影大名~徳川家康の影武者、主君の跡を継ぎ天下を臨む 作:ひいちゃ
1592年3月。時代の流れは思わぬ様相を呈していた。
東から徳川、西から豊臣に攻めたてられた織田軍は、もはや長浜城と本拠・安土城を残すのみとなっていた。
かつては畿内に5城を有していた織田家も、今や豊臣と同盟することにより、かろうじて持ちこたえているような状況となっていた。
一方の徳川は、長浜に兵を進めた。ここを落とせば、織田を安土城に封じ込めることができるのだ。
その長浜城に進む馬上で、世良田二郎三郎は物見からの報告を受けた。
「報告いたします。長浜城に詰めている兵は15000。城を守る将は、織田信孝のようでございます」
その報告に、二郎三郎の横で、同じく馬上の人となっている本多忠勝が、豪快に笑いながら言った。
「腹いせに二つの集落を奪っていったお子様か。これなら、兵力に勝っておるし、楽に勝てそうだな」
だが、その忠勝の軽口にも、二郎三郎は無言のままだった。いぶかしく思った忠勝が問いかける。
「二郎三郎?」
「武士とは……不自由なものだな……」
二郎三郎がこぼしたつぶやきに、忠勝は思わずぎょっとなった。
二郎三郎がかつて流れ者の野武士をしていた過去は、もちろん忠勝も知っている。だが今の彼は、徳川を束ねる大名だ。気持ちはわからないでもないが、多くの兵士たちもいるこの場では、素である野武士ではなく、大名としてふるまうべきではないか。
忠勝は、二郎三郎を制するように、大きく咳払いをした。
「ごほん、と、殿!」
その咳払いと、「殿」という呼びかけに、二郎三郎も忠勝の言わんということを理解し、表情を引き締めた。
「い、いや、なんでもない。気にするな」
そう言うものの、やはり二郎三郎は自由を愛する、流れの野武士であった。彼の胸中にはある想いがくすぶっていた。
(あのような凡愚な将のもとでも働かねばならぬとは……全く武士というのは不自由なものだ……)
* * * * *
一方の長浜城。徳川軍が接近しているという報告は、この城を守る織田信孝のもとにも届いていた。
「徳川軍が接近中! 前軍の指揮を徳川家康、後軍の指揮を徳川信康がとっているもよう!」
その物見の報告を受けた信孝は、焦りと恐慌を顔に貼り付けて立ち上がった。
「き、きおったな。徳川軍め! 出陣じゃ! 岐阜での雪辱、今こそ晴らしてくれる!」
だが、その無謀な指令に、氏家卜全が慌てて、主君を制しようとする。
「お待ちくだされ。今、この城の兵は徳川軍に比べると少のうございます。もし敗れればこの城を守る兵はわずかとなり、落ちるのを待つだけとなりますぞ!」
しかし、その氏家の必死の諫めも、失態を犯したことの焦りと、信長からの処分への恐怖に支配されていた信孝には届かなかった。
信孝は、わめくように、改めて出陣を指示した。
「えぇい、黙れ黙れ。出陣するのだっ!」
大足で広間を出ていく信孝を追いかける氏家。その彼の耳に「やはりダメだ、この男は……」という声が届いたのは、彼が広間を出ていく直前のことだった。それを聞いて彼は、最悪の決断をするべき時が近づくのを感じたのであった。
* * * * *
一方の徳川軍。長浜から織田軍が出陣したとの報は、既に二郎三郎や忠勝の耳に届いていた。
「我らより兵力が劣ってくるのに出陣してくるとは……」
そうあきれたように言う忠勝に、二郎三郎はうなずき、そして指令を下す。
「だがこれで、勝利は確実なものとなった。敵軍を撃滅し、そのまま城攻めに移行する!」
「承知! それではわしは、隊のほうに戻る」
「うむ」
そう言葉を交わし、忠勝は自分の隊のほうに戻っていった。
かくして、長浜城の南で徳川軍と織田軍は激突した。だが、後軍に多数の鉄砲隊を持つ徳川軍の前に、織田軍ははじめから劣勢。
家康と忠勝が指揮する前衛が、織田軍の攻勢を受け止めつつその兵力を削り、信康率いる鉄砲隊が、その織田軍を撃ち抜いていく。
もちろん、戦いで徳川軍の兵も倒れていくが、それより士気が高く、しかも後方の鉄砲隊の支援を受けた徳川軍に攻め立てられる織田軍のほうが、兵の損失が大きい。
やがて織田軍の前線は崩れだし、崩壊も間近となっていった。
「若殿、わが軍は大損害を受けています。戦線崩壊も間近かと!」
物見の報告に、信孝は思わず采配を取り落とす醜態をさらした。
「ひっ……え、えぇい、撤退、撤退だっ! すぐさま長浜城に逃げ帰るのだ!」
その信孝を、氏家が諫めにかかるが……。
「お待ちください若殿! その前に前衛部隊に退却の下知をしなくては、前衛部隊は取り残されることに……」
「黙れ黙れ! 下知を出していたら、その間にわしらがつかまってしまうわ! 足軽どもの事なぞ知るか! 退却するのだぁっ!!」
そう言うと信孝は、氏家を突き飛ばすと、馬に乗り逃げていった。
それを茫然としながら、失望と軽蔑の目で見る武将や足軽たち。そんな中、氏家は立ち上がると伝令を呼んだ。
「氏家様、何か?」
「この文を、長浜城に詰めている上田朝直殿に届けてくれ。くれぐれも、信孝や彼のシンパに見つかるなよ」
「……わかりました。それで氏家様はいかがなさるのですか?」
伝令がそう聞くと、氏家は諦めの表情が入り混じった、だが決然とした表情で答えた。
「信孝を正しく補佐できなかったのはわしの罪。その償いというわけではないが、取り残された将や足軽たちを救うため、命を捨てようぞ!」
* * * * *
勝敗はついた。だが決着はまだついていない。
徳川方の前衛は、いまだ織田の前衛と戦い続けていた。だが、信孝率いる本軍が撤退し、指揮系統を失った織田軍は散発的な抵抗をするのがせいぜいで、徳川に次々と潰されていく。
織田方の前衛はそのまま徳川に飲み込まれると思われた、その時だった。
前衛を指揮する武将の一人が、馬から落ち、足軽に組み伏せられようとしたその時!
