朝の日射しが顔に掛かり、暁一眞は目を覚ました。上半身を起こした彼は肩を回したり、ストレッチをしながら意識を覚醒させていく。そのまま時計に目をやると、登校までは十分余裕のある時刻であった。まだ寝ていたいという欲を抑え込み、一眞は布団から出て畳んだ後部屋を出ていく。
居間に来たものの、そこには誰もいなかった。恐らく兄も妹も、先に出ていってしまったのだろう。
「早いな……」
誰も反応することがない沈黙の中、一眞は洗面所へと向かった。
その後制服に身を包み、適当に朝ご飯を口に突っ込んだ一眞は家を後にする。外に出るとすぐさま入ってくる秋の太陽の光がまぶしく、彼は思わず手で遮ってしまう。
「今日もいい練習日和だな」
なんて暢気なことを言いながら、一眞はバス停へと向かって歩いていく。バス停には既に先客がいるようで、こちらに気が付くと元気に手を振ってきた。
「
「おはヨーソロー!」
「おはよう」
「ああ、おはよう」
千歌のあいさつに始まり、曜、梨子とバス停であいさつを交わしていく一眞。
「今日は一眞くんが最後だね」
「ああ、いつも通り千歌が最後だと思ったのにな~」
「残念でした! わたしだって頑張ってるんだよ!!」
「毎日だったらいいのに……」
どうやら日によってビリは違うらしい。千歌が寝坊するだろうという予想が外れたことに一眞はぼやき、対する千歌は腕を組んで誇らし気だ。そんな彼らのやり取りに、隣の梨子はため息を吐いてしまう。
その後は他愛のない話をし、バスを待つ4人。まったく変わらない、いつもと同じ日常だった。
「珠冬ちゃんはもう学校に行ってるの?」
「俺が起きた時にはもういなかったから、多分そうなんじゃないか」
バスの中でも話は続く。今は
「ねえ、お兄さんや妹がいるってどんな感じ?」
兄妹というものに興味がある曜は一眞へと尋ねる。一人っ子というのもあるだろう。さらに「私も聞きたいと」梨子も加わる。
「つってもな……別になんも……ただ気が付けばいたって感じだし、兄に至っては生まれて……ん? 生まれて……」
どんな感じだと聞かれても、明確に言語化できるものではなかった。しかし、頭をはたらかせていく中で、一眞はある
「一眞くん?」
「……あ、ああ。と、とにかく、もう当たり前の存在だから意識なんてしないってことだよ」
先ほど感じた違和感の正体は全くわからないが、そんなことはどうでもいいと言わんばかりに頭の中から消え失せていく。
今まで感じることのなかった違和感に戸惑いつつ、彼は窓の外に目を向ける。漁港や富士山、淡島、そして青い海。どれもこれも
「……くん、……眞くん」
「一眞くん? 学校、もう着くよ?」
「あ、ああ悪い」
違和感に悩まされるも曜の声で現実に引き戻される。先ほどまで感じていたものは何か、考えようとするも……
(────何考えてたんだっけ?)
