木彫より続く目印の杭は、時折不恰好に傾きながらも、しっかりとルジャの歩みを導いていた。
道中、ルジャは遠目に見えるバビロニアの斜塔を見上げてうめき声を上げたり、物陰から現れたスケルトンに驚いたりもしたが、これといったトラブルに見舞われることはなかった。
「……まさか、この距離でアンデッドと出くわしても敵対してこねえとは……俺、本当にアンデッドになっちまったんだな」
かつて不倶戴天の種族であったアンデッドと遭遇しても襲われない。
人間ならばジワジワと肺を蝕むであろう辺りの瘴気を心地良く感じる。
どれだけ歩いても疲労や飢えに苛まれない。
まだルジャは己がアンデッドになったことを自覚して数時間ほどしか経っていなかったが、自身の異常性を理解しある程度咀嚼するには充分であった。
「ここは……」
やがてルジャは壁面付近までやってくると、足場の悪い丘を登り始めた。
道しるべの杭は続き、ぽっかりと空いた不恰好な坑道まで続いている。
その近くは多少足場が整備されているのか、歩きやすい。誰かの手が入っているのはすぐにわかった。
そして何より、道沿いに獣用らしき杭罠が仕掛けられている。
アンデッドが罠を作る知性があるのかどうかはルジャも知らないが、話ができそうな雰囲気は感じ取れた。
「お……」
ルジャが坑道に入ってすぐのところで、一人のアンデッドが床に穴を作っていた。
それは罪人のローブを着込んだ白骨のアンデッドで、ハンマーとノミのようなものを使い、獣用のスネアトラップを掘っているらしかった。
その作業アンデッドはわずかに声を上げたルジャをちらりと見やると、特に何も言うことも身振りをすることもせず、作業に戻る。
ルジャはその機械的な動きに“こんなアンデッドもいるんだな”といった理解を示し、彼もまた特に言葉を交わせそうな気もしなかったので、通り過ぎていった。
これが、ルジャとリチャードの初対面である。
「なーんだこりゃ」
坑道を進んでいくと、流石に内部には杭がなかった。
目印はなく迷路のように続く坑道であったが、内部は数多の芸術作品で満たされていた。
しかもそのどれもが何か恐ろしい雰囲氣をまとっており、ルジャとしては気が気でない。坑道内ですれ違うゾンビやスケルトンも苦悶するような様子を見せており、そんな姿もまた不気味さに拍車をかけていた。
敵対的な相手と遭遇しているわけではなかったが、行き止まりの壁面に刻まれた彫刻はルジャの本能をざわめかせる。背中を鋭いつららで抉られるような衝撃が、何度も何度も道行く先に待ち受けている。
彼は自然と盾と剣を構え、そろそろと歩くようになっていた。
「……」
ある程度進んだ先で、彼は気配を感じ取った。
スケルトンやゾンビとも違う、どこか規則的な動き。不安定ではない、しっかりとした足音。
それはぺたぺたと石の上を踏みながら、静かに近付きつつある。
ある程度近づいたところで不意打ちしてもよかったが、敵とは限らない。なのでルジャは、盾を構えた状態で曲がり角へと身を曝け出した。
「わっ……!?」
そこにいたのは少女のゾンビであった。
正確にはレヴナントだが、ルジャには見分けが付いていない。
それでも目の前にいるアンデッドが普通のゾンビでないことは、リアクションを見ればすぐにわかる。
驚いた顔。尻餅をつく人間的な反応。何より、子供だ。
「やれやれ」
盾を構えるのが馬鹿らしくなり、ルジャは体の緊張を解いた。
しゃがみこんで、少女に目線を合わせる。
表情などはもう作れないが、それでも声色だけはしっかりと意識して、なるべく怖がらせないように。
「やあ、嬢ちゃん。俺はルジャってんだ。……こんなナリしてちゃ無理かもしんねーけど、悪いモンじゃねえから安心してくれ。で……とりあえず、話だけでも聞いてもらえねえかな?」
ルジャがそう訊くと、少女、レヴィは少しだけ間をあけてから頷いた。
その反応を見て、ルジャはようやく話の通じる相手に出会えたと安堵した。
実際はもっと手前に話の通じる相手がいたのだが、それに気付くのはもう少し後のことである。
