バビロニアで暮らす貴族を始めとする上流階級は、その名の通り上層部に居を構えている。
使われている家財や建築材料も当然、質の高いものだ。貧民が生涯目にすることのない素材は非常に多い。
それらは死の底の大空洞の外側に多く飛散しているようだ。
高所から落下するうちに、遠くまで飛ばされたのだろう。
今や多くのアンデッドたちは崩れた高級素材には目もくれず、光指す地上に至ることのない塔を目指して蠢いている。
“偽白亜”
一方でリチャードは、塔を目指す亡者とは対象的に地面ばかりを見つめていた。
罪人のローブを着込んで荒野に這いつくばるその姿は、ともすれば届くことのない空に両手を伸ばすスケルトンよりも惨めに見えるかもしれない。
“蛋白乾石”
リチャードはここ数日、ずっと瓦礫の山と向き合っていた。
無造作に散らばった瓦礫の中から貴重な石材を見つけては、それを擦り切れかけた小袋に放り込んで、仕分けている。
一つ一つはサイズの小さすぎる、一つの作品として使えないものばかりであるが、製作における発想は手持ちの資材によって左右されることも多い。リチャードは見つかるものを片っ端から拾い集め、そして分類し続けていた。
その作業は当然ながら、レヴィにも割り振られていた。
彼女は石の種類も名前もほとんどわからないので、特徴の目立つものを教えられ、それを探すように命じられている。
「……職人さん、まだやるの?」
“やる”
レヴィが何度訊ねても答えは変わらない。帰ってくるのは決まって、いつもより気持ち大きめの首肯であった。
横暴ではない。乱暴でも、意地悪でもない。
しかしレヴィは、リチャードの本質が極めて頑固な自分勝手であることは、なんとなく察しつつあるのだった。
六日目。
リチャードは燭台の荒野を探し回っているうちに、小高い瓦礫に埋もれていた石柱を発見した。
その石柱は一本物であり、かつ滑らかな材質でできていた。
元々はどこかの施設で使われていた装飾用の柱だったのかもしれない。表面には縦の溝が等間隔にあしらわれているのみであり、他者の作品ではないことから、加工することにも躊躇は必要なかった。
“素晴らしい。私が求めていたものに適している”
折れてはいるが、慎ましい立像を一体分仕上げるには十分が長さと幅がある。
上手く切り出せば、端材で幾つかの置物は作れるかもしれない。
“取り掛かろう”
材料を見つけた後の行動は早かった。
まずは僅かに斜めに生えていた石柱をまっすぐに整えるところからだ。
そもそも石柱が斜めに配置されていることなどほとんどありえないので、リチャードとしてはそこから傾いたモチーフを見出してみたくもあったが、土台が不安定である以上は放置できる問題でもない。
多少の惜しさもあったが、彼はロープと複数の支柱を用いて石柱をまっすぐに立て直し、掘った根本を瓦礫で埋め直し、砂利を注ぎ、叩いて固める。まともに直立するようになるまでは2日も要した。
その作業を興味津々に見ていたレヴィにどうにか“似たようなものを見つけろ”と指示を飛ばしてから、切り出しを始める。
錆びた鉄剣で罫書き、魔力を込めた針を慎重に穿ち、少しずつ穴を開けてゆく。
墓守だった頃の経験はリチャードに石工としての基礎を学ばせた。
彼は迷いなく石に錆びた針を突き立て、少しずつではあるが大雑把な切り出しを進めていった。
“……あれは”
やがていつ割れてもおかしくないほどにまで針を突き立てた時、遠くから青白く輝く幽体が飛んでくるのが見えた。
海月じみたドレス姿に、引っ掛かりの一つもなさそうな長い髪。そして非常に端正な女の顔。
シルエットは仄かに霧がかっていたが、それでも遠目にわかるほどの美しさ。
レヴィがひと目で貴族令嬢だと決めつけたのも頷ける美貌を、たしかにその霊は持っていた。
ひと目見れば肌でわかる。
あれが、レヴィの言っていたレイスなのだろう。
高い場所をゆらゆらと飛んでいるレイスは、リチャードを一瞥することもなく通り過ぎていった。
リチャードはその姿を最後まで見送ってから……再び、作業に戻る。
力強く打ち込まれた一本の針は、石柱の不要部を綺麗に切り取った。
大雑把な切り出しが終わった後、本格的な彫像製作が始まる。
リチャードはノミと鎚を手に、廃材を組んで縛った脚立に座り、作業を続けている。
アンデッドのまばらな広い荒野に鎚と石が砕ける音だけが響き渡る。
音に文句を言い募る者はいない。飛び散る破片が狭い場所で反響することもない。石材はとても素直な削れ具合で、構想がそのまま再現できる。
誰も邪魔しない静寂な荒野の中で、リチャードは久しぶりに快適な作業を楽しんでいた。
作業中の物音を嫌うことを知っているレヴィは、順調に作業を進めるリチャードを遠目に眺めている。
作業が始まれば、終わるまではほぼ会話することもできない。物音を立てることもいい顔をされない。
なので非常に退屈な時間になるのだが、レヴィは作業に没頭するリチャードを眺めているだけの時間も嫌いではなかった。
無から有が生み出される過程。
無意味なものが強い意味を持ってゆくその光景は、生き物のいないこの地底世界において、救いに似た何かを感じているからだ。
もちろんリチャードの生み出す芸術はいつ見ても恐ろしいし、じっと眺めていたいものではない。
快か不快で言うなら、きっと不快に属する作品ばかりではあるのだが。
だとしても、彼の作り出すものでは決して虚無ではないし、単純に負と呼べるものとも違う気がするのだ。
レヴィは、リチャードが作り続ける芸術が自分の考え方を少し変えたように、この世界でさまよい続ける亡者たちがどう変わってゆくのか、どう反応するのかが気になっていた。
リチャードの一体目の彫像が完成した。
滑らかな石材を大胆に用いた、ヴェールを被った花嫁の立像である。
一見すると美しい彫像である。しかしよく目をこらせばヴェールの下に潜むシルエットは生者ではないそれであり、誓うように組まれた手は若者と呼ぶにはあまりにもやせ細っている。
彫像が仕上がった時、レヴィは不気味さのあまりに乾ききったはずの喉を鳴らしてしまうほどだった。
製作再開歴12年、リチャード作。
“不履行”。
燭台の荒野に立つ、一人の花嫁。
ウィスプの一体が、遠目に見えるその美しさと、周囲に並び立つ燭台に誘われてやってきた。
思考能力のほとんどが失われたウィスプであったが、それは本能的に彫像の近くの燭台に宿り、火を灯す。
青白い輝きが、彫像を下から仄かにライトアップした。
そして、彫像の“顔”が変化する。
ヴェールで覆われ隠されていたその表情が、明かりによって僅かな陰影を浮き彫りにしたのである。
布越しに潜んでいたのは、大きく口を開いた女の頭蓋。
怨嗟を叫ぶ人ならざる誰かの慟哭。
ウィスプはそれを感じ取った瞬間、一際大きく燃え上がり、揺れ、そのまま燭台を抜け出して飛び去っていった。
“やはり、幽体でも反応はあるか”
工具を石で研ぎつつ観察していたリチャードは、ウィスプの反応に確かな手応えを感じ取っていた。