Pratico-Inerte -アークナイツ二次創作短篇輯- 作:道臣
――神よ我が呼びかけに汝の我に聞き給わざること何時までぞや。我汝に向かひて強暴を訴ふれども汝は助け給わざるなり。汝とて我に害悪を見せたまふや。何とて艱難を瞻望居たまふや。掠奪と強暴我が眼前に行わる。争論あり闘争また興る。
かつて全知全能の神を信じ文明を深化させた民族は、強大な帝国を前に未曾有の危機に陥った。個人、家族、国家、そして信仰。その全てが動揺していたその時代に現れた預言者は、己が民族に対する神の不介入を怨嗟した。なぜ善良な我が民がこのような苦難に遭うのか。なぜ神は我々を救い給わないのか。彼らの天主は知ってか知らずか彼の民族を更なる苦難の時代へと誘い込む。王国は異民族に支配され、民族は四散する。迫害を受ける。いつしか彼らの悲願は再び同胞の国家を造り再び自らの神の威厳と栄光を取り戻すこととなった。
私はこの話が嫌いだ。我々に"我が神"はいないからだ。
例えいたとして。神が善良な民に幸を、悪に懲罰を与える存在だとするならば、何の罪もなかった我々に鉱石病という懲罰を与え、家族、友人、兄弟という幸を奪い去ったのは一体誰だというのか。もし神と呼ばれる存在がそれを為したとするならば、それは最早私にとっての神ではない。故に我が神と言える存在はいない。しいて言うならば鉱石病に罹患したあらゆる同胞にとっての神とは自分自身のことだ。全てを失い自らの努力のみで生き延びねばならなかった者たちからすれば、自らそのものを神と信じるしかあるまい。
――或いは究極の自助に対して疲弊しきり、カリスマを持つ者を我が神として崇めるか。
「フロストノヴァさん、ここにいたんですか」
ロドス・アイランド製薬に助けられて数か月。鉱石病の重篤化から奇跡的に回復して一週間ほどが経過したある日、
ロドスの最高経営責任者が警備の一人も連れず私に会いに来るというのも不用心な話ではあるが、おそらくこれは彼女なりの優しさなのだろう。既に仲間として受け入れる態勢はできている。明言はせずともそう態度で示しているのだ。
ロドスの対応に文句はない。我々に正式にオペレーターになれというのは言い出しづらいのだろう。製薬会社でありながら軍事組織でもあるロドスのオペレーターになるということは戦闘要員になるということでもあり、即ちそれは
「他のスノーデビルの隊員さん達はどうしたんですか?」
「イフリータとかいう小僧が遊んでほしいと駄々をこねていたから付き合わせている。ドクターは忙しいようだからな」
「わざわざありがとうございます。どこかから苦情がきたら私に回してくださいね。スノーデビルの隊員さん達はともかく、イフリータさんはともすると物を壊しちゃいますから」
「覚えておこう」
私が迷っていたのは私自身のことではない。隊員たちのことだった。
私自身はロドスに身命を賭す覚悟を既に決めているつもりだ。たとえ裏切り者と言われようとも気にすることはない。ロドスとレユニオン、互いに反目し合う仲ではあるが、感染者の解放という同じ志を持つ者同士であり、私はレユニオンこそ裏切ったが同じ感染者まで裏切った覚えはない。方法こそ違えどもロドスで同胞を助けることはレユニオンで志してきたことと同じなのだ。その覚悟はある。
しかし部下たちとなると話は別だ。彼らも元は身寄りがなくレユニオンを頼ってやってきた同胞達。そのレユニオンを裏切りロドスにつけと言うのは酷な話である。彼らにとっても ――あるいは私にとっても。―― 生きる全てであったレユニオンを裏切るというのは並大抵の覚悟を迫られる。私にはそれを隊員達に話してやる勇気が未だにない。
しかしいつまでもロドスの中で穀潰しをやっている訳にはいかないのも事実だった。近いうちに私の心中を彼らに話し、そして決断を迫らねばならないだろう。レユニオンに戻るか、再び在野に還るか、あるいはロドスのオペレーターとなる決意をするか。私はロドスに残るつもりでいるが、隊員達は私に付き従う必要はない。レユニオンという組織を抜けた以上形式的には私と彼らに上下関係は存在せず、彼らは彼らの望む生き方を選べばよいだけの話だ。
だが、私にはまだそれを話す勇気がない。家族のようなスノーデビルを失うのが怖いのか、はたまた彼らの心情を圧迫するのが嫌われるのか。どちらにせよ、「氷の悪魔」と呼ばれた私も所詮この程度か。と自らに軽く失望させられる気分になる。
ふと隣を見ると、
「隣、座っていいですか?」
ふとそんなことを言ってきた。私が腰かけていた無機質なベンチに彼女が座れるよう少し場所をずれると、
