埋没殿のサイレントリッチ   作:ジェームズ・リッチマン

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魔物の脅威

 

 リチャードが執刀団に入って、数年が経過した。

 激務ではあったが軍属として食事は満足できるだけの量が与えられたので、17歳にもなった彼は身体的能力的なハンデも埋まり、常人並の体格に恵まれた。

 そうなると団長のデイビットはより危険な戦場にもリチャードを連れて回るようになり、彼はそこで様々な経験を積むこととなる。

 

 そもそも、バビロニアで生まれた者はそうそう塔の外に出ることがない。

 彼らの暮らしは塔に齎される富によって支えられて、下層の平民であっても塔内で人生が完結することさえ珍しくなかった。

 例外は商人であったり、塔の外で戦わなければならない軍など限られた者たちばかりである。

 

 よく言われる話で、バビロニアで暮らす者は外に憧れ、塔外で暮らす者はバビロニアに憧れるのだという。

 バビロニアは大陸において最も発展した都市であったので、バビロニアに憧れるというのはわかりやすい。逆にバビロニアの住人が外の世界に憧れるのは、広大な土地で自由に暮らせるからだという。

 リチャードも貧民の出身だったので、鬱屈とした暮らしから抜け出したい思いで、塔の外に憧れたことは多い。

 

 だが、いざ執刀団の一員として外に出てみれば、厳しい現実が待っていた。

 

 無秩序な治安。どこにでも現れる強大な魔物。

 それは高く堅牢な塔の中に居たのでは知ることのできない脅威であり、リチャードの幻想を壊すには充分な現実であった。

 人と人の争いの場に魔物の群れが乱入した時などは、悪夢の類かと疑いもしたものである。

 

 人間の争いならばまだそれなりに行儀や作法もあったが、魔物にはそれが無い。彼らは非戦闘員だろうが命乞いをしようが構わず全員を殺しにかかる。

 死闘の末に天幕を襲撃してきた魔狼を斃し、感情の読めない目を覗き込んだ時、リチャードはそれでもまだ、死体が恐ろしかったのだ。

 

 

 

 坑道の中にまで、魔狼の遠吠えが聞こえてくる。

 

 大空洞に魔狼、今はアンデッドと化しスケルトンハウンドとなったそれらが現れたのは、三日前のことである。

 

 大空洞の瓦礫を捜索していたレヴィとパトレイシアの二人は塔よりドラゴンの咆哮を聞き、それに呼応するようにして溢れ出したスケルトンハウンドの群れを確認した。

 

 スケルトンハウンドは人間系のアンデッドに対して非常に敵対的であり、遠目でも何体ものアンデッドが殺されたのをパトレイシアは見たという。

 

『恐ろしい数です。どこから大空洞に入り込んできたのか……崩落に巻き込まれたのか……ともかく、相手にできる数ではないのは確かです』

 

 スケルトンハウンドは単体であればさほどの脅威ではない。

 しかし群れになると、途端に生前の頃の集団戦法を思い出したかのように統率が生まれ、手強くなる。

 リチャードは昔の経験から嫌というほどそれを知っていたので、鞄いっぱいに物資を持ち帰れずに落ち込むレヴィに対し、珍しく励ますように手を振っていた。

 

『私も魔法を扱えますが……どういうわけか、この姿になってからは力が制限されているように感じます。上級どころか、中級の呪文でさえまともに発動しないのです。レイスならば、もう少し扱えても良いはずなのですが……』

 

 パトレイシアの魔法はあてにできなかった。

 初級呪文でも多少の牽制にはなるだろうが、彼女の自己申告によれば魔力量が圧倒的に少なく、多用ができないらしい。使い過ぎれば浮遊することも難しくなるので、一部のアンデッドに無防備な姿を晒すことになってしまう。

 

 当然ながらリチャードも魔法は使えないし、スケルトンハウンドの集団に挑む無謀さは誰よりも知っていたので、戦力にはならない。

 

「……私がメイスで……」

 

 パトレイシアはレヴィの頭をそっと撫でた。

 

