埋没殿のサイレントリッチ   作:ジェームズ・リッチマン

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意思の疎通を

『もし』

 

 リチャードが作品を仕上げると、それを見計らっていたように、レイスのパトレイシアが前に出た。

 作品とリチャードの間に強引に入り込む彼女は、丸二日も待たされたせいもあって少々不機嫌そうである。

 

 それもこれも全てリチャードが作業中の会話を嫌う性質のせいなのだが、そういった特殊な機微については長い待ち時間の中でレヴィからたっぷりと教わっているので、問い詰めるつもりはない。

 生前は有名人ではあったので、人となりもなんとなくは知っている。

 しかしそれはそれとして、目の前にいながら人を待たせるのもどうなのだと言う気持ちが拭いきれないのは、一般的な感性を持つパトレイシアの仕方ない感情であった。

 

『お訊ねします。あなたは、リチャードですね?』

 

 レヴィは彼の名を知らなかったようだが、まず間違いではないだろう。

 実際、リチャードは間髪入れずに頷いた。

 

『私はパトレイシア……いえ、家名などは何の意味もありませんね。ただのパトレイシアです。……まずはお礼を。貴方の作品が齎した力のおかげで、私は亡者の闇を脱することが叶いました。ありがとうございます』

 

 パトレイシアは貴族然とした礼を見せ、後ろで見守っていたレヴィはその姿に感銘を受けたのか、目を輝かせた。リチャードは特に反応を示していない。

 

『……まさか処刑されたはずの貴方と、死後こうして言葉を交わせるようになるなんて。私は貴方の作品に強い感銘を受けていました。できれば生前にお会いすることができれば良かったのですが……』

 

 パトレイシアがそこまで言って、リチャードはようやく反応を見せた。

 しかしそれは好意的なものではない。軽く額を抑えて俯くような、頭痛でも堪えていそうな格好である。

 

「……職人さん、長い話は好きじゃないんです」

『え……えぇ、ですが……まだ挨拶もほとんど』

「ほら、“帰る”って……」

『……』

 

 レヴィが指し示す通り、リチャードは作品を仕上げたので帰り支度を始めていた。

 彼は貴族らの好むような長い挨拶など、言葉のやり取りを億劫に感じる性格だったのだ。

 

『……沈黙の煙草を自ら吸った男。人嫌いは噂通りだったのね』

「?」

『なんでもないわ。……彼は戻るのでしょう? 私たちも行きましょうか』

「うん」

 

 こうして三人のアンデッドは荒野を去ってゆくのだった。

 

 

 製作再開歴12年、リチャード作。

 

 “故郷の義父”。

 

 老人は鍬を杖代わりに立ち尽くし、どこか遠くを見据えたまま、誰かとの再会を待ち続けているかのようである。

 しかし、彼はそう長くはない。再会と終わり、どちらが先にやってくるかは、その背景を知らずとも、明白であるかのよう。

 

 荒野にはいくつかの立像が立てられ、それらは別れを惜しむことなく、去りゆくアンデッドを見送るのだった。

 

 

 

 

 レヴィはすぐさまパトレイシアに懐いた。

 温和で優しく、いざという時には身を呈して守ってくれる綺麗な存在。それは貴族を恐れていたレヴィであっても心を許すには充分な素養だったのだろう。

 パトレイシアも子供に対する愛は深く、幽体であるために実際に触れることはできなかったが、レヴィをよく可愛がった。

 言葉を交わし合う二人が気安く語らう仲になるまでは、二日もかからなかった。それでもレヴィは無口なリチャードに対して尊敬する気持ちは失っていないし、蔑ろにするような様子もない。

 パトレイシアは、レヴィが良くできた子供なのだと思っている。

 

『……ここが、坑道』

「作品がいっぱいあります。たまに、あの……スケルトンもいたりします。けど怖くはないです。奥の方に、私達のお家があるので、そこに行きましょう」

 

 大空洞から離れた壁面。そこに、リチャードらが拠点とする坑道への入り口の一つがあった。

 探せば坑道への入り口は無数に存在するのだが、崩落の煽りや行き来の不便がない場所というと、その一つだけになるらしい。

 

 バビロニア初期から存在し、奴隷によって拡張され続けた鉱脈群。

 その坑道は無数に分岐し、上へ下へと無秩序に広がっている。

 彼らが長年かけて穿ち続けた坑道が、今バビロニアの民らを死の底へと封じている。それはパトレイシアにとってあまり直視したくない現実であったが、きっと周辺諸国の人間であれば“因果応報”とでも言うのだろう。想像に難くないことであった。

 