本当に考えが見透かされてしまったのかもしれないな。彼女は座ったまま私の方をじっと見つめて。
「フロストノヴァさんって、本当にお優しいんですね」
「かつてお前とお前が師と仰ぐ人を殺しかけた人間に向かってそれか?」
「気分を害されたならごめんなさい。でも、本心ですよ」
「これ、ドクターからです。お礼ですって」
手を差し出した。飴だった。
「あんなものの礼とは、律儀なやつだな」
「可愛い人ですよね」
飴の包み紙を開くと裏にメッセージが書いてあった。
"君には甘い方が似合うよ。"
なんとなく茶化された気分になってしまう。こうして
私は自嘲気味に言った。
「文字通り、私が甘いと言いたいのか」
「ふふっ。ドクターらしいですね。でも、私も同意見ですよ」
「ここ最近暑いからな。一度氷漬けになってみるか?」
「それもいいかもしれませんね。私がいる宿舎、冷房が壊れてるんです。それに同じ部屋にスカイフレアさんやイフリータさんもいるので、参っちゃいます。フロストノヴァさんがレユニオンにいた頃、あなたを拉致して冷房代わりにしようという計画が本気で持ち上がったくらいですから。提案したのはドクターですが」
「……怒る気にもなれん奴だな。お前も、ドクターも」
「そうですね。私もドクターも、フロストノヴァさんと同じく甘い人間ですから。たとえ仇敵だとしても今となってはそんなことを気にする気分にはなりませんよ」
話をすり替えられたのは、本題に入るということか。彼女がただこうして飴を渡しにノコノコやってきた訳ではないことは理解していた。
「お前もドクターも、甘い人間では務まらないだろう。どこかで締めなければならない時がやってくるはずだ。私自身、甘いのは重々理解しているがそれではいけないと思っている。どこかであの飴のように
「どうしてですか?」
「お前も私も、そしてドクターも。いつかは決断を迫られるだろうからだ。今までそんな時が無かった訳ではないだろう?」
「そうですね。私自身、常に重大な決断を迫られていますし、かつてはそう考えていました。でも、ドクターが言うんです。『誰にも甘やかしてもらったことがない感染者を、私達が甘やかさずしてどうするんだ』って。それ聞いたとき、私思わず笑っちゃって。確かに。って思いました」
「話にならんな」
甘い判断を続けていては、いつか苦痛を伴う判断をできなくなる。それは味方への背信そのものなのだ。特に我々感染者にとっては後ろなどない。戦って死ぬか生きるか、あるいは戦いから逃れて迫害の中を奴隷のように生きるかの三択しかない。甘い人間は奴隷となる。戦い続けるには辛くならなければならないのだ。
「……神よ我が呼びかけに汝の我に聞き給わざること何時までぞや。我汝に向かひて強暴を訴ふれども汝は助け給わざるなり」
結局、我々は我々自身をして辛く強い神たらしめなければならない。そうでなければ家族を救えず、友人を救えず、自らを救えない。感染者にとって精神的に強くあることこそが自らの未来を切り開く一縷の望みなのだ。それをこんな甘い連中に負けたと思うと、やるせなくなる。
「……汝とて我に害悪を見せたまふや。何とて艱難を瞻望居たまふや。掠奪と強暴我が眼前に行わる。争論あり闘争また興る」
私は驚き振り返る。
「ドクターが教えてくれたんです。ラテラーノの聖典にある、預言者の一節ですね」
「ああ」
「彼が生まれた時代は彼の民族にとって困難の時代でした。神様への信仰が失われつつあった時代。民族は未来に絶望し、彼らの神様を嘆いた。今の時代の感染者と同じだと、ドクターが言っていました」
驚きよりも不思議であった。かつて神と全ての未来に絶望しかけていた時代の預言者と、自らと全ての未来に絶望しかけている感染者。この二つを私と同じように重ねて考えるとするならば、どうしてあのような甘い言葉が言えるのだろうか。
我々に神は存在しない。ならば自らの力で生きていくしかない。あるいは別の者を神のように崇めて付き従うしかない。だからこそ多くのレユニオンの隊員はタルラに付き従った。私もその一人だった。それを失った今、自らを頼んで生きていくしかない。であれば、強くならなければならない。それが道理なのだ。
しかし
「でもドクターは、この預言者さんは神様と自らの未来に本当に絶望しきった訳じゃないんだと言ってました。この聖典には最後にこう書いてあるんです。『されど我は神によりて楽しみ、我が救ひの神によりて喜ばん。我が主は我が力にして我が足を鹿の如くならしめ、我をして高き所を歩ましめ給ふ。
「だが、我々には神はいない。私やスノーデビルの隊員を救えるのは、私達だけだ」
