(この騎士団に来てから、ずっと調子を狂わされちゃってる、わたし……)
これまで繰り返し、どれほどそう思っただろう。
騎士学校にいたときとは、まるで別の人間のようだ。
あのころの自分なら、もっと上手くやっているはず。
何食わぬ顔で、穏やかに過ごしながら。波風を立てるタイミングは、どこからも相手に異を唱えさせないほど条件を整えてから。
反論どころか議論する気すら封じて、こちらへの抵抗の芽を完全に摘みとって、それから自分の意に沿った結果へと導いてゆく。
やればやるほど、自分の手は汚れていく。そう思いながらも、イフェイオンはたったひとつの目的のために、手段をあらためようとは考えなかった。
(それなのに……)
思い通りの騎士団へと配属が決まって、いよいよ団長に近づける存在にまでなって。
なのに――
今の自分には、過去の面影はどこにもない。
他の花騎士が戦場でどう行動しようと、自分は自分でうまくやりきれる。
ところが、今。ことが後方で指揮を執る団長の身に関わってくるとなると、彼女は以前の彼女ではなくなってしまう。
以前はその命さえ守りきればいくら怪我を負おうと気にすることはなかっただろうに、今ではほんのかすり傷でも団長に負ってほしくない。
だから、モミジに対して異を唱えた。が、問題はそこではない。
不満を示すにしても、なぜあんなに拙劣な方法を選択してしまったのだろう。思ったことをすぐにスズランノキに言ってしまうのではなく、別の方法を模索するべきだったのではないだろうか。
変わらなければよかった。
そう思いながら――でもその一方で、変わったことで今まで心のどこかに抱えていた重石のようなものが、知らないうちに取り除かれてしまったような感じもしている。
かわりに最近はモヤモヤとしたものが胸の奥に生まれたような気もするけれど、でもそれは重石と比べて不快と感じたことは一度もない。
とはいえ……たまにはこんなふうに、やっぱり軽々しく口にしなければよかったと、後悔ばかりしか襲ってこないときもあるのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
(うう、気まずい……)
騎士団の拠点の内部にある、花騎士たちが利用する食堂。
自分のとった行動にさえ、いまだ心の整理がついていないのに。
……気がつけば。
当のモミジの隣の席に座る自分が、なぜかいたりする。
――害虫による襲撃や被害は毎日起きるとは限らないし、また当然ながら時間も決まっているわけではない。だから昨日のように花騎士たちの大半がそれぞれに出払ってしまうときもあれば、その逆の場合も起こりえた。
今日はどうやら、みんながそろいも揃って予定のない一日らしい。
それはつまり世界がつかの間の平和ということであり、喜ぶべきものであるけれど……そんな日は、さして広くもない食堂の座席は多くの花騎士たちで満席になってしまうという、ささやかな弊害もあったりする。
昨日のことであれこれと思い悩んでいるうちに、イフェイオンが気づいたときは、とっくに昼食の時刻となってしまっていた。
(……別に特定の場所とか、特定の時間に食べなくちゃいけない、なんて決まりはないけれど。団長だって自分の執務室で、好きなときに食べていることもあるし)
とはいえひとつの建物のなかで団体行動をしている以上、決まった時刻に食堂で食事をするというのは、基本的な流れでもある。
今日にかぎって、その時間に大きく出遅れてしまった。結果、イフェイオンが遭遇したものは――すでに席という席が埋まってしまっているという、珍しい状況だったのだ。
日頃は、あまり見られない光景。それはつまり、それだけ普段から花騎士たちが多くの任務や訓練などに明け暮れているという証拠でもある。
(でも、いくら珍しくても。ちっとも嬉しくないときもあるよね……)
少し待てば空きが出るだろうと思い直し、軽くため息をついてからイフェイオンは周囲を見回した。と、偶然にも、ひとりの花騎士がちょうど食事を終えて席を立ちあがるのが見えた。
あそこにしようと、さっそく空いたばかりの席を埋めるべく、そそくさとイフェイオンは足を向け……ようとして。
踏み出しかけた一歩が、不意に立ち止まった。
あわててきょろきょろと、他の空き席を探す。そして、結局――観念したように、最初に見つけたスペースへと向かうイフェイオン。
テーブルを挟んだ、空き席の向かい側。
そこに座っていたスズランノキが、なぜだか妙に親しげにこちらへ手を振ってくるのを目にしてしまったからだ。
◇ ◇ ◇ ◇
「……」
「……」
がやがやとした周囲の喧噪が、今はありがたい。
もしも周囲が静寂のただなかにあったら……などと想像するだけで、胃が痛くなってくるような気がする。
モミジと席を並べた自分の正面には、彼女と同じようにスズランノキとニシキギの2人が腰を落ち着け、なにやら会話の応酬を繰り広げている。が、やはり一番気になるのは、すぐ隣の席に座っている相手の存在だった。
そんなモミジはといえば、こちらに特に関心を向ける様子もなく、ただ黙々と食事を口に運んでいる。
