Pratico-Inerte -アークナイツ二次創作短篇輯- 作:道臣
「あなたはこれから夢を見るの。それは醒めたくない夢。あなた自身の夢。あなたはその夢から目覚めたくないと思うようになる。そして、それがあなたの現実になる」
「……クター!」
「ドクター!」
夢を見ていた。悪夢だった。
夢から醒めると、一瞬自分がなにをしていたのか分からなくなる。特にそれが悪夢だったならば。
自分の中に空白が生まれる。自分がなにをしていたのか。自分は何者だったのか。それらを全て忘れていた空白の一瞬が過ぎると、私は私を取り戻す。全てを思い出す。
「よかった……。ドクター、起きたんですね」
そうだ。私はドクターと呼ばれていた。私はロドスのメンバーで、多くの仲間たちと一緒に働いてきたのだった。
そして今、こっちが現実だったと心の底から安堵した。
夢だった。あれが夢で良かった。
治らない鉱石病、私の目の前で意味もなく死んでしまう友人達、全てに絶望し無意味に死んでいくレユニオンの人々。それらを軽蔑するように見つめる大衆。そして、世界のあらゆる場所を覆いつくす陰鬱な空気。
全部ただの悪夢だった。
私が今いるここが、本当の現実だったのだ。
鉱石病はロドスが治してしまった。レユニオンは武装を解除し、全ての感染者に再び希望の光が差し込んでいる。ロドスは希望に満ち溢れ、暗く濁った感情を持つ者はいなくなった。曇天は去り、陽光が差すこの世界こそ私が本当にいた世界だった。
――ここは?
「ロドスのドクターの部屋ですよ」
そうだ、ここは私の部屋だった。
「ドクターがうなされていたので、心配になって起こしちゃいました」
――ありがとう。
「今日は何もありませんし、ドクターもゆっくり休養なさってください。起こしてすいませんでした」
――いや、いいんだ。助かった。
アーミヤが首を傾げた。
「どうかしたんですか?」
――悪夢を見ていただけだよ。
「どんな夢だったんですか?」
――まだ何も終わってない夢だよ。ロドスも、レユニオンも、鉱石病も。
「そうでしたか……」
手にほのかに暖かいものが被さった。
「夢で良かったですね。私たちの悪夢は、もう終わってしまったんですから」
――ああそうだ。夢で良かったよ。
そうだ。私たちの悪夢はもう終わってしまったのだ。あとは希望のみが未来に満ち溢れている。ロドス、レユニオン、そして全ての感染者たちを治療し、心のケアをし、世界を新しく生まれ変わらせる。人々が鉱石病という憂き目を見ることはもうない。じゃあ、どうしてあんな悪夢を見てしまったんだろうか。過去への罪悪感や、あるいは後悔が私の記憶をよみがえらせたのかもしれない。あらゆるものがハイライトに向かおうとしている世の中で、私の心だけが傷を残したままなのかもしれない。医者の心の不養生だろうか。
醒めたとはいえ、悪夢を見ていたからか気分は少し動揺していた。そうだ、気晴らしに歩こうかな。と言うと、アーミヤが可愛らしく笑った。
「じゃあ、私もついて行っていいですか? 一緒に朝ご飯、食べましょう」
私はアーミヤを連れて部屋を出た。するとそこをフロストノヴァが通りかかった。
「やあ、ドクター」
――やあフロストノヴァ。体調はどうだ?
「最近、身体を包む冷気が弱くなってきた。兄弟姉妹たちと握手やハグができるようになったんだ。大した進歩だ」
――どこに行こうとしてたんだ?
「メフィストのところだ。医療オペレーターにはまだ止められているというのに、奴はまた歌おうとして喉を壊してな。それでこののど飴を持っていくところだ」
――そうか。じゃあ、くれぐれもお大事にと伝えておいてくれ。
「伝えておこう」
次にエイヤフィヤトラに出会った。
「せんぱい!」
――やあエイヤフィヤトラ。
「へへっ。せんぱいの足音が聞こえてきたので、思わず飛び出しちゃいました!」
――耳は良くなったのか?
