「さらば、村の人々よ! さらば、ともに過ごした短き時間よ! そしてランタナたちは、ふたたび車中の人となったのであった~!」
「みんなからすごく歓迎されて、それにすごく感謝されちゃったね。私がプレゼントに持ってきたおもちゃも、いっぱい遊んでもらえたらいいなぁ」
「大丈夫ですよ、ペポさん。みなさんの嬉しそうな声、とってもいい音でしたもん」
――往路と比べると、帰路の旅路はなんとなく物寂しい。
予定通りにすべての村々を巡り終えると、あれほど山をなしていた積荷の姿は消え、かわりに交易品として生産された村の品々が荷台の一角をちょこんと占領するばかりとなった。
荷台はがらんとしてしまった……とはいえ、メンバーの士気がすこぶる高いのは、喜ばしいことだ。
ウィンターローズを包み込んでいる厳しい環境と同じように、城下町以外のほとんどは害虫による危険エリアといってよい。
今回我々が任務を全うできなければ、国家間が手を取り合ったせっかくの計画も、次がなくなってしまうかもしれない。そうした未来には、決してしてはいけない。
「あとはウィンターローズの城下町へ帰還して、私たちはバナナオーシャンに戻るだけですね。団長だけでなく、ヒメシャラさんにもしっかりといい報告ができそうじゃない」
「……んー、そうね……」
「カタバミも、いつまで大人しくできているかしらね。そろそろ辛抱の限界といったところではないでしょうか?」
「……まあ、そうねー……」
「……もう、何ですかイオノシジウム。まだ終わったわけじゃないのに、すっかりだらけて……」
「だってさー……」
客室の座席に、深く深く半身をうずめながら。
動作のひとつすらも面倒くさげに、私に指を突きつけてくるイオノシジウム。
「グリーンベルなら、言わなくっても分かるでしょー」
「んー……まあね」
「あつーい! 日差しつよーい! 帰るのはいいけれど、バナナオーシャンのあれだけはユウウツだわー」
私にとっては、いつものイオノシジウムだ。
とはいえ……今回の任務では、リーダーは彼女。こんな姿を見せていたのでは、格好がつかない。
バナナオーシャンから一緒のメンバーなら多少なりともイオノシジウムの性格を知っているだろうからまだしも、未来の正式な花騎士を目指すウィンターローズの見習いの子たちにとって良い手本となるとは、とうてい思えない。
「憂鬱になるのは、せめて国境を越えてからにしてください。今はほら、隊長なんだから、もっとしゃきっとする!」
「やーだー。涼しいうちに横になってぐったり休むー」
駄々っ子ですか。
「そだーそだー。わたしもお腹が平気なうちにペポをまったりとかじるー!」
「え!? ちょ、ランタナちゃん!? まったりかじるって、なんかそれ変じゃな……って、あいたたたた!」
いつものようにランタナさんがペポさんに絡みはじめるや、急に騒がしくなる馬車内。
それでも、まあ、少しくらいなら。やるべきことは終えたのだし、ほどよく息を抜く程度なら構わないかしら。
……とはいえ、なるべく御者台のほうは見ないでおこう。
◇ ◇ ◇ ◇
「みなさんっ!」
――それから、どれくらい経っただろうか。
緊張をはらんだサンダーソニアさんの一声に、全員の顔が一瞬にして引き締まった。
「……間違いないわね、サンダーソニア?」
「た、たぶん。……いえ、はい!」
「御者さん、ストップ。馬車と荷車を止めて」
ついさっきまで緩みきっていた人間とは思えないほど、イオノシジウムが鋭い声を御者台に飛ばす。
「ど……どうされたんですか、みなさん?」
「害虫よ」
イオノシジウムの言葉に、表情をこわばらせる御者さん。まだ見習い騎士だもの、無理はない。
「で、でもですねっ。害虫の姿なんて、どこにも……」
「音が聞こえたの。あたしたちを信じて」
サンダーソニアさんが、はっきりとうなずく。
彼女の耳のよさは十分に信用できる。下手に視覚に頼るよりも、時として彼女の聴覚のほうが我々にとって武器たりえると判断されての、今回の人選でもあるのだ。
「まだ遠いですし……それに、こちらに感づいているような様子でもないと思います」
客室の窓枠の外に頭を出し、片方の耳に手を当てて、注意深く様子を探るサンダーソニアさん。
馬車を一時停止させたのは彼女を信頼して、他の騒音や振動で邪魔しないようにというイオノシジウムの判断だろう。そしてそれは、私も正解のように思える。
「とはいえ、進路としてはこちらの方向で……彼らの巣へ戻っている、というわけではないのですね?」
私の言葉に、はっとした表情を浮かべるイオノシジウム。
「それって、グリーンベル。もしかして……」
――街道に沿うような形で連なる、峰々の奥。
おそらく、そのあたりに害虫の巣があるのだろう。
しかし彼らは今、そちらの方角へ向かってはいない。逆にこちら側の、