(そういえば、普段はあまり感情を表に出すのを見たことがないかも……)
昨日の害虫討伐に関してイフェイオンが納得していないということは、スズランノキとの親密さを思えば、すでに彼女にも伝わっているはずだ。なのにそのイフェイオンが隣に座っても、動じた素振りなどまったく見せずに、涼しい顔をしながら食事をつづけている。
となると、イフェイオンもなかなか会話の糸口を見つけられず、モミジと同じように黙ったままになってしまう。
……そのとき。
ふと、スズランノキがこちらに視線を向けているのに気がついた。
「……なに、ニヤニヤしながらこっちを見て」
「い~や、別に?」
ニシキギはいつのまに席を立ったのだろう。気がつけば、彼女がいたはずの場所は空席になっている。
ようやく今さらにして、食事を終えて席を離れる花騎士の数がちらほらと増えてくるようになった。
あと少しだけこの席を見つけるのが遅く、あるいはスズランノキがこちらを発見するのが遅かったら、今ごろは別の席で緊張感とは無縁のまま食事することができたのに……などと思ったりしたところで、もう後の祭りだ。
「やれやれ。やっと少しは落ち着けるかしらね。そんなに大きい食堂でもないけど、それでもこんなに狭く感じたのは久しぶりよ」
「……多くの日は任務があったりして、みんなバラバラだから。今日は偶然中の偶然だよ」
「そういうイフェイオン、あなたも今日は特に任務は入っていないの?」
自分の食事を口へと運びながら、うなずくイフェイオン。
こうしている間も、モミジが口を挟んでくることはない。まったくの平静というのが一番その思考をとらえづらく、イフェイオンにとっては非常に困る。
「モミジも今日は非番だったわね。それじゃ、今日は食後にのんびりとパフェでも食べる?」
「……うん、そうする」
(……モミジ、パフェとか好きなんだ……)
常に最前線で勇猛果敢に害虫と渡り合う姿からは、ちょっと意外な組み合わせのような気がする。
これを何かの材料に使えないか、と条件反射のように考えようとして、あわてて心の中でかぶりを振った。
詐術とか脅迫とか、この騎士団に来て団長と出会ってからは、もう必要ないのだ。
一見しただけでは、3人で仲良く打ち解けているふうに見えなくもない。
けれど現実は、イフェイオンとモミジそれぞれが個々にスズランノキと会話を重ねるという、奇妙な形態がつづいている。
相変わらずスズランノキとモミジとの会話には入りづらく、またモミジもこちらと顔を合わせることをためらっているように感じるのは、イフェイオンの思い過ごしだろうか。
(……そういえば、ニシキギはどこに行ったんだろう? 姿が見えなくなってから、だいぶ経ったように思うけど……)
ふと、イフェイオンがそう思った矢先。
「は~い。みんな、食後のデザートお待たせしました~♪」
「おや、気が利くじゃないニシキギ。……って言ってあげたいところだけど、私はもう充分ってところ……」
「って、そんなことより見てスズランノキ、あのパフェ!」
真っ先にそれを目にしたイフェイオンが、仰天しながらスズランノキを促す。
それは、あまりに暴力的な物体。何人分に相当するのかもはや見当もつかないほどの、巨大なパフェが姿を現したのだ。
「見て見て、これ。このギリギリなボリューム! ニシキギちゃんが直々に頼んで作ってもらった、特製パフェですよっ!」
それはそうだろう。誰が見ても特製なのは明らかだった。
器からして、どこからか緊急に引っぱり出してきたと思われる。もはや器と呼ぶのもためらわれるような大筒的な容器に、なおもそこからはみ出さんばかりな生クリームのボリューム感がとにかくすごかった。
その重量のせいだろう。広げた左右の手のひらの上にそれぞれ乗せてこちらにやってくるニシキギの表情は、その陽気なセリフとは釣り合わないほど緊迫感に満ちあふれている。
「……って、ととと。こ、このいつ大事故を起こすか分からない危険性がまたヤミツキになりそうで……」
「ちょっと、大丈夫なの!? モミジ、手伝ってあげて!」
「待ってスズランノキ。急に片側だけ手を出しても、下手したら全体のバランスが……」
「あ、ちょっと、手伝ってもらったらギリギリ感が抜けちゃう、スリルがなくなっちゃいます!」
「そんなこと言ってる場合じゃないって。ほらニシキギ、そのまま動かないで!」
「モミジお姉ちゃん、私は大丈夫です。大丈夫ですからもうちょっと遊ばせ……わ、わわわわっ!」
……なんとなく、悪い予感はしていた。
だから不意に足もとにつまづいて巨大パフェを宙空に放り出すニシキギの姿を見ても、パフェそのものを見た瞬間ほどの驚きはなかった。
ニシキギには悪いけれど、このままであれば対岸の火事ということで済ませられる。せっかくこれほどの大作を作り上げた料理人もまったく報われないけれど、今日の騎士団の珍しい状態と同じように、あまりに不運な日というのも時にはやってくるのだろう。
そう。極端に不運な日というのは、きっと誰にもあるものなのだ。
それがまさか、滑空しながらイフェイオンとモミジに接近してくるまで、自分たちにも当てはまっていたのだということに気がつかないだけのことで。