吐く息が白い。
世界花の恩恵もあって馬車の中にいたときは気づかなかったけど、こうして野外に身を置いてみると、あらためてこの北の雪国の冷感を思い知らされる。
といっても、あたしにとっては、生まれた時からのよく知る土地。
今でこそバナナオーシャンの所属だけど、気候の面ではむしろこっちの方が性に合っている。
それに今は、寒さに負けないくらい、熱い想いが全身を駆けめぐっている。かたわらにいる同行者も、きっとそれは同じだろう。
「……イオノシジウムさん、あそこです!」
サンダーソニアの指さす方角。たしかに大きな雪しぶきが上がっている。
「オーケー。なるほど……これは二人じゃ、ちょーっと荷が重そうね……」
グリーンベルの見立てどおり、二人どころか五人全員でぶつかっても、かなり手こずりそうなことはあたしにも想像ができた。
遠目から数えて、三十匹以上。複数の花騎士で相手をするべき中規模サイズのサソリ型害虫が中央に一匹と、その周囲を群れるように多数の仲間がとりまいている。
「あーあ。なんでもないように二人で倒して、みんなを驚かせよう、なんて思ったりもしてたんだけどなー」
「さ、さすがに無理ですよね……」
ちょっと悔しい気もするけど、こういうとき、グリーンベルの慎重さは本当にありがたく思う。
これがもし、彼女の代わりに隣にいたのがカタバミだったとしたら……うん、あんまり想像したくないわね。
「……ま、それじゃ作戦通りにいきますか。あたしたちは、援軍が来るまでの囮役ね。逃げきれれば勝ちよ」
あたしはともかく、サンダーソニアにとって慣れない環境での戦いは、そのぶん彼女の戦闘能力を割引いて考えないといけない。でも、二人とも回避能力にはちょっとした自信がある。
「あたしが前面に出るから。サンダーソニア、あなたはフォローをお願いね」
ここへ向かう途中で話し合った、行動プラン。それでいけば、しのぎきることができるはず。
さて、いっちょやりますか。
――正直言って、だいぶ時間を稼いだと思う。
注意を促し、適度に引きつけては街道と並行して続く森の木々の中へと身を隠す。
途中で何度か危なくなりかけはしたものの、それでもなんとかこちらの思うように事態を進ませることに成功している。
街道沿いの左右の木々をなぎ倒しながら、ほとんど一直線にこちらを追いかけてくる害虫たち。ほーんと、害虫ってば基本的にバカで単純なのよねー。
同時にその数も、すでに何匹か減らしている。スキを見て、あたしとサンダーソニアで連携して倒したからだ。
数が減っただけ、害虫側の戦力は確実に低下している……とはいえ、それで有利になったわけでもない。
状況は一進一退。あたしたちも確実に体力を消耗しているし、害虫の親玉はいぜん健在なまま。
相手の最大戦力がノーダメージな以上、このまま長引くほどこっちが追い込まれていきそうな気がする。
「サンダーソニア、まだ余裕たっぷり……って、さすがにそんなわけないと思うけど。大丈夫? まだいける?」
「は、はい! まだ、なんとか……」
と、そこで。
ちょうどタイミングよく害虫との距離が開いたのを確認して。あたしはアゴに手を当てて、ちょっと考えこむ仕草をとってみせる。
「……ソニアっち」
「……へ?」
「うん、それがいいわ。ずっと思ってたんだけどさ、今まで名前を直接呼ぶのって、なーんか他人行儀が強かったっていうか」
同じバナナオーシャンに所属する花騎士どうし。彼女のことは、以前から気にはなってたのよね。
でも、これまであまり接点がなかったのも事実。
「せっかくこうして、一緒に任務やってる仲間なんだしさ。……どう、迷惑だったりする?」
「……いえ。なんだかとても距離が近づいたみたいで、すっごく嬉しいです!」
まあ、根がマジメそうだし、きっと彼女のほうからは今後も「イオノシジウムさん」とそのまま呼ばれるんだろうけど。でも、それはそれでいっか。
ともあれ、こうやってたまには緊張をほぐしたりしないと。真剣に逃げ回ってばかりじゃ、そう遠くないうちに心身のどちらかがバテちゃいそうじゃない。
「……正面に大きな木があるわ。そこで一旦バラけるわよ。ソニアっちは左側、あたしは右側ね」
そして、さらにその先に、巨大な岩山が見える。
「んでもって、あそこで合流。いいわね?」
どちらともなく呼吸を合わせ、二手に分かれる。
ただ猛進するばかりだった害虫の群れが、あたしとソニアっちのどちらに向かうべきかで戸惑い、あきらかに勢いを落とす。いくぶん詰まりかけた双方の距離が、これでまた開いた。
ふふーん。こういうのはね、久しぶりに遊んだ雪合戦なんかで、子供の頃からすっかりお手の物なのよ。
「……ここをどこだと思ってるのよ。あたしの生まれ故郷、ウィンターローズなんだから!」
だからこそ、害虫の好き勝手にはさせない。荒らさせはしない。
どんな寒さに見舞われても、決して消えることのない――人々の暖かな笑顔の灯火を、絶やさせはしない。
以前の聖夜祭では一人で突っ走ってしまったけど、そのときと同じだ。仲間がいる。ソニアっちと、そして頼れる仲間たちが。
……距離を取りつつ、続けざまに三矢を射放つ。そのうち一本は親玉の害虫の急所に命中し、動きを止めたように見えた。けれど確実に仕留めたのか、そこまで確認することはできない。
よし、これで親玉のターゲットはあたしへと向いたはず。
ひとまずはこのまま一気に岩山の裏へ駆けこんで、そこでなんとか呼吸を整えて。えーと、それから……。
「――その粘りやよし、イオノシジウム!」
……え?