忘れた。いや、最初から考え事などしていなかったという認識の方が正しいかもしれない。
それはそうと、浦の星学院近くのバス停に到着する。バスを降りれば、また眩しい太陽の光に照らされ、おなじみの潮の匂いが鼻孔をくすぐる。
「あったけ……」
一眞は道中、背伸びをしながら呟く。すると梨子も「そうね」と同意しながら、何か勘付いたのか彼の方に向き直って注意を促した。
「気持ちいいからって、千歌ちゃんみたいに寝ないでよね」
「……善処する」
「どうだか」
その言葉への信頼度はえらく低いようで、梨子は疑いの目を向けている。しかしこのやり取りの一番の被害者は、例として挙げられた千歌だろう。本人も聞き流す気はサラサラないようで「梨子ちゃん酷い!」と抗議する。
「でも、最近は授業ちゃんと受けてるよね」
「だよな。まあ燃えてんだろ。いや、まだ継続してるって感じか」
曜と一眞の話を聞いて千歌は「当たり前じゃん!」と返し、そのまま校門まで走り出した。
校門前に辿り着くと、千歌は自然と足を止める。彼女の背中を追い駆けきた3人も、同じように隣に並び立って校舎を見上げる。そしてふと、千歌は噛みしめるようにある言葉を呟く。
「私たちが救ったんだよね……」
「ああ。お前たちが救ったんだ」
「まだ、現実味がないんだけどね」
「私もかな」
みんなで足掻こうと決めたあの日から始まり、幾多の壁が立ちふさがることもあって途中で歩みを止めそうになったこともあった。しかしそれでもあきらめずに挑戦を続け、遂に果たすことができた。自分達で言っておきながらまるで夢物語のようだと涙を流し、笑いあったのも記憶に新しい。
「つってもまだ終わったわけじゃない。決勝だって控えてる。見つかった輝きを、そこで見せつけるんだろ?」
一眞の問い掛けに、3人は力強く頷いた。
「あ、そろそろ時間!」
「やべ!? 急ぐぞ!!」
ここで達成感や感動に浸っていたいところだが、そろそろホームルームの開始時間になりそうだ。遅刻するわけにはいかないと、慌てた様子で彼らは玄関へ走っていく。
「……? 救った?」
足を止めてしまう一眞。やはり何かがおかしい。しかし”おかしい”と感じても、”何がおかしいのか”まではわからない。
言葉にできない何かが、どうしようもない不快感となって胸の中を駆け巡る。
「ほら一眞くん、はやくー!」
「あ、ああ!」
未だ消えない不快感を抱きつつも、彼は教室へと走っていくのだった。
~~
結局、先ほどの違和感が消えさることはなかった。喉に刺さった小骨のように、一眞の中に残留し続けた。ペンをノートに走らせていた授業中だってそのことで頭がいっぱいで、内容なんか入ってくるはずもなかった。千歌たちと談笑しているこの休憩時間中だってそうだ。空返事でも何も言われないのは、3人での話がヒートアップしているからだろう。
「千歌ちゃんなんて小学校の頃────」
「へえ、そんなことがあったんだ」
「な!? 曜ちゃんだって────」
談笑を続ける彼女たちの声が遠い。いや、この教室内にいる生徒全員の声が……と言ったほうが良い。いつもと同じ光景、変わりの無い空気の震え。だというのに、自分だけが取り残されているような異物感。疎外感まで感じる。まるでこの教室、この世界が創造物のようだ。しかし、彼は頭を振ってその邪念を振り落とそうとする。
だって、暁一眞は
(────ずっとここで過ごして来たじゃないか)
……ずっと? 思考が止まる。第一、ずっととはいつからのことを言っているのか。高校に入学した時から? 中学? 小学校? それよりもずっと前?
(俺はいつ千歌たちと知り合ったんだっけ?)
呆然とした記憶の中に出てくるのは”小学校の頃から”という、漠然としたもの。しかし、小学生の自分が見たであろう、彼女たちの姿は全く出てこない。思い出せない。
「一眞くん、ちゃんと聞いてる?」
「ん? あ、ああ。聞いてる」
「……大丈夫? 今日はちょっと変だよ」
曖昧な返事に、千歌は彼の顔を覗き込む。今の自分を悟られたくなくて、咄嗟に「ごめん聞いてなかった」と訂正する。
「だから~覚えてるでしょ? 小学校のころ!」
「……っ!?」
丁度、考えていたことと話題が一致してしまった。言葉を失いそうになるがギリギリで堪え、適当に、それでいて怪しまれない程度に言葉を紡いでいく。
「わたしや曜ちゃん、一眞くんと珠冬ちゃん。あと果南ちゃんと和哉さんで遊びに行ったでしょ?」
