自己紹介を終えると同時に、このクラスは休み時間を挟む間もなく一限目に突入した。
ただでさえこの学園は通常授業に加えてISについて学ばなければならないため、時間が押しているからだ。
そして――キーンコーンカーンコーン……。
「――以上で、一限目を終わります。お疲れさまでしたー」
先ほど予習していた内容を少し超えるあたりで、やっとこさ授業は終わりを迎えた。
しかし、このペースで本当についていけるんだろうか。
そんな情けない感想が頭を過ぎった。
まるで動画サイトで見た大学の講義のように、書かれた内容が次から次へと消されて新しい内容に書き換えられていく。
俺みたいな人間にとっては、追いつくことすら手いっぱいだ。
教師が後片付けしている姿を見て、俺は早速次の授業の予習を始めることにした。
――だが、そんな俺に話しかけてくる声を無視することは出来なかった。
「なあ、良いか?」
「……なんだ、織斑」
隣の席から話しかけてくる唯一の男子のクラスメイト、織斑一夏。
彼が人懐っこそうな笑みを浮かべて、こちらを見ていた。
「いや、俺達ってこの学校で唯一の男だろ? 天宮は不安じゃないのか?」
「不安だよ。だからこうして、次の予習をしようとしてるだろ」
ペシペシと分厚い参考書の表紙を叩くと、それに気づいた織斑は気まずそうな顔をする。
「あっ、悪い。邪魔になったみたいで……」
「構わん。そっちだって、いきなりこんなところに放り込まれて大変だろう。話し相手が欲しくなるのも当たり前さ。気にするな」
それに、どうせ次の授業はISの法規に関する内容だ。ここはもう予習済みだし、軽く復習しようと思っていただけだから問題はない。
「それよりも、織斑はどうだ。ここの授業、頭が痛くならないか?」
「……正直なところ、自身がないんだ。さっきの授業は数学だったからまだしも、IS関係については勉強したことなくてな」
その答えに、俺は驚かされた。
「……勉強させられなかったのか? 俺は適性があるって分かったらすぐにホテルで参考書の山に向かわされたんだが」
こちらの事情を説明するが、織斑は首をかしげるばかりだ。
「いや、俺はそういうのはなかったな」
「ふぅん、不思議なこともあるんだな。まさか忘れていた訳じゃなかろうし……」
二人揃って、政府の対応の違いに頭を悩ませる。
だが、高校生になったばかりの俺たちがそう簡単に政府の意向を理解できるはずもなかった。
「ともかく、この調子じゃ予習せずに追いつくのは厳しいってのは同じだろう? 織斑も早めに予習を進めておいた方がいいぞ。ただでさえ俺たちは針の筵なんだから、成績まで悪かったらどんな目で見られるか分かったもんじゃない」
女子に付け入る隙を与えてはならない、と一応忠告を付け加えておいた。
「……そうだな。俺たちも頑張らないと」
「分からなそうなことがあったら、俺も相談に乗るからさ。お互い勉強を始めたばかりなんだ、女子よりは話しかけやすいだろ。それよりも、だ」
「なんだ?」
顔を寄せて、こっそりと問う。
「さっきからあっちの女子がやけにこっちを睨んでるんだが、なんだ、恨みでも買ったのか?」
どこか織斑先生に似たような、長いポニーテールの凛とした様子の女子だ。
例えるなら武士娘とでもいったところだろうか。
触れるもの全てを切り裂いてしまいそうな雰囲気のその女子が、先ほどからちらちらとこちらの様子を――正確には織斑のことを窺っている。
そちらに視線をやった織斑が、目を見開く。
「……いや、幼馴染、だと思う。久しぶりに会うから、はっきりとは言えないけどな」
「そうか。信用できるのか?」
「もちろんだろ?」
彼ははっきりとそう言い切った。
どうやら嫌な思いとかはさせられたことがないらしい。
まったく、今の時代には稀有な女子と知り合いだったとは羨ましいな。
ただ、長らく顔を合わせていないというのなら……。
「じゃあ、話したいんじゃないか? 横取りしたみたいに思われてそうだ」
そう冗談をいうと、彼はなるほどと言ったように頷く。
「そうかもな。じゃあ、ちょっと行ってくるよ」
「ああ。気をつけろよ」
「ん? ……そうだな。余計なことはいわないようにしとく」
一応忠告するも、彼は席を立って幼馴染のところまで歩いていってしまった。
……よく顔を合わせられるな。
俺だったら知らぬ間に女尊男卑にどっぷりと浸かっているかもしれないと邪推して、話しかけるのは躊躇ってしまいそうなのに。
よほどのお人好しか、それともただの馬鹿なのか。
どちらにせよ勇気あるその背中を見送って、俺は再び参考書へと戻った。
男子である織斑ならともかく、他の女子に話しかけられるのなんてまっぴらだからな。
■■■
そうして迎えた二限目。
「――あ、天宮くん。ここまででなにか、分からないこととかは……」
「ありません」
