FLOWER KNIGHT LEAF   作:藤宮ぽぽ

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今回は回想編。
幽霊となった花騎士の、過去のお話になります。
その形式上、いつも以上に地の文が多くなっています。どうぞご了承くださいませ。


6-10 追憶

 大切な家族が害虫に襲われ、命を落としてしまう――

 ありふれた話、というと聞こえは悪いけれど。私たちの住む世界(スプリングガーデン)にとっては、そうした出来事はさして珍しいことではない。

 

 けれど。

 いくら同じことがくり返されようとも。当事者の悲しみや無念が軽くなったり、近しい者たちが何も感じなくなるなんてことはない。

 そうなっては絶対にいけない、とも思う。

 

 我が家があるのは、街の城壁の外側。

 不便なことも多いけど同じような暮らしをしている人は他にもいるし、人口が密集する場所にはないスローライフぶりが気に入っているという人も少なくない。

 毎日のように花騎士が巡回してくれているので、害虫にさえ気をつければ治安も意外と悪くない。すぐ近くに街道が通ってもいるから、いざとなれば人を呼ぶことだってそんなに難しい話じゃない。

 

 それでもやっぱり……あとから悔やんでも悔やみきれない悲劇は、私たちの気づかぬうちに背後に忍び寄っていて。

 私や父が目を離したおりに、少し離れた森へ探検に行った弟。幼い好奇心の代償は、害虫に襲われたことで大きくついてしまった。

 そのまま命を落とし、唐突に私や父の前からいなくなってしまったのだ。

 

 

 

 ――父から聞かされてきた、花騎士たちの武勇譚。あるときは華々しく活躍し、またあるときは苦難の果てに人々を救う。

 尽きることを知らぬかのように存在する、あまたの物語たち。

 だから私も弟も、花騎士という存在に自然と憧れるようになっていた。

 

 でも、花騎士になれるのは女性だけ。騎士団長なら、男の子でもなれるかもしれないけど。

 

 

「すっごく残念だけど……男の子はね、花騎士にはなれないんだよ」

 

 

 ある日そう言ったら、弟は何を思ったのかしばらくして花騎士を描いたという絵を私にプレゼントしてくれた。とてもとても……ものすごく嬉しかった。

 小さな子供が描いた絵。だけど、一生懸命さはひしひしと伝わってきた。

 これが弟がイメージしている花騎士の姿なんだろう。身体の内側から生えているのは、翼のような白い羽根かな?

 ふふ。これじゃ花騎士というよりも、まるでお話の中で彼女たちと一緒に出てくる天使みたい。

 

 ……だから、そんな弟の命を奪った害虫を、私は許せなかった。本気で花騎士になろうと決意したのは、まさしくこのときだったと思う。

 母は弟が生まれてすぐに亡くなってしまったので、弟がいなくなってからは父と二人暮らしだった。そんな父をこの家にひとりで残していくことは大きな気がかりだったけど、私の決意を聞くと力強くうなずいて応援してくれた。

 

 そして、私は家を出て。

 騎士学校への入学が認められ、新しい生活をスタートさせて。

 

 そこで……あの人と出会った。

 

 

 

  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 

 害虫と戦うことを志した時期は、偶然にも、私も彼もほとんど同じだった。

 

 むこうは未来の騎士団長の候補生として。

 そして私は騎士学校の見習い花騎士として。

 はじめて出会ったのは、将来を嘱望される候補生たちが私たちの騎士学校を見学に訪れたときのこと。

 振り返ってみればあの日からずっと、私は彼に()かれていたのだと思う。

 ああ、世の中って広いな。こんな恋愛もあるんだ。

 

 学ぶ場所も住む場所も違っていたけれど、その後も何度か見学会が催され。そのたびに顔を合わせ、私たちはまず友達になって。

 それからは密かに連絡を取りあい、貴重な休暇の日には2人きりの時間を過ごして、少しずつ距離を縮めていった。

 