「駆けつつ害虫を射るなど、なかなか小癪な真似をしおる。その戦いぶり、しかとわらわの目に焼き付いたぞよ!」
はああああ!?
……近づいていく岩山の頂上に立つ、一人の花騎士。
朗々と響き渡る、聞き覚えのあるその声に、あたしは思わず耳を疑った。
「な、なんで、あんたがここにいるのよ……ヒメシャラ!?」
全速力で岩山の背後へと駆けこみ、ソニアっちと再合流を果たし、荒くなった息を整えながら。
そこにはヒメシャラの他にも、見知った先客の姿があった。
「遅くなってごめんなさい、イオノシジウム、サンダーソニアさん。見たところ怪我もないようですし、よかったわ」
「……ひょっとして、なに。ヒメシャラが来るってこと、知ってたの……?」
落ち着いた声であたしたちを迎えたグリーンベルが、問いに答えようとする直前。
「とうっ」という声とともに、岩山の最上部からあたしの隣へと、ヒメシャラがひらりと着地した。
「……これはわらわと、そこなベルゲニアとのみの間で決めた隠密行。グリーンベルはあずかり知らぬ話じゃ」
「でも……あんただって、自分の任務があったじゃない? そっちは片付いたんだろうけど、にしたって……」
「そなたには、前例というものがあるからな。こたびの任務はきわめて重大な案件ゆえ、急ぎ目付け役を買って出てやっただけのことじゃ」
「――あんなことをおっしゃってますけど。本当はヒメ様ご自身の任務を終えられた直後、ひと息入れる間もなく団長殿に直談判してこちらへと向かわれたんですよ」
恥ずかしがってるのか、話の途中でぷいっと頭を反対側へと向けたヒメシャラのスキをついて。かたわらに控えるようにしていたベルゲニアが、あたしに素早く耳打ちしてきた。
なるほど。いずれにしても、相当な強行軍のはずよね……。
内心でうなずくあたしをよそに、ゴホンとわざとらしく咳払いをするヒメシャラ。それを受けて、すすす……とベルゲニアがあたしから距離をとった。
いやー、それにしても。もちろん、ここは感謝すべきところなんだけども。えらい分かりやすいツンデレを目の当たりにしてるわ、今。
「ま、まあ、そなたは熱くなると、どうにも視野が狭くなるようでな。
……と思っておったのじゃが。なかなかどうして、見事にその任を果たしておるではないか」
「……そんなことないわ。事実、あたしは輸送隊のみんなや荷車がどうなったか知らないもの」
「それなら、もう大丈夫です。心配いりませんよ」
あたしの懸念を、グリーンベルの説明が吹き飛ばしてくれた。
なんでも現在は到着したウィンターローズの正式な花騎士たちによって、安全が確保されているという。
「……でも正直言って、もう何時間かはあたしとソニアっちとで粘らなきゃなー、とか思ってたんだけど?」
「開き直ったんですよ」
「……ん?」
「あなたたちが害虫に向かってから、さらに役割を二分したんです。荷車を曳きながらでは、どうしても馬を全力で駆けさせるというわけにはいきませんから」
それまで御者を務めてくれていた見習い騎士の中から、体力と脚力に自信のある者を自薦あるいは他薦してもらう。
そうして選抜した十名を、二人で一組といった形に組ませ、即席の急使としてウィンターローズの城下町へと一目散に駆けてもらったのだ……というグリーンベル。
その一方でさらに戦力の低下した輸送本隊は、思いきって移動を完全に停止。現在あたしたちが潜んでいるのと同じような適度な大きさの岩場を見つけると、それを背にして残った全員で徹底的な時間稼ぎの態勢を整えることにしたのだそうだ。
「即席の急使を五つ作ったというのは、途中で害虫に襲われたりしても、どれか一組だけでもゴールにたどり着いてくれればいい、というわけね」
