もう死のう
そう、思った。
別ドラマや小説の中のように、極端に不幸ではない人生を送っている。
単純に、生きているのが辛くなった。
朝起きて、学校へ行って、帰ってきて、寝て、また起きて。
学校では独りで、周りの目が気になって。
なにか趣味に打ち込もうとも、他の人のように上手くはいかず。
成績だって、中の下がいいところ。
他人からしたらなんでもない、些細なことかもしれない。
本当に不幸な人から見たら、憤慨するかもしれない。
「他人と比べるからダメなんだ」という人もいるかもしれない。
でも、もうダメなんだ。
思考に、「なんで生きているのだろうか」って浮かび上がって、こびりついて。一度考えたらもう止まらなくて。
結局、普通かそれ未満の人生しか送れない自分にうんざりしたのか、生きるという行為そのものに飽きてしまったのか。
こうしている間にも、思考の羅列は増えてゆき。
人生というものに希望も持てなくなり。
未来という可能性を信じられずに。
ああ、もう考えるのは耐えられない。
今はただ、楽になろう
空を見ても清々しい程の青ざめた空
もう、二度と見ることは無いであろう景色を見据えて。
そうして、僕は飛び降りた。
◇
目が覚めたら、辺り一面は綺麗な花畑だった。
ここは死後の世界?
それとも死に損ないの見る夢?
ベタに頬をつねってみるも、脳に帰ってくるのは痛みという電気信号。
この痛みは現実?
それとも痛みすらも幻想?
わからない わからない
ただ一つ、直感してしまったのは「僕は死ねなかった」という曖昧な認識。
もしここがあの世なら、鬼でも悪魔でもいいから出てきてくれ。
もしここが植物状態の僕が見る夢なら、速く殺してくれ。
花畑に倒れ込み、空を見上げる。
その瞳に移るのは、死ぬ前にも見た青い空。
そうして暫く見上げていると、僕の視界に影が差し、美しいソプラノの音色が耳朶を打つ。
「人間……? 死んでいるんですか?」
仰向けになった僕の頭の方から覗き込むように、少女の可愛らしい顔が視野一杯に広がる。
潤いと色のない人生において、女性の顔がここまで近かったことなど記憶には無い。女性に免疫のない僕は反射的に起き上がろうとする。
「きゃっ!」
覗き込まれてる状態で起き上がろうとすれば、当然額と額がぶつかり目の奥に火花が散る。
慌てて額をぶつけた少女に最上級の謝罪をする。
「あいたたた……って、そこまで謝らなくても」
その少女に促され顔を上げると、十数年で積み上げてきた常識がガラガラと崩れる音がした。
髪染めでは決して出せない、艶やかな白髪。
その上には秋葉の方で見られそうな犬耳がピクピクと動く。
歌舞伎で山伏役の役者が被るような赤い帽子に、上半身は髪色と同じく新雪のような白い服装。
黒を基調とし赤い紅葉がそっと添えられている袴。
「えっと、どうかしましたか?」
ハープのような、繊細で心地よい声が鼓膜を揺らす。
見るもの全てを魅了するルビーのような紅い瞳と、誰もが振り返るような可愛らしさの陰に存在する美貌がピッタリとこちらを見据える。
端的に言って、女神だった。
ここは天国で、やはり僕は死んでいたらしい。
◇
どうやら、彼女は"犬走椛"という名前らしい。
昔近所に住んでたおばさんが飼ってたシベリアンハスキーっぽい、と言ったら怒られた。
犬ではなく、誇り高き狼の一族、白狼天狗とのこと。
さて、僕が死ぬ前……正確には死んでないかもしれないので、飛び降りる前としておこう。
飛び降りる前の常識という偏見がが支配する地球では、このような女神や白狼天狗なんていなかった。
天狗はいたかもしれない。けど、烏天狗や木の葉天狗は伝承に残っていても白狼天狗は見たことも聞いたこともない。
そう犬走さんに伝えると、彼女は首を傾げた。
その愛らしさと言ったら、もう言葉に表せない。もし僕が紐なしバンジーを体験する前に彼女に出会っていれば、もう少し長生きできただろう。
犬走さん曰く、「人里では山に入る人間を襲う哨戒役の白狼天狗は有名ですよ」とのこと。
ふむ、僕は彼女に襲われるのだろうか?
どうせ投げ捨てた命だ。むしろ彼女に有意義に使ってもらった方が僕の命も涙を流して喜ぶだろう。
あ、でも狼だし喉笛を噛みちぎられたりするのか?
痛いのは苦手だが、彼女の為に我慢しよう。
思考をそのまま舌の動きに反映すると、彼女に呆れられた。
「普通の人間はもっと生きることに固執するのでは?」
普通の人間というのは死のうとは思っても実行に移さない人の事を言うんだよ、と言うと彼女は困惑と疑問が織り交ざった複雑極まりない表情を出した。
「じゃあ貴方は死ぬためにこの山まで来たんですか?」
さっきは気が付かなかったが、どうやらここの花畑は山の中にあるらしい。そして、死ぬために山に来たというのは少々語弊がある。
僕は死のうとしてこの山に来てしまったのだ。
あまり変わらないように見えるが、彼女は聡いのだろう。僕のここまでの経歴を丁寧に教えると信じられないという顔をした。
見たことも聞いたこともない世界と、高い建物から飛び降りて、目が覚めるとここにいた。
自分で体験したことは不可思議だが、確かに存在する事実だ。しかしながら、他人が聞くと荒唐無稽の作り話か、さもなければ狂人の線を疑うだろう。
だが、犬走さんは信じてくれたようだ。変わりに彼女からこの付近のことを教えて貰った。
曰く、この山は天魔様という天狗の総大将が治める、誰が呼んだか分からないが、人はこの山を妖怪の山と呼ぶ。
曰く、天狗達が独自の社会と集落を作り上げ、大天狗様と烏天狗、白狼天狗と河童達が暮らしているらしい。
曰く、この山には山菜や薬草がよく生えているそうだから、たまに人間が不法侵入してくる。しかし大概は麓で追い返されるか、襲って殺してしまうらしい。
曰く、ここは山の頂上付近であり、上空からは殆ど見えない犬走さんの憩いのスポットらしいが、ただの人間がここまで忍び込んでるのはおかしいとのこと。
どうやら彼女が僕を見かけて即襲ったりしないのは、ここまで忍び込める強者の可能性があり、未熟な自分では危険な為に話し合いで情報を引き出そうとしたらしい。
仲間をよんで制圧すれば良かったのでは? と思ったが、ここは言わば聖域。無闇に他人を入れたくなかったのだろう。
誰しも他人に踏み込んで欲しくない空間を持つものだ。それが物理的であれ精神的であれ、僕はその場所に土足で踏み込んでしまった。
改めて彼女に謝罪と情報に対する感謝の意を伝え、即この場を立ち去ろうする。たとえこれが僕の夢だろうがケジメはつけるものだ。
「えっ、ちょっ、そっちは!」
彼女がいる方向の反対側へ、花をなるべく踏まないように早足で逃げるように歩くと、ふとした浮遊感が身体を包む。
視界に写ったのは広がる青い空と、目の前に迫ってくる地面。一説によると、1mもない高さで頭から落下すると人間は簡単に死んでしまうらしい。
僕の頭はトマトのように簡単に潰れてしまった。
◇
徐々に意識が覚醒する。