一閃の元に、その足軽の首が飛ばされた。前衛の将は、彼を救ってくれたその武将の名を呼ぶ。
「氏家殿!」
「無事でよかった。ここはわしが引き受ける。おぬしは生き残った足軽たちを率いて、長浜城に撤退されよ」
「氏家殿、まさか、ご自分の命をそのために……」
愕然とした表情で返す、その名もなき将に、氏家は表情を変えずに答えた。
「信孝の補佐をできなかった罪を償うには、おぬしらを助けるだけでは不足かもしれぬがな。だが、いくらか閻魔様の目も優しくなろうさ。さぁ、早く行け」
「は……」
その将が馬に乗り直し駆けていくのを見送ると、氏家は周囲の織田兵たちに声を張り上げて叫んだ。
「皆の者! この場はわしが防ぐ! 皆の者は長浜城に戻るなり、逃げるなり、命を拾うために動け! わしが生きておる限り、誰一人おぬしらの命を奪わせはせぬぞ!」
* * * * *
氏家卜全の奮戦はまさに修羅のごとくであった。矢弾を受けながらも、刀を、槍を振るい、追撃をかけようとする徳川軍を切り伏せていく。
その奮戦は、前衛を指揮する二郎三郎と忠勝の目にも見えていた。
「取り残された兵や将のために命を捨て、奮戦するとは見事な将じゃ。じゃがその彼を無駄に使い捨てるなど、織田信孝の愚かさは……」
自分の指揮する隊の中にて、忠勝はそううめいた。そして声にならぬ声でもうめく。
真に救い難い。
一方、本軍を指揮している二郎三郎も馬上からつぶやいた。
「このような惨めな戦いをなくすために、俺たちは戦っているのだ。戦のない世を作るために、な……」
かくして。
氏家卜全、討ち死に。
その最期は、織田家のためでも、ましてや上役である信孝のためでもなく、多くの兵や将を救うために命を賭けた天晴なもので、彼の哀しき死にせめて華を捧げんと、本多忠勝が彼に一騎打ちを挑み、その戦いの果てに散華したと、後の世の書物は伝えている。
この長浜南の合戦が終結した後、二郎三郎は徳川軍の兵たちに、氏家やこの戦いで散った兵たちに敬意を持ってこの場を通り過ぎることを命じ、また、後方支援部隊に彼らの躯を丁重に葬ることも命じている。
* * * * *
そして長浜南の合戦を制した徳川軍は、ついに長浜城に達し、攻略を開始した。
合戦を制止した徳川軍は極めて士気が高く、次々と門を突破し、廓を攻略していく。
その様は、信孝の目にもよく見えていた。
信長に処分される恐怖よりも、城を落とされる恐怖に怯えた信孝は、城を守る将・上田と、先ほど氏家が救った名もなき将にわめくように命じた。が……。
「お、おい! 上田! あ、安土城に引き上げるぞ! ご、護衛をせい!」
「……それはできませぬ」
「な、なに?」
驚愕する信孝に、名もなき将が詰め寄り、口を開く。
「もうあなたには愛想がつき申した。ものども、信孝を縛り付けよ!」
「な、何をする、は、離せ!」
そして。
城将の上田朝直から、自分たちの首と開城、そして織田信孝の身柄と引き換えに、城の兵たちの助命を請う旨の使いが届けられ、二郎三郎はこれを許諾。長浜城は落城したのであった。
その長浜城の広間で、二郎三郎と忠勝は、縛り上げられた信孝と対面した。
だがその信孝は、魂の抜けた顔で
「バカな……そんなバカな……これは……これは夢じゃ……」
とつぶやくだけだったが。
そんな彼を軽蔑の目で一瞥した忠勝が、その横の二郎三郎に質問を発した。
「殿、この愚か者、いかがなさいます? 無謀な出陣で兵を失い、あげく前衛を見捨てて逃げるような愚者ですが」
だが、二郎三郎はやはり、その信孝を軽蔑する目で見たまま答えた。
「……縄を解いて逃がしてやれ。ここで斬られるより、信長の元に帰されるほうが、この男にとっては辛い末路が待っているであろう。今まで犯したおろかな行為の罪に見合うような末路を、な……」
かくして信孝は安土城に返された。
彼が後にどうなったか、詳しく書かれた書物は少ない。だが、この後、信孝が前線に出たという記録はないのは確かである。
長浜を攻略し、織田を安土城に封じ込めた徳川家。だが、その徳川家に最大の危機が襲い掛かろうとしていた。
それは、複数の物見の報告がきっかけであった。
「殿、織田軍が安土城から出陣! 北近江の我が集落を狙っている模様です!」
「桜洞城より、本願寺軍が出陣! 岐阜城に向かっております!」
そして……
「豊臣軍が動きました! 長浜城に向かっております!」
必死に、バカ殿信孝を支え続けてきた氏家卜全、ここで散華です。合掌……。
そしてそのバカ殿には、そのバカさにふさわしい罰が下された、と思います。
さてさて、次回は一つ目の山場、第二次長浜合戦(仮名)です!