 ――そして、ある日。

 私の騎士学校卒業が、目前に迫ってきた。

 

 

「こっちも、いよいよ正式に団長として認められることになりそうだよ」

 

 

 2人のお気に入りのカフェで、テーブルを挟みながら彼はそう言うと少しはにかみながら微笑んだ。

 これまでの候補生とか見習いといった肩書きが外れ、危なっかしい新人ながらも一人前として歩きはじめていく。そのタイミングまでお互い一緒ということになったのだ。

 おめでとう、と先日彼から私に向けられたのと同じ言葉を、そっくり返す。まるで自分のことのように、すごく嬉しい。

 けれど瞬間的にこみあげた喜びを彼に伝えた直後、入れ替わるように心の奥で冷たい穴が口を開けるのもまた、自覚せざるをえなかった。

 

 いよいよ騎士学校を卒業すれば、どこかの騎士団に所属することになる。花騎士として私を求めてくれるところがあれば、どんなに遠くても赴任しなければならない。

 その一方で彼も騎士団長となれば、実績を積み重ねていくうちに、何人もの多くの花騎士を指揮下に置いていくことになるだろう。

 私の花騎士人生のスタート地点には彼の姿があった。けれど、ここからは違う道をそれぞれに歩いていくことになる。

 そうして、いずれ彼の前に、ひとりの女性が現れることになるのだろう。私じゃない、他の誰かが。

 

 ……喜ぶべきことなのに。冷静になればなるほど、相反する悲しみへと姿を変えていく。

 こんなはずじゃなかった。もっともっと、心からの笑顔を贈ってあげたかったのに。

 

 彼の目に、私はどんなふうに映っているんだろう。

 今すぐにも感情を爆発させかねない私に、そんな姿など見たくないのだろう。私が何か言葉を発する前に、彼のほうから先手を打つように口を開いた。

 

 

「だから……ついては、君に来てほしい。その、我が騎士団の最初の花騎士として……」

 

 

 テーブルの上に置いたまま、ぎゅっと握りしめている私の手。その上に、そっと彼の手が重ねられる。

 あたたかい。そして、ちょっと震えているようにも感じた。

 

 そっか。

 なぐさめとか、ましてや冗談のつもりなんかじゃない。彼、本気で言ってくれてるんだ。

 

 

「……君の剣技を見た瞬間から、ずっと思っていたんだ。踊り舞うような、美しい剣技だと。そして君となら、どんな害虫も必ず討ち果たせると」

 

「……私は。私は……」

 

 

 驚きと嬉しさとが一気に弾けて、言葉が形をなしてくれない。

 そんな私の表情を見て、重ねた手のひらの温かみを感じて。彼は優しげな笑みをたたえたまま、辛抱強く私の返事を待ってくれている。

 私の気持ちなんて。返事なんて。とっくの前から、決まっている。

 はじめて彼と出会ったあの日から、ずっと。

  

 

 

 

 ――そして。

 晴れて私と彼はそれぞれの学び舎を卒業し、騎士団長と花騎士の末席に連なることになった。

 

 

 

 

 念願の花騎士になった姿を彼のほかに真っ先に披露した相手は、故郷の父だった。

 それまでにも騎士学校で長めの休暇があるときは、必ずといっていいほど帰省していた。

 会うたびに少しずつやつれていくような、心なしか小さくなっていくように感じる父の姿。

 けれど案じる私に笑いながら手を振り、「気にするな」と毎度のように言う。

 

 見た目はそう思えないにしても、性格的に父はとても豪快な人だ。

 だって、街の外に我が家を建て、ずっとそこで暮らしてるんだもの。

 どんなに年老いても、気に入ったこの場所から離れたくないのだそうだ。

 害虫に襲われそうならすぐに逃げ、街の騎士団が討伐してくれるのを待てばいいと言う。そう断言する様子は、騎士団や花騎士を深く信頼していることがうかがえた。

 