「もちろん! ロドスの治療のおかげで、すっかり聞こえるようになっちゃいました。足音で人を見分けるのは、私のマイブームなんです。せんぱいの足音なら、誰よりも正確に聞き分けられますよ!」
――楽しそうでなによりだね。
「鉱石病を治してくれたロドスとせんぱいのおかげです!」
そう言ってエイヤフィヤトラは走り去っていった。
「私も、徐々に良くなってるんですよ」
――そうだったね。
かつてのように絶望を口にする者はいなくなった。アーミヤも希望に満ち溢れた声で、もう指輪のない手をかざしながらそう言った。 私は私が望んでいた世界を手に入れたのだった。
願わくは、二度とあのような悪夢を見ることがないように。
食堂には朝暘が漏れ、オペレーターたちの楽し気な笑い声が木霊していた。
アーミヤを椅子に座らせ、私は二人分の朝食を取りに行った。すると、何処からともなくシルバーアッシュが現れて私の後ろに並んだ。
「気分はどうだ」
――ちょっと悪夢を見ていたんだが、今じゃすっかり晴れた。いい気分だよ。
そう言うとシルバーアッシュは私の肩を掴んだ。
「それは本当に夢だったのか?」
――ああ、だがもう間違いない。こっちが現実だよ。
「そう断言する根拠はなんだ」
――根拠? 根拠はないが……。
シルバーアッシュは私に耳打ちするように、私以外の誰にも聞かれたくないような内緒話をするかのように言った。
「帰ってくるんだ、盟友よ」
私はその声の調子に驚いた。今まで聞いたことのあるような、ないような。生々しさというか、真に迫るというか、そんな重みをもった声だったからだ。
ふと振り返ると、シルバーアッシュは忽然と姿を消していた。まるで最初からそこにいなかったかのように。
「今日の朝食は、これ何ですか。極東風と龍門風がごちゃごちゃですね。作ったのはどなたでしょう?」
――確か、ハイビスが配膳してたな。
「なるほど、ハイビスカスさんでしたか。なら納得ですね」
私は朝食のメニューなど頭に入ってこなかった。機械的に口の中へと放り込みはするが、頭の中ではシルバーアッシュの言った意味を考え続けていた。
「帰ってくるんだ、盟友よ」
何が言いたかったのだろうか。あの驚くべき声色で、何処へ帰れと諭したかったのだろうか。私が帰る場所はロドスしかない。しかしあの聡明で知性溢れるシルバーアッシュが、そんな簡単なことを言っているはずがない。
「ドクター? どうかしましたか」
――ああ、なんでもない。ちょっと考え事をしてたんだよ。
「ドクター、ちょっと様子が変ですよ。医務室で診てもらいますか?」
――いや、大丈夫だよ。ちょっと寝ぼけていただけだからさ。
朝食を済ませて、アーミヤと別れてから私は再び自室へと戻った。
今日は特にすることがないから、他のオペレーターたちの様子を見に行こうか。そう思案していると、ふとケルシーが目の前を歩いてきた。
露出した肌からは源石が見えている。まだ鉱石病を治していないらしい。
彼女は私に一瞥もくれず隣を通り過ぎようとした。ケルシーらしい、冷たい態度だ。彼女は私のことを信用していないだろうが、私は彼女のそういう所が信用できると思っている。
私の肩とすれすれのところを彼女の肩が行き交おうとしたその瞬間、一瞬だけケルシーが呟いた。
「いつまで夢を見ているつもりだ」
確かにケルシーの声だった。冷たく鮮やかなそれだった。
思わず私は振り返ったが、そこにケルシーの姿はなかった。シルバーアッシュの同じように、忽然と姿を消してしまった。
私はそのまま身動きが取れずにいた。シルバーアッシュにケルシー。二人が何を言おうとしているのか、この時私は既に気づきかけていた。
でも、気づきたくなかった。
私は自分の考えを必死で抑え込もうとした。それが怖くて怖くてたまらなかったからだ。それを考えないように、別の事を考えようとしていた。 今朝会ったフロストノヴァや、エイヤフィヤトラのこと。食べた朝食のこと。アーミヤの事。楽しい記憶で誤魔化そうとした。
しかし、それは叶わなかった。私は思い出せなかった。
今朝食べた朝食はなんだったかな?
フロストノヴァはどうしてロドスにいるんだ?
エイヤフィヤトラはいつから鉱石病の治療を始めたんだ?
……アーミヤは? アーミヤの表情は?
朝起きてから朝食を食べて別れるまで
………………どこで、どんな表情をしていた?