となれば。
その方向に存在し、襲われる可能性があるものといえば……。
「むむっ。このままじゃ、このランタナちゃんを歓待してくれたあの村のいくつかがピンチだとぅっ!?」
「イオノシジウムさん、グリーンベルさん! 大変ですよっ!」
ほとんど叫びに近い、ペポさんの声。
彼女の懸念は、私とイオノシジウムが危惧したものと少しも異ならない。
この頃になるとようやくにして、おぞましさを伴う害虫のうなり声や森の奥の木々をなぎ倒す音が、かすかに私の耳にも届くようになっていた。
サンダーソニアさんと私の推測とを照らし合わせた結果、害虫の規模はちょっとした群れのようだった。
そして、集団の中に親玉とおぼしき、そこそこの大きさの害虫が混じっている。
容易ならぬ戦力と思われる。ここにいる全員が一丸となって当たって、それではじめて五分以上の戦いが期待できるだろうという、一筋縄ではいかない相手だ。
「……どうします、イオノシジウム?」
問いかける。
そして同時に、彼女の選択が気がかりだった。
――聞くところによれば、かつての聖夜祭でヒメシャラさんやサンダーソニアさんといった面々と行動を共にしたおり、害虫の襲撃と聞くや真っ先に飛び出していったという。
ヒメシャラさんはその義気を逆に賞賛していたけれど……今回の私たちの状況は、そのときと似ているようで全く違う。そのことを、イオノシジウムはきちんと認識しているのだろうか。
私と同様に、彼女も考えこんだまま微動だにしない。そこに普段の気だるげな様子はみじんもない。
「今すぐ全軍突撃をかまそーぜい! なーに、四天王の中でも最強のランタナちゃんがいるのが害虫にとっての運のツキ! ちょっと様子を見てくるだけで、すぐにカタがつくって~!」
御者台の見習い騎士にちらちら視線を送りながら、ランタナさんが声をあげる。彼女たちを不安がらせまいとするその配慮は、本人にはちょっと悪いけれど、普段の言動を思えば意外というほかない。
「……イオノシジウムさん。私も害虫は許せません。もしも、私たちで倒せるなら……」
「……ダメですよ」
「ちょ、待ってよグリーンベル!」
「そんな顔しても、ダメなものはダメ。理由は……あなたも分かっているはずでしょう?」
普段は控えめなサンダーソニアさんまでもが害虫との交戦を主張するにおよんで、イオノシジウムの表情が動く。
だから彼女が口を開くよりも先に、私がそれを制した。
「……私たちがここにいる理由、そしてこの任務の大きな意義。それをもう一度よく考えてみてください、みんな」
アカシア隊、オレンジ隊。
時を積み重ねた彼らの労苦が、今回の任務につながっている。
ことは私たち個人の問題ではない。花騎士全員の今後のあり方に関わってくる、大きな可能性があるのだ。
「今の私たちに与えられているのは、無事に輸送を完遂すること。進路を阻んでいるというなら交戦もやむなしですが、この輸送部隊を放り出すわけにはいきません」
「でも、それじゃ、村の人たちを見殺しにすることに……」
「……」
もちろん、ペポさんから言われずとも、それは分かっている。「見殺し」という言葉を出されると、やはり一瞬返答に詰まってしまう。
「……そんなこと、させるわけがありません」
「だったら、やっぱり……!」
「だからこそ、一刻も早くこの任務を果たすべきです。急いでウィンターローズの城下町に帰還し、強力な討伐隊を出してもらうんです」
場合によっては、私たちがその討伐役を担ってもいい。けれどそれは、今の役目を完遂してからのことだ。
とにかく時間が惜しかった。すぐにでも再び馬車を走らせたい。
――私が今、ここにいる理由。
今回の任務においての、期待された役割。それを決して忘れてはならない。
何を優先し、何を後回しにするのが最善の選択なのか。
巡ってきた村々で受けた歓迎ぶりと、そして感謝の念。それを思えば、当然ながら情が湧く。
しかし、もしも私たちが情義を優先して、輸送任務を放って害虫の撃退に駆けつけたとして。
その間、この輸送部隊は丸裸に近くなる。周辺すべてをきちんと確認したわけでもない。花騎士とはいえ見習いの子たちが、万一別の害虫の群れに襲われでもしたら。それもまた、「見殺し」ということになりはしないだろうか。
現在確認できている害虫にしても、無事に倒せればまだいい。けれど、想定外の戦況を迎えることになったとしたら……?
ここは、慣れ親しんだバナナオーシャンの地ではない。雪上での戦いに慣れていないうえに、地理にも明るくない。どこからか、新手の害虫が現れないとも限らない。
そんな状態で輸送部隊の安全を確保しつつ、付近で暴れる害虫の群れも同時に殲滅してのける。それが可能だという確証は、どこにもないのだ。
ならば、一秒でも早く現地の花騎士に危機を伝え、彼らに任せた方が確実ではないだろうか?