グリーンベルらしい、用心深さだと思う。
「ええ。結局のところ彼女たちの誰一人として、また私たちにしても、別の害虫に襲われるといったことはなかったんですけどね。
……でも、それは結果論。前提として考えるものではありませんから」
無理に移動を重ねて索敵を軽視し、横合いから襲撃を受けるよりも。最初から専守防衛に徹した方が損害を抑えられる可能性が高い、という計算も十分に現実的だ。
「……なるほどねー」
さすがというか、よくそこまで考えたものよね。
もし、荷馬車のもとに残ったのがあたしだったら。グリーンベルのような的確な措置が取れたかどうか。
彼女だけじゃない。今回の任務にあたって、全員がよくやってくれた。
そのことだけはバナナオーシャンに戻ったら、団長さんの前できちんと胸を張って報告しなくちゃな、と思う。
「そんなわけで、安心してください。害虫たちも、もはや袋の鼠も同然ですし」
説明の締めくくりに、グリーンベルが指差した先。
一直線にこの岩場へと向かってくる害虫たちのちょうど死角となる位置の木々のあいだに、見覚えのある姿があった。
なるほど。あらためて見回してみれば、不意打ちするにはピッタリの場所よね。
……そう思うやいなや、一番効果的なタイミングを見計らって、害虫の群れに突撃していく仲間たち。
「さあさあさあ! 満を持して、花の勇者が爆誕したじょー! イエス雪国の喧嘩MATSURI! レッツゴーどぅわあああ!!」
「……頼もしい、って言うべきなのかしら。元気すぎるのも、程があるわよね」
「あ、イオノシジウムさーん! ランタナちゃん、いつもこんな感じで突っ込んでいきますからー! ランタナちゃんのことは、このペポに任せてくださいねー!」
「むむっ。これじゃせっかく応援にきたのに、私たちの遊ぶところがなくなっちゃうにゃ! 二人につづいてエノコログサ、駄目押しいくにゃー! そーいっ!!」
「同じく、ウィンターローズ所属、モケなのだぜ! 先陣だろうが二番槍だろうが、全力で行くのだぜ! 熱く魂を解き放て……だぜー!!」
「……雪国といえば、冷厳というか、もっと落ち着いたイメージがありましたが。ランタナさんと非常に気が合いそうな花騎士も、けっこう所属しているんですね」
「ま、まあ……人それぞれ、ってことで」
ひとかたまりになったように害虫の群れへと突撃していく複数の姿に視線を向けつつ。感心するよりどこか呆れたようなグリーンベルに、さすがのあたしも返す言葉がなかった。
「……さて、我らはどうするのじゃ? 間もなく、さらに他の花騎士も駆けつけてくるという段取りなのであろう、グリーンベル?」
「ええ。みなさん、こちらへ急行してくださっているそうです」
「その好意、手柄として報いたくはあるが……。その前にいささかながら、我らバナナオーシャンの花騎士の印象もあの害虫どもに刻みつけておきたくあるな」
そうヒメシャラが意気込むあいだにも、害虫の群れはすでにペポやランタナたちの急襲を受けて押されはじめていた。
それ以上、ヒメシャラは口を開かない。彼女だけでなく、この場にいるみんなが――ただじっと何かを待つように、こちらを見つめるだけだ。
隊長として、最後の断をあたしに委ねようとしてくれていた。
「……本当にありがとね、ヒメシャラ」
彼女だけでない。任務を終えてバナナオーシャンへ帰ったら、あらためてまたみんなに礼を言おう。
そう心に決めながら――
ヒメシャラ、ソニアっち、グリーンベル、ベルゲニア。
仲間の一人ひとりと視線を合わせ、にこりと笑みをかわす。
「さあ。それじゃみんな、あたしたちも行くわよ!」