影大名~徳川家康の影武者、主君の跡を継ぎ天下を臨む 作:ひいちゃ
1598年1月。本願寺が滅び、豊臣と結び、既に後顧の憂いがなくなった徳川は、いよいよ宿敵織田との決着に臨んだ。
その第一手として、まずは国境にある砦の破壊、街道の敷設。それが済んだのち、3月には安土城に攻め寄せた。
だが……
「申し上げます! 各隊の士気が限界にきております!」
安土城は、覇王の城にふさわしく頑強で、さらに信長の巧みな指揮もあり、徳川軍は攻めあぐねていたのだ。
かくして、大手門を打ち破るより先に、兵士たちの士気が限界に達しようとしていた。
徳川方の本陣で、世良田二郎三郎の横に立つ本多忠勝が、主君であり盟友である二郎三郎に問いかける。
「どうする、二郎三郎? 兵糧もこころもとない。一時退却して、物資の補充があってから挑んだほうがいいのではないか?」
だが、二郎三郎は首を横に振った。
「いや。一時退却はするが、再編成後、再び挑む」
「だが……」
「時間をかければ、物資や兵が回復するのは向こうも同じこと。それに、時間を与えれば、ここまで損害を与えた門まで修復されてしまう。幸いにも、兵糧は、各地の商館から買い込めば、なんとか間に合うはずだ」
「それしかないか……わかった」
改めて、逃がせない戦機に無理をしてでも戦い、勝利を得ようという二郎三郎の戦略眼に感嘆しながら、忠勝は撤退の準備にとりかかった。
かくして、徳川軍は安土城から撤退した。それを織田信長とともに、天守から見下ろしていた明智光秀が安堵したように言う。
「徳川軍は引き上げたようです。どうにか助かりましたな」
だが、信長は顔を引き締めたまま、わずかに口元に笑みを浮かべて返した。
「……いや。これは我が織田終焉の予兆よ。竹千代の跡を継いだ男、竹千代を超える将才があると見える」
さすがは覇王と呼ばれた男、信長。彼は、この徳川軍の退却が一時的なものに過ぎず、すぐに、無理をしてでも攻めてくるであろうことを見抜いていた。
信長は自嘲しながら続けた。
「くくく……竹千代を屠ったあとの抜け殻となるはずだった徳川にやられるとは、この覇王も読めなんだわ」
「上様……」
心配するような顔を向けた光秀に、信長は真顔に戻ると指示を飛ばす。
彼も、一時は天下の頂点に片足を踏み込んだ男。このまま終わる気はないのであった。
「そんな顔をするな、キンカ頭(光秀)。そんな顔をする暇があるなら、とっとと城の修理や物資や兵の補充を急がせよ。この信長、仮にも覇王と呼ばれる男。このまま何も手を打たずに敗れるつもりはないわ」
「ははっ」
かくして、時を経ずして、再び徳川軍は安土城に攻め寄せた。激しい戦いが繰り広げられる。
「攻撃の手を緩めるな!」
二郎三郎の檄が飛ぶ。
「熱湯を落とせ! 寄せ手を城内に入れさせるな!」
光秀の指示が飛び、城兵が落とした熱湯が徳川兵に襲い掛かる。
「一刻も早く、門を打ち破るのだ!」
忠勝の指示のもと、足軽たちが必死に門を破ろうとする。
「持ちこたえよ! 徳川は兵糧が十分ではない。 向こうの兵糧か士気が尽きるまで持ちこたえれば勝てる!」
信長が必死に声を張る。
信長の指示通り、これは時間制限がある戦いであった。門が突破され、城内に徳川軍がなだれ込むのが先か、それとも兵糧が尽きるか、兵の士気が底をつくかの勝負だ。
それを理解している信長も光秀も、必死に門が突破されるのを防ごうと、必死に防戦の指揮をとる。
織田軍の必死の抵抗もあり、徳川軍は苦戦したが、あともう少しで兵糧が尽きようというころ、ついに門は破られ、徳川軍が城になだれ込んだ。そしてほどなく、本丸の門も突破された。
そして……。
覇王の城、安土城は徳川の手に落ちたのだった。
* * * * *
その安土城の大広間で、二郎三郎は信長と対面した。かたや勝者、かたや捕虜という形で。
「……」
「……」
ただ黙して語らぬ二郎三郎と信長。固唾をのむ徳川と織田の将たち。
やがて、信長のほうから口を開いた。
「どうした。とっとと首を斬らぬのか? わしは家康を暗殺した犯人ぞ」
信長のその告白に、徳川軍の諸将たちが色めきたつ。信長が家康の暗殺犯で、それが目の前にいるのだ。無理からぬことである。
特に忠勝の激高ぶりはよほどのもので、刀に手をかけて立ち上がり、一歩を踏もうとする。だがそれを二郎三郎が制した。
「えぇ、そうでしょう。わかっていました」
その言葉に、忠勝が驚いたように二郎三郎を見た。信長もちょっと驚いたように彼を見る。
「ほう……?」