 そんな父が花騎士の私を見て。ことのほか喜ばないわけがない。

 そして私もそんな父の姿を見て、花騎士になってよかったとあらためて思った。

 

 

「……それで、所属する騎士団はもう決まっているのか?」

 

 

 母亡きあと、ひとり厨房に立つ父の姿は、私にとっては子供のころからずっと見慣れた光景だ。

 そんな父が久しぶりに腕を振るってくれた2人きりの食事の席で。私はすでに所属先は決まっていることを、そしてそれが同期ともいうべき騎士団長のもとで唯一であり最初の花騎士となることを、包み隠さずに話した。

 たったひとつ、その騎士団長に恋心を抱いていることを除いて。

 

 ……それなのに。

 私の話をすべて聞き終えた父は、何度もうなずきながら。

 ちょっと寂しそうな、そしてそれ以上にどこか嬉しくもあるような、複雑すぎて私には真意がつかみ取れない笑顔を作った。

 え、なに……。なんか納得されてる……?

 

 

「……そうか。だとしたら私も、思いのほか早く孫の顔が見られるかもしれんな」

 

 

 ちょ、ちょちょちょ!

 なんでそんな展開になるのー!?

 

 

 

  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 

 生まれ育った屋敷で父と過ごす、配属前のささやかな日々が終わりを迎えると。さっそく私は、上層部より命じられた任地へと赴いた。

 不安がないわけではない。けれど、騎士団長として私の上司になる彼も一緒だ。

 2人でなら、どんな困難だってきっと乗り越えていける。

 

 目的の村に到着すると、すぐに彼が満面の笑みとともに迎えてくれた。嬉しかったけど、ちょっと恥ずかしくもあったり。

 さっそくとばかりに、他の花騎士の面々と引き合わされ。また彼女たちを率いている何人かの騎士団長にも着任の挨拶を行う。

 驚いたことにその陣容は、いくつかのごく小さな騎士団の寄せ集めのようだった。

 花騎士にしたところで、私も含めて十名に満たない。さらにはその全員が新人ばかりで、熟達した経験者はひとりもいないという。

 知らなかった。こういうケースもあるのね……。

 聞くところによると、この地域で強力な害虫が暴れまわったという過去の事例はほとんどないらしい。

 見られるのは、せいぜい小型の害虫。騎士学校で行う研修や実地訓練で相手にするのとさほど変わらないような、たまに田畑を荒らして困らせるのを退治する程度という、恵まれた環境にあるのだそうだ。

 なるほど。それなら、この程度の駐留戦力で妥当だと判断されるのも無理はないという気がする。

 

 実際、数か月ほど平穏な日々が過ぎた。

 日々の巡回や個人ごとの鍛錬に明け暮れたりはするけど、それ以外はほとんど仕事らしい仕事はない。

 なんというか、こんなに平和な毎日で、お給料だけもらっているのが申し訳なく思えてくるくらい。

 

 

 

 

 そんな、ある日。

 

 

「どうしたの? こんなところで、あらたまって話なんて……」

 

 

 ――私は上司でもあり、ここまでずっと歩みをともにしてきた彼から、村の外へと連れ出されて。

 気晴らしのちょっとした散歩、という名目に付き合い、とある丘の上まで2人でやってきた。

 

 天気のいい日だった。

 

 一望というほどではないにせよ、小高い丘の上からは、それなりに村の姿を見渡すことができた。

 こうやって見下ろしてみるとあらためて、のんびりした村だなとしみじみ思う。そのぶん余計な争いといったものからも縁遠くて、大きな街に比べたら不便なこともあるけれど、この数か月のうちに私なりに愛着を感じるようにもなっている。

 他の地域では、まさしく世界の運命を左右するような大きな戦いが最近もあったと聞いている。

 けれど、私の任地はこの地域しかない。いずれ話に聞くような大きな戦いに参加しなくてはいけなくなるかもだけど、今は目の前にある村の人々をしっかりと守っていきたい。

 