レヴィはルジャを伴って、いつもの広間にやってきた。
そこには骨製の椅子と廃材で作られたテーブルが配置されており、壁面に積まれた資材や道具類などから、生活感が漂っている。
ルジャはそれらの用途に見当がつかなかったが、人らしい営みがあることを知って大きく安堵した。
『ついにいらっしゃいましたか』
「うわっ」
少しして、入り口から幽体アンデッドが入ってきた。パトレイシアである。
青白く光るレイスは騎士団にとって対抗手段の少ない恐ろしい相手だったので、つい身体が強張ってしまう。
パトレイシアは驚くルジャを見て少し意外そうにしていたが、すぐに貴族然とした笑みを浮かべた。
『はじめまして、新たに目覚められたお方。私はレイスのパトレイシアと申します。こちらは……既に自己紹介はしてきたかしら? 彼女は……おそらくレヴナントのレヴィさん』
「お、おう。ご丁寧な……悪いが俺に儀礼とかは期待しないでくれ。……第六征伐騎士団副団長、ルゥジアルです。……かしこまった挨拶なんてこんなもんしか知らないからな。あ、気軽にルジャって呼んでもらえると助かるよ」
『ルジャさんですね。ええ、私もただのパトレイシアです。気軽に接していただけると幸いですわ』
パトレイシアはそう言うが、そのドレス姿や見るからに高貴そうな振る舞いは明らかに貴族らしいそれだ。
とはいえ、お互いにアンデッドである。もはやかつての身分に何の価値もないことは、ここまでの道中で理解している。
バビロニアは、滅んだのだ。
「……なあ。生き残りは、いるのかな」
それは今この場で言うことだったのか。
しかしルジャは、とにかく最初に、そう聞いておかずにはいられなかった。
「いや……馬鹿な質問だったな。気にしないでくれ」
レヴィとパトレイシアの表情は暗い。つまりは、そういうことなのだろう。
ルジャは椅子を勧められ、ひとまず話を聞かされることになった。
バビロニアのこと。そしてこの地下のこと。
死の底に陥没し、崩壊したバビロニア。
大空洞、斜塔、坑道。様々な地形から成り、無数のアンデッドがひしめく巨大な地下空間。
『もはやここにバビロニアは存在しません。私はこの地下全域を……埋没殿と呼んでいます』
「……ハハッ。世界一高い塔の王国が、一気に地下になっちまったわけかい」
『ええ……古代に行われていた採鉱、取水……長年のそれらによって作られた空洞が、バビロニアを地の底に沈めた……そういうことなのでしょう』
「奴隷にやらせてたんだっけな、地下の採掘。自業自得だよな……巻き込まれた身としてはたまったもんじゃねえが」
バビロニアの地下に広がる死の底は、塔で暮らす民にとって恐怖の象徴だ。死の底に絡めた怪談は子供を脅すには格好のもので、その存在自体はほぼ誰もが知っているだろう。当然、ルジャもレヴィも知っていた。
『地下には多くのアンデッドがいます。我々もそこに沈み込んで、瘴気に蝕まれアンデッドと化しました。こうなった以上、私達は現状を受け入れる他ありません。納得がいかなくとも、理不尽でも』
「まぁ、そうだな」
『受け入れてしまえば、アンデッドは寝食も要らないので気楽ではあるのですが……現在、そう呑気にしていられない事情がありまして。実を言うと、ルジャさんに覚醒していただいたのもそれに絡んでいるのですが』
「おいおいちょっと待ってくれよ。覚醒ってのはなんなんだ? 言われてみればアンデッドの俺らがこうして人間らしく話しているのも変な話だよな」
『ええ、ですのでそれについて、できればご本人から説明があればいいのですが……』
パトレイシアはいつのまにか部屋に入り込んできたリチャードを横目に見る。
彼は無言で部屋に入ってきては、いくつかの木片を部屋の片隅に放り投げる。そして代わりに道具の何本かを手にするとさっさと出て行ってしまった。
『……きっと駄目そうなので、私の方から説明させていただきますね』
「お、おう? そうか……」
こうして、ルジャは坑道に棲むアンデッドの一員となったのである。