……イオノシジウムは、ずっと押し黙っている。
ヒメシャラさんから話を聞くまでもなく、彼女の性格はよく分かっているつもりだ。
今もまた、できることならすぐにも駆けつけたいのだろう。でも、その言葉を出すことができない。自己の気持ちと戦って、悩みつつも最善の行動を選ぼうとしている。
うん、さすが団長様ね。いい人選を――
「……助けに行くわ、あたし」
……あれ?
「助けに行くって……この輸送部隊と任務を放り出すってこと? 隊長である、あなた自らが?」
「いやー、そんなに大げさに考えたわけでもないんだけどさー」と、さすがにバツが悪そうにするイオノシジウム。
「……そもそもあたしって、そんな熱血キャラでもないと思うのよねー。でもさ……」
隊長ってタイプでも、きっとなかったのよ。
……決意したときの彼女の意志は固い。親しい間柄だからこそ、翻意させるのが難しいことは承知している。
「待ってください、イオノシジウム」
「待てないわ。今は一刻を争うのよ」
そして、今。そんな彼女が、私には輝いて見えた。
イオノシジウムの決断に、どこか淀みかけていた馬車の中の空気が、一気に流れはじめたような気がした。重く淀みかけていた理由は、全員の表情を見れば分かる。
ペポさん、ランタナさん、サンダーソニアさん。みんな任務の重さを理解してはいつつも、心情的にはイオノシジウムと同じなのだろう。
ただ……それでもやはり、これは分の悪い賭けのようなものだと思わざるをえない。そしてリーダーたるもの、安易に天秤のそちら側にチップを乗せるようなことをしてはならないはずだ。
「自分は補佐役でいたいつもりだろうけど、案外、リーダーにも向いてるのかもしれないわよ。……というわけで、隊長はあんたに任せるわ、グリーンベル」
しかし――私ははっきりと首を横に振る。
自分では適任でないと言っているけど。メンバーの気持ちを高めたりひとつにまとめたりできるのも、立派なリーダーとしての資質よ、イオノシジウム。
「……団長様から大目玉を食らうかもしれませんよ?」
「どーんと来なさいよ。それに失敗するとは限らないし。うまく行ったら、逆に褒めてもらえるかもよ?」
お互いに肩をすくめつつも、笑いあう。
害虫を撃退して村々の脅威を未然に取り除いたところで、その間に護衛すべき対象を軽視していたという事実は消えはしない。そこを突いて、任務放棄だと糾弾する人間は必ず出てくるだろう。
私たちを理解し、信頼してくれている団長様にも、立場というものがあるし――
それでも。決断したのなら、あとはベストを尽くすのみ。
「……ひとつ。私から提案があります」
全員で向かったところで、撃退できる保証はない相手。
まして、おそらくイオノシジウム以外は未経験に違いない、足場の悪い雪上での戦い。
害虫の群れにしても、ひとつだけと決まったわけではない。それに対する配慮もまた、怠るわけにいかない。
「害虫の群れと全力で真っ向からぶつかるのは、複数の観点からリスクが高いと判断します。よって、勝利は目指しません」
「……どういうこと、グリーンベル?」
「負けさえしなければ、それでいい。……そういう戦いをしましょう」
とにかくここは輸送部隊と物資を運んだ村、その双方が守られればこちらの勝利なのだ。私たちで害虫を撃破、あるいは全滅させる必要はない。
「ここは、戦力を分けることにします。イオノシジウムと、あとひとり」
害虫の群れに向かう戦力は、最小限。過半数は輸送部隊の護衛に残る。
それで、多少は言い訳も立つだろう。
「決して害虫と交戦はせず、引きつける役をお願いしたいのですが……」
「わ、私がやります! 私のベルなら、その……遠くからでも、害虫をおびき寄せることができると思いますし」
サンダーソニアさんが決意を秘めた表情で、すっくと立ちあがる。こんなに積極的な彼女の姿は、ひょっとしたら珍しいのではないだろうか。
「分かりました。それでは二人とも、重ねて言いますが、決して無理はしないように。
……そして残る我々は、別の害虫に対する警戒を密にして、早急にウィンターローズの城下町へ戻り討伐部隊を要請します。――これでいいでしょうか?」
私の作戦案に、全員がうなずきを返してくる。
わかっている。これはこれで、戦力分散の愚と言われるかもしれない。
でも、今はこれが最善の策と信じてやるしかない。
――最後に私は大きく吐息をつくと、作戦が失敗した時は一番の責任を自分が背負うことの覚悟を決めた。
「それでは、開始しましょう。そして……」
イオノシジウムや私のとった行動も、きっと理解してくれる。団長様はそういう人だ。
だから、あくまで形式上のものとして終わるに違いないけど――
そして、全部が終わったら、最後に。団長様に叱られましょう、みんなで一緒に。
私がそう締めくくると。誰彼ともなく、笑みがこぼれた。