渡してくださいって」
「そうだったの、ありがとう。でも災難だったわね。聖とぶつかるだなんて」
聖さまのファンの子ならぶつかって喜ぶかもしれないけれど、生憎と私はファンでも何でもないので手間が増えてしまった程度の認識。被害事故だったけれど文句を言うべき張本人はこの場には居ないのだから、嘆いても仕方あるまい。愚痴を言うよりも諦めて手を動かした方が早く終わる。
「時間はあるので平気です」
蓉子さまとこうして喋っていれば書類はどうにか元通りになった。さて図書室へ本を借りに行くかと、蓉子さまに退室を告げようとしたその時だった。
「ごきげんよう。――あら、どうして樹ちゃんがいるのかしら?」
きいと蝶番の音が来訪者を告げ、視線を扉へと向ける。
「ごきげんよう。頼まれた書類を届けてくれたのよ、江利子」
いつも通りのアンニュイそうな気だるげな表情で江利子さまが会議室へと入ってきた。
「お邪魔してます、江利子さま」
「そうだったのね、お疲れ様」
そういいながら何か考えるように江利子さまは指定席へ着く。
「――それじゃあ、用も終わっ」
「――ああ、紅薔薇さま」
「黄薔薇さま、なにかしら」
私の言葉は江利子さまにより遮られ、また退室のタイミングを逃してしまった。二人のこのやり取りになんでだか不安がよぎるけれど、一年坊に過ぎない私は勝手に部屋を出るわけにもいかず、その場に止まるしかない。
「由乃ちゃんが体調不良で帰っちゃったのよ。令も付き添いで一緒に戻るから今日は無理だって」
「大丈夫なの?」
「ええ、安静にしていれば問題ないそうよ」
「そう」
「――という訳で樹ちゃん。申し訳ないのだけれど、仕事……手伝って貰えるかしら?」
何がどういう訳でそうなるのか。蓉子さまに『時間はある』と告げている手前、江利子さまのお願いを断り辛い。何故だかにこりと楽しそうに微笑んでいる江利子さまなんだけれど、孫である由乃さんの心配は良いのだろうか。由乃さんは体が弱いと聞いてはいるけれど、私はどの程度のものか知らないので目の前の二人の様子から察するしかないのだが。言葉通りだと大丈夫な感じだけれど。
「そうね、黄薔薇さま。聖も出ていったし、志摩子も委員会で今日は来られない。祥子も家の用事があるって帰っちゃったのよ。――樹ちゃん、お願いできないかしら?」
「…………お二人で頑張ってください」
私が出来る抵抗はこのくらいだ。私の言葉に二人は目線を合わせて数瞬のちに私を見る。これで逃げられればいいのだけれど、人手が圧倒的に足りない状況で、この二人が私を見逃してくれるのかと問われれば、否と答えるだろう。誰だって。
「あら、困っている上級生を見捨てるのね。樹ちゃんは」
「悲しいわ。私たち、信頼されていないのかしら。薔薇さまとしてこんなにも努力しているのに」
言葉とは裏腹にまったく困っている様子のない二人は、何が楽しいのか私を弄んでいる。ああもう逃げ道がないなと、諦め半分。了承の意を伝えるかと口を開く前に、いつの間にか席を立っていた江利子さまが私の後ろに回り込み両肩を掴んで、席へと導かれた。なんだか既視感があるなあと記憶を遡れば、山百合会を手伝う旨の返事をする為に此処に訪れた際、令さまにも同じことをされたのだった。
「まあいいじゃない。お茶くらい出すわ」
「お茶と仕事じゃあ、割に合わない気がするんですが……」
「私が淹れるんだもの。価値は十分にあるのではなくて?」
「そりゃ確かにレアですけど……江利子さまのファンの人なら喜ぶでしょうね」
三年生がお茶を淹れるのは珍しい。部屋に真っ先に訪れて飲みたくなったら自分で淹れるくらいだろうか。誰かが居ればその人が率先して淹れるし、やらせないとでも言えばいいのか。みんな揃っていれば一年生である由乃さんか志摩子さんか私が淹れてるし、二年生である祥子さまと令さまは時折だ。誰かが居る場で三年生が淹れる姿は、見たことがないかもしれない。
「じゃあ樹ちゃんは私の事をどう思っているのかしら、とても気になるわ」
「三年の先輩、ですかね」
冗談めかして江利子さまはいうけれど、面白い回答なんて私の口から出るはずもなく。当たり障りのない当たり前の答えに、きょとんとした顔で突っ立てのちくつくつと笑い始めた。何がそんなに面白いのか私は理解できないまま、まあいいかと諦めて机に向かう。目の前に座る蓉子さまが、苦笑いを浮かべながら私たちのやり取りを見ていた。
「江利子、私の分もお願い」
「嫌よ。蓉子は自分で淹れなさいな」
流し台へと向かう江利子さまを見てこれは本気で淹れる気はないと悟ったのか、蓉子さまは仕方ないといった感じで立ち上がり二人が流し台へ並ぶ。手伝い始めて二週間ばかりになるけれどなかなかに見慣れない光景に、他の人が見れば腰を抜かしそうだなと考えながら、今日の仕事は一体どれほどのものなのか。
「――ところで聖は戻ってくるのかしら?」
「ごめんなさい、江利子。ちょっと突っついちゃった」
「懲りないわね、貴女も聖も」
「仕方ないじゃない……気になるんだもの」
「蓉子らしいわ」
ぼーと座って二人の声をBGMに窓の外を眺める。ケンカをした割りには軽い感じだし、何度もケンカをしたことがあるのだろう。最低でも高校三年間は一緒に時間を過ごしてきただろうから、お互いに気の知れた仲なのだろう。真面目な蓉子さまは二人の手綱を握っていなきゃならないのだから大変そうだけれど。