 そうだ。彼のほうは、この村にどんな感想を抱いているのかな。今度聞いてみよう。

 ……そんなことを考えながら、私は彼の次の行動をじっと待っている。

 

 

「あー……えっと。その、なんていうか……」

 

 

 村の中を歩いているときから、彼の様子はどこかおかしかった。

 それが緊張のせいだということを、たとえ他の人が見抜くことができなくても、私には通用しない。

 そんなことがひと目でわかるくらい、長い付き合いだもの。

 だから――気づかれぬよう隠しつづけているものの、私の胸の鼓動も自然と早くなっていた。

 

 踏み出そうとしているのに踏み出せない。そんな彼のためらいぶりが、私にはもどかしく思うどころか、むしろ愛おしく見えた。

 だって、こういう人なんだもの。

 こういう人だからこそ、私が支えて。ときには逆に彼に支えてもらって、騎士団長と花騎士として一緒に過ごしていきたいと思ったんだもの。

 

 

「……つまり、あれだよ。今までありがとう。そして……」

 

 

 ついに彼は意を決して、ひと息にそう言った。

 そしてその勢いで、服のどこかに隠し持っていたであろうそれを、私の前に差し出したのだ。

 

 

「そして、これからも共にいてほしい。……人生の伴侶として、ずっと自分の隣に……」

 

 

 え、え?

 

 これって、指輪?

 ということは、まさか……。

 

 

 頭の中が真っ白になった。

 こういうことだろうとは、なんとなく予想していた。けれど、これは予想以上だ。

 私と彼との仲はすでに他の花騎士たちにも感づかれてしまっている。でも、まだちゃんとした恋人同士という関係でもなくて、それが少しだけ物足りなく感じていた。

 なのにこれは、どう考えても単なる恋人というだけとは違う。きっとそれ以上の関係を、彼は求めてきてくれている。

 階段を一気に駆け上がるようにプロポーズまでされるとは思っていなくて、私はまるで氷漬けにされた害虫のように固まってしまった。

 そんな私の反応に、不安げな表情を浮かべながら見つめてくる彼。

 

 

「……どうかな。駄目か?」

 

「ダメ……なわけ、ないじゃない……」

 

 

 あの日と同じ。

 最初の花騎士として、彼の騎士団に求めてくれた、あの日と。

 だから、答えも一緒だ。

 あの日から。いや、はじめて出会った日から、ずっと。

 

 恋人であり、そしてそれ以上の関係であることを示す、大切な指輪。

 どんなことが起きようと、私たちが歩いていく道はひとつ。そう、誓いを心に刻んで……私はそれを受け取った。

 瞬間、私の身体は彼に抱きしめられ、唇を熱いものが塞いできた。

 これからも、ずっと。私の想いは、彼のそばから離れない。この指輪とともに。

 いつまでも、あなたと一緒よ。

 

 

 

 ――その日の夜。

 

 

 私と彼は、はじめて結ばれた。

 

 

 

  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 

 彼のプロポーズを受けてから、二か月。

 村は引きつづき、平穏そのものといった日々を送っていた。

 ただその間も、人数の変化はあって。新人の花騎士を加えて一応の形をそろえた騎士団がひとつ、独立した格好で別の任地へと赴任したりした。

 けれど彼の騎士団は、いまだに所属する花騎士は私ひとりきりだ。

 

 人数の増減が激しいため営舎はかなり大きく、部屋の数には余裕があった。

 とはいえ私と彼は、あの夜の次の日から、ともに同じ部屋で過ごすようになっていた。

 

 私たちの関係が新しい一歩を踏み出したことは、もうみんなも周知の事実だ。

 最初は冷やかされたりもしたけれど、まったく隠そうとしない彼の私への愛情ぶりに、そんな態度も降参したかのようにすっかり消滅して。今では温かく見守ってくれたりしている。