 坑道内は手狭だが、肉を失ったリチャードやパトレイシアにとってはどうということもなかったし、小さなレヴィは元より頭を打ちそうになることもなく歩ける。

 坑道の中でもかつてはトロッコを用いていた主要運搬道であったのか、広い部分は横並びになることもできそうだった。

 

『……リチャードの作品』

 

 そして、坑道内には各所に彫り物が配置されていた。

 それらは行き止まりや平坦な壁面であれば所構わず配置されており、そのどれもが無意識に見てしまうと思わず目を剥いてしまうような迫力と恐怖を持っていた。

 

「……怖いですよね」

『ええ……とても』

 

 時折、迷い込んだスケルトンが坑道内を苦しそうに行き来している。

 作品のもたらす恐怖が彼らの霞みきった魂を震わせているのだろう。

 

「でも、私ここの、作品……あの……結構好きです。はい……」

 

 リチャードの作品は、処刑される前やその後なども、驚くべき高額で取引されるようなものばかりであった。

 彼の生み出す作品はどれも心に強い衝撃を与えるため、人によっては呪われているなどと言い出すこともあったという。

 しかしそれだけに他にない魅力を持っていた彼の作品は、とりわけ貴族の間では蒐集品としての人気が高かった。

 パトレイシアも芸術品を好んでいたので、小さな置き物を一つだけ買ったことがある。存命の芸術家の作品としては法外な価格だったので、当時は酷く驚かされたものであった。

 

『レヴィも、彼の作品を見て……目が覚めたのよね』

「はい。……怖いけど、なんか、すごかった……あっ。後でそこに案内します」

『ありがとう、楽しみだわ』

 

 

 

 やがてリチャードはいつもの大部屋に戻ってきた。作りかけの壁面レリーフと、骨製の椅子の置かれた部屋である。

 明らかに人骨を用いて作られたそれを見たとき、パトレイシアは思いの外それに嫌悪感を示さない自分に驚いていた。それを横目に見たレヴィは、パトレイシアが自分用の椅子を欲しがっているのではないかと思い込んでいたが、もちろんそんなことはない。

 

 リチャードは自分の椅子に座り……沈黙した。

 彼は彫るでも研ぐでもない時は、そうしてじっと考え事に没頭するのである。

 ただ、考え事をしている時には話しかけても怒ることはない。

 

 ……という話は、すでにレヴィから聞いている。

 パトレイシアは落ち着いたこの時を狙い、再び会話を試みることにした。

 

 だが、リチャードは持って回る会話を好まない。

 なので今回はパトレイシアも、率直に切り出すことにした。

 

『リチャードさん。お願いがあります』

「……」

 

 リチャードは無言で、ゆっくりと顔を上げた。

 

『どうか、死を想わせる貴方の作品で……アンデッドと化した人々に、心を取り戻させてはもらえないでしょうか』

 

 パトレイシアの目は本気だ。

 

『私は貴方の作品によって目覚めた。ならば、他の人々も目覚めるはず。……教会の関係者が聞けば異端審問にでもかけられるような試みでしょうが、効果は私やレヴィさんで実証されていますし、教会は文字通り瓦解しました。……人々を救うために、どうか。リチャードさん。お願いできないでしょうか』

 

 死を想わせる作品による、人間性の再確認。

 アンデッドから人間への再帰。パトレイシアは、どうしてもそれを成し遂げたかった。

 

 だがリチャードは首を縦に振ろうとしない。とはいえ、横に振ろうともしなかった。

 良いとも悪いとも語らない彼に、パトレイシアの不安だけが募る。

 

 たっぷり数十秒の間を開けて、彼は右手を動かした。

 宙をなぞるように四角く描き、何かを塗りつぶすような仕草をしてみせる。

 

「職人さん、書くもの欲しいって」

『! 書くもの。筆記具ですね、わかりました! いえ、ここにあるかどうかは……いえ、とにかく探してきます!』

 

 リチャードは何かを伝えたがっている。それを知ったパトレイシアは、すぐさま筆記具になり得るものを探しに飛び去った。

 残されたレヴィは不思議そうに首を捻っている。

 

「……職人さん。壁に彫って書くのじゃ、だめなんですか」

 

 リチャードは無言で首を横に振った。

 面倒な書き方はしたくないし、書き味の良いものが欲しかったのである。

 

 何より、彼は必要がなければ筆談さえもしたくはないのだ。

 見つからなければ見つからないでも構わないというのが、リチャードの本音ではある。

 

 数十分後、筆記具を見つけたまでは良かったが、物に触れられないため手ぶらで帰ってきたパトレイシアは涙目でレヴィの助力を願った。

 

 

 


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