「そうですね。例え私たちに神様がいたとしても、その神様が救ってくれるかどうかは分かりません」
「ならどうして……」
私の言葉を遮るように、彼女は力強く言った。
「でも、私はそれを不幸だとは思いません。この預言者さんは神様への希望がありましたが、私達にはもっといいものがありますから。もっとはっきりしていて、頼りがいがあって、そして胸を張って希望だと言えるものが」
「なんのことだ」
「分かるでしょう?」
「ロドスですよ」
自らの組織を神の代わりと名乗るとは、全く大きく出たものである。しかし私は彼女の考えに少し興味が湧いていた。彼女とて感染者として苦難の道のりを歩いてきたはずだ。或いは私のそれよりももっとずっと厳しい道のりだったかもしれない。私と同じ考えを持っていたこともあるはずだ。
「ドクターはこうも言ってました。『この預言者には神がいた。感染者には神はいない。でも、ロドスやレユニオンのように神様の代わりに彼らを助けてくれる存在はいっぱいいる。神はいるかいないか分からないが、私やケルシーや、或いはワルファリンや、ブレイズ。そういった仲間が君を助けてくれる。神の代わりになってくれる。その代わり、君も誰かを神の代わりに助けるんだ。そうすれば神なんて必要ない。神は一人しかいないし、正義を求める。でも君の仲間は何十人も、何百人もいて、正義なんて求めてない。しかも何度失敗しても必ず君を助けてくれるだろう。だから神よりもずっと頼れる存在が、君にはいっぱい付いてるんだ』……正直、私も最初はフロストノヴァさんと同じ考えでしたけど、ドクターの言うことを信じてみようって思ったんです。私達には神様はいない。でも、仲間がいる。仲間と進めば未来もある。自分だけを救いの神様だと思う必要はないんだって」
気が付くと私は真剣になって話を聞いていた。この苦難の道のりを歩いてきた少女が心の底から満足気に紡ぐ言葉を夢中になってきいていたのだ。
私はとうに彼女の語りに引き込まれていた。私よりもずっと年下の少女が自らの新しい神を見つける姿には神々しささえ感じていた。
同時に私は少し嫉妬した。これほど希望を持って生きられる彼女が眩い。そして自らのみを頼って生きてきた私には彼女のようなものが何もない。今頃になって他に誰を神の代わりとして背中を預けろというのか。自らの固くなった思考を恨み、その怨嗟は言葉となって漏れ出た。
「……私には、お前のように頼れるものがない。例えロドスが神の代わりを引き受けてくれると言っても、私にはそれを信頼できる自信がない」
それを聴いた
「何を仰ってるんですか? あなたにも立派な神様の代わりが、既にいるじゃありませんか」
「え?」
はっ。とした。と同時にこれまで私がレユニオンで戦ってきた記憶が走馬灯のように蘇る。ただの隊員であった時期からずっと一緒に戦ってきたスノーデビルとの思い出。私にとって彼らこそが全てだった。家族同然の存在。戦場では相棒。私の人生は彼らを守ることに費やす覚悟だった。
私にとってスノーデビルは手足であり、同時に守るべき対象であった。私こそが一番強く、そして彼らを守れる存在。だからこそ私は守らねばならない。そう考えるばかりであった。それまでずっと自らのみを頼っていきてきた私には、そうとしか考えられなかったのか。
しかし、私こそが彼らに守られてきたのかもしれない。私に生きる理由を与えてくれて、支えてくれた。私に神がやるべきことを代わりにやってくれていたのは、他ならぬスノーデビルの隊員達ではなかったのか。預言者にとっての神、
私にも、"我が神"がいたのか。
「良い顔になりましたね」
「私の言いたかったことはただ一つです。スノーデビルを信じられるあなたなら、きっとスノーデビルもあなたを信じてる。あなたにとっての神様の代わりはスノーデビルで、スノーデビルにとっての神様の代わりはあなたなんですから。そして、ロドスもあなたの神様の代わりに加えていただけると嬉しいです」
「食わせ兎め」
「ふふっ。誉め言葉として受け取っておきましょう」
私も彼女も、自然と笑みを浮かべていた。私は迷いが消えた故に。彼女は恐らくコトが思い通りに運んだ故に。
「私の新しい神の代理が、神より有能だといいんだがな」
「なんだ、そんなことなら既に証拠をお見せしたじゃないですか」
「私たちが甘くいられるのは、とても優秀な神様の代わりのおかげですよ。あなたが甘くいられるのも、あなたの神様の代わりがとても優秀だからでしょう? 違いますか?」
私は部屋を出ていく
もう迷いはない。
然りといへども神はその聖殿に在ますぞかし 全地その御前に黙すべし