ISを纏ったあの日から、俺の周囲では時間が光のように過ぎ去っていた。
恐るべき手際で見るからに高級そうなホテルの一室に押し込められた俺は様々な書類へのサインを余儀なくされ、また同時にISに関わる教養の勉学を余儀なくされた。
また時には厳重な警備体制の下で外へ連れ出されて、研究施設らしき場所で採血やISの動作テストが行われる。
正直なところ、あの一か月は非常に辛かった。
なにせ何処にいても人の視線を感じて生活しなければならなかったんだ。
恐らくは私的空間たる部屋の中にも監視カメラの一つや二つは仕込まれているだろうし、手渡された専用の電子端末にだって閲覧データが盗み見られる機能が入っているに違いない。
そんな陰謀論めいたことを考えていたおかげで、俺は男子中学生にとって最も重要な三大欲求の一つを満たすことが出来ずにいた。
加えて――。
「お前にはこれからしばらくの間、電話やメールを控えてもらう。そこから居場所が突き止められる可能性もあるからな」
ブリュンヒルデには実質的な外部との連絡禁止を言い渡され、家族のことも知ることも出来ない。
――自分が男子操縦者だと、連絡が行っているのだろうか。
――元より関係の悪い妹や母はともかく、父は元気だろうか。
そんな、普段なら大したことではない内容が気になって仕方がなかった。
悶々とした状況の中、勉強だけは定期的にブリュンヒルデ――もとい、織斑先生が進捗具合を確認しにやってくる。
電話帳のような厚さの参考書から、抜き打ちのように知識確認が行われる。
彼女の鋭い眼光の前では手を抜くことなど到底できるはずもなく、ストレスが順調に積もっていった中――。
俺はISを専門に学ぶ学園、通称IS学園への入学をついに迎えることになったのだった。
「ねぇ、あれって……」
「もう一人の男子操縦者、だよね?」
「なんだか、根暗そう……怖ぁい」
朝早くから黒塗りに外の見えないスモークガラスの高級車で送迎された俺は、自分に割り当てられたクラスまで足を運んだ後にテキストを広げて復習をしていた。
その目的は授業の内容から落ちこぼれないようにするのと、もう一つ。
「ねぇ、話しかけてみれば?」
「ええーっ。あんたが話しかけなさいよ」
「あっちから声をかけてくれば、ねぇ……」
そんな風に好き勝手に感想を述べる女子と、関わりたくなかったからだ。
ただでさえこの学園は、女性がほとんどを占める危険地帯なんだ。
声をかけただけで痴漢認定され、問答無用で上告もなしに有罪判決――なんて噂もインターネット上にはまことしやかに囁かれている。
その上俺は、小学校以来ずっと女子に暴力を振るわれてきた。
いったい誰が、自ら好きこのんで難癖をつけられる機会なんて作るものか。
「ぬぬぬ……」
「うわ、唸ってるよ」
「ウチのペットのベスみたい……」
このIS学園の入試における倍率は恐ろしいほどに高く、それ故に自然と授業の内容も高レベルのものになる。どうせ碌な進学も出来ぬだろうと高をくくり、勉強を適当にこなしていた自分には通常科目ですら厳しいものがあった。
それに加えて、IS関係の法律や技術を学ばなければならない。
これでXXXな画像の一つも見られないようでは、下半身に鬱憤が溜まるのも仕方ない。
授業の始まる前から知恵熱に悩まされつつ、気づけば大分時間が経っていた。
「はい、それでは朝のHRを始めますねー」
由緒正しき鐘の音と共に、緑の髪をした胸の大きな女性教師が教室の前に立った。
「えーと、皆さん。これから一年、よろしくお願いしますっ」
言葉と共にたゆんと揺れる二つの爆弾から、慌てて目を逸らす。
あれは見るだけで男の社会生命を終わらせる核兵器に違いない。絶対に注視しないように気を付けなければ。
そう戦慄していると、彼女は早速新年度一発目の決まり文句を言った。
「それでは自己紹介をしましょうか。えーっと、出席番号順で……相川さんからお願いできますか?」
