埋没殿のサイレントリッチ   作:ジェームズ・リッチマン

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ルゥジアルとルジャ

『ルゥジアル。祖国の誇りを忘れるなよ』

 

 彼の祖父はそう言い残して亡くなった。

 祖父はバビロニア出身でない他国の人間で、普段は理知的で温厚でもあったのだが、バビロニアに併呑された恨みについては人一倍根強かった。

 ルゥジアルはそんな祖父の薫陶を受け、恨み話を聞かされて育っていった。

 

『ルジャ。おじいちゃんの話はもう聞かなくていいんだ。父さんたちはもうバビロニアの人間だ。バビロニアのために生きていかなきゃいけないんだぞ』

 

 祖父が亡くなると、家の方針は変わった。

 それまでバビロニアに思うところのあった家風はなりを潜め、バビロニアに迎合する父親の意見に染まったのである。

 実際、家族としては常に息の詰まるような思いをして過ごすよりも、周囲の環境に順応した方が暮らしやすかったので、父の意見はすぐに取り入れられることとなる。

 

『それと、ルゥジアル。……ルゥジアルというのは、おじいちゃんがつけてくれた名前だがな。お前の名前はバビロニアでは少し、異国風に過ぎるのだそうだ。ただでさえ俺たちは、他よりも肌が浅黒い。その上、名前までともなると……これからお前が生きていく中で、そうした理由で風当たりが強くなるのは……俺としても、少し辛い』

 

 父の目は心底哀れんでいるようだったのを、ルゥジアルは覚えている。

 

『これから人に名乗る時は、ルジャと名乗るようにしなさい。きっとその名こそが、ルジャ。お前を悪霊から守ってくれる』

 

 こうして、ルゥジアルはルジャとして過ごすことになる。

 

 バビロニアにやってきた流民より生まれた、バビロニア生まれの子。

 この国では珍しくない、被差別民の一人であった。

 

 

 

 ルジャは騎士となった。

 父は彼を塔内の職に就かせたかったようだが、幼少の頃より祖父に鍛えられたために突出していた剣術の腕前が、ルジャを自然と戦いの道へと誘った。

 家族はルジャの身を心配したが、若きルジャは白銀の鎧に憧れていたので、喜んで騎士の道へと進んで行く。

 その道は彼が思っていた以上に険しいものだったが、それ以上に恵まれた技術と培われた能力が、彼を幾多の戦場から帰還させ、栄誉を授けた。

 

 ルジャが騎士団の副団長となっても危険な任務は続いたが、一歩一歩と前に、上に進んでいる実感はあった。

 狂王の下では時に胸糞悪い任務を命じられることもあったが、自分の名前のように受け入れてしまえば嚙み殺すことはできる。不満はあるが。

 だから、そうしてのらりくらりとやり続けていくはずだったのだ。

 

 時に妥協し、時に歯を食いしばって。

 その先に僅かずつの成功があれば、ルジャはいくらでも苦労を受け入れられたのだ。

 

 

 

「カッ」

 

 スケルトンソルジャーの鉄剣が、襲い来るスケルトンハウンドの喉を貫いた。

 細かな骨片が飛び散り、辺りから気配が消える。

 束の間の戦いは終結した。

 スケルトンソルジャーは近くに敵性存在がいないことを確認すると、再びのろのろと歩き始める。そこに意識はなく、漠然と染み付いた“巡回すべきだ”という本能があるだけだった。

 

 散発的な戦いは長く続いていた。

 彼の剣は既に切れ味を失い、盾は数多の突進を受けてひしゃげていた。

 

 剣はもはや限界で、あと数回も酷使すれば中程から折れてしまうだろう。

 盾はまだ持ち堪えるだろうが、剣無くしてはそれも飾りでしかない。

 

 それでも、スケルトンソルジャーは戦いをやめようとはしない。

 アンデッドの性質が、襲い来るものを迎撃しろと囁いている。

 囁かれるがままに従い、戦う。それこそが戦士。それこそが兵士なのだと。

 

「……」

 

 スケルトンソルジャーは巡回の最中、奇妙なオブジェに遭遇した。

 襲いかからないので敵ではない。殺すべき生者でもない。

 気にかけるべき存在ではないはずだったが、それでもスケルトンソルジャーは足を止めた。

 

 かつての仲間に剣を突き立てる、騎士の木彫を前にして。

 