たとえあったとしても、このクラスメイトの前で自分の無知を晒す気にはなれなかった。
それに、分からないことがあっても今の時代は調べれば十分に出てくるからな。
「そ、そうですか……。織斑くんはどうですか?」
しゅんとした様子の教師は、今度は織斑に質問を投げかける。
ただ、彼の顔はやや様子が悪そうで……。
「……」
「分からないことがあったらなんでも聞いてくれていいんですよ? なにせ私は先生、なんですから」
その言葉を信用したのか、織斑は俯かせていた顔を上げた。
「はい、先生!」
「なんでしょう、織斑くん!」
「ほとんど全部分かりません!」
「ほ、ほとんど……えっ?」
その言葉に、教師はぽかんと間の抜けた顔になる。
「い、今の時点で他に分からないって言う人は……織斑くん以外にいますか?」
そう言って、教師は教室全体を俯瞰する――なるほど、そういうことか。
静まり返る教室の中、俺は一人納得していた。
――つまりこの教師の目的は、このようにして男子の知識の無さを露呈させて女子に見せつけることだったに違いない。
今の時点で既に高偏差値の自分たちについていけない劣等生の存在――自分たちには舌がいるということを明確に見せつけることで、女子のやる気を奮起させようという予定だったのか。
なんと恐ろしい計画だ。
やはり女子は、全面的に信用ならない生き物だ。
戦慄する俺を放っておいて、教室の後ろから織斑先生が声をかける。
「織斑、入学前の参考書は読んだか? 必読と書いてあったはずだが」
「え、そんなものは知りませんけど……?」
「これじゃないのか?」
彼に、机の上に置いていた参考書を見せる。表紙にデカデカと必読の文字が書かれているものだ。
「……ああ! それか。たぶん、古い電話帳と間違って捨てました」
「なぜ必読のものを捨てた馬鹿者」
パァンッ、と織斑の頭が叩かれる。
「いえ、玄関先に積んであったからてっきり古紙回収に出してほしいのかと……」
それを言い訳と受け取って更に頭を叩こうとした先生に、俺は待ったをかけた。
いくらなんでも、問答無用でものを捨てるほど織斑は馬鹿じゃないだろう。
「なあ、織斑。さっきの話を聞いていて思ったんだが、必ず読めとは言われなかったんじゃないのか?」
「ああ、そうだぜ? なんかいきなり置かれててさ、始めはびっくりしたけど。必要なら部屋に置いておくだろうし、要らないものだったんだろうなって」
なるほど、そう言う風に考えたのか。
それなら自分が読むものであると分からなくたって仕方がない。
俺は彼を弁護するように、織斑先生の前に立つ。
「きちんと伝えてなかったのなら、そちら側の伝達ミスでしょう。読むべきならそう口頭で伝えてもらわなければ、普通は理解できませんよ」
決して喧嘩を売ろうとしているわけではない。
ただ、このまま理不尽に晒される織斑を見過ごすのがなんとなく躊躇われただけだ。
「……む。それも、そうか? どう思う、山田先生」
「え、えっと……あわわ」
例の緑色の髪の教師に問うも、彼女は視線を右往左往させて答えられない。
「仕方ないな。ひとまず予備のものを渡すから、一週間で覚えるように」
「なっ、一週間でこの厚さなんて無茶苦茶じゃ……」
「やれと言っている」
「……はい」
意気消沈する織斑。確かに今から一週間では、厳しいだろう。
「別に、とりあえず一周すれば大丈夫だろ。あとは授業で復習すれば、自然と覚えてくさ」
「天宮……そうだよな!」
こちらのアドバイスでひとまず気分が落ち着いたのか、彼はほっとした様子で前に向きなおした。
余計な口を挟んだ俺に、先生が睨みを利かせてくる。
「あまり織斑を甘やかすな、天宮」
「甘やかしてなんかいませんよ。最初から追い詰められるより、余裕をもって勉強した方がいいってだけの話です」
「ちっ。ともかく、ISとは兵器だ。お前たちが望もうと望むまいと、将来は必ず関わることになる。事故を起こせば、既存のものとは比べ物にならない程の規模だ。故に、このような基礎知識の習得は必須だ。覚えておけ、織斑」
「はい……」
これで話は終わりと言わんばかりに、彼女は背を向けて元の場所に戻っていった。
改めて教室の前に向き直りながら、俺は先ほどの内容を頭の中で復唱していた。
――ISとは兵器である。
それを否定したくとも、今の俺が一人声を上げたところで変わりはしない――ただ。
――望もうと、望むまいと。
織斑がISに触れた時はどうだったのかは知らないが、少なくとも俺は自ら望んでISの差し出した手を取ったんだ。
いずれにせよ反応を示した時点で、この道に進むという運命は変わらなかったのかもしれない。
とはいえ、俺はあの時に確かに自ら宣言したのだ。
――共にこの道の先へ進む、ということを。
だからこそ、こういった勉強にもきちんと身を注がなければならないな。
そう、改めて気合を入れ直した。