 彼がそばにいてくれるだけで、私の一日は今までの人生の中で一番充実したものになっている。

 朝の弱い彼を起こすのは、私だけの役目。昼間はお互いに職務があるから少し寂しいけれど、昼食は必ず時間を合わせるようにしている。たまたま手の空いた時間に、あまり経験のなかった料理にチャレンジしてみるのも楽しい。

 そして、夜は。部屋に2つあるベッドのうち、ひとつは使われたことがない。

 自分でも知らなかった私自身が、彼の手で毎夜のように花開かされていく。それが怖くもあり、また恥ずかしいけれど嬉しくもあった。

 バカップルとか言われたって、気にならない。事実そうだと自分でも思うくらいだもの。

 

 

 一度、数日の休暇がもらえたときに、実家の父のもとへ帰った。彼が同行しようかと言ってくれたけど、さすがに父に報告するのはまだ少し恥ずかしくて断った。

 騎士学校の見習い騎士だった時代から手紙のやりとりはしているものの、久しぶりに見た父の顔は、何かはっとさせるようなものがあった。

 なのにあれこれと養生するよう言っても、「わかった、気をつける」と答えるばかりで、むしろ娘に余計な心配をさせまいとする気遣いがありありと見て取れた。

 ……次こそは。次の休暇で帰省するときは、いよいよ彼のことを父に紹介しよう。

 そして彼がいてくれたから今の自分があるのだと、私たちの将来を父に認めてもらおう。

 

 

 

  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 

 

 それは、かなり急な出来事だった。

 

 村のはずれ、丘のむこうの森に近い耕作地が、ここ数日ひどい荒らされ方をしているのだという。

 森といえば、害虫がよく住み着くといわれている場所だ。人間の出入りがほとんどないところだから、どうしても害虫の発見が遅れがちになってしまう。

 一匹や二匹といったごく少数で現れる害虫となら、この村に配属されてから何度か戦った。そして、それで村の平和を守り抜いたつもりになっていた。

 ……しかしひょっとしたら、群れからはぐれたものだったり、あるいは偵察のような役割を果たしていた害虫を相手にしただけだったのではないだろうか。

 そのような話が持ち上がり、にわかに害虫の群れという存在が現実味を帯びるようになった。

 

 これまでとは規模が異なる可能性がおおいにある。

 駐在する騎士団長が合議して、全員で出撃することになった。私や彼、そして他の花騎士たちの何人かにとっては、はじめての本格的な討伐作戦になる。

 不安はあった。けれど彼に抱きしめられているとその不安もあたたかな安心へと変わり、やがて小さな勇気が芽生えてくる。

 どんな戦いになるかわからないのだから体力を残しておかないと、と自分で言っておきながら。この夜も彼の愛を受け止め、精根尽き果てたように朝が来てもずっと眠りこむその顔を、先に目覚めて自分のお腹をさすりながら私は眺めるのが好きだった。

 

 

 

 支度を整えると、私は彼とともに自室を出て。

 そのまま他の花騎士たちや騎士団長と一堂に会し、害虫が潜む領域へと進撃を開始した。

 まるでピクニックに行くとでもいったふうに陽気にはしゃぐ花騎士もいれば、緊張感をあらわに隠そうともしない花騎士もいる。

 他の人から見れば、私はどんな感じに映ってるんだろう。子供っぽくはしゃぐというのも恥ずかしいし、自信に満ちあふれているわけでもない。

 ただ、隣には頼もしい騎士団長がいる。だから緊張感で顔を青白くさせるよりも、笑顔を周囲に振りまくことができていたように思う。

 

 

 

 ――やがて害虫の姿を発見すると、たちまち交戦状態に入った。

 まだ昼間だというのに薄暗い森に足を踏み入れてから、しばらく経ったあたりだった。「湧く」という言葉がこれほど適切なことはないと思えるほど、それは急に姿を現し、次から次へと数を増殖させていった。