 

 

 ルジャは明るく、人当たりもよかった。それが彼の処世術だった。

 彼は肌が浅黒かったので、寡黙なだけでは肌の印象だけを相手に与えてしまうことを知っていた。だからこそ、彼は積極的に人と話し、絆を結んだ。

 とはいえそんな社交性も元来あったもののようで、苦労した覚えはない。ただ漠然とそうすべきだろうという考えでやっていたことだったので、腹黒い計算もなかった。

 

 だからルジャは騎士団の中でも特に人望が厚かったし、多くの者から好かれていた。

 ルジャも気の良い仲間たちとの時間を好んでいたので、遠征では長い時を彼らと過ごすうちに、次第に家族に近い関係を育んでいった。

 

 だからこそ、仲間の死は人一倍辛かった。

 闇の眷属に襲われた際、仲間が五人死んだ。いずれもルジャにとっては弟のような男たちで、頭はよくなかったが楽しい者達だった。

 

 闇の眷属に襲われ死んだ人間は、ほとんどがアンデッドとなって蘇り、生者に襲いかかるのだという。

 アンデッドそのものとは何度も戦ってきたので、ルジャにもわかる。

 しかし、見知った連中がアンデッドになることなどは、想像したことさえなかった。

 

『ルジャ』

『……嘘だろ?』

『いいか。辛くとも、やらなければならないんだ』

 

 率先して動いたのは、団長のラハンだった。

 彼はいつも以上に強張った顔のまま大剣を握り、かつての仲間の遺体の側に立ち、構えている。

 

『誰かがやらなければ、ならないことなんだ』

『やめ……!』

 

 

 

 それが雨の日の記憶。

 塔の外の過酷さを知った遠征の出来事。

 初めて人を斬り殺してから久々に吐いた、憂鬱な日のあらまし。

 

「……死んじまったのか」

 

 スケルトンソルジャーは、仲間に剣を突き立てる男の無感情な目を見ながら、ぽつりと呟いた。

 木彫は語らず、スケルトンソルジャーを見ようともしない。だがその作品はどうにも自分に、何かを伝えたがっているような気がしてならなかった。

 

「……」

 

 スケルトンソルジャーは自身の身体を見下ろし、両手に握った装備を他人事のように眺め、特に慌てるようなこともなく……ただただ、悟った。

 

 己の死。バビロニアが崩壊したあの日。

 逃げようとした自分は崩落に巻き込まれ、驚く間に死んだ。

 祈る間も無く、抗う暇もない。理不尽で唐突な、ただただ無味乾燥な死であった。自分の最期は仲間に介錯されるか魔物に食い殺されるものかと思っていたので、場違いな思いではあったが、落胆を隠せない。

 

「バビロニアと運命を共にするって柄でもなかったんだけどな」

 

 彼はバビロニアに迎合したが、特別好きな国というわけでもない。

 ただ生まれた場所だったからバビロニアにいるだけだし、生きていく上で向いていたから騎士団に入ったのだ。

 

 バビロニアには恨みも恩も感じていない。祖父の薫陶も時折受けた差別も、彼はそれほど引きずっていない。

 だというのにバビロニアの崩壊などというものに巻き込まれ、死んでしまった。巻き込みやがってという文句もあるし、自分なんかを巻き込んでもなという呑気な思いが綯い交ぜになっている。

 

「……誰か、仲間がいれば殺してもらうってのが、騎士団の常道ではあるんだけどな……」

 

 木彫の近くには、文字の書かれた木片が落ちていた。

 綺麗な文字が刻まれたそれは、周囲の瓦礫を見ても特に真新しい。

 

 “杭を辿った坑道にて待つ”

 

 見回せば近くには斜めに不恰好に生えた杭が打ち込まれており、それは遠目の間隔で、点々と続いているようだった。

 

「……殺してもらえる感じでもねえのかな、これは。……まぁ、死にたくはねえから、良いんだけどよ」

 

 スケルトンソルジャーのルジャは杭を辿ろうと歩き出し、その去り際、一度だけ木彫を見直した。

 

「……悪趣味すぎるだろ、これ」

 

 ルジャは以前酒場で聞いたことのある死体ばかりをモチーフにした悪趣味な芸術家の噂話を思い出しながら、杭の目印を追って歩き始めたのであった。

 

 


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