私は狂ったように走り出した。他のオペレーターが驚きの声を上げるのを気にも留めなかった。ただひたすら、アーミヤの部屋を目指して走り続けていた。恐怖から逃げるようにして、ロドスの中を息を切らしながら走り続けた。
「アーミヤ!」
「どうしたんですか? ドクター」
私はアーミヤの顔を見た。この目に焼き付けるように見つめた。
「あ、アーミヤ……」
私は恐怖に戦慄した。身体が震え、鳥肌が立ち、私の顔は恐怖に歪んだ。
アーミヤはこの希望に満ちた世界で、あってはならない顔をしていた。それは絶望の全てを知り、なおそれに苛まされつづける者の顔。曇天の世界を歩む鉱石病患者の顔。
――私の悪夢の中の、アーミヤの顔。
次の瞬間、私は真っ白な世界にいた。壁も天井もなく、ただ雪のような冷たい白さのみが無限に広がる世界。私はそこに放り出されていた。
それと同時に私は全てに気が付いてしまった。
私は観ていたのは現実ではなく夢。私が思い描く夢を現実と思い込んでいたのだと。そしてまさに、私が見ていた悪夢こそが私の本当の現実だったのだと。
私は辺りを見回した。すると私の後ろに、クマのぬいぐるみを抱えた小さなフェリーンの女の子が立っていた。
――キミは……。
「やっぱり気づいてしまったのね」
フェリーンの少女は私に問いかけた。
「どうして? 私はあなたが見たい
――私には、まだ
「そっか……」
少女はとても残念そうに俯いた。
「私ね、あなたを悪夢で狂い殺しなさいって頼まれたの。それが私のアーツだから。私の人生はもうすぐ終わる。だから、
「それで、あなたの夢を覗いてみたの。そうしたら、あなたの夢がすっごく素敵だったから私驚いちゃったの。こんな良い夢を持ってる人が、どうしてレユニオンを潰そうとしているんだろうって。だから私ね、タルラお姉ちゃんとの約束を破っちゃったの」
――どうして、私を殺さなかったの?
「私にとって、人の夢を見るのが唯一の楽しみなの。あなたの夢は今まで見てきた誰よりも綺麗で羨ましい夢だった。私が鉱石病に罹る前に見ていた夢と似ていたの。そしてロドスもレユニオンも、みんなみんな暗くなっちゃったのに、どうしてあなたの夢は綺麗なままなのか、理由を知りたかったの」
――その理由は、分かったかい?
「うん」
少女は笑顔だった。
「あなたは、あのみんなが暗くて嫌だと思ってるこの世界の、本当の美しさを誰よりも知っていて、それを愛してるのね。あなたのような人がいるって知れて、私すごく嬉しいの。私はもうすぐ死んじゃうけど、あなたのような人がいるなら、もう少し長生きしたかったな」
――君はどこにいるの? 目が覚めたら、助けにいくよ。
少女は首を振った。
「ううん。いいの。私はもう病気の最後の方だから。あとは石になるしかないの。それよりも、一つ約束してほしいことがあるの」
――私にできることなら、なんでもしよう。
「あなたは目が覚めると、記憶を失くしているわ。だから、私とのお話はもちろん、過去の事も全部忘れちゃってる。でもあなたなら、記憶を失くしてもきっとその綺麗な夢を持ち続けることができるわ。だから、きっとその夢を現実にしてほしいの。あなたがさっき見た
――わかった。約束するよ。必ず
少女は再びにっこりと笑った。さぞかし満足げな笑顔で会った。
「もうひとつだけ」
――なんだい?
「あなたの美しい夢に、戻る気はないの? 私のアーツを使えば、例え私が死んだ後でも、あなたはずっとあの美しい夢の中にいられるわ。あなたの夢は本当にいい夢なの。それから醒めてしまうのは、ちょっと惜しい気もしない?」
「たとえどんなにいい
「……クター!」
「ドクター!」
夢を見ていた気がする。とてもいい夢を。
自分の中に空白が生まれる。自分がなにをしていたのか。自分は何者だったのか。
「よかった……。ドクター、起きたんですね」
私は自分の事が思い出せない。
この少女は誰だろう? ここはどこだ?
私は今、また夢を見ているのだろうか。
「最後にあなたと一緒に夢が見れて、本当に良かったわ」
「あなたはこれから現実を見るの。現実という名の夢を」
夢の逢ひは 苦しかりけり覚おどろきて 掻き探れども手にも触れねば