「……そういえばそんなことがあったな」
口では懐かしそうに言ってはみるが、そんなことなどあっただろうか。しかも小学校の頃に。疑った一眞の心とは裏腹に、頭の中では確かにその時の様子が思い出される。まるで他人の中を頭を覗いているかのような感覚。
「ねえ、ホントに聞いてる?」
「具合が悪いなら、ちゃんと言ってよ?」
どうやら体調がすぐれないように見えたらしい。まあ、今感じている違和感に振り回されている状態では、とてもいい気分とはいえない。
すると、教室に残っていた生徒がゾロゾロと廊下に出ていく。
「次は移動教室だったね」
「私たちも行こっか」
席を立ち、廊下に出ていく。そんな中、たまらなくなった一眞は、遠ざかっていく千歌の背中に向かって呼びかける。
「なあ、千歌」
「……? どうしたの?」
「学校を……救ったんだよな?」
きょとんとした顔から、笑いに変わったのはほんの一瞬。そして彼女の口から飛び出たのは、今は聞きたくないと思わせる、あの言葉だった。
「そうだよ。ラブライブ決勝に進出して、定員も100人以上集めて廃校を阻止したじゃん! 忘れたの?」
結論から言うと、あの後一眞は保健室に直行した。保健室のベッドに座り、彼はこれまでのことを考えていた。千歌の言葉で、少しは頭がクリアになった気がする。
そう、全ての事象が一眞自身の経験してきたものと全く異なっている。何故今まで違和感だけで済んでいたのか不思議なくらいだ。廃校を救っている、自分に兄妹がいる、そしてここで生まれて育ったという過去……全部が全部、あり得るはずのないもの。
ではなぜこのような偽りに囲まれた中で、何も疑わずにいられたのか……。今朝なんて、操られた人形のように全てが本当ことだと思い込んでいた。周りが変わったのか、それとも自分だけが
何はともあれ、みんなを正気に戻す、あるいは脱出する方法を探らなくてはと思い立ったところで、ベッドを仕切るカーテンが開けられた。保健室の先生が、様子を見に来てくれたのだ。
「具合はどう?」
「はい、大丈夫です。さっきよりはマシになりました」
「そうね、顔色も良くなったみたいだし。あ、でもお水はちゃんと飲んでね」
横に置かれていたコップに視線を移す。そう言えば、まだ飲んでいなかったなと一眞は一気に飲み干した。
だがそれがまた失敗だったとは、今の一眞にはわかる筈もないことだった。
(さて、ここからどうやって………あれ……?)
途端、意識が朦朧としてくる。そしてあろうことか、先ほどまで考えていたことを完全に忘れてしまったのだ。書かれた文字を消しゴムが消すように、汚れが水で落ちるように……きれいさっぱりと。
「あれ……俺は今まで何を……?」
先ほどまでの
~~
学校を終え、自宅に戻った一眞。今の彼には、この世界がどうだとか、脱出しようだとかなど微塵も考えていなかった。ただこの世界で生を受け、そして命を落とす。
「一眞~、今日は練習とやらは良いのか?」
一眞の自室に入ってきたのは暁和哉。学生服に身を包んでいることから、彼も学生のようだ。彼の言っている”練習”というのは、十中八九スクールアイドルの事だろう。
「ああ。決勝が近いけど、まずは休ませることが大事だってダイヤさんが言ってたから」
「そうか。じゃあ珠冬は?」
一緒に帰ってきてないのを不思議に思ったらしい。口に出すと本人は否定するだろうが、和哉はシスコン疑惑がある。絶対に本人は否定するだろうが。
「さあ。花丸たちと遊んでいるんじゃないの?」
「随分と適当だな」
「あのねえ、俺だって全部を知ってるわけじゃないんだから」
「……それもそうだよな」
ため息を吐きつつ部屋を後にしようとするも、彼は足を止めて一眞に尋ねる。「その顔はどうしたのか」と。心当たりがないと一眞は聞き返すと、「寝不足か?」と茶化され去り際に「今日は早く寝ろ」と言われてしまうのだった。
「なんだよ……。うん?」
顔を擦ると、手の甲に冷たい感触が。視線を移すとそこには液体が。恐らく己の目から流れ出たものなのかもしれないが、流れた理由は今の一眞にはわからないだろう。
「変だな……どうして泣いてなんか……」
今の一眞は疑うことなく、拒否することなくこの生活を享受している。どうにかしたい、脱出したいなんていった
本来在り得ることのない、偽りの世界。彼らの住まう世界の片隅で、桃色の羊がジッと一眞を見つめていた。
詳しいことは次回に。