 思えば、周囲の警戒が甘かったかもしれない。急いで隣のほうを見ると、彼もまた同じような表情で少なからず悔いているようだった。

 ただそれでも、しばらくは持ちこたえられる。私たちだって花騎士だ。一気に何匹もの害虫に囲まれなければ、そう簡単に負けはしない。

 

 やればできる。そう思った。あとから考えてみれば、そう思わされてしまった。

 まだ戦闘が開始してからそれほど時間が経ったわけではないけれど、みんなよく戦っている。私も何匹か倒すことができた。

 地の利は完全に害虫側にある。いつの間にかぐるりと包囲されつつあるものの、複数人の花騎士の力を合わせて一点に集中すれば、そこから脱出することもできそうな気がする。

 騎士団長たちも、おそらくそれに気がついているはず。あとは彼らが、私の騎士団長が、タイミングをいつ合わせるかだ。

 

 と。不意に害虫の包囲の一角が、雪崩を起こしたかのように乱れた。

 意外に頑強な花騎士たちの抗戦に音をあげたのか、包囲網の一部に大きな穴が開いたのだ。

 すかさず何人かの花騎士が解放された空間を占拠すべくそちらへと駆けていく。

 

 

「……待って!」

 

 

 その部分だけ、なぜか害虫たちは退いていく。その動きにどこか不自然さを感じて、私はとっさに声をあげた。

 が、彼らの耳に届かない。ここをチャンスと見たのか、後退していく一部の害虫を夢中になって追いかけていく。

 これでは戦列が大きく広がるだけでなく、やがて部隊そのものが二分されてしまう。いや、もうしかかっている。

 私と彼は、あわてて勝利への期待に(はや)った仲間を追った。

 

 先行する花騎士に合流させまいと、何匹かの害虫が近づいてくる。隣で走る彼の身をかばいながら、私は一匹一匹それらと渡り合い、なんとか撃破していった。

 だから――気がつくのが、一番遅れてしまった。

 

 追いかけていた花騎士たちの背中が見える。なぜか足を止め、それ以上先へ進もうとはしていない。

 何匹めかの害虫に斬撃を浴びせながら、ちらりと彼らの向かう先に目をやる。何か黒い壁のようなものが見えた。

 違う。壁なんかじゃない。メリメリと、周囲の木が一瞬にしてなぎ倒されていくような音が聞こえた。

 目の前に現れたのは巨大な害虫の腹部、いや尻尾だろうか。とすると胴体は、その頭部は。

 

 

「危ないっ!!」

 

 

 どん、と何かに突き飛ばされ、私は大地に倒れ伏す……より早く、転がりながら態勢を整えていた。

 そして、次に見たものは。頭上からまるで大きな岩塊のように振り下ろされた巨大害虫の頭部に、私を突き飛ばしながら巻き込まれていく彼の姿だった。

 

 先行していた花騎士たちは、巨大害虫の一撃をなんとかかわすことができたようだ。

 彼だけが……違う。私ひとりが、他の害虫に気を取られて巨大害虫が待ち構えていたことに気づけなかった。彼はそんな私をとっさに突き飛ばし、身代わりになったのだ。

 

 

 

 ――たしかにあれからしばらくの間、私は理性をほとんど手放していた。けれど不思議と、そのときの記憶は鮮明に残っていたりする。

 巨大害虫の一撃で、先行していた花騎士たちもたちまち我に返ったようだ。私と肩を並べるところまで下がると、後方の本隊と合流するタイミングを合わせはじめた。

 ただ、私は違った。自分が囮になるからと彼らに告げ、後方に下がるどころか前に出たのだ。

 