「はいっ!」
確認を取る彼女に、元気よく横に座る女子生徒が立ち上がった。
「私、相川清香って言います! 好きな――」
とはいえ、それに耳を傾けるよりも俺は参考書を覚えることの方がよほど重要だった。
なにやら長く喋っているようだが、俺の頭の中でそれを背景にISの法律の条文が流れていた。
「――以上です!」
彼女が自己紹介を終えて座ると、次に先生は俺の方を向いた。
「そ、それじゃ、あ、天宮くん。自己紹介をお願い……できる、かな?」
隣の生徒を相手にする時よりも、顔を赤くしてわたわたとしながら自己紹介を促してくる。
「はい」
俺は立ち上がると、一応は最前列に座る者の礼儀として後ろへと振り向いた。
「天宮です」
その一言で挨拶を済ませ、俺は再び参考書へと取り掛かった。
――さて、次はISの帰属に関する条項だったか。
色々と面倒な手続きを踏まえるようになっている部分らしく、相当数が青字になっている。これは覚えるのに気合が要りそうだ。
そう覚悟を決めて、いざページを捲ろうとすると――。
「あ、天宮くん?」
「はい。なんですか」
困惑した様子の教師が、声をかけてきた。
「それだけですか?」
「と、いいますと?」
何が言いたいのか、分からない。
「えっと、もう少しなにか……言って欲しいなー、なんて」
「必要ないでしょう」
彼女の弱々しい求めを、俺はばさりと一刀両断する。
そもそも俺のような男性の個人情報なんて、誰が知りたいなんて思うのか。
そんなものを積極的に知ろうとする連中なんて、それを材料にして遊ぶことくらいしか考えていないに違いない。
お互いにとって無意味な時間を作るよりは、他の生徒の自己紹介にその分を費やした方がよほど有意義というものだろう。
「え、ええっと、ですね……」
「……」
なんとか取り繕おうとする彼女に、俺は卑屈な意志を込めて拒否の視線を向ける。
これ以上話したくはない――そんな想いを目に込めて見据えると、もとより弱い性格らしき彼女は素直に引いた。
「わ、わかりました……。それじゃあ織斑くん、良いかな?」
自然と自己紹介のターンは次の生徒へと移っていく。
ここまでは机にかじりついていて気が付かなかったが、どうやら隣が例の一人目らしい。
女子ではない彼の自己紹介には、俺も興味がある。
この空気の中で彼は、どんな紹介をするのか。
目を向ければ、どうやら教師の声が耳に届いていないようだ。
緊張しているらしく、がちがちと体を震わせている。
……仕方ないな。
「おい」
つんつんっ、と隣から脇腹をつついてやる。
こんな学園で過ごす、唯一無二のお仲間なんだ。本来なら同じ男でも、油断してはいけないものなんだが――せめ最初くらいは、協力する姿勢を見せておいた方が良いだろう。
「うわっ!?」
「自己紹介。そっちの番だ」
「あ、ああ。ありがとうな……」
彼はがたりと勢いよく起立し、その勢いのまま後ろへと体を回転させる。
「えっと、俺の名前は織斑一夏ですっ! これから一年間、よろしくお願いしますっ!」
そして慣れない緊張のまま疾風のように一礼し、再び顔を上げる。
そんな彼を、クラス中の女子が見つめていた。
「――以上です!」
その勢いに乗って、何人かが椅子から体を滑らせかけていた。
……もう良いだろう。極度の緊張からか、この場で彼からはこれ以上は何も話さないに違いない。
となれば後は、予習の時間に当てるだけだ。
――そう考えた俺と、紹介に失敗した織斑の頭が続けてスパパァンッ! と叩かれた。
見れば、俺たちの中央にはいつの間にか織斑先生が出席簿を振り抜いた状態で立っていた。
「まったく。揃いも揃って自己紹介も満足に出来んのか、お前らは」
「なっ!? 関羽!?」
いや、ここはむしろ呂布が出たというべきではなかろうか。
そんな感想を抱いた俺たちを、再び出席簿の攻撃が襲う――シュパパンッ!