「どうぞ、樹ちゃん」
「ありがとうございます、頂きます」
「さ、時間も押してるし始めましょうか」
そういって仕事を割り振る蓉子さま。取り合えず私は簡単な仕事を貰って裁いていくのだけれど、どんどんと内容が難しくなっているのは気の所為だろうか。出来るからいいかと、私に充てられた分の紙の山からまた一枚取って目を通す。関係各所から届いた書類の間違いや不備を直して、書き直しが必要なものはひとっ走り必要だなと別に分けてる。訂正印が必要なのに押されていなかったりするが、学生にこういう事を求めてもまだ早いかと諦める。ある程度の訂正の書類が溜まった所で顔を上げて。
「すみません、直しが必要な申請書があるので部室棟まで走るんですが、ついでに他の用もあれば行ってきますが……」
書類に目を向けていた蓉子さまが私の声に顔を上げる。
「あ、ええ。これもお願いできるかしら」
蓉子さまから受け取った書類に目を通しざっと内容を確認。何度か見たことのあるもので、よくお使いに出されていたものだから覚えていた。
「こっちは職員室ですね」
「ええ、そう」
「了解です。それじゃあ直ぐに戻りますので」
そんなに手間のかかるものではないし、直して再提出してもらえばいいだけだ。椅子を引いて席を立ち、薔薇の館を出て先に職員室を目指す。私が山百合会の仕事を手伝っていることは、教職員の間でも広がっており特段注目などされず目当ての教師を見つけて声を掛ければお礼を言われ。
その後、部室棟を訪れていくつかの部屋を訪ねては、修正部分を伝えてその場で直してもらった。まだ少し暑さの残る秋。真夏よりはましとはいえ、日差しはキツめで。ふうと息を吐いて、戻ろうと気合を入れる。
「戻りました」
「おかえりなさい、ご苦労さま」
そう迎え入れられ、また書類と格闘を始めてしばらく。
「樹ちゃん、これ出来るかしら?」
唐突に江利子さまに声を掛けられて、手渡された書類を見る。今までこなしていたものとは違い応用が必要だし少し専門的なことも書いてある。前世で事務職に就いていたこともあるのである程度はこなせたけれど、無理だと判断。
「……流石にこれは、私には出来ませんね」
「教えるから、やってみて」
「はあ。間違えても知りませんよ」
「いいから、いいから」
江利子さまに言われるまま、書類に向かう。何故か正面に座っている蓉子さまが苦い顔をしているけれど、江利子さまはどこ吹く風で。私に要点と気を付けるべきことと、必要な計算式の説明をさっくり終えて自分の仕事に戻ってしまった。
いや、せめて横で見ててくださいよと心の中で愚痴りながら用紙に向かう。少しペースは落ちるものの、裁けなくはない。人手も少ないから踏ん張るしかないし、与えられた分の仕事は済ませなければ帰れない。そもそもこうなってしまった以上、二人を置いて帰るのも気が引けるし仕方ない。
「……疲れた。もう脳味噌が限界です」
悲鳴を上げ机に突っ伏した頃には仕事はひと段落がついていた。
「お疲れ様。ごめんなさいね、私たちに付き合わせて」
「でも助かったわ。二人しか居ないから、もっと時間が掛かるはずだったもの」
くすくすと二人は疲れ切った私を見て笑い。窓の外は茜空で、随分と時間が経っていた。凝り固まった首を回せば骨が悲鳴を上げ、さらに手を組んで背伸びをすれば随分とすっきりした。二人は私よりも多く仕事を裁いていたのに、苦にした様子は見せていない。内心はどうなのかわからないけれど、その辺り品が良いと思う。私は疲れれば疲れたと直ぐに口に出てしまうし、隠すつもりもない。
「あ、明日の仕事はどうなるんです?」
「実は今日が山場だったの。これで体育祭関連は大方終わり」
「本当、助かったわ」
「江利子。樹ちゃんに貴女のノルマの分を渡していたでしょう。しかも難しいものを」
ジト目で蓉子さまは江利子さまを見る。知っていたらその無茶振りを止めて欲しかったです、蓉子さま。
「いいじゃない。樹ちゃん、苦もなく捌いていくんだもの。まさか一度の説明でこなせたのは予想外だったけれど」
嗚呼、やっぱり中々減らない書類は江利子さまの所為だったか。前世で仕事としてお金を貰っていたから出来たんです、とは告げられず苦笑いしながら二人を見守るしかない。
「全く。――だから明日は簡単な仕事だけね」
とはいえ江利子さまにやられっぱなしというのは癪だ。
「なら明日にすべき私の仕事を江利子さまに譲渡するのは可能ですか?」
「なるほど。ええ、そうね。樹ちゃんの分を江利子にお願いしましょうか」
「え、ちょっと、蓉子?」
「江利子。それでも足りないくらいでしょう、我慢なさい」
蓉子さまがそう言ったのなら履行されるだろう。書類仕事と雑用では割りが合わないような気もするけれど。意趣返しは出来たのだし、満足だ。そうして仕事も終わり、戸締りはしておくから先に帰って良いと言われ、遠慮なく会議室を後にして帰路へとつく。
――翌日。
書類を持って学園内のそこかしこを闊歩する黄薔薇さまの珍しい姿が見られたとか見られなかったとか。
5705字。
聖さまは志摩子さんと姉妹の絆を結ぶまでは親父化はしてないくて、まだ感情を持て余してそうというのが私の意見(異論は認める)。原作だとどうなんでしょうね。アニメしか見てないから情報不足です。