 もう、仲間の花騎士の声は私には届かなかった。害虫がふたたび頭を上げると同時に私はそのふところに飛び込み、彼のもとに駆け寄った。

 左腕と左足。無残なほどに潰れ、あらぬ方向に折れ曲がっている。

 そんな彼を背中に担ぎ、ごめんなさいと口にしながら、私は仲間たちと違う方向へ一目散に駆けだした。

 やっぱりそうだ。攻撃を受ける瞬間、うっすらと感じた感覚。この巨大害虫は、どうも私を狙っている気がする。

 ムカデ型害虫の半身がこちらへとねじ曲がるのを背後に察して、私はさらに足を速めた。仲間の花騎士たちが何か叫ぶような声が聞こえたけれど、それもやがて聞こえなくなった。

 ただ、巨大害虫は確実にこちらを標的にして追いかけてきている。それどころか、なんとなく他の害虫までもが自分たちに狙いを絞ったような気配すら感じられるようになった。

 

 荒かった彼の息が、どんどん細くなっていく。ごめんなさい。私は何度もその言葉を繰り返した。

 やがて、彼が小さく首を振る気配がした。そして同時に「降ろしてくれ」と、私の背中でかすかに息が漏れるのを感じた。

 前面。害虫の姿が何匹か見えた。戦いながら突破するしかない。けれど、重傷を負った彼を背中に負ったまま戦って、彼は無事でいられるだろうか。

 迷ってはいられない。背後からも、ゆっくりと巨大害虫が迫ってきているのは間違いない。

 もう一度、彼が降ろしてくれ、と口にした。さっきよりも小さく、かすれるような声で。

 ……一本の巨木を見つけ、私はそこに彼の身を横たえさせた。

 

 

 

 ごめんなさい。

 私はまた、その言葉を繰り返した。涙があふれ、それは私の頬を伝って彼の団長服に小さな染みを作った。

 そんな私に、彼はこれ以上ないほど微笑んでみせてくれた――ような気がする。

  

 

「……もう、一度……」

 

 

 切れ切れの声で、ささやくように言う。

 

 

「……こんな……場所じゃなく。……太陽の光に、照らされた……もとで……」

 

 

 震えながら、それでもゆっくりと彼の右手が延びてきて。

 そっと、涙に濡れる私の頬に触れた。

 

 

「……君の……世界で一番……美しい顔を……見た……かったな……」

  

 

 力を失った腕が、大地と重なる。それが最後だった。

 

 そっと、彼の頭を抱き寄せる。彼の抵抗はない。彼が動くことはもうない。

 彼の唇と私の唇とが重なり合う。

 害虫が少しずつ近づいてくる。包囲の輪がさらに縮まっていく。それでも私は、ずっとそのままでいた。

 

 やがて唇を離し、のろのろと立ち上がった。

 騎士学校に入学したときから、ずっと一緒だった剣。

 最後の戦いの前に、それを手にする。

 

 

「ごめんなさい」

 

 

 また、口にした。けれど今回は、彼に向けてでの言葉ではなかった。

 害虫の姿。次から次へと集まってきている。

 

 お腹に手をやった。

 そこに、彼との間の結晶の気配を感じたのは、いつだったろうか。そんなに前のことではなかったように思う。

 ごめんなさい。ちゃんと産んであげられなくて。あなたのママになってあげられなくて、本当にごめんなさい。

 

 ただ、どうしても。彼をこのまま見捨てることはできない。

 彼の身を置いて、私だけ逃げることは絶対にできない。

 

 

 巨大害虫の唸り声が聞こえた。

 

 

 もしも。

 もしも誰かが、私と彼の戦いを最後まで知ることがあったとしたら。

 父が私に何度も語り聞かせ、弟が夢みたような物語の花騎士のように――たとえ一瞬でも、なることができたかな。

 

 

 

 

「……あなたと、ともに」

 

 

 この世界でも。そして、これから向かう世界でも。

 あなたと私は、ずっと一緒。

 この指輪を受け取ったとき、そう誓ったのだから。

 

 いつまでも。

 変わることなく、永遠に――

 

 世界で一番素敵な騎士団長と。たったひとりきりの部下で、あなたの妻になった花騎士だよ。

 




長きにわたった物語も、ついにここまで来ました。
次回、いよいよクライマックスです!
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