「誰が三國志の武将か。――山田先生、HRを任せてしまって申し訳ない」
「い、いえ。大丈夫です!」
教壇から降りた山田という名前の教師の代わりに、織斑先生が改めて上に立った。
「諸君、私がこのクラスの担任を務める織斑千冬だ。お前たち新人を一年で使い物になる操縦者へと育てるのが私の仕事だ。私の言うことはよく聴き、よく理解しろ。逆らっても構わんが、言うことは聞け――いいな?」
まるで軍人のような言い回しに、クラス中が湧く。
聞いていれば――千冬さまだの、お姉さまに会うためにどこそこから来ただの、果てはもっと罵ってくださいとまで公然で叫ぶ始末。
対して俺の頭は冷え切っていた。なにせ、彼女の特別授業は既に何回か受講済みだ。彼女はやると言ったからには、必ずやると体が理解しているからだ。
下手を打てばまた、あの出席簿の一撃が襲い掛かってくる。
体罰の禁止とはなんだったのかと言わんばかりの前時代的な教育態度に、俺は朝から気を重くさせられた。
「はぁ……毎年毎年これだ。私のクラスには馬鹿しかおらんのか?」
そう呆れている彼女を尻目に、隣の織斑が声を上げる。
「ち、千冬姉!? なんでここに!?」
「織斑先生と呼べ」
学ばずにまたもや頭を叩かれてしまう織斑。
その親しみ深い様子に、新たな声が上がる。
「も、もしかして……」
「二人って姉弟なの?」
まるで、そんな当たり前のことに今更気づいたかのような声だ。
見れば一目で血がつながっていると分かるほど顔立ちが似ているのに、どうして気づかなかったのかとの疑問が過ぎる……いや。関わる必要がないと決めた以上、どうでもいい話か。
他人事のようにその光景を眺めていると、ぐりんっと織斑先生の顔がこちらへと向いた。
「それで、織斑もだが。お前もだ天宮。お前たちは挨拶することもできないのか」
「いや、千冬ねぇ。俺は……」
「なにを仰っているのか、よくわからないのですが」
「ほぅ?」
愉快なものを見たかのように頬を引きつらせる織斑先生に、俺は素直に告げる。
「俺は名前をきちんと言いました。それ以上の何が必要なのですか」
「人間関係を円滑に進めるためには、互いのことをより知ってもらう必要があるだろう。そのきっかけとして、好きなものや趣味などを述べるのが普通の自己紹介だと思っていたが」
「そうなのですか。それは初めて知りました。ですが、そもそも俺に趣味や好きなものとかはないので話す内容がありません」
「なにを馬鹿なことを……」
もちろん、俺の語った言葉は嘘だ。
だが、間違っても俺は自分についての情報を知らない人間に明かすつもりはない。
――好物を教えれば、目の前でそれを奪われて踏みつけられる。
――趣味を教えれば、それに没頭できないように徹底的に邪魔される。
男の個人情報とはそういう取り扱いをするもので、そもそも学校内の人間関係は円滑に進むものではない。
――いじめをされている所を見れば見捨てるか、積極的に加害側に加わるかのどちらかだ。
――そんな歪んだ関係が嫌で、円滑にクラスの動きを進めたいのならば互いに無関心で仕事を進めるのが一番だ。
一字一句正確に伝わっているとは、思わない。
だが、先ほどのやり取りで俺の内心を読んだ彼女なら、俺の中に絶対に話さないという意思があることも分かるはずだ。
そして先生は、俺の言いたいことの主旨をきちんと読み取ったようだ。
「……わかった。今はそういうことにしておこう」
「え、なんでだよ千冬ねぇ!? なんで天宮は許され――あふんっ!?」
「あいつは言っても治らんだろう。それと言い方を直せ」
彼の頭を出席簿で押し付けて無理やり座らせた後、彼女はもう一人の教師に残りを譲って教室の後ろへと向かっていった。
その際に彼女は俺たちの隣を通り――俺の耳だけに届くように、密かに囁いた。
「それと天宮。あの目を他の生徒に向けるのは止めておけ。面倒事を避けたいなら、なおさらな」
「……はい」
無暗に挑発すれば、結局悪い方向にしか繋がらない。
だが、なぜそれを同じ女である先生が言ってくるのだろうか。
そのよく分からない忠告に、俺もひとまずは小さく頷きを返すことにした。