「織田にとって、徳川は後顧の憂い。豊臣や他の大名より織田のほうが、我が殿の命を狙う理由は強いですから。今のあなたの告白を聞くまで、確証は持てませんでしたが、予想はついていました」
自分や諸将の怒りが戦略を誤る危険性を考え、胸の中に秘めていましたが、と二郎三郎は続けた。そして彼はさらに信長に聞き返す。
「あなたこそ、釈明なさらぬのですか? 大殿の暗殺について」
「釈明などあろうはずもないわ。わしが竹千代を暗殺した。それが全て。それ以外に何もないわ。それに付け加えて釈明するのは、命を惜しむ愚か者のすることじゃ」
「それにしても、わしが竹千代暗殺犯と見抜くことといい、ここまでも戦略戦術といい、なかなかのものであった。あの世への土産に教えてくれ。影武者になる前は何をしていたのだ?」
「野武士をしておりました。流れに流れ、自由な生活を送りながら」
静かに答える二郎三郎に、信長は自虐的な笑みを見せると、愉快そうにひと笑いして言った。
「野武士風情に、この覇王が破れるか。人生五十年、飽きぬものよな。さて、十分な土産をもらった。早く首を斬るがよい。そして我らの戦いの決着としようぞ」
「では……忠勝、刀を」
「……ははっ」
二郎三郎は忠勝が渡した刀を受け取り、構える。そして信長は、満足したような笑みを浮かべたまま目を閉じた。
――― 一閃!
振り下ろされた後、諸将は目を見張った。二郎三郎は彼の首を落としてはいなかった。ただ、信長の髷を切り落としただけだったのだ。
「どうしたのだ? なぜ首を斬らぬ」
信長の問いに、二郎三郎は刀を納めると答えた。
「一つあなたに伝え損ねたことがありました。徳川が織田に勝ったのは、私の力だけではありません。全ては、大殿の夢……戦のない、平和な世の中を作るという夢……その夢の前に集った者たちの結束と平和への想いの力によるもの……。それが、あなたの力に勝っていたというだけ……。たかが野武士一人に何ができましょう?」
「なるほどな。そして、わしに、信長としての生を捨て、新しき生にて力を貸せと申すか」
二郎三郎は、その信長の問いに、頭を下げて返した。
「大殿は生前申しておりました。信長様は非情となるが、それも全ては私欲ではなく、天下万民のため。天下を一刻も早く一統し、民を安らげるためには、喜んで魔王となる男だと。ならば、大殿を暗殺したのも、全ては天下万民のためでありましょう。違いますか?」
「先ほども言ったであろう。わしは竹千代めを暗殺した。それが全てよ。おぬしがそれを信じるなら、それはおぬしの勝手だがな」
「もしそうであれば、志は大殿や我らと同じ……ならば、少なくとも俺にあなたを斬る理由はもはやありませぬ。大殿を暗殺した『織田信長』は今の一閃で首を絶たれたのですから。目の前にいるのは、俺と同じ、天下万民のことを考える一人の男」
そこまで言うと、二郎三郎は再び信長に頭を下げた。
「信長様。改めてお頼み申す。今までのことを水に流し、全てを捨てて我らにご助力願えませぬか。戦のない、平和な世の中を作る夢のために」
そこで信長が大笑いして答えた。
「負けじゃ、完敗じゃ。おぬしらが怒りのあまりわしの首を斬ったら、いくらかわしの留飲も下がったかもしれぬがな。いや、完敗じゃ。はっはっはっ!」
そして、不敵な表情を浮かべて言った。
「よかろう。わしを倒すだけの力を持つ結束と夢のある家だ。さぞやわしの力を生かすかいがあろう。それに、天下がまとまるなら、その手段などこだわるつもりもないからな」
不敵に笑う信長に、二郎三郎はただ頭を下げた。
* * * * *
ついに徳川は宿敵・織田を打ち破り、己の力とした。
この後、織田家当主・織田信長は南光坊天海と名を変え、ある時は戦略面で、またある時は謀略面で、二郎三郎を支えていくことになる。
だが二郎三郎の戦いはまだ終わりを告げたわけではない。
この先には、豊臣との戦いが待っているのだ。
だが、平和な世を作るためという夢のために結束し進む徳川家なら、必ず勝ち抜き、戦のない平和な世を築き上げることができるであろう……
~完~
『影大名~徳川家康の影武者、主君の跡を継ぎ天下を臨む』、これにて完結です!
お読みいただいて、ありがとうございます!
これまでのひいちゃの作品は、いずれも鳴かず飛ばずだったのですが、今回の影大名は、今までよりもUAも多くいただけて、さらに今までより多くの方にしおりをはさんでいただけたり、お気に入りに入れてくれたりしてもらえたようで、とてもうれしかったです!
本当にありがとうございました!
次回作もよいものにしていきたいと思いますので、よろしくお願いします!