 三人はそれぞれが独自の役割を持つバランスの良い徒党であったが、現状、圧倒的なまでに戦力が不足していた。

 

 

 

 スケルトンハウンドの対策は急務である。

 なにせ彼らは魔物であり、人間と同じ死生観がないため、リチャードの作品は魔除けにならない。

 今はまだ塔の近くを彷徨っているらしいが、坑道内にまで入り込まれれば一気に危険になるだろう。

 

 リチャードは作業に集中したかったが、身の危険が迫っているとなれば準備くらいはする。

 何より、外から醜い遠吠えが坑道内に響いてくる環境は、リチャードにとって許しがたいものであった。

 

「これを設置するんですね……」

 

 リチャードはひとまず、柵を量産した。

 石でも木でもなんでも構わない。廃材から適当なものを見繕って探し出せば相応の仕上がりにはなったので、それを邪魔にならない程度の位置に並べてゆく。

 

 地面には人の足は入らないが、犬の足が引っかかる程度の穴をいくつも穿ち、罠とした。スケルトンハウンドがその上を勢いよく走れば、勝手にはまり込んで足を折るという代物だ。

 レヴィはその説明を聞いておそるおそる穴に自分の足を這わせたが、話の通り人間であれば大丈夫そうだったので、大袈裟なくらいほっとしていた。

 

 

 

『リチャードさん。貴方は動物の恐る作品などは作らないのですか?』

 

 ある日、パトレイシアはリチャードにそう訊ねてみた。あるいは、彼の力でスケルトンハウンドを撃退できないものかと考えたのだろう。

 すると彼は面倒臭そうに木片と煤インクを用意して、こう答えた。

 

 

 “私は人の死生観しかわからないし、人の死生観にしか興味がない。”

 

 

 そして次に書いたのは、パトレイシアでもぐうの音が出ない正論であった。

 

 

 “そもそも魔物が正気に戻ったところで、何が変わるわけでもない。”

 

 

 パトレイシアはそれから数日、大袈裟なくらい凹んでいたという。

 

 

 

 レヴィは坑道内に開閉式の柵を設置する日々の中で、浮かない顔をすることが多かった。

 のろのろと作業をしてはため息をこぼし、またのろのろと作業をしては落ち着かない様子で唸ったりといった具合である。

 

『どうされました? レヴィさん。何か悩み事でもあるのでしょうか』

 

 最近まで自分の知性が失われたのではないかと本気で悩んでいたパトレイシアだったが、今では自己解決したのか普段通りの調査に戻っている。

 レヴィは寄り添ってきたパトレイシアに打ち明けるべきか少しだけ悩んだが、このまま黙っていてもさらに悩み続けるだけなのは間違いなかったので、思い切って打ち明けることにした。

 

「……私、お兄ちゃんがいたんです」

『お兄様……レヴィさんの?』

「はい。孤児院の……ほんとのお兄ちゃんじゃないけど、お兄ちゃん……」

 

 思い起こされるのは、貧しく辛い日々。今やその時の苦しみや焦燥に囚われることも悩まされることもないが、あの時に触れ合った兄の優しさは本物で、掛け替えのないものであった。

 

「お兄ちゃんも、アンデッドになってるのかな……もしそうなら、魔物に殺されちゃうんじゃないかって……私、ずっと心配で……」

『……レヴィさん』

 

 もしかすると、身内もアンデッドになっているかもしれない。

 アンデッドは終わりではない。リチャードの作品によって強い衝撃を受ければ、自我を取り戻すことは証明された。

 

 しかし、アンデッドのまま殺されてしまえば。

 その時、復活できる見込みは絶望的になってしまうだろう。

 

 レヴィの兄がアンデッドと化しているかどうかも定かではないが、もしもそうだとしたら残酷な話である。

 パトレイシアとしては、どうにか彼女の力になりたかった。

 

『……少し、考えてみましょう。それに、リチャードさんにも相談すべきですね』

「職人さん、怒らないかな」

『大丈夫です』

 

 パトレイシアは安心させるように微笑んだ。

 

『子供は、少しくらいわがままを言っても良